プーチンに北方領土返還の意志はない
プーチンに北方領土返還の意志はない日本の外交弱者ぶりを示す安倍首相の「プーチン詣で」
2014.03.14(金) 黒井 文太郎
http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/40165
3月12日、安倍晋三首相の特命で、元外務次官の谷内正太郎・国家安全保障局長がロシアを訪問した。
ラブロフ外相やパトルシェフ安全保障会議書記らとウクライナ情勢について協議するが、要するに、ウクライナ危機で欧米主要国とロシアの対立が深まるなか、北方領土問題交渉の継続のため、日露間で意思疎通をはかっておきたいとの目論見であろう。
「プーチン詣で」を繰り返す安倍首相
とにかく、このところの安倍政権の「媚ロシア」外交が際立っている。
まずは2014年2月のソチ五輪開会式に際し、欧米主要国の首脳たちが、プーチン政権の人権問題に抗議して軒並み出席を取りやめたなか、西側主要国ではイタリアのレッタ首相と日本の安倍首相だけが出席した。
開会式には他にも約40カ国の首脳が参列したが、その他の顔ぶれを見ると、中国の習近平・国家主席、北朝鮮の金永南・最高人民会議常任委員会委員長、トルコのエルドアン首相、アフガニスタンのカルザイ大統領など、ソフトな民主主義政治家とはとても言えないような人物ばかり。そんな中に、従来は対米協調を基軸としてきた日本の首相が並ぶというのは、国際政治の常識からしても、かなり異様な光景だった。
欧米主要国の首脳が欠席した理由は、直接的には、ロシアで2013年に成立した同性愛宣伝禁止法への抗議ということだが、その根底には、自国メディアを牛耳り、国内の反対派を弾圧するプーチン政権の強権体質に対する不信感と反発がある。
さらに、中東シリアの内戦に際してロシア政府が、自国民の殺戮を続けているシリア独裁政権を擁護し、国連安保理の拒否権を濫用して国際社会の介入をことごとく妨害してきたことも、欧米主要国からすれば敵対行為にほかならなかった。要するに、ロシアは旧・西側にとって、再び手強い“敵”になりつつあったわけである。
そんな国際政治力学の現状を無視して、安倍政権は一貫してロシアに遠慮した立場を取ってきた。ひとえに北方領土問題交渉の進展のためだ。ソチ五輪開会式出席の際に安倍首相はプーチン大統領と会談したが、これは第2次安倍政権が発足して早くも5回目のこと。まるで“プーチン詣で”である。
今後も、今秋にはプーチン大統領を日本に呼ぶことになっている。今回のソチ五輪開会式出席の直前に、安倍首相は北方領土問題関係方面に自身の強い意欲を表明しているが、このように、安倍首相の本気度はかなりのものと言える。
そんな矢先の、ウクライナ危機勃発である。発端はウクライナ国内の政変だったが、それに乗じてロシアは“外国”であるクリミア半島に軍隊を送り、事実上占領した。アメリカやEU諸国としては、これを看過するわけにはいかない。
例えば、アメリカのケリー国務長官は、G8からロシアを追放することにも言及。3月7日には、米とEUがロシア要人の資産凍結を発表しているが、さらなる経済制裁も検討されている。
対米協調を基軸としてきた日本は、いずれはアメリカに同調せざるを得ないが、そこで北方領土問題の交渉にストップがかからないよう、あの手この手で根回しに奔走しているというわけである。
ロシアにもともと北方領土を返す気はない
しかし、そんな日本の媚ロシア外交は、まったくの見当違いだ。外務省には、ウクライナ危機でロシアがアメリカと対立したことで、北方領土交渉にもブレーキがかかるとの危機感があるが、実際には、ウクライナ情勢の動向など、北方領土問題にはまったく関係がない。なぜなら、ロシアはもともと北方領土を返す気などないからだ。
そもそも外務省は、「今秋にプーチン大統領が訪日するなら、何らかの妥協案が合意されるはず」と期待しているが、そんな根拠はどこにもない。これまで通り「両国が納得できる新たな解決策を探っていこう」となるのがオチだ。
外務省が北方領土問題交渉の進展に期待しているのは、「プーチン大統領はすでに2島返還を約束している」と見ているからだが、それは甘い思い込みにすぎない。ロシアの歴代政権も、プーチン自身も、そんなことはかつて一度も明言していない。
その思い込みが生まれてきた背景は、こちらの拙稿(「『プーチンは2島返還で決着したがっている・・・』 根拠なき定説はなぜ生まれたのか」)を参照していただきたい。
とにかくロシアが領土問題で日本側に一切妥協する気がないことは、これまで長年にわたって「北方領土問題解決の機運が繰り返し報じられながら、まったく進んでこなかった」ことで、結果的に証明されていると見るべきだ。上記拙稿で詳述したが、これまで両国間で合意されてきた声明・宣言の類は、実質的には何も約束されていない、内容のないものである。
ロシア政府はこれまで一度も公式には譲歩せず、2島返還にもまったく言及していない。そう言わないのは、言わない理由があるということに、そろそろ気づくべきだろう。
ロシア側にそれとなく日本側と話を合わせるようなニュアンスのことを言う人物がいることを筆者も知っている。しかし、それがクレムリンの意志だということには、全然ならない。話は簡単で、「プーチン大統領は2島を返還する意志がある」と結論するならば、「では、それをロシア政府の誰が、いつ言ったのか?」「それはプーチン本人の意志だと、どういう根拠で分かるのか?」を証明しなければならないが、その答えはどこにもないのだ。
日本側はどうも「ネックは日本側の4島一括原則」だと考えているようだが、それも根拠がない。もしもロシア側が「2島は返還し、残り2島はロシアに残すことで決着したい」のならば、ロシア側から「2島を分けて交渉しよう」などの何らかの具体的な提案が出てしかるべきだが、そういう公式提案は一切ない。これまでの期待は、すべて日本側の勇み足にすぎない。
また、日本側は交渉を進めるのに、安倍首相や森元首相とプーチン大統領との個人的関係に期待している節があるが、2国間の領土問題交渉に首脳の会談頻度などは関係ない。森元首相がプーチン大統領と直接話ができるからといって、プーチン大統領が「森さんの頼みなら断れないから、領土を返そう」と考えるわけもない。ロシア側としては、「日本の元首相だし、邪険にはできない」だけの話であろう。
同じように、安倍首相がプーチン大統領に歓待されたというようなニュースも、日本重視の証拠だなどと安易に結論づけられるものではない。そんな表面的なことで一喜一憂しているから、なめられるのだ。
領土問題を棚上げして経済的利益を得るのがロシアの思惑
そもそも“解決”とは何かについて、日露双方に大きな隔たりがある。
日本側の目的は、最終的には4島の返還だが、それが現実的でないことは外務省も理解しており、とりあえず「4島の帰属を日本とする」ことを考えている。そこで外務省としては現在、まず第一歩として「2島の返還(もしくは帰属変更)と、残り2島の継続協議」を目標としている。
それが実現可能と踏んでいるのは、「ロシアは日本の4島一括返還要求には応じないが、それを当面引っ込めて、2島の継続協議までこちらが妥協すれば、合意するはず」との読みがあるからだ。
しかし、ロシア側にそれで何か利益があるのだろうか? 現状で4島はロシア側が実質的に支配しており、向こうにとっては現状維持でなんら問題がない。利益が見込めない合意をロシアが呑むと見るのは、単なる希望的観測でしかない。
ロシアが領土問題を動かす気がないことは、前述したような「結果的に、これまでまったく妥協していない」ことと、「具体的な妥協を約束するいかなる言質も、注意深く避けている」ことでほぼ証明されているが、さらにそれを裏付ける状況証拠としては、「ロシア側には領土を返還する動機がない」ことも重要だ。
かつての冷戦初期、例えば日ソ共同宣言の頃ならば、旧ソ連には安全保障という利益があった。日ソ共同宣言の頃のソ連の目論見は、日ソ平和条約交渉によって、日米同盟を弱体化させることにあった。つまり、日米安保条約を破棄させ、在日米軍を撤退させるという、ソ連にとっての大きな利益である。
しかし、その後、日米同盟が崩れる可能性が考えられなくなった後は、ロシア側の利益は、経済的な利益しかない。ところが、それは実際のところ、平和条約がなくても可能だ。したがって、ロシア側とすれば、領土問題を実質的に棚上げし、それとは別のスキームで経済協力の道を開くことが“得”になる。それがロシア側にとっての“解決”にほかならない。
また、戦後間もない冷戦初期とは違い、北方領土にはすでに現地で生まれ育ったロシア国民が多数居住している。ロシアのナショナリズムは非常に強固なものがあり、そこでロシア政府が妥協する余地はまずない。
したがって、ロシア側としては、日本と完全に決裂しないために領土問題では口当たりのいい無難な表現でどこまでも先送りにし、その間隙に経済関係を深めていきたいということになる。実際、日本側の領土問題進展の期待とは裏腹に、両国の関係はその方向で話が進んでいる。
たとえ小さな2島でも、ロシアが手放すなどということはないだろう。今回のウクライナ危機で明らかになったのは、ロシアは自分たちの“縄張り”は絶対に手放さないということにほかならない。
日本の“外交弱者”ぶりが浮き彫りに
安倍首相のソチ五輪開会式出席に対しては、「スポーツを政治に巻き込むな」等の意見もあるだろうし、そこは様々な考えがあって然るべきだろう。しかし、対外的な戦略は、現実を直視しなければならない。「プーチン大統領に恩を売っておけば、領土問題で日本にサービスしてくれるだろう」などという期待は甘すぎる。媚ロシア外交をいくら重ねても、進展は望めまい。
これは何も、日本政府が北方領土返還要求の旗を降ろせということではない。正当な要求を外交の場で主張することは必要だ。この問題に関して、自分たちの主張を貫きながら、それでも自国にとってベターな道を探ることは重要であり、日本の外交当局がそのための努力を続けていることは率直に評価したい。
しかし、その外交戦略の前提が“思い込み”では意味がない。日本政府はしばしば「両国の信頼関係」ということを語るが、クリミア半島を力で奪い取るロシアのような国を相手に性善説で臨んでも、何も動かないだろう。そこは冷徹な情報分析・評価に基づく戦略が必要なのだ。
日本政府が進めている媚ロシア外交は、冷徹な国際政治力学からすれば、むしろ逆効果ですらある。プーチン大統領は今、ウクライナ情勢で欧米と緊張状態にあり、外交舞台で孤立し、それなりに苦しい立場にある。
そんな相手にどこまでも媚びる態度を取ることは、海千山千の外交巧者であるロシアに、日本の“外交弱者”ぶりを強く印象づけるだけだ。プーチン大統領はこれで、さらに日本を手玉に取ることに自信を深めたことだろう。