アメリカには全くブレはない | 日本のお姉さん

アメリカには全くブレはない

2013年12月7日発行JMM [Japan Mail Media] No.769 Saturday Edition
■ 『from 911/USAレポート』第654回
「明暗の交錯する年の瀬、その不思議な平穏」
■ 冷泉彰彦:作家(米国ニュージャージー州在住)
(お知らせ)12月10日発売の「Journalism 2013年12月号」(朝日新聞出版)に
寄稿しました。内容は「情報統制を進めるオバマ政権、「政治の透明化」の公約はどこに」というタイトルで、オバマ政権がブッシュ政権同様にジャーナリストの言論の自由に対する弾圧を続けている状況を詳細に記述したものです。特定秘密保護法案は、その実務的な主旨が十分に説明されることもなく、また広範な議論が行われることもないままに可決成立してしまいましたが、そのような事態であるからこそ、お読みいただきたい内容と思います。
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この年の瀬、アメリカには不思議な平穏があります。勿論、何もかもがうまく行っ
ているのではありません。良いことも、悪いこともあります。ですが、少なくとも
「ものすごく悪いこと」はあまりなく、人々の表情には落ち着きや安堵感が見られます。ずいぶん長い間、こういうことはありませんでした。もしかしたら911の前に戻ったかのような、90年代からITバブルの狂熱を除いたような、そんな不思議な感覚です。
景気は「そこそこ」です。経済指標は決して悪くはありません。ですが、明瞭な好
況感があるわけでもないのです。そんな中、最も注目されるのは「景気のソフトランディング」が可能か、という議論です。他でもありません。QEと言われる連銀の流動性供給、とりわけ継続的に行われて来た国債購入をどうスローダウンさせて行くのかというのが大きな問題になっています。
この点に関しては、一方には「超緩和派」であるイエレン次期議長率いる連銀が
「そんなにうまくソフトランディングができるはずがない」という見方が相当数あり
ました。「金融緩和を続行する中で、ドル紙幣を印刷するスピードを落とせない」というのです。その結果、バブルが膨張して、それが破裂して大変なことになるというシナリオも真剣に語られてきました。
そんな中、市場の動きは不健全でした。毎月の失業率や毎週の雇用保険新規申請数などの統計を見て、雇用面で「悪い数字」が出ると「これで金融緩和は止められない、当分続く」だろうということになり「株が上がる」、そうした傾向があったのです。下手に失業率が下がると「引き締めが怖い」と株が下がる、そんなムードが続いていました。要するに「QE中毒」的な状況があり、その深層には「実体経済への自
信のなさ」という感覚があったのです。
ですが、12月6日に出た11月の失業率への反応は少し違いました。9月が
7.2%、10月が7.3%と足踏み状態であったのが一気に7.0%まで下がったのです。バーナンキ現連銀議長は2009年の時点で「失業率6%台を目標に金融緩和を行う」と宣言していたわけで、その6%台が目前に迫ったわけです。
ここ数ヶ月の傾向から考えると、市場は「これはマズイ。一気にQEがしぼんでし
まう」という反応になってもおかしくありません。ですが、この日の相場は違いました。市場はこれを好感して大きく上げているのです。これと同時に、経済ニュース関連のサイトには「2014年、米国経済が世界を牽引する」という種類の楽観論が踊るようになりました。
理屈としては別に不自然な話ではありません。失業率が下がるというのは実体経済が好調な証拠であり、その勢いが強いというのは要するに「QEなどに頼らなくても経済が成長できる」という条件が整ったことになるからです。これまでは、「そこまでの自信」がなかったために、半端な雇用統計の改善を見ると「これでは金融緩和が終わってしまって、景気も失速する」という恐怖感があったわけですが、そうしたビクビクした感覚が緩和されたということだと思われます。
では、この7.0%という数字と、市場の好反応を見て「米国景気は力強く201
4年へ突入」ということで全面的に楽観できるかというと、そうでもありません。失
業率と同時に発表された情報としては、米国民の中で「リタイアする数が増加して来た」というデータもあるそうです。株高に伴う年金資産の回復で「これなら引退しても大丈夫」だと判断した人が増えたというのは良いのですが、それだけではないからです。
つまり「引退を決めた」人というのは「求職者数」の母体から差し引かれるわけです。ということは、雇用数が同じでも失業率を引き下げる効果があるわけです。更に言えば、アメリカ人の場合は、「リタイア」を宣言した途端に、消費行動をグッと引き締める人も多い訳で、「自分は現役だ」という人の中の多くが「引退」を決断したということは、それだけ消費行動も抑制されるからです。
もっと言えば、失業率の数字自体には色々な「カラクリ」があるという噂が絶え
ず、この「7.0%」に関しても「人工的だ」などという批判が早速出ています。
ただ、いくら「微妙なさじ加減」に政治的な思惑が反映するにしても、前月比で
「0.3%の改善」というのは、やはり実態として相当な勢いがなければ出せない数字だろう、市場はそのように見て好感しているのだと思います。何と言っても、2009年の10%から考えると、隔世の感があるのは事実です。
歳末商戦も、そんなわけで賑わってはいます。11月中旬から始まったバーゲンでは、各ショッピングモールは相当な人出になっていますし、私は所用で5日の木曜日の晩、マンハッタンに出かけましたが12月初旬とは思えない大変な人手で盛り上がっていました。では、消費は思い切り好調なのかというと、そうではなく、町には50%引きとか、中には70%引きというバーゲンの表示が入り乱れています。90年代までの本格的なバーゲンは「アフタークリスマス」で、「それまでは大幅な値引きなしにモノが売れていた」などという「良き時代」が戻った訳ではありません。
小売業界が必死になるのには別の理由もあります。今年のカレンダーが特殊なのです。例年は11月の感謝祭という「歳末商戦のキックオフ」からクリスマスまでは4週間から5週間近くあるのですが、今年は感謝祭が28日と「押し詰まった日付」になっているために、小売りとしては必死で売らないといけないというムードがあります。
また大変に珍しいことに、ユダヤ暦のハヌカの聖日というのはクリスマス(冬至
祭)の少し前に来るのが普通なのですが、今年は11月の感謝祭と重なってしまって「ハヌカへ向けてのギフト商戦」がクリスマス商戦と重ならないということになりました。ということで、小売業界としては売り上げ確保のために様々な戦術を繰り広げて行ったわけです。
従来は「感謝祭当日」というのは、実家などに集まった大家族がターキーを焼いて静かに過ごすというのが慣例で、その日は一般の商店やショッピングモールは一斉休業していました。ですが、いつからか感謝祭明けの「午前零時」からが「ブラック・フライデー」のバーゲンだということで、徹夜の売り出しとか、感謝祭翌日の金曜日の早朝に特売を行うという習慣が出来てきました。
更には、数年前から「不況対策」ということで感謝祭当日の午後10時ぐらいから開ける店も出て来ていたのです。それが今年はデパートやモールなどでかなりの店が「感謝祭当日の午後8時に売り出し開始」ということになりました。大きな流れとしては、家族の伝統行事の衰退ということにもなるのでしょうが、とにかくそうした「禁じ手」を使わなくてはならないというのは、カレンダーが特殊で歳末商戦期間が短いという危機感に加えて、景気の勢いがまだまだである、ということを示しているように思います。
ちなみに、12月1日の早朝にNY市内で発生したメトロノース鉄道の脱線転覆事故というのは、この「感謝祭の四連休」の最終日に起きています。事故原因については、早朝シフトに慣れていない運転士による「居眠り運転」が取り沙汰されており、その背後にはATS技術導入の遅れや、後から押していた機関車を含めた編成全体の重心の偏りの問題などがあると思われます。
ですが、日曜の早朝の事故で4名の死者や60名以上の負傷者が出たということは、死傷された方々には多少失礼な言い方になるものの、この連休の人の流れの結果であると思います。いずれにしても、この感謝祭の連休から歳末商戦という流れに関して言えば、今年は「強気、弱気が交錯」する中で、売る側も買う側も熱を帯びて来てはいるようです。
政治状況に関して言えば、11月に入ってオバマ大統領に「危うし」というムード
が漂うに至った「新医療保険のウェブサイト稼働停止」の問題ですが、感謝祭の休暇中にシステムを一旦全部閉鎖して突貫工事で修正を行ったところ、連休明けからはかなりスムーズに保険契約まで行き着くことができるようになったようです。
これを受けて、オバマ政権としては「一息ついた」というところでしょう。支持率
は回復してはいませんが40%のラインで「下げ止まった」ということは言えるようです。そんな中、6日には南アフリカのネルソン・マンデラ元大統領の訃報が流れました。オバマ大統領は早速追悼のコメントを発表し、この日は一日マンデラ氏の追悼ムード一色となりました。
オバマはマンデラ氏と比較すると、若いだけでなく、人物としてスケールも小さい
イメージが、特に昨今は否めないわけですが、同じ黒人の指導者として「現職のアメリカの黒人大統領がマンデラ氏の死にあたって国を代表して追悼する」というのは、やはり「絵になる」わけです。アメリカの人々としてはそこで「マンデラ氏は偉大だが、オバマはダメ」という比較論になるわけではないようです。
いずれにしても、政治も経済も世相も、漠然とした均衡の中に「ある種の平穏さ」を感じさせる、アメリカはそんな年の瀬になっています。ここ数週間続いている、中国による一方的な防空識別圏設定の問題は、アメリカにおいては、そうした中で発生した「事件」だということが言えます。
アメリカでの論評ですが、基本的には冷静です。例えば中国の勝手な設定に対して、通告なく設定領域にB52爆撃機を飛ばして牽制を行いつつ、民間航空会社にはフライトプランの中国への提出を黙認するというのは、米中日の三か国関係を「一切変更しない」という意思を示したものだと言えます。
この点は非常に重要なのですが、この対応は決して「弱腰」だということではありません。アメリカは現在でも台湾と日本の防衛という観点からは、中国は軍事バランスの対象国であると指定しています。(韓国の場合は国連軍の枠組みですから少しニュアンスが異なります)ですが、一方で巨額の輸出入と投資を相互的に行うことで、経済的な関係としては相互に根っこの部分から依存し合う関係でもあります。
爆撃機は通告なく飛行するが、民間機は計画を出しても構わないという二重性は、この軍事と経済の関係の二重性をそのまま象徴していると考えるのが妥当だと思います。そして、そのことは現在のアジアの秩序の中で非常に重要な問題だと思います。
今回のバイデン副大統領の日中韓に対する駆け足外交も、その大原則から踏み出すことはなかったと思います。この現実に関して、日本よりもアメリカが「中国に対して妥協的」であるという理解は適切ではないと思います。
仮に中国がこれ以上の軍事的バランスの変更を企図して来るようですと、アメリカは強く行動して来るのは間違いないと思います。ですが、そのことが経済的な相互関係を犠牲にしてまで出来るかというと、アメリカとしては大きな影響を受けるという面は否定できません。ですから、そのような二重性を持った状況であるからこそ、「現状を微動だに変更しない」ということが必要であり、その点においてアメリカには全くブレはないと言えるでしょう。
いずれにしても、アメリカは不思議な、そして911以降なかったような「平穏な
年の瀬」を迎えています。そうした中で、山積する懸案に関しては「現状維持」を強く選択している、それが現時点のアメリカであると言えます。
冷泉彰彦(れいぜい・あきひこ)
作家(米国ニュージャージー州在住)
1959年東京生まれ。東京大学文学部、コロンビア大学大学院(修士)卒。
著書に『911 セプテンバーイレブンス』『メジャーリーグの愛され方』『「関係の空
気」「場の空気」』『アメリカは本当に「貧困大国」なのか?』『チェンジはどこへ
消えたか~オーラをなくしたオバマの試練』。訳書に『チャター』がある。 最新作
は『場違いな人~「空気」と「目線」に悩まないコミュニケーション』(大和書房)。
またNHKBS『クールジャパン』の準レギュラーを務める。
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