つづき | 日本のお姉さん

つづき

標題の「なぜ今の日本は怪物化なのか?」の疑問に戻りたい。この問題は本当のことを言って、答えは難しい。直接的な証拠が不足しているからだ。よって、自身の仮説や他人の考えを借りて以下の通り書いてみた。
1)個人的仮説:相手を怪物化するのは中国の伝統文化の一部
中国人は相手を怪物化することに長けている。国レベルで言うと、私たちは米国、ソ連、ベトナム、インドなどすべての相手を怪物化したことがある。相手を打ちのめすためには手段を選ばない。これは中国文化の一部ではないだろうか?
2)個人的仮説:国内の政治的要求を満たすためのプラグマチズム
長期にわたり、中国は「経済では利用し、政治では圧力をかける」という対日政策をとってきたと考える。経済で利用するとは、改革開放の25年間、中国は日本の資金、技術、市場に大きく依存してきたし、政治面で圧力をかける目的は、経済面でよりよく利用できるようにするためである。
圧力をかける手段の一つは、過去の日本と今の日本を区別せず、過去の怪物日本でもって今の日本を怪物化するのである。
!)共同仮説:ナショナリズムはいいものだ
これは最後の文章で展開しようと思っている観点である。ナショナリズムは、政権担当者がもっとも好んで利用するツールであろう。ナショナリズムは拡張主義に用いることができるし、孤立主義を招くことも可能である。
ナショナリズムの特徴の一つは、自らの民族を美化し、対立民族を低く評価し、醜く描くことである。ナショナリズムの最大のメリットは国内の課題を転嫁できることである。
!)個人的仮説:民意と政策決定の相互作用の悪循環
以前の日本に対する怪物化は、経済的によりうまく日本を利用するためで
あったとすれば、今の日本に対する怪物化には新しい要素がある:政策で
民をしばり、政策が民意に縛られる。
インターネットが出現する以前、民意と輿論は完全に政策決定者の手中に
あり、民衆は発言権がなかった。ネットが発達したことで、民意が表現さ
れるようになり、特にナショナリズム的色彩を帯びた民意は非常にたやす
く認められるようになった。民意を縛っていた側と縛られていた側の相互
作用で、怪物化と陰謀説がますますエスカレートし、多くの人が信じるよ
うになった。
多くの場合、民意は非理性的であり、真実ではない。尖閣諸島問題はその
典型的な事例である。尖閣諸島の領有権を主張する民間の活動団体が行動
を始めるまでは、中国政府は尖閣諸島問題を大きく取り扱っていなかっ
た。今の中国にとって核心的利益ではないからである。
尖閣諸島の主権争議の存在を維持することは、私たちにとって有利である
が、尖閣諸島問題の経緯を理解している中国人はごく少数である。民間の
活動団体の行動が引き金となって、ネット上の民意が、尖閣諸島問題の明
確化と強硬な姿勢と対決を政府に迫り、結果、2012年の日本車焼き討ち事
件を招いた。
歴史問題における、中国の日本に対する姿勢が、軟弱から強硬へ、不明確
から明確へ、あいまいから確実へと変化していることがわかる。そこで一
つ質問をしてみたい。以前、中国は中日の歴史問題で妥協したが、2000年
前後から妥協しなくなったのはなぜか?
私の答えは次の通りである。
1)中国の総合力が強大になった。当時の天安門事件後の政治的経済的制
裁から脱却し、政治的には国際舞台に返り咲き、国際問題に参画するよう
になった。江沢民主席は世界に向けて自信たっぷりに江沢民外交を行った。
2)中国経済はトウ小平の南巡談話後、開放政策によって、急速な発展を
とげて世界最大の市場となった。市場は私たちにとって最大の対外資本で
ある。中国とEU、中国とアメリカの貿易額は急成長し、中国の対日経済依
存度は低くなった。中国は日本に対してNOと言えるようになったのである。
3)しかし、どんどん自信をつけてきた中国も、2000年までに外交上、極
めて手痛い挫折を2回経験し、中国の外交のあり方を変えることになっ
た。1回は、李登輝が持ち出した両国論に大陸が過度の反応をし、1996年
の台湾海峡危機を招いたことである。中国の大規模な軍事演習により、台
湾海峡へ向けてミサイルを発射するが効果なく、逆に台湾独立勢力が大き
く力をつけることになってしまい、2000年には陳水扁が予想に反して台湾
地域の指導者に当選した。
台湾海峡危機で、日本とアメリカはいずれも、確実に台湾側についた。あ
の時期、中国外交は活気づくが、結局思い通りにはならなかった。
2回目は1999年、ユーゴスラビアの中国大使館がアメリカを中心とする
NATOの爆撃を受けたことであり、これは、中国政府が恥をかかされた、国
際関係の基本的ルールを踏みにじる事件であった。これに対するデモや抗
議行動はあったが、中米関係は最終的には回復した。
4)1997年2月、中国の改革開放の総設計師トウ小平が世を去った。彼が
打ち出した臥薪嘗胆式中国外交のスローガン(「韜光養晦」、能ある鷹は
爪を隠す)は、才能を包み隠して表に出さず、成果をあげる、である。彼
が亡くなるまで、才能を包み隠して表に出さないことは徹底的に実施され
た。そして死後、徐々に成果をあげはじめ、台湾統一問題ではタイムスケ
ジュールを出すまでになったのである。
5)インターネットが中国で急速に発展したことで、中国の民衆は政府の
情報ルートに頼ることなく、多くの情報が得られるようになり、意見を表
明する機会も多様化した。こうして、ついに民意が中国の外交政策に影響
をおよぼしはじめたのである。
2000年以降の13年間、中国は経済面で急速に台頭し、日本を抜いて世界第
二の経済体となり、日本は中国最大の貿易パートナーの地位を失い、日本
の対中援助プロジェクトも終了した。日本は長期にわたる経済低迷に陥っ
た。中国大陸と台湾の関係は急速に改善され、国民党が政権をとり、台湾
の大陸に対する経済依存度が高まった。
中日間では、かつてのような均衡が徹底的に打破され、中国は、ついに日
本に対して心理的優位にたつことになった。中国は、ついに宿敵日本に躊
躇なくNOが言えるようになったのである。このような視点にたつと、中国
の日本に対するプラグマチズム外交は、非常に成功したようにみえる。
2012年9月29日は中日国交正常化40周年の記念日で、中日両国関係改善の
重要なチャンスであった。両国政府は事前にこのために努力をした。しか
し、記念日を迎える前に尖閣諸島事件が発生し、状況は悪化し続けて、9
月14日前後には中国の各大都市で大規模な反日デモや日本車の焼き討ち事
件が起きた。
中日国交正常化40周年の年から、中日の国交はますますおかしくなった。
中国の対日外交は、民意を日本との和睦に導く試みから、民意を利用した
反日へと、すっかり変わってしまった。中国のメディアも躊躇なく、すさ
まじい勢いで反日を伝えた。
ここで、中国の対日外交がなぜ失敗したのかをまとめてみる。
1)民衆外交の目的は、両国民間の信頼、協力、友好を構築し、互いによ
いイメージをつくることである。中国国内で対日戦争を叫ぶ人が増えてい
るが、これは外交の失敗ではないのではないか?
2)中国外交(外務省だけではなく、主要メディアも含めて)では、国民
に真実の日本や真実の世界を伝えていない。もちろん、歴史の真実もであ
る。しかし、情報時代にあるがゆえに、ウソは続けられない。
3)中国の特色ある外交言語は国際的文脈に入っていけない。中国外交は
長期にわたり、自ら作り上げた勝利の中で生きてきたのだ。
4)愛国主義の旗印のもと、ナショナリズムを宣揚しているが、ナショナ
リズムはもともと両刃の剣であり、制御しがたくなったときのみ、自らの
傷害をまねくものだ。
5)もっと大きな失敗は、中日の衝突は中国に不利であり、私たちの最大
の競争相手であるアメリカに有利なことだ。私たちの戦略家たち(実際に
は実戦経験や行政経験がなく、真実の世界を理解しておらず、今なお冷戦
の考え方をしている中国の国際関係学者)は、米国軍事力が東アジアへ
戻ってくるのを大喜びしている。米国が東アジアへ戻ってくる原因は何か?
東アジアには従来から3つの潜在的危機が存在する。朝鮮半島、台湾海
峡、南シナ海である。いずれも中米日が関連している。今、また尖閣諸島
問題が浮上している。
南シナ海は本来、中国とアセアン諸国の争いであり、中国は長期にわた
り、南沙問題で「主権は自らのもの、争議は棚上げし、共同開発を進め
る」という立場をとってきた。私たちは南シナ海問題の国際化、拡大、複
雑化に一貫して反対してきた。しかし、南シナ海は日本にとって海上の生
命線である。中日間の尖閣諸島の争いは、南シナ海問題を複雑化し、中国
と係争中のアセアン諸国は米日に向かうに違いない。
はっきり言えば、中日間の尖閣諸島の争いによって、現段階で中国は敵を
たくさんつくりすぎた。しかも、中国は現段階では平和的にせよ武力行使
にせよ、紛争を解決する実力は持ち合わせていない。力がないにもかかわ
らず、戦争をわめきたてれば、結果はまちがいなく自らの顔を何度もひっ
ぱたくことにほかならない。このような外交を失敗と言うにまだ足りない
のであろうか?
7年前、私は「冷静な眼で日本をみる」というシリーズを書き、最終章の
題名を「中日関係の新思考」とした。この中で、つぎのように述べた。
「中国は台頭しつつある。しかし、私たち自身の構造的問題によって、わ
れわれの台頭の歩みは確実なものではなくなる。対日関係では、われわれ
は歴史の荷物を放棄する力がなく、優越感と劣等感が入り混じったわだか
まりを放棄する力がない。われわれはまだ真の意味で腰をまっすぐ伸ばせ
ていない。重い歴史をおろし、日本を平等で正常な国として競争し、大中
華の平和的覇権を構築する日を期待しよう」
去年、抗日戦争勝利68周年で、私はネットに「68年経った。中国は夫に不
満をもつ妻の気持ちを放棄すべきだ」と題する文章を発表した。その中か
ら一部を引用してこの文章を終えることにする。
「一部の歪曲された抗日戦争史によって、私たちは小さいころから勝者の
感覚を味わったことがない。残っているのは、抜け出しがたい悲しみと恥
辱と憎しみだけである。中国を抗日戦争で勝利に導いたことは、蒋介石の
一生でもっとも栄誉なことである。あれが勝者の栄誉である。
1945年9月3日、同盟軍中国戦区の司令官蒋介石は、全国に向けて抗日戦
争勝利の談話を発表した。その一部を記す――
「われわれ中国の同胞たちは「旧悪を根にもたず」「人の善行を助ける」
ことを知り、われわれの民族の伝統ある最高の徳とすべきである。われわ
れは一貫して、日本の武力をひけらかす軍閥のみを敵とみなし、日本の人
民を敵としないと表明している。今日、敵軍はすでに同盟軍によって打倒
された。もちろんわれわれは、彼らがすべての降伏条件を忠実に実行する
よう厳しく命じるべきである。
ただし、われわれは報復してはならないし、敵国の無辜の人民に対する侮
辱などなおさらしてはならない。われわれは、彼らがナチス軍閥に愚かに
も強制されたことを憐れみ、彼らが間違いや罪悪から抜け出せるようにす
るだけである。
敵のかつての暴行に、暴行でもって応じ、かつての間違いや優越感に対
し、侮辱で応じるなら、恨みによる報復が繰り返され、永久に終わらなく
なることを知るべきである。これはわれわれの仁愛と正義の軍が掲げる目
的では決してない。これはわれわれの軍民同胞が特に注意すべきことである」
これこそが勝者がもつべき意識である。非常に残念なことだが、このよう
な意識はとっくに姿を消してしまった。さらに残念なことは、一つの山に
虎2頭は住めないという中国の伝統文化により、抗日戦争勝利後も民主に
向かうことはなかった。中国は内戦や政権交替を経験した。
新政権は、抗日戦争の受益者として、建国後長期にわたって愚民政策をと
り、文革時代には狂気にいたった。歴史というのは、思い通りに化粧を施
せる花嫁にすぎない。たとえ現在、歴史の真相に一歩一歩近づきつつある
としても、ナショナリズムはまたしても利用可能なツールとなるのだ。
夫を恨みつづける妻の気持ちとはどんなものか? 過去の悲哀にひたるの
み。はかりしれないほど多くの悲哀の中で、さらに悲哀を拡大するのみ。
恨みごとを言うことしか知らず、反省しない。憎しみのみを知り、寛大に
なれない。進歩しない。
68年経った。日本は第二次世界大戦後のさまざまな束縛から徐々に脱却し
つつあり、正常な国の地位を回復し、政治大国の地位をめざしている。た
だし、軍国主義にはかなりほど遠い。中国と韓国を除けば、歴史問題で日
本ともつれ合っている国はほかにない。
中日関係は従来のような大国間の争いに向かっている。これは恐るべきこ
とではない。なぜなら、グローバル化時代にあって、戦争はもはや大国間
で勝負する際に優先的に選択されるものではなくなった。中国は勝者の自
信をもって、新しい中日関係に向かい合うべきである」
2014年1月17日北京にて(了)(2014/3/23)