彼女たちは実に明るく楽しそうだった。 | 日本のお姉さん

彼女たちは実に明るく楽しそうだった。

(読者の声1)小野田少尉の訃報、ちょうど小野田少尉と中條高徳氏の対談『「靖国」のことを語ろう(WAC 2010年)』を読んでいた時だっただけに、なにやら不思議な気がします。
一度は戦死したものとして靖国に祀られながら出されてしまった、靖国神社の落第生だと笑う小野田氏。
同書を読むと、戦前も戦後も経済人のある種の醜さが浮び上がります。
「財界人よ、社益のために国を売るなかれ」と奥田元経団連会長を批判する中條氏。別のページでは、小野田氏、占領下漢口の貿易商社に三年半いて経済人の醜さと卑しさを実際に見たという。
月給二百円という高給取りだったといいますから、よほど優秀だったのでしょう。現在問題になっている「慰安婦」についてもデータを元に反駁。戦前、漢口(現在は武昌、漢口、漢陽あわせて武漢)には日本軍三十三万人が駐屯、兵隊の月給が十三円、一ヶ月で慰安所に流れる金が130万円。兵隊の給料の3分の1は慰安所、当時は戦闘機が一機3万円、毎月40~50機の戦闘機に相当する金が慰安所に流れていた。内地(日本国内)では返すのが難しい前借金も戦地の高給なら半年から一年で返済できたという。
雑誌「正論」に掲載された同内容の証言はこちら。

『ここで親しくなった経営者の話を紹介しよう。「体力的に大差がない筈なのに、内地人は兵士たちと言葉が通じるために情が通うのか、本気でサービスして商売を忘れ健康を害してしまう。そのために送り返さねぱならず、経営者にとって利益が少ない。兵隊さんには内地人ばかりで営業するのが本当だが」と本音を漏らしていた。
私の育った街には花柳界があったので、芸妓と酌婦をよく眼にしたが、当時は玄人女と呼ばれた彼女たちの外出姿でも一般の女性と見分けることが出来た。その目で見れば漢口の街でも同様だったが、特に朝鮮人の女たちは特色があった。というのは彼女たちは数人で外出してくるのだが、民族衣装ではなく、着慣れないツーピースの洋装のせいで着こなしが悪く、また歩き方にも特徴があって一目で見分けられた。
彼女たちは実に明るく楽しそうだった。その姿からは今どきおおげさに騒がれている「性的奴隷」に該当する様な影はどこにも見いだせなかった。確かに、昔からの言葉に、「高利貸しと女郎屋の亭主は畳の上で往生出来ぬ」というのがあった。明治時代になって人身売買が禁止され「前借」と形は変わったが、娘にとっては売り飛ばされた」ことに変わりはなかった。
先述の「足を洗う」とは前借の完済を終えて自由の身になることを言うのだが、半島ではあくどく詐欺的な手段で女を集めた者がいると言う話はしばしば聞いた。騙された女性は本当に気の毒だが、中にはこんな話もある。「『従軍看護婦募集』と騙されて慰安婦にされた。私は高等女学校出身なのに」と兵士や下士官を涙で騙して規定の料金以外に金をせしめているしたたかな女もいた。またそれを信じ込んでいた純な兵士もいたことも事実である。日本統治で日本語が通じた故の笑えない喜劇でもある。
ところで、その「慰安所」にどれだけの金が流れたのだろうか。
これが「慰安婦」が「商行為」であった確かな事実である。私の次兄が主計将校で、漢口にある軍司令部に直接関係ある野戦衣糧廠にいたので「慰安所」について次のような統計があると教えてくれた。
当時、漢口周辺には約三十三万人という兵力が駐屯していたが、ある理由で全軍の兵士の金銭出納帖を調べた。三分の一が飲食費、三分の一が郵便貯金、三分の一が「慰安所」への支出だった。貯金は給料の僅かな兵士たちにとって嬉しいことではなかったが、上司から躾として教えられている手前せざるを得なかったのが実情だった。
私も初年兵として一ケ年、江西省南昌にいたが、食べたいのを我慢して貯金した。
一人の兵士がそれぞれ三等分して使った訳ではないだろうが、人間の三大欲は食欲、睡眠欲と性欲と言われるだけに、貯金を睡眠に置き換えると全く物差しで測った様な数字である。ちなみに当時の給料は兵は一カ月平均十三円程で、その三分の一を約4円として計算すると三十三万人で総額約百三十二万円になる。「零戦」など戦闘機一機の価格は三万円と言われたが、実に四十四機分にも相当する。
サラリーマンの初任給が四十円そこそこの頃だったのだから、経理部の驚くのも無理のない話である。
以上が、私が商社員として約三年半の間、外部から眺め、また聞き得た「慰安所」と「慰安婦」の実態である』。靖国神社といわゆる戦犯合祀の問題では、中條氏の発言が正論です。『昭和二十六年十一月、当時の大橋武雄法務総裁は参議院の法務委員会で「戦犯は国内法においては犯罪者ではない。国内法の適用においてこれを犯罪者と扱うことは、いかなる意味でも適当でない」と明言している』、『A級戦犯に指定され、終身禁錮刑に処された賀屋興宣は池田内閣の法務大臣、A級戦犯で七年の刑に処された重光葵は鳩山内閣の外務大臣になり、国連で世界各国を前にして堂々と演説しています』。
東京裁判・サンフランシスコ講和条約の当事者だったアメリカ・イギリスが文句を言っていないのに、当事者でもない中国・韓国が日本に文句をいうなどお門違い。
言うだけタダの両国に一度でも頭を下げた結果がこの始末。政治家もマスコミも昭和二十年代に国会でどのような議論があり、戦犯は国内法においては犯罪者ではない、とされたのか、勉強しなおしたほうがいいようです。
(PB生、千葉)