過去の実績によって判断されるのだ。 | 日本のお姉さん

過去の実績によって判断されるのだ。

働かないオジサンは、みんなの管理をしていて「責任が重いから」給料が高いんだとウチの会社では教えられている。女子は責任が無いから給料が安いんだと。女子は、だいたい、主任どまりだし、今まで主任になった女子は2人しかいないもんね。日本の会社の中には、能力が無くても給料を女子よりたくさんもらっている男子が大勢いる。そんな国やねん。女子も文句も言わず、働いているし文句を言えばクビだからおとなしくしているんだよ。女子は、妊娠したらやめてほしいと言われるから、そのまま育児休暇などとらずに辞めてしまう。
いくら、政府が指導しても会社のオーナーがそういう趣旨ならだれが変えることができる?
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なぜ「働かないオジサン」の給与は高いのか?
東洋経済オンライン 2014/1/15 08:00 楠木 新
どこの職場にもいる、「働かないオジサン」――若手社員の不満が集中する彼らは、なぜ働かなくなってしまったのか? 「どこの職場にもいる」ということは、何か構造的な問題が隠れ
ているのではないか? ベストセラー『人事部は見ている。』の筆者が、日本の職場が抱える問題に鋭く迫る。
■ なぜ働かないオジサンの給与は高いのか?
若手社員から働かないオジサンの話を聞いていたときに、「自分たちの給与に比べて、報酬をもらいすぎだ」とか、「中高年社員から若手社員へ、給与の再配分をしてほしい」といった意見があった。
ある信託銀行の若手行員は、支店で契約書類をチェックする仕事をしている中高年社員を批判していた。その社員は、若手社員が苦労して顧客から獲得してきた契約に対して、上から目線で不備を指摘するだけだという。若手社員の相談にも乗らず、定時になったらすぐに帰ってしまう彼の給与が自分よりも高いことに、納得がいかないというのだ。
確かに、実際に働いた実績分が会社からの報酬であるとすれば、つじつまが合わない。しかし大半の人は、少しおかしいと思いながらも毎日を過ごしている。
なぜオジサンたちは、比較的高い給与を手にしているのだろうか?
■ 労働経済学の立場からの説明を考えると
労働経済学の立場からすれば、定年制度の理論的な存在理由を示したラジアーの理論から導けるだろう。
右の図は、この理論のエッセンスを示したものである。社員の賃金カーブが企業への貢献度を左下から右上に横切る形になっている場合には、定年が必要だという理屈である。
つまり企業は、社員が若いときには、貢献度よりも低い賃金を払い、その差異の部分を中高年になったA点以降に付加して支払っているというのである。これが働かないオジサンに実際の貢献度以上の給与が支払われている理由だということになろう。
説明概念としてはシンプルでわかりやすい。ただ、働かないオジサンの課題には、単に給与の配分の問題だけではなく、会社に対する中高年社員の「既得権」的なものが絡んでいる。
■ 窓際族という言葉が昔はあったが
バブル期までは、窓際族という言葉が残っていた。私は、二十数年前に、窓際族を自称していた総合商社の社員と一緒に仕事をしたことがある。当時、その総合商社の人事課長に会う機会があったので、「あまり働いていないように見える社員にも高い給与が支払われているのはなぜですか? 」と聞いたことがある。
その人事課長は、「彼らは若い頃にモーレツに働いたので、会社は元を取っている。だから帳尻はあっているのだ」と説明してくれた。そのときは、なるほどとは思ったが、バブル期を過ぎた現在、若手社員を説得する理由としては弱いだろう。しかし、過去に会社に貢献したことにより、働きよりも高い報酬を得ることができるという発言は、大切な示唆を含んでいる。
中高年社員は、会社に対して、何らかの既得権的なものを持っている。早期退職勧奨制度の退職金の積み増しの中には、その分が含まれているだろう。中央官庁の天下り廃止の議論が盛んだったとき、知人のキャリア官僚の何とも言えない不満げな顔つきを思い出す。
■ 日本相撲協会の年寄(親方)になるための条件は
働かないオジサンの既得権は、どのような条件で生まれるのだろうか?
これは企業によっても違うので、一律に述べることはできない。皆さんが働いている会社でも、オジサンに多くの既得権が残っている会社もあれば、まったくそういう権利がない会社もあるだろう。
ここでは大相撲の年寄(としより)をひとつのメタファーとして考えてみたい。年寄は、財団法人日本相撲協会の構成役員であって、親方という敬称で呼ばれている。彼らの主な仕事は、現場の力士に対する指導・監督であり、技術面の指導だけでなく、育成面の責任も負う。また協会の構成員として、各部署の職務にも当たる。働きに対して協会から報酬を受け取るという意味で、ひとつの職能集団である。
現役を引退した力士が協会に残るためには、原則として年寄(親方)になる必要がある。「財団法人 日本相撲協会寄附行為施行細則附属規定」によれば、年寄(親方)になる
条件は、
(1)横綱・大関
(2)三役 一場所以上
(3)幕内 通算二十場所以上
(4)十枚目 幕内通算三十場所以上
などである。
力士としての役の高さ(序列)と、務めた場所の長さ(在籍した長さ)によって決められている。横綱・大関であれば無条件で、三役なら一場所以上、幕内ならば通算二十場所などといった具合だ。
つまり、現在の働きではなくて、過去の実績によって判断されるのだ。
よく見ると、多くの会社が採用しているポイント制の退職金算定とほぼ同じであることがわかる。多くの会社では、【役職×在任年数(その役職に勤務した年数)】の総和に、単価を掛けたもので、退職金を算出しているからである。
日本の会社の評価は、多かれ少なかれ、このような序列の高さと勤務する長さによって評価する仕組みを持っている。特に働かないオジサンの多くいる職場はそうであろう。
日本の組織では、力量があっても、新人はまずはいちばん下に位置付けられる。それも、この基準があるためである。また経営トップの若返りが主張されてもなかなか実現しないのも、このような評価基準によって、年配者が高いポジションに居座ることができるからである。
■ まずは自分が働いている会社の評価基準を知る
大相撲とサッカーを比べると、その評価基準はそうとう違っている。ザッケローニ監督が日本代表の選手を招集するときには、現在、力量があって、自分が構想する戦術にかなった選手が選ばれる。Jリーグの得点王や長くリーグでプレーした選手が自動的に選出されることはない。そのときにいちばん役立つ選手が選出される。
また、Jリーグの機構に残って仕事をする条件も、日本相撲協会のように過去の実績ではなく、リーグにどれだけ役に立つかで決められるだろう。
要は、Jリーグは「時価評価」なのである。このやり方が、世界標準と言えるかもしれない。その時点の機能発揮だけで判断されるならば、働かないオジサンは、立ち去るか、給与が実績分まで下がることを覚悟しなければならない。
ただ、世界標準だから無条件にいいとは、もちろん言えない。長い時間の中で作り上げられてきた評価基準は、それなりの理由を持っているから残っていると見るべきだろう。組織の中での一定のポジションがある種の安心感を生んだり、全員参加型の組織運営を可能にする源泉になっている面もあろう。また世界標準と言っても、流行のようなもので、今後は変動することもありうる。
元東京大学経済学部教授の岩井克人氏は、その著書『会社はこれからどうなるのか』(平凡社)の中で、日本における家族の構造が、江戸時代の商家にも、戦前の財閥グループにも、戦後の6大会社グループにも、影響を与えていることを述べている。
私は時々、古典落語を聞くが、そこに登場する旦那や、番頭、手代、丁稚などが、現代の会社員から離れた存在でないことに気づく。かつての「イエ」制度を継承している面があるのだ。
こうして考えてくると、世界標準かどうか、新しいかどうかで、すぐに評価基準の優劣を判断するのではなく、まずは「自分が働いている会社の評価基準は一体どうなっているのだろうか」と考えることから始めるべきであろう。
次回は、「働かないオジサン」のいる会社、いない会社について考えてみたい。
.最終更新日:2014/1/15 13:45
http://newsbiz.yahoo.co.jp/detail?a=20140115-00028116-toyo-nb&p=1