「慰安婦」&「虐殺」考ー平井 修一
「慰安婦」&「虐殺」考
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平井 修一
以下を英語にして各国のサイトに掲載したら少しは反応があるのかなあと
書いてみた。
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世界中で性的サービスを提供することによって金銭を得る女性、すなわち売春婦(prostitute)は昔からいた。原始時代なら、売春により食べ物を得ていたのかもしれない。
日本では売春婦を表すいろいろな言葉がある。娼婦、花魁(おいらん)、遊女、女郎、淫売婦、醜業婦、街娼、夜鷹、慰安婦(comfort women)など様々だ。1600年頃から1868年までの江戸時代には外国人を相手にしていた売春婦を羅紗緬(らしゃめん)と言っていた。1945年の戦後には米軍など占領軍の兵士を相手にした売春婦はパンパンと呼ばれた。
売春婦は、時には軽蔑されることもあるけれど、敬意を表されたり、時には大スターとして憧憬されることもあった。1200年頃の武将、義経は日本人が大好きな英雄の一人だが、彼の恋人は白拍子(しらびょうし)という歌舞の芸人で、一種の高級売春婦だった。
江戸時代において、高級売春婦の花魁は大変な人気だった。超弩級のスーパースターであり、アイドルであり、トップモデルであり、しばしば浮世絵にもなった。花魁の最高位である高尾太夫と、一介の紺屋の職人との純愛をテーマに据えた落語は今でも人気だ。
1945年以前の支那大陸では、主に日本軍兵士を相手にした慰安婦が多かった。慰安婦の6割が日本人で、朝鮮人が3割、支那人が1割あたりだったろう。当時は売春は合法的な商売で、女性が手軽に始められて、かつ大変儲かったから、売春婦になる人は多かったが、需要がそれを上回り、いつも人手不足だったようだ。
朝鮮人の慰安婦は朝鮮ピーとか朝鮮銀行と呼ばれた。「ピー」 とは支那の隠語で女性の性器をあらわす。日本の兵士は、日本語での会話が弾む日本人慰安婦を好んだ。いろいろな思い出を語り合うことができるからで、時には恋愛になることもあった。しかし、お金がない時は安い朝鮮ピーで間に合わせた。
支那に進出した慰安婦たちを日本軍兵士は「娘子軍」(じょうしぐん)と呼ぶこともあった。「若い女性軍」という意味だ。「こんな奥地まで我が娘子軍は進出していた」などと言った。
日本では1958年に売春が表向きは禁止されたが、需要があれば供給があるから、今でも売春産業は繁栄している。今の日本では売春婦を「嬢」(お嬢様)とか「姫」(プリンセスとかレディー)などと呼んでいる。
こういう歴史的な経緯と感覚だから日本人は売春婦を奴隷視したことはない。前借金を返せないためにずっと売春婦を続けなければならなかった女性も少なくなく、だから事実上の人身売買であり、性奴隷(sex slave)であるという見方があるが、日本政府は明治維新早々の1872(明治5)年には「娼妓解放令」を定めて人身売買を禁止、娼妓は前借金を棒引きされて解放された。
しかし、こうして解放された女性も、生きるために再び売春婦になる人が少なくなかったと聞く。裸一貫でたっぷり稼げるのだから効率がいい商売なのだ。それを知っている女性は堅気の低賃金の商売、仕事なんてとてもやる気にはなれなかったのだろう。
韓国人は「日本は朝鮮人女性を強制的に拉致して日本軍兵士用の性奴隷にした」と世界中で叫んでいるが、兵士の10倍もの収入のある売春婦がなぜ奴隷なのかまったく分からない。朝鮮人女性を暴力で日本軍が拉致したのなら、彼女らの勇気ある父や兄は命懸けでそれを阻止したはずで、当然、大規模な暴動になったろうが、そんな話はまったく聞いたことがない。朝鮮人の男は勇気がなかったのか。
そんなことはない。日本でも朝鮮でも、娘たちは「一家のためにお金を稼いでくる」と売春婦になったのだ。気の毒ではあっても当時はそういう時代だったのだ。
日本人の売春婦は支那のみならずアジア各地へ出かけていった。大儲けして故郷に錦を飾った人もいれば、尾羽打ち枯らして帰郷した人もいる。
韓国人売春婦も同様だろう。成功者は口をつぐんで何も言わない。失敗者は金が欲しいから「無理やり性奴隷にされた、私は被害者、賠償しろ」とわめく。日本の兵士は彼女たちを性奴隷にしたおぼえはまったくないし、むしろ彼女たちの収入増に貢献したのである。彼女たちや朴クネは「日本の兵隊さん、ありがとう」とこそ言うべきではないか。
もう一つのテーマである「虐殺」について。
支那人は昔からむごたらしく殺すことを好んで文革でもやりたい放題だったが、半島人も昨年は張成沢の死刑執行で機関銃を使ったそうだから似たようなものだろう。むごいのが好きなのだ。一方で日本人は死刑執行では基本的に名刀で首を斬るだけで、死ぬ人は痛みも感じないし、斬る人は「いかに美しく斬るか」を考えていたろう。
国内での戦争でも残虐な殺し方をしたのは織田信長ぐらいではないか。
1571年の比叡山焼き討ちでは信長は僧侶や児童の首をことごとく刎ね、数千人を殺したと言われている。
織田信長はプーチンのような独裁的な強いリーダーシップと戦争指揮で評価はされているが、残虐性から今でも嫌う人は多い。日本人は虐殺を歴史的、文化的に好まない。だから日本軍は南京で30万人の支那人を虐殺したなどと中共から言われると、そういう感性、嗜好がまったくないから「?」と思わざるを得ないのだ。
中共は独裁を正当化するために「日本=残虐な悪者」で、その日本をやっつけて支那を救ったのは「中共=正義の勇者」、だから中共独裁には歴史的根拠、正当性があるのだとわめいている。
日本人的メンタリティの人は「中共は嘘を言っている」と思うけれど、GHQやアカに洗脳された人はそうは思わないで「南京虐殺は事実だ」と触れ回っている。うんざりするが、こちらも大声をあげなければならないからシンドイことである。(2014/3/3)