日本が植民地にされなかったのは、種子島から伝わった鉄砲があったからと金の生産が増大したから
$(lastName)さま
こんにちは。エンリケです。
私は昔から、桜よりは梅が好きです。
おっしゃるとおり、写真は難しいですよね。
きょうは鉄炮のおはなしです。
きょうも、とても面白いです!
(エンリケ)
□ごあいさつ
梅の花は桜に比べれば長く楽しめますね。それだけ写真を撮るチャンスは桜よりも多いのですが、梅は桜のようにビッシリと花をつけませんし、枝が黒々としていて、写真に撮ると枝ばかり目立ってしまいます。そろそろカメラ趣味もベテランと呼ばれるようになりましたが、梅を綺麗に撮るのは難しいです。あなたも撮ってみませんか?
●鉄炮伝来と強運の国ニッポン(武士と戦争の光と影6)
▼鉄炮伝来は1543年か?
鉄炮伝来の地が種子島であり1543年のことであったという定説は、すでに揺らいでいる。だいたい蒙古襲来のとき、元軍が使用した火器を日本人が「てつはう」と表記していることからしてもあやしい。「てっぱう」即ち鉄炮と読めるではないか。
そもそも火器の発明は中国大陸でのこと。隣の国でできたものが地球を一周して日本に伝わったと考える方が不自然である。火器はとっくに伝来していた。日本には鉄炮以前に石火矢(いしびや)があった。
石火矢は武器として用いられるよりも農具として用いられることが多かった。山仕事に出かける農民が猛獣を追い払うために持って歩いたのである。なぜ石火矢が武器としては発展しなかったのかというと、火薬の入手が困難であったからである。
黒色火薬の主要原料は硝石(しょうせき)と硫黄(いおう)である。硫黄は日本国内でも豊富に産出されるのだが、天然硝石は乏しい。ほとんどないと言っても過言ではない。だから硝石は合成されていた。農家の床下に枯れ草を積み、小便をかけると微量であるが硝石が採れた。こんな方法では大量生産は不可能である。
もちろん石火矢より命中精度に優れた鉄炮というものがあることも、和冦が中国大陸の文物を日本に運びこんでいた時代なのだから日本人がまったく知らなかったわけがない。あるいは何挺かの鉄炮が伝わっていたのかもしれないが、火薬の入手が困難なので普及はしなかったと筆者は考える。
ではなぜ種子島に伝わった鉄炮が爆発的に武器として普及したのか? それには合理で説明できる部分もあるが、いくつかの偶然が重なった部分もある。
それでは合理的な部分から考えてみよう。まずは、製造技術が伝えられたことが大きな要因である。ことに捻子(ネジ)の技術伝来が決定的要因である。そして南洋と直接交易が始まり、鉄炮や火薬が輸入できるようになったこともあげられる。
偶然の部分を示すとすれば、ポルトガルの商人を乗せた中国船が漂着したのが、種子島であったということである。
▼種子島の鋼
ちょっと私事にそれる。
筆者は14才で母親と死別して以来、自炊生活をしている。そこらの若奥さんなんかは敵じゃないほど料理は巧い。道具だってもう立派なものである。わが愛用の菜切り包丁は大和古鍛冶「菊一文字」の銘が入っている。これは奈良の本店で購入したもので、よもや偽物とも思えない。
あるとき、研ぎ師と名乗る老人が我が家のベルを鳴らした。腕には覚えがあるといった老研ぎ師、わが愛用の包丁を手にとるなり
「こ、これは・・・」
と、絶句してしまった。
さては恐れ入ったか、菊一文字の銘を見て手が縮んだかと思いきや、銘を刻んだ側ではないほうを見ただけである。
「旦那、これは種子島ですぜ!」
老研ぎ師は、そう言って包丁を押しいただいた。刃紋の特徴から、種子島の鋼で作られたのがわかるのだという。
以下、その老研ぎ師の受け売りであるが、そもそも日本には良質な鉄が乏しい。出雲の青紙(あおがみ:鋼の種類)などは良質だが、産出量が非常に少ない。種子島の浜辺で採れる砂鉄は良質な鋼になるので、とても貴重なものだというのである。
それがきっかけで、少しだけ製鉄について調べてみたのだが、なるほど日本産の鉄には窒素が多いらしい。そのせいで、脆(もろ)い性質を有している。鉄に含まれる窒素を分離させることは今日の工業技術でも不可能であるが、それを補うため戦国時代に製鉄技法がさまざまに工夫されて進歩したという。ただし、名刀と呼ばれるほどの刀剣類は、貴重な良質の鋼を肝心な刃の部分に必ず用いているのである。わが愛用の菊一文字も種子島の鋼を刃にした贅沢な高級品ということになる。
まだまだ包丁を自慢したいが、菊一文字の名匠としての来歴などはひとまず置いておくことにしよう。種子島の砂鉄が、老研ぎ師の目を驚かせるほど貴重な存在であることさえ御理解いただければ良しとする。
▼鉄はどうした?
で、話題は種子島に戻る。この小さな島の特徴は、良質な砂鉄を産するだけではない。関西経済圏と中国大陸との交易の中継点でもあった。紀伊国雑賀(さいか)の水軍は、種子島を中継して大陸と交易していたというから、さまざまな情報を交換できる利点がある。だからこそ、種子島で確立した鉄炮の製造技術は、雑賀や堺にいちはやく伝えられることにもなったし、中国から硝石や火薬を輸入するにも不自由はしない土地柄であった。
かくして鉄炮の製造技術と火薬輸入ルートとがまたたく間に関西へ伝わったわけだが、鉄はどうしたのか?
日本産の鉄が一般的には良質でないことは前述のとおりである。堺の鍛冶の高い技術をもってしても、鉄炮を製造するために充分な強度を持った素材がなかったら製造は不可能である。
では、どうしたか? その答えは南蛮鉄が輸入されたことであるといえよう。
ときまさに大航海時代。ポルトガルは香料諸島と呼ばれる海域を支配していた。ここで採れる胡椒(こしょう)は、リスボンに運べば7倍の値で売れた。中国の茶や絹も欧州の市場で大歓迎された。
しかし、欧州の産物で東洋に売れる品目は乏しかった。たとえばポルトガルの輸出品は第一にポートワインであるが、その輸出先はイギリスが主であった。そのイギリスでも、主要産物の毛織物は東洋の市場に歓迎される品目ではなかった。欧州人は東洋から産物を買う一方で、欧州の産物は売れないのだから欧州の全域が貿易赤字に苦しんでいた。
欧州の産物が売れないのであれば、三国間貿易という手段しか残らない。自国を通さず他国の物産を第三国に売る。その対象品目が南洋の鉄であり、中国の硝石であり、市場は日本であった。
しかし、日本は貧しい国である。室町時代から戦国時代にかけて、日本から中国に輸出される主要な産物はスルメイカであった。
そんなスルメイカごときを、高級磁器など高価な商品に引き替えてしまうとは、和冦もずいぶんと無体(むたい)な商売をした。和冦が訪れるのは沿岸部だから、なにもスルメイカなんぞ囓らなくたって新鮮な生イカが食べられる。だから日本のスルメイカは内陸に転売された。四川料理にはスルメイカを用いたメニューもあるそうな。こんなところにも歴史の爪痕が垣間見えるとは面白い。
そういう海賊商法であるから中国との交易というか略奪に近いが、そちらのルートでの物品調達には困らなかった。しかし、南洋の鉄はポルトガルをはじめとする欧州商人から買い入れる。それにはスルメイカとの不当な交換というわけにはいかなかった。
日本は貧しいという情報は、ポルトガルがマラッカを占領した頃に欧州に伝わっていた。しかもマラッカの目と鼻の先に胡椒をはじめスパイスを産出する香料諸島がある。だから種子島への漂着で日本の存在を確認してから後も、欧州商人の日本に対する関心は薄い。ところが、ザビエルをはじめに宣教師たちが日本に訪れ、詳しい情勢を報告し始めたとき状況は動いた。
▼黄金が日本を救った
日本では、各地で金鉱脈の発見が相次いでいたのである。そこへまた宣教師が新技術を伝えたため金の生産量は飛躍的に増大した。幻の「黄金の国」は現実になりつつあった。日本は欧州商人にとって有望な市場となったわけである。
かくして南洋から良質な鉄が入ってくる。中国から硝石が入ってくる。けっして安価ではない品目だが、純度の高い日本の金は立派に通用した。
ご承知のとおり、当時の日本は乱世である。その混乱に乗じて欧州の諸国が日本の国土を奪おうとしなかったのはなぜか? ここでもまた偶然が作用する。
ポルトガルの交易路は膨張しきっていた。数多くの寄港地に築いた要塞の維持費負担は国力を疲弊させた。だから日本に手を伸ばす余裕がなかったのである。しかも1580年には、スペイン王がポルトガル王を兼ねて、事実上ポルトガルはスペインに併合される。こうなっては日本侵略どころではない。
また、日本で鉄炮が爆発的な勢いで急激に普及したことも欧州人を驚かせている。戦国時代末期になれば、鉄炮装備率において欧州列国をも凌駕するようになる。
また、いわゆる南蛮船は東洋の軍船と比較すると小型である。日本の大安宅(おおあたけ)船もそうだが満載すれば300人は乗れるのに対し、キャラック級では半分程度になる。装備した砲の火力では南蛮船が優っているが、接舷(せつげん)したら東洋の船が勝つ。
たとえスペイン無敵艦隊が20隻も日本に派遣したところで、日本の水軍との決戦では半数を失うことになるだろう。そして上陸を果たしたとしても、兵員の数は1000程度でしかないだろう。日本の鉄炮足軽が大量に出てくれば、とうてい敵うはずもない。
鉄炮の製造技術が種子島に伝わったことや金の生産が増大したこと、ポルトガルが衰退していったことなど、日本は偶然をいくつも重ねたうえで植民地化を免れたことになる。
幕末期に独立を保ち得たのも偶然が大きく作用している。ロシアはクリミア戦争のため出鼻をくじかれ、アメリカは南北戦争により海外進出の足が止まった。こうした事例から元寇の神風伝説をも信じるわけではないが、よくよく日本という国は強運だと思える。
負けた太平洋戦争にしても、なんだか結果オーライみたいな気がするし・・・。
(以下次号)
(おおやま・いたる)
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●著者紹介
大山格(いたる)
平成3年から歴史同人「日本史探偵団」を主宰、いつのまにか
歴史雑誌の記事を書くようになる。現在戦史研究家として、
学習研究社、小学館、東洋経済新報などの媒体で幅広く活躍中。
得意分野は戊辰戦争。軍事ヲタクではあるが、歴史家として政治、
経済、文化史などにも視点を広げ、広い視野を持とうと呼びかけ
ている。明治の元勲大山巌元帥の曾孫としても有名。
ホームページ
http://www3.ocn.ne.jp/~zeon/