頂門の一針ートウ小平のタン壷 (渡部 亮次郎) | 日本のお姉さん

頂門の一針ートウ小平のタン壷 (渡部 亮次郎)

トウ小平のタン壷
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渡部 亮次郎
記者の同年兵・岩見隆夫さん(毎日新聞)が2012年9月22日の紙面で故園田直
の外相時代の事績について触れられた。
<1978年の日中平和友好条約の締結交渉がある。当時の福田赳夫首相は政権発足時から条約締結を決意し、初の組閣(76年12月)で鳩山威一郎(参院員)を外相に起用した。背景に中ソ対立がある。福田は、
<ソ連が「親ソ的な人物」として評価していた鳩山一郎氏の長男を起用
することで、日中条約締結はソ連との敵対関係を生み出すことを意図す
るものではない、というサインをソ連に送ったわけだ>(著書「回顧90年」)と書き残した。
さらに1年後の内閣改造で、外相を鳩山からベテランの園田直に代え、締結交渉を全権委任した。園田は78年4月訪中の段取りをする。
その矢先、中国漁船が大挙して尖閣諸島に押しかけ、日中間に暗雲が垂れこめた。園田は、
<無視こそ最大の主張>という態度を貫き、終始沈黙を守る。
8月訪中、園田は北京の人民大会堂で中国の実力者、トウ小平副首相と向かい合うと、攻勢に転じた。ガーッとのどを鳴らしながら、トウの足元のたんつぼにペッとたんを吐き、
「ところで、あんた、年いくつ。あ、それなら、私より10年下だな」
などと言う。この時、園田64歳、トウ73歳、園田一流のハッタリだ。漁船事件を難詰、トウから、
「ああいうことは絶対やらない。いままで通り20年でも30年でも放っておけばいい」 と日本の実効支配を認める発言を引き出した。条約は締結、園田外交の成功だった。>ちょっと間違いがある。
このとき私はNHK記者から転じた秘書官として同行していた。昭和53(1978)年8月10日午後4時30分(現地時間)人民大会堂でのことである。
待っていると、廊下でテレビカメラ用のライトが眩しくつき、とても小柄な老人が歩いてきた。私の肩先ぐらいしかない。まさに小平だ。眼光も鋭くない。3度の失脚と復活という艱難を潜り抜けて北にしては恬淡とした雰囲気をただよわせているではないか。
両者は会議室で並ぶようにして着席。
いきなりトウが発言。「あんた、幾つだね」。日本でなら考えられないほどの失礼さ。「64です」「あ、私より10歳下だね」園田を飲み込もうとしている。
じつは主題の日中平和友好条約交渉は峠をこしていた。わがほうの主張を中国側が全面的にうけいれ、もう調印を待つばかりだった。
トウ副主席との会談では特定の議題は無かった。東京から訓電してきた尖閣諸島の帰属問題も、園田は、はじめは持ち出す気はなかった。昔から日本に帰属していることがはっきりしているものを、改めて持ち出す事は却って自信がないと受け取られることを恐れたのだ。
ところが痰壷に盛んに痰をはくわ、トシを聞いてくるわで気が変わった。
ちょうど痰が出てきた。だがこっちの足元には壷が置かれていない。そこでカーツとやったあと、トウ小平の足元へ歩いて行ってペツとやったあと、きりだした。
そうしたら即座にトウ副主席が遮るように、この前(4月に大量の漁船が押しかけた)のような事は2度とさせない。この件(帰属)は将来の世代にまかせよう。彼らには良い知恵があるはずだから、と言明。これが真相である。
尖閣列島の帰属問題についてはそもそも国交正常化時の昭和47(1972)年9月、田中角栄首相のほうから持ち出した・ところが周恩来総理はこのことについてはここで話したくないと拒否。これをトウ小平は1978年10月の来日時、日本記者クラブでの会見で1度目の「棚上げ合意」といい園田との会見を2度目の合意と決め付けた。
田中訪中にはNHK記者として同行したが、一連の会談内容については滞在中、一切の発表はなかった。6年経ったあとのトウ小平発言で初めて知った次第だった。
果たして後世の世代は予想される知恵があったか。なかった。単に中国が軍備の近代化に成功。日本を武力的に恫喝するだけの力を得た途端、恫喝し始めただけである。トウはこれを見越していたのだどうか。
アメリカCIAも元々と日本の主張の確かさを支持していた。しかしオバマ民主党政権の腰は引けている。日本もまた、野田首相は理屈をこねるのは上手いが戦争覚悟なんてできていないから、早い話、絶望的ではないか。
ふと、考える。日中平和条約を締結するとき、すでにトウ小平羽毛沢東の死後だからかねての主張どおり、日本の資本と技術を頼りにした経済の資本主義化を構想していた。だからこそ条約の締結を急いだのだ。
だからあの時、尖閣の帰属に今後発言しないと約束しないならば日中平和友好条約の締結は延期する、と日本側が強硬に出たらどうなっていただろうか。歴史に「イフ」はないか。

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話 の 福 袋
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◎ケリー長官「他にもかなりの人数の処刑把握」 古澤襄
<【ワシントン=山口香子】ケリー米国務長官は15日、訪問先のベトナム
で米ABCテレビのインタビューに応じた。叔父でナンバー2だった張成
沢(チャンソンテク)氏を処刑した北朝鮮の金正恩(キムジョンウン)第1書
記について「不安定で、権力構造内での自分の地位を心配している」と分
析した。
その上で、「このような人間の手に核兵器が渡ることはいっそう容認でき
なくなった」として、日本と韓国、中国やロシアと連携して非核化に向け
た圧力を強める方針を表明した。
ケリー氏は、北朝鮮の情勢について「この数か月で、張氏のほかにもかな
りの人数が処刑されたことを把握している」と明らかにし、「敵や競争相
手になりそうな人物を無慈悲に消そうとしている」と指摘した。
また、張氏の法廷写真を公開した正恩氏について、「(イラクの)サダ
ム・フセインを思わせる。無慈悲で恐ろしい独裁体制の性質や、(金氏
の)不安を表している」との見方を示した。(読売)>
2013.12.16 Monday name : kajikablog
◎アジア最強の軍事強国は「日本」、中国ではない―米メディア
XINHUA.JP 12月14日(土)9時15分配信
中国紙・環球時報(電子版)は13日、米紙の報道として、世界中の人々か
ら「アジア第一の軍事強国」は中国だと思われているが、実はこの称号に
最も相応しいのは日本だと報じた。
米紙クリスチャン・サイエンス・モニター(電子版)は11日、日本の戦後
憲法は「国権の発動たる戦争」を永遠に放棄するとうたい、その軍隊は
「自衛隊」という耳触りのよい名称を冠していると指摘。だが、これに対
し、著名な軍事専門家、ラリー・ウォーツェル氏は最近、「こうしたごま
かしに騙されないよう」警告していると報じた。
同紙はまた、「日本は軍人の数で中国のわずか10分の1、戦闘機の数は
中国の5分の1、艦隊のトン数は中国の半分。軍隊の規模だけ見ると、日
本はかなり劣っている」とした上で、「だが、近代戦争のカギとなる要素
である訓練と科学技術の面では、日本は軽く中国を越えている。海上の領
土紛争が武力衝突に発展した場合、優勢に立つのは日本だ」との見方を示
した。(編集翻訳 小豆沢紀子)
(情報収録:濱田 實)
◎金第1書記に忠誠誓う集会 北朝鮮軍、総書記死去2年
北朝鮮の金正日総書記の死去から17日で2年を迎えるのを前に、金総書記
や金日成主席の遺体が安置されている平壌の錦繍山太陽宮殿前で1日、金
正恩第1書記への忠誠を誓うことを確認する集会が開かれ、崔竜海・総政
治局長などの朝鮮人民軍高官らが参加した。
金第1書記を中心とした軍の結束と体制の安定を誇示する狙いとみられ
る。北朝鮮指導部内ではナンバー2とされた張成沢・元国防副委員長の12
日の処刑を受け、もう1人の実力者である崔氏の存在感が増している。
実施が予想されている金総書記の追悼大会に先立って軍主体の集会が開か
れたことで、金第1書記が軍をこれまでより重視する姿勢を強めている可
能性もある。
朝鮮中央通信が配信した写真によると、集会には崔氏のほか、張正男人民
武力部長、李永吉軍参謀総長らが出席した。(共同)
産経ニュース2013.12.16 17:41
◎江田氏らの新党名は「結いの党」
みんなの党を離党した江田議員らは、新しい党の名前を「結いの党」とす
る方針を固めました。
江田氏らの新党の名称は、先週金曜日の時点で2つにまで絞られていて、
15人の議員によるメールでの決選投票の結果、「結いの党」に決まりました。
野党勢力を結集するため、結びつきを大切にしたいという思いが込められ
ているということで、正式には、18日の設立総会で発表されます。
TBS系(JNN) 12月16日(月)23時54分配信
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反 響
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1)1956年(昭和31年)7月発表、経済白書の結びの言葉は、太平洋戦
争後の日本の復興が終了したことを指して「もはや戦後ではない」と記述
され流行語にもなった(言葉の初出は中野好夫が『文藝春秋』1956年2月
号に発表した「もはや『戦後』ではない」である)。
因みに、この「もはや」という言葉は、日本が復興期から脱して、高度成
長という明るい未来を目の前にした状況を表現したものとはむしろ正反対
で、「今までは戦後復興ということで、成長の伸び代が多大にあったが、
戦前の生産水準にまで回帰してしまった以上、この先、この成長をどう
やって続けたらよいものだろうか」という、いささか困惑気味のもので
あった。(Wikipediaから)
暴走と言う人には、安倍が暴走なら、北朝鮮の機関銃射殺(説)は、きっ
と安全・安定・安心走行と目に映っているのだろう。今の日本では過激と
感じて思わず吐いた言葉が暴走だったとしても、あっちはキツイから、こ
の程度のことではへこたれずに安心走行だと言い張るのだろう。それに人
民の意志が高揚しているから、銃殺もすんなり受け入れられていくのだろう。
その国に見合った人民がそれぞれに住んでいるのだから、少数民族抑圧も
お手のものだし、同僚同輩の粛清だって朝飯前の人民だ。それなのにこち
らは、加害者保護が被害者への心情よりも優先させるお国柄となってし
まって勝ち目はない。
「敗戦国が四の五の言うな」は、防空識別圏設定に対する日本の反応にム
カつく中国人のネット炎上用語だが、こんな炎上に水を注ぐには、そろそ
ろ「戦後は終わった」ではなく、「敗戦は終わった」としなければならない。
「もはや戦後ではない」から60年目の2016年にひっくり返し、2020年東京
五輪をお迎えするというのが、タイムスケジュール的にもよさそうな気が
してきた。
その中間点には、空港からの所要時間68分が実際には107分、最大でも積
雪は40cmしかないアルペン会場、おまけにメイン会場は過大負債を抱えて
政府買取案まで飛び出しているお国柄、あれもこれもウソつき放題の上で
ものにした韓国冬季五輪は2018年、そんなこんなで、この地域に地球規模
の耳目が集中する4年間となるから、2016年は、時期としては申し分なしだ。
それだけに、これからは目もくれずに突き進む外交姿勢を貫くことで、我
が国の姿勢から戦後の新たな枠組みが生まれる契機となるはずだ。 韓国
冬季五輪は、ドイツ・ミュンヘン、フランス・アヌシーを突き放しての獲
得だけに、独自色満載でやってもらえばよい、もちろん日本なんてお呼び
じゃないし、間違っても支援や共同開催など、まっぴらゴメンだ。
(酒井 富雄)