厚生労働相の経験もあり、政策に最も強いと思われていた
知事選で都民は現実を直視した
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屋山 太郎
東京都知事は、厚生労働相の経験もあり、政策に最も強いと思われていた舛添要一氏に決まった。
今回の都知事選では、「原発ゼロ」を訴える細川護煕氏とそれを全面的に支持する小泉純一郎氏という元首相コンビの登場が世間を驚かせた。
当初の世論調査によれば、「脱原発が都知事選の争点となることをどう思うか」との問いに「期待できる」が62%を占めていて、シングルイシューの選挙になりかねないと思わせた。
人心掴めなかった脱原発論
だが、舛添氏(無所属)、宇都宮健児氏(共産、社民推薦)、田母神俊雄氏(無所属)らの出馬が選挙の焦点を変えた。
選挙戦半ばの産経新聞の世論調査でも、脱原発などが都知事選の争点になるかとの質問に「納得できる」の22・8%、「どちらかといえば納得できる」の39・6%を合わせて62・4%が原発重視だったのである。
脱原発ムードが冷めたのは、元首相コンビが振りかざした論理が人心を掴めなかったからだろう。小泉氏は「とにかくやめろ」の一点張りで、「あとのことは私に聞いてもしようがない」。細川氏は「これは壮大な実験」「日本が先駆けて世界を動かそう」と言う。2人の呼びかけは、国民を博打(ばくち)にかけるようなものだった。
その発想は国の運命はどうなってもいい、非武装中立をという冷戦期のイデオロギーに似ている。世界にはなお、何百の原子力発電所があり、その運営に確信を持つ政治家も学者もいる。原子力開発に自信があるからこそだ。
第一に、現在、停止中の原発全基を火力発電所で代替するために年間3兆6000億円の化石燃料を輸入している。再生可能エネルギーに替える間にも工場の海外移転が進み、日本は工業国として成り立たなくなるだろう。現に、家庭用、産業用とも米国の電力料金は日本の半分以下である。
元首相のタッグマッチで強烈な印象を与えた細川氏は、結果において宇都宮氏にも負けた。2人は1点にしか関心を持たない無責任政治家であることをさらした。晩節を汚すとはこのことだろう。小泉神話は完全に地に落ちて、父親に同調したような進次郎氏のブームも終わる可能性がある。
「進次郎ブーム」にも陰り?
脱原発に関する地道な説得に加えて都政のあらゆる部門に解決策を説き回った宇都宮氏が、2位に入ったのは不思議ではない。しかし、これは、敗れ去った民主党政権のバラマキ政策そのものの観を拭えない。都民はバラマキを簡単には信じなくなっている。
田母神氏はネット上の人気では8割を占めていたという。元航空幕僚長ながら、慰安婦やら「南京虐殺」やらの虚構を暴いて更迭された。戦後派には抵抗を持つ人が多いが、若い世代は何の偏見も持たない。戦後約70年で2世代が更新されて、3代目の純粋日本人が誕生してきたという思いだ。
今回の選挙でお笑いタレントの類は全く立たなかった。かつては東京都で青島幸男氏、大阪では横山ノック氏が知事となった。都・府庁の「官僚政治」を見て、知事はお飾りでもいいと都・府民は考えていたのだろう。その役割に期待もしていなかったから、おふざけ知事を選んだのである。
政権交代で一皮むけた政治
この風潮が一変したのは、中央で本格的な政権交代が起きたからだろう。
金権政治の自民党に嫌気して民主党を選んでみたら、反米親中路線で日米安保体制は危うくなった。かといって日中間が好転したわけではない。
日本と中韓の間柄は、聖徳太子がわずらわしい関係を断ち、1885年に福沢諭吉が「東亜の悪友を絶つべし」と脱亜論に書いたところだ。
脱亜入欧路線はまさに正しい選択で、この構図は7世紀以来、変わっていないと認識すべきだろう。
政権を取るため、民主党は減反奨励金で農民を引き付け、子ども手当の倍増をうたった。小沢一郎氏の意思だったとされるが、氏は同党を割って旗揚げした新党の方針として、脱原発、消費税増税反対を掲げた。2項目を国民が求めているという理由だ。これこそ大衆迎合政治で、選挙の結果は「小沢党」のボロ負けである。
政権交代を機に国民は政治の実質を直視し、ウソやバラマキを見抜く力を身に付けたのである。政治が一皮むけた気がする。
舛添氏は理想を持ち、前述の通り行政経験もある。原発については、再生可能エネルギーが増えてくるのに見合った減らし方をするという。穏当な発想だが、そもそも都はエネルギー政策に強い権限を持っているわけではない。家庭や産業の電力料金を米国並みにすることを目標にしてもらいたい。
都民が新しい都政に望むのは、(1)景気と雇用(2)少子高齢化や福祉(3)原発・エネルギー-の順だ。少子高齢化対策としては、待機児童の減少、結婚できるような給与、職場復帰を可能にする経営体質など、体系的な政策が必要だ。舛添氏が選挙戦中、しきりに訴えていたものだ。すぐに実行に移せるとは思わないが、1期目で実現することを誓ってもらいたい。(ややま たろう)産経[正論]2014.2.11
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小泉・細川の「政治生命」は終わった
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杉浦 正章
エネルギー計画は原発再重視を打ち出せ
第2幕小泉劇場は「大根引っ込め」のヤジと共に幕を下ろした。
二人の主役がすごすごと花道を去るの図だ。小泉純一郎も細川護煕も元首相の身でありながら、無知蒙昧(もうまい)の「原発ゼロ」を都民に拒絶され、しゅうと爺さんのように国政に口を出すとどうなるかを身にしみたに違いない。
首相・安倍晋三は衆参両院選挙と都知事選挙という原発がテーマの3つの重要選挙に圧勝したのだ。ちゅうちょなく再稼働を実施し、未来への展望と希望を切り開く核燃料サイクルを推進し、世界の原発ブームの潮流に乗り遅れるべきではない。
とりわけ中長期的なエネルギー政策の指針になるエネルギー基本計画の閣議決定は、原発を堂々と「ベース電源」と位置づけ、年間3.6兆円にのぼる国富の流出を早期に食い止めるべきだ。
新都知事・舛添要一が「私も脱原発」と述べたのは、小泉の「ワンシュー戦略」に乗せられないために打ち出した一時の便法であり、これが見事に図に当たって一点集中選挙化を防いだ。
さっそく脱原発論者はTBSのコメンテーターのように「脱原発の方が数が多い」と負け犬の遠吠えを繰り返しているが、政治記者なのに政治を知らない。ここで重要なのは「脱原発」にもいろいろあって、口先だけのキャッチフレーズから、共産党のように「即ゼロ」まで幅が広い。
安倍が「原子力への依存度は低くしていきたい」と述べながら期限を区切らないのは100年先か、1000年先か、科学技術の進歩に伴って変化しうると見ているのであり、「当面は原発推進」と言っているのと変わりはないのだ。
要するに「福島の粉じん」が治まって、原発再稼働の「心地よさ」を多数の国民が再認識して、その上で右か左かが決まってゆくことなのである。
そもそも安倍は選挙に先立つ施政方針演説で、原子力規制委員会が安全と認めた原発から再稼働する考えを重ねて強調した。再稼働は明らかに「入原発」の公約であり「脱原発」ではない。この結果都知事選挙は政治的には再稼働の安倍と「原発即ゼロ」の小泉の代理戦争の様相であったことを意味する。
その代理戦争に紛れもなく安倍が完膚なきまでに勝ったのであり、国政選挙に次ぐ圧勝はもう原発論争に勝負がついたことを意味する。
朝日新聞など反原発派は、さらに続く知事選などで原発反対派が勝てば、鬼の首を取ったようにデカデカと報ずるに違いないが、もう自治体選挙が国政に介入することは筋違いと悟るべきだ。原発にストップをかけたいのなら、国政選挙で勝つべきであることは言うまでもない。
安倍政権は選挙への影響を考慮して先延ばしにしていたエネルギー基本計画を月内にも閣議決定する。既に昨年末に経済産業省の審議会がまとめた素案では原発を「基盤となる重要なベース電源」と位置づけた。従来は「基幹電源」の位置づけであったが、一段格下げした感は否めない。
「ベース電源」とは安い燃料コストで24時間稼働し続けることを意味しており、反対派の新聞はこの表現ですら修正を迫っている。しかしもう都知事選への配慮は必要なくなった。
安倍も国会答弁では「そう簡単に『原発はやめる』とはいえない」と述べている。したがって原発維持の方針に変わりはないということであり、もうごまかしのように受け取られる基本計画の表現は避けるべきである。重要なのは原発をベースにしてエネルギーミックスを達成しようとする姿勢なのである。
さらに世界は原発新増設ブームである。これに乗り遅れることは紛れもなく国家の衰亡に直結する。現在でも国民1人あたり3万円の化石燃料費がアラブ諸国などに流出、石油の価格も上がる一方だ。
既に貿易収支の悪化は限界にまで達している。政権を担当する以上、もう躊躇してはならない。都知事選は紛れもなく免罪符として活用されるべきものである。
筆者は細川・小泉のタッグマッチに、荘子に「寿(いのちなが)ければ則ち辱多し」があるとと指摘したが、二人にとって恥多しの選挙であった。
都民は今回だけは選挙を「遊び」とすることを控えた。浮動票も舛添に流れた。
電気料金、石油価格の高騰に苦しむ一般家庭や中小企業。せっかくのオリンピック招致を細川で成し遂げられるのかという危険性。今すぐあってもおかしくない直下型大地震。こうした状況を考えれば、細川3位の惨敗は当然の結果であろう。
なによりも小泉、細川のポピュリズムに立脚しようとする“邪心”と“野望”が否認されたのだ。細川はろくろの前に座り直すのが、姿として似合う。
小泉も「劇場選挙の夢よもう一度」は儚く散った。もう二度と政治の場に出てこなくてよい。その政治的な能力の限界をさらしたからだ。
小泉に同調した息子の進次?の判断力の甘さも露呈した。まだまだ雑巾がけが足りない。
(政治評論家)<2014年02月12日>