ロシア政治経済ジャーナル No.1000(^▽^)
ロシア政治経済ジャーナル No.1000(^▽^)
2013/12/20
北野です。
皆さまのおかげで、RPEは1000号を迎えることができました。
ありがとうございます!
ここにいたるまでの14年を振り返ります。
詳細は、【本文】で!↓
(●すぐ下のおいしい話も注意してごらんください。)
【拡散超希望】
●ホワイトハウスを動かして、日本の名誉を守ろう!
北野です。
皆さんご存知と思いますが、韓国は、全米津々浦々に
「慰安婦像」をたてようと、一年365日ロビー活動をつづけていま
す。
<米州韓人会総連合会のイ・ジョンスン会長も、韓国・女性新聞
に2013年8月29日掲載されたインタビューで、
「全米の大都市すべてに慰安婦碑を建てる。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
在米韓国人250万人同胞が力を合わせればできないことはない」
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
と話すなど、日本には「ピンチ」>
(2013年9月6日付「J-CASTニュース」)
日本は「敗北必至」とみられていましたが、新たな証拠が見つかる
ことで、
「がんばれば絶対勝てる!」方向に変わってきました。
あらたな証拠とは、「アメリカ軍が1944年に調査したところ、慰安婦は
金で雇われたただの売春婦だった!」という報告書が発見された。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
韓国は、「日本軍が韓国人女性20万人を強制連行し、性奴隷にした
!」と主張していますが、
当時日本の敵だった米軍が調査したら、全然そうじゃなかったという
のです。
これは、第3者(しかも当時絶対反日)から出た証拠で、圧倒的なパ
ワーをもっています。
そこで、日本を愛する皆さん、よろしければこの情報を、
メルマガ、ブログ、ツイッター、フェイスブックなどで拡散していただ
けないでしょうか?
そして、「慰安婦=性奴隷=韓国の大ウソ」を世界の常識にしまし
ょう。
◎証拠動画は↓
http://www.youtube.com/watch?v=ggQaYD37Jm4
◎絶対証拠報告書はこちら↓
http://texas-daddy.com/comfortwomen.html
そして、「慰安婦撤去」を求める請願にも署名お願いいたします。
◎署名サイトはこちら→ http://goo.gl/mnXO3Y
(*イニシャルだけ表示されますので、身元は特定されません。)
◎署名方法など詳細はこちらまで、お願いします。
→ http://staff.texas-daddy.com/?eid=454 >
↓
(●北野の新刊をブログ、メルマガなどでご紹介くださった方は
ご連絡ください。
読者数36000人のRPEでご紹介させていただきます。
*アクセスアップ、読者増にお役立てください。
非常にたくさんの方が紹介してくださっているため、掲載までに
時間がかかりますが、ご了承ください。
連絡先は tjkitanojp○yahoo.co.jp ○を@にかえてください。)
↓
★「日本を自立国家に」~RPE1000号目の真実
全世界のRPE読者の皆さま、こんにちは!
北野です。
【北野の新刊でました!】
(☆アマゾン政治部門 1位!外交・国際関係部門 1位!)
●日本自立のためのプーチン最強講義~ もし、あの絶対リーダー
が日本の首相になったら (集英社インターナショナル)
(詳細は→ http://tinyurl.com/nkam4c9 )
ありがとうございます!!!
皆様に支えられて、RPEは、なんと1000号を達成することが
できました!
RPE創刊は、1999年4月。
今日は2013年12月20日ですから、14年と8か月で1000号に到
達しました。
てことは、176か月。
1000÷176=5.68。
月に平均5.68回、年平均68回出しつづけてきたということです
ね。
これも読んでくださっている皆様のおかげです。
心から感謝申し上げます。
いい機会なので、この14年間を一気に振り返ってみましょう。
▼1999年4月
RPEを創刊した1999年。
世界情勢を振り返ってみると、アメリカがITバブルで一人勝ちし
ていました。
日本は「暗黒の10年」。
それが、「暗黒の20年」になり・・・。
私の住むロシアはどうかというと、1991年12月のソ連崩壊から
一貫して沈みつづけていました。
1992年~1998年までに、GDPが43%減った(!)。
1998年にはデフォルトし、大金融危機が起こっていました。
私の人生も、1998年が最悪。
うまれてはじめて「一文無し」になり、家賃も払えない悲惨な状態
を経験していました。
1999年4月、私はようやく「一文無し」を少し脱却しかけたところだっ
たのです。
さて、私には、モスクワ大学経済学部で学んでいた天才・I君という
友人がいます。
(いまだに日本やモスクワで時々会います。)
そのI君から、「メルマガというのがあるよ」と教えてもらっていました。
海外在住の日本人は、「日本語情報」に飢えていますから、メルマ
ガはとてもありがたいツールだったのです。
というわけで、日本でブームになる数年前から、モスクワ在住日
本人の間で、メルマガはひろがっていたのです。
私も早速、片っ端から登録し、読んでみました。
で、読んでいるうちに、「なんか自分にもできそうだぞ」と思ったの
です。
そこで、I君に連絡し、「自分が文章書くから、君が発行してくれな
いかい?」と相談します。
彼は新しいもの好きなので、「いいよ!」と即了解してくれたのです。
名前は、「ロシア政治経済ジャーナル」としました。
略称はRPE。
当時の宣伝文句は、
「世界一わけのわからない国ロシアを世界一わかりやすく解説し
ます!」
でした。
今の私であれば、もっと別の名前をつけることでしょう。
しかし、仕方ないです。
ちなみに、1999年4月25日創刊号配信時の読者数は400人ほど
でした。
今は約36000人。
14年で90倍増えたことになります。
30000誌ある「まぐまぐ」さんで、いまみたら67位。
トップ0.22%ということで、まあまあいい位置にいると思います。
とはいえ、「創刊1年で10万部!」なんて人もいるので、あんまり
自慢になりません。
▼一つ目の転機
さて、当初私の中でメルマガの位置は、「他のビジネスにつなげる
ためのツール」でした。
それで、メルマガ創刊後、
・ロシア情報総合サイト「ロシア情報ステーション」
・企業向け有料情報誌「ロシア政治経済アナリス」
・ロシア投資コンサル会社「IMT」
などを、わりと短期間で立ち上げていきました。
どれも好評で、非常に満足していたものの、ある転機が私におとずれます。
それは、2004年秋のことでした。
風雲舎の山平社長から、「出版しませんか?」というオファーをいただいたのです。メルマガも創刊から5年がたち、03年のイラク戦争以降は、世界情勢についてかなり書くようになっていました。
私はこのオファーに飛びつきます。
そして、20日ぐらいで一冊目の本、「ボロボロになった覇権国家」を
書き上げました。
この本は2005年1月発売になりました。
まったく無名の存在(今もあまり有名とはいえませんが・・・)であり
ながら、アマゾン総合ランキングでトップ20に入りました。
そして、東洋経済に書評がのり、びっくりしました。
↓
rpejournal.com/syohyo.jpg
また、テレビでしか見たことがないような有名人からたくさんメールをいただき、
私は、「本を出すこと」の影響力の大きさ」を実感したのです。
それで、「執筆中心の生活」を夢想するようになります。
しかし、大きなハードルがありました。
それが「金」。
作家業というのは、それほど儲かる仕事ではないのです。
いえ、もちろん、村上春樹さん、(永遠のゼロの)百田尚樹さん、
(半沢直樹の)池井戸潤さん、(ガリレオの)東野圭吾さん
みたいになれば話は別です。
イメージしやすいようにお話しますが、印税率はだいたい10%です。
1500円の本が100万部売れれば、1億5000万円の印税が入る。 (だいたい半分税金でもっていかれますが・・・。)
1500円の本が10万部売れれば、1500万円の印税が入る。
1500円の本が1万部売れれば、150万円の印税が入る。
そして、年間8万冊発売される新刊のうち、100万部以上は年数冊。
貧乏のつらさを知っている私は、「夢にむかってジャンプ!」することなどできませんでした。
ところが・・・。
▼二つ目の転機
そんなとき、私に二つ目の転機が訪れます。
そう、「インターネットビジネス」の存在を知ったこと。
それまで、インターネットやメルマガは、「オフラインビジネスにつなぐためのツール」と考えられていました。
たとえば、「HPで集客する」。
「無料メルマガで見込み客を優良顧客に育てる」、などなど。
しかし、技術の進歩によって、インターネット上で完結するビジネスが勃興してきたのです。
私は、ある読者さんから、そのことを聞きました。
それで試してみた。
すると初日から3万円くらい儲かった。(売上げではなく利益です。)
私は、「お~、結構儲かるな!」と思いました。
しばらくすると、一日50万円儲かりました。(売上ではなく利益です。)
確信しました。
「これで、執筆中心の生活にシフトできる!」と。
私は、自分で立ち上げた会社を、閉鎖します。
そして、その選択は、「正しかった」と思っています。
おかげさまで、「金儲け」につかう時間が大幅に減り、逆に世界情勢分析に使う時間が増えた。
本執筆のオファーも、あまり途切れることなくくるようになりました。
05年に「ボロボロになった覇権国家」
06年、電子書籍「ぶった斬り国際情勢」「ぶった斬り日本問題」
07年、「中国・ロシア同盟がアメリカを滅ぼす日」(草思社)
08年、「隷属国家日本の岐路~今度は中国の天領になるのか?」
(ダイヤモンド社)
10年、電子書籍「国家の気概」
12年「プーチン最後の聖戦」(集英社インターナショナル)
13年「日本自立のためのプーチン最強講義」(集英社インターナショナル)
だいたい1~2年に一冊のペースで出版しています。
質を落とさないよう、「1年に1冊まで。それ以上は出さない」と決めています。
なぜそんな「気楽」なことをいってられるのか?
私の財政が「印税収入にほとんど依存していない」から。
ですから、ある年出版しなかったからといって、経済的に困ることはないのです。