刺激しようがしまいが中共は尖閣強奪を着々と準備している | 日本のお姉さん

刺激しようがしまいが中共は尖閣強奪を着々と準備している

頂門の一針↓
刺激しようがしまいが中共は尖閣強奪を着々と準備している
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尖閣諸島上陸“事件”簿
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平井 修一
左巻きを強めている東京新聞(中日新聞)が「台頭する『日本版極右』『排外』市民の間にも」の見出しでこう報じている(2014年2月27日)。
<極右というと、欧州の政治的な病理現象と思われがちだが、日本でもリアルな課題となりつつある。海外では、日本維新の会の石原慎太郎共同代表は極右政治家とみなされ、維新も「極右政党」と評される。先の都知事選では、石原氏が支援した元航空幕僚長の田母神俊雄氏の大量得票が世間を驚かせた。
街中では、ヘイトスピーチデモが相変わらず各地で頻発している。「日本版極右」とでも定義すべき勢力とどう対峙すればいいのか>
容共左派的反日屋は極右と「対峙する」覚悟なのだろうが、石原、田母神が極右なら、安倍総理も籾井NHK会長も、さらには小生も極右であり、かつ中韓を嫌う排外主義者ということか。
それでは尖閣諸島防衛の必要性をアピールし行動した大日本赤誠会や日本青年社は「超極右」とでも呼ぶのだろうか。国土防衛を唱えることが極右や超極右なら、日本に巣食う容共左派的反日屋以外の世界中の人が極右や超極右になる。国土防衛に異を唱える東京新聞も殲滅すべし。
大日本赤誠会は1978年5月11日、尖閣諸島魚釣島に強行上陸した。戦後初の日本国民による尖閣上陸だった。「軟弱な日本政府に代わって堂々と領有権を主張した」と大日本赤誠会「尖閣諸島領有決死隊」の隊長・笠原正敏(当時25歳)らは誇らしげに同会のサイトに写真と文章を掲載している。
<上陸を阻止する海上保安庁。この当時からシナに媚びる我が国政府の事勿れ主義が始まった。
上陸用ゴムボートに体当たりをして上陸阻止を繰り返す海上保安庁警備隊。シナの漁船軍団には領海内で押し返されたそうだが、同胞には強気の体当たり。この締まらない構造は今も変わっていない。目の前には魚釣島。
この後、日の丸を身体に巻きつけ海中に飛び込み泳いで魚釣島に上陸。その後、笠原会長が上陸、海上保安庁職員も上陸、事情聴取。
戦後、初めて領有権を主張して日本国国民を代表して大日本赤誠会が魚釣島に上陸した。(この当時の海上保安庁職員の制服は工事現場のオッちゃんスタイルだった)
この命懸けの行動が、第三次・四次の尖閣魚釣島上陸のきっかけとなって灯台建設に発展していった。
昭和44年(1969)国連アジア極東経済委員会が報告書で尖閣諸島周辺に石油埋蔵の可能性を指摘すると昭和45年北京政府は急遽尖閣の領有権を主張しだした。昭和53年4月、日中平和友好条約締結に向けた交渉が行われている中、突然、約100隻の武装中国漁船が尖閣諸島に接近し、領海侵犯、領海内不法操業を行うという事件が発生した。
これに対し、我が国政府と海上保安庁はただ傍観するのみであった。
よって5月11日尖閣諸島領有決死隊を結成し当局の不当な弾圧をはねのけ上陸を敢行した。この一次二次にわたる決死の行動がきっかけとなって現在も尖閣はシナに不当に占拠されずにいる。こうした行動がなければ尖閣諸島はすでに覇権シナによって占有実効支配されていたに違いない>
この壮挙は愛国右派を大いに刺激した。新右翼団体「一水会」の木村三浩代表は、1978年当時所属していた「日本青年社」の「尖閣列島領有決死隊」の一員として尖閣諸島に上陸。灯台を建設する。以後、同島へは2回上陸し、領有権を主張する行動に努めた。
日本青年社は歴史は古く、現在でも複数の議員を地方議会に送り続ける力量を持ち、単一団体としては日本最大規模の右翼団体。尖閣上陸の実績は以下の如し。
1978年8月、日中平和条約調印の日に、尖閣諸島魚釣島に上陸して「灯台」を建設。
1988年6月、尖閣諸島魚釣島灯台建設10周年を記念して新灯台に建て替え。
1996年7月、尖閣諸島北小島に「第二灯台」を建設。
2000年4月20日、尖閣神社の創建事業を主導し、木造の祠を建設した。毎年、例祭ならびに船舶航行安全祈願祭を行なっている。
2004年3月、尖閣諸島魚釣島の尖閣神社の祠等が、不法上陸した中国人により破壊され、沖縄県警察に被害届を提出し受理された。後日、日本青年社により祠が再建され、「尖閣神社」と揮毫された花崗岩の石板が設置された。
2005年2月9日、尖閣諸島の「魚釣島漁場灯台」を国家に無償委譲する。
西村真悟・衆議院議員は1997年5月6日、尖閣諸島魚釣島に石垣市議会議員の仲間均、フリーカメラマンの宮嶋茂樹、映像教育研究会の稲川和男の3人と視察を行った。国会議員の上陸はこれが初めてだった。
近年では2012年7月5日、石垣市議の仲間均らの2人が尖閣諸島の北小島に上陸した。これに対して中共は6日の定例会見で、「日本の右翼分子による違法行為は中国の主権を著しく侵害した」と非難した。
2012年8月18日には超党派議員で構成された「日本の領土を守るため行動する議員連盟」所属の国会議員8人と地方議員、「頑張れ日本!全国行動委員会」の活動家らの総計約150人が、尖閣諸島戦時遭難事件の海上慰霊祭を行うことを目的として21隻の漁船で尖閣諸島へ向かった。
翌19日、慰霊祭終了後に荒川区議・取手市議・兵庫県議などの地方議員5人と「頑張れ日本」の活動家ら5人の総計10人が魚釣島沖で海中に飛び込み、約20メートルを泳いで魚釣島に上陸した。島には約1時間半滞在し灯台に日章旗を掲げるなどした。
この上陸は4日前の8月15日に起きた香港活動家尖閣諸島上陸事件に対抗し日本の領有権を主張する意味も含まれており、この尖閣行きも「頑張れ日本」幹事長の水島総が中心となってコーディネートしたものだった。
<上陸した10人は無許可で上陸したとして軽犯罪法違反容疑で沖縄県警察八重山警察署で任意の事情聴取を1時間ほど受けたが、緊迫した雰囲気もなく調書も作成されなかった。「日本の領土を守るため行動する議員連盟」は8月上旬に政府に上陸許可を申請したが認められていなかった。
これに対して官房長官の藤村修は20日の記者会見で、政府関係者を除きいかなる者の上陸を認めていないことから遺憾の意を示した。上陸した10人の処遇については、尖閣はわが国固有の領土であり、国内法に基づき対処することから中国や台湾からの抗議は一切受け付けないとした。この後にも尖閣諸島への上陸許可の申請がされているが、日本政府は認めない方針。
中華人民共和国では、香港活動家尖閣諸島上陸事件で中国人活動家が日本の官憲に逮捕されたことで日本への反発が強まり、2012年の中国における反日活動が発生したが、この日本人の上陸を受けて、さらに尖閣諸島抗議デモが広がる可能性が高まったと見られた>(ウィキ)
その1か月後の2012年9月18日、尖閣諸島国有化を受けて中国における反日活動が激化して緊張が続く中、石垣市の漁船をチャーターしてやってきた鹿児島県の地域政党「薩摩志士の会」のメンバー3名のうち2名が魚釣島に上陸し、尖閣諸島戦時遭難事件の慰霊碑に花を手向け、日章旗を掲げた。
魚釣島上陸を受けて羽田雄一郎国土交通大臣は、9月19日の閣議後に被害届を提出する方針を表明し、海上保安庁は軽犯罪法違反容疑で沖縄県警察に提出した。9月28日に八重山警察署は、那覇地検石垣支部に上陸した2人を書類送検した。尖閣諸島上陸で書類送検された初めての事例である。12月20日石垣区検は、魚釣島に上陸した2人を起訴猶予処分とした。那覇地検は、上陸が不法行為を目的としていない、上陸時間が短いことを理由としている。
ことほど左様に政府の態度は「毅然」とは程遠い。中共を刺激したくない、の一点張りだが、刺激しようがしまいが中共は尖閣強奪を着々と準備している。1
953年以降、韓国が武力行使によって不法占拠している竹島には、韓国政府は武装警察官を多数常駐させ実効支配を継続している。
日本も尖閣に警備隊を常駐させるべきではないのか。
なお、ベトナムがスプラトリー諸島(南沙諸島)の赤瓜礁を中共に強奪された1988年3月14日の映像がユーチューブにある(evidences of china's crime: the spratly islands massacre で検索)。ベトナムは1974年1月にもパラセル諸島(西沙諸島)を中共に奪われている。この二つの戦闘でベトナム軍の死傷者は200人以上になる。軍事力がないと国土も人命も守れない。
(2014/3/20)