“父は薬剤師、母は看護婦という「女高生虐殺」の家
女子高生コンクリート詰め殺人事件
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
この記事には暴力的または猟奇的な記述・表現が含まれています。免責事項もお読みください。
この項目には性的な表現や記述が含まれます。免責事項もお読みください。 女子高生コンクリート詰め殺人事件 場所 東京都足立区綾瀬 日付 1988年 概要 拉致、暴行、殺人、
死体遺棄 死亡者 高等学校生徒(17歳) 犯人 少年4名 テンプレートを表示
女子高生コンクリート詰め殺人事件(じょしこうせいコンクリートづめさつじんじけん)は、1988年(昭和63年)11月から1989年(昭和64年)1月の間に、東京都足立区綾瀬で起きた猥褻誘拐・略取、監禁、強姦、暴行、殺人、死体遺棄事件の通称である。事件番号は平成2う1058。
この事件は、加害者が全て少年(未成年者)であったこと、犯罪内容が重大・悪質であったこと、犯行期間も長期におよび、少女が監禁されていることに気づいていた周囲の人間も被害者を救わなかったことなどの点で社会に大きな衝撃を与えた。
事件の背景[編集]
事件現場となった家庭は、両親が共働きで留守がちであったこと、家庭内暴力で、子供を恐れていたことから、自宅2階6畳間居室が不良交友仲間のたまり場と化していたと見られている。
2階の部屋は鍵が掛かっており、不良少年らは近くの電柱を登って、出入りしていたという。それを見かねた電力会社は登はん用のフックを外すほどであった。
監禁殺人事件[編集]
誘拐の経緯は、バイト帰りの女子高生の自転車を少年が蹴り、少年Aが親切な素振りで近づき、「お前はヤクザに狙われている」「俺が助けてやる」と言い、ホテルに連れ込んで女子高校生をレイプし事件の現場となった家の自宅2階の居室に監禁した。少女を帰そうとせず、集団によるレイプ、性器にビン・マッチ・タバコなどの異物挿入、裸踊りや自慰行為の強要、タバコを2本一度に吸わせる、シンナーを吸わせたりした。少女は少年らの隙をついて警察に通報したのだが少年Aに見つかり阻止され、その腹いせに足にライターのオイルをかけて火で何度もあぶるという暴力行為し、彼女の焼け焦げた足の腐臭を疎ましく思いレイプの対象から暴力へと変貌し、1m以上上から鉄棒を腹に落とす、トイレにも行かせず飲料用紙コップに排尿させその尿を飲ませる、1.6kgの鉄球付き棒で大腿部を数十回にわたって殴打したり、被害者の脇腹部、脚部等を多数回にわたって手拳で殴打し、全身が血だらけになり目の位置がわからなくなるほど顔を膨れ上がる程の殴る蹴るなどの行為を繰り返し、少年Bが「なんだお前でっけえ顔になったな」と笑う、真冬の時にベランダに裸で放置、顔面に蝋をたらす、などの苛烈な行為を41日間にわたり行った。
女子高生を監禁していた家の両親は女子高生の存在を認知しており、一度1階で一緒に食事を摂ったりした。その折、女子高生に「早く帰りなさい」と促し、一時は家を出たのだが、加害者の少年の一人が連れ戻したので、結局監禁は続いて行われた。
1989年(昭和64年)1月4日、「ギャンブルに負けた」という理由で、自力では立てなくなりほとんど動けなくなった被害者を2時間にわたって殴る蹴る、足をライターオイルで焼く、鉄の棒で殴るなどのリンチを加え放置し、その結果被害者は死亡した。翌日、被害者の死亡に気づき死体の処理に困った加害者たちは、遺体を毛布で包み旅行バックの中に入れドラム缶に入れてコンクリート詰めにして、東京都江東区若洲の埋め立て地(現在の若洲海浜公園敷地内)に遺棄した。
同年(平成元年)3月29日、別の事件で逮捕された際の取調中の加害者の供述により、被害者の遺体が発見されたことから事件が発覚した。
裁判[編集]
加害者4名が刑事処分相当として東京家庭裁判所から検察庁へ送致(逆送)され、刑事裁判にかけられた。
1990年7月20日に開かれた東京地裁刑事四部の判決は、主犯格の少年Aは懲役17年(求刑無期懲役)とした。他の少年3人には準主犯格と見られる少年Bに懲役5年以上10年以下(求刑懲役13年)、監禁場所に自室を提供した少年Cに懲役4年以上6年以下(求刑懲役5年以上10年以下)、最も関与が薄いと見られた少年Dに懲役3年以上4年以下(求刑懲役5年以上10年以下)の不定期刑を言い渡した。本件では殺意の有無について争われたが松本光雄裁判長は判決で「未必の故意」を認めて殺意を認定した。一方で検察側の求刑より軽い理由として少年らが家庭内暴力を受けていたこと、犯行が計画的でなかったこと、Aの両親が遺族に5千万円を支払っていること、少年らが裁判中に人間性に目覚めていることなど情状酌量の事情を取り入れた。なお、少年D以外は殺人の他に婦女暴行、窃盗、傷害なども有罪と認定された。検察側は少年A、B、C、Dに関する量刑不当を、少年Bの弁護人は同少年に関する量刑不当を、少年Cの弁護人は同少年の殺意の有無に関する事実誤認および量刑不当を主張し、それぞれ控訴した。
1991年7月12日、東京高等裁判所は、少年A、C、Dに関する検察側の主張を認め一審判決を破棄、主犯格の少年Aに懲役20年、少年Cに同5年以上9年以下、少年Dに同5年以上7年以下をそれぞれ言い渡した。一方で少年Bに関しては懲役5年以上10年以下とした一審判決を支持、双方の控訴を棄却した。その他3人の少年が少年院に送致された。
少年たちのその後[編集]
少年Dは少年院を退院後、自宅に引きこもるようになったという。また少年Bは、仮出所後、保護観察関係者の女性と養子縁組を結び姓を変えていたが、2004年(平成16年)5月19日に再び同じ足立区や三郷市で男性に言いがかりをつけ監禁致傷事件を起こし、6月4日に逮捕され、懲役4年が確定した。この事件の影響で服役中だった少年Aは模範囚だったことから仮釈放の予定だったが取り消しになったという。主犯格少年A以外の少年たちは、出所あるいは退院後、それぞれマスコミのインタビューを受けている。
反響・影響[編集]
マスメディアの反応[編集]
この事件の加害者が4名とも未成年者であったことなどから、大々的に報道された。
少年法では事件の犯人が少年の場合、実名を報道することを禁止しているが、当時、一部の報道機関が少年らの実名を報道した。実名報道した「週刊文春」(担当記者:勝谷誠彦、編集長:花田紀凱)は理由として、「事件があまりに凶悪であるため」、「野獣に人権はない」と説明している。この報道をきっかけに「週刊文春」は売上部数ナンバー1になり、犯罪の低年齢化に伴う少年法論議に火をつけた。
監禁場所を提供した少年の両親について「日本共産党員だという話もある」と「週刊新潮」が報道すると[1]、日本共産党は機関紙『赤旗』で同両親が党員であったことを認めた上で「同事件は暴力団との関係も指摘されている、許すことのできない残虐な事件であり、もちろん日本共産党とはいっさい関係ありません」との記事を掲載した[2]。その1ヵ月半後には同両親の対応を検証した特集記事が『赤旗』に連載された[3]。
識者の反応[編集]
評論家赤塚行雄はこの事件を「狂宴犯罪」と呼んだ。
一般の反応[編集]
犯人が少年であったことから、同年代の子供を持つ親に計り知れない衝撃を与えた。発覚当初から極刑を求める声があり、主犯への無期求刑後、東京地方検察庁には「軽すぎる」という抗議の投書があった[4]。
他事件への影響[編集]
新潟青陵大学大学院教授の碓井真史は、この事件の女性監禁に関する報道が、翌1990年に起きた(事件発覚は2000年)新潟少女監禁事件の犯人に刺激を与えた可能性があると指摘している[5]。
お笑いタレントのスマイリーキクチは、この事件に関与したといういわれなき誹謗中傷をネット上で10年間に渡って受け続けた[6](スマイリーキクチ中傷被害事件)。
書籍・映画化[編集]
2003年、事件を元にしたノンフィクション・ノベル『十七歳、悪の履歴書』が出版された。
翌2004年、映画『コンクリート』が『十七歳、悪の履歴書』を原作にこの事件を“モチーフとして”映画化された[7]。この映画の公開をめぐっては、事件の残虐性、そもそも映画にする必要があるのか?などの意見がインターネットを中心に多数湧き上がり、劇場にも上映反対意見が多数届いた。その影響で5月29日から予定されていた公開は中止されたが、その後、別の劇場で7月3日から9日の一週間だけ公開された。製作者側によれば、大手レンタルチェーン店にもこの映画のビデオ・DVDを取り扱わないよう意見が多数寄せられた[8]。なお、この映画のビデオ・DVDはレンタル用としてはR-15に指定されている。
2004年にオークラ出版から発売された氏賀Y太の単行本『真・現代猟奇伝』に、この事件を漫画化したものが収録されている。
事件を題材とした漫画作品として、樹村みのりによる「彼らの犯罪」(『ROSA』(少年画報社)1992年12月号掲載、単行本『彼らの犯罪』(朝日新聞出版、2009年)所収)がある。
この事件を題材とした漫画に円山みやこの作品「蟲笛」がある。
天樹征丸、さとうふみやの漫画「金田一少年の事件簿」の作品内に、この事件とよく似た事件がきっかけとなって起こる事件を描いた「剣持警部の殺人」という話がある。
参考文献[編集]
渥美饒兒『十七歳、悪の履歴書-女子高生コンクリート詰め殺人事件』作品社、2003年。ISBN 4878935723
門野晴子『女子高生コンクリート詰め殺人事件―彼女のくやしさがわかりますか?』おんな通信社編、社会評論社、1990年。
佐瀬稔『うちの子が、なぜ!―女子高生コンクリート詰め殺人事件』草思社、1990年。ISBN 479420390X
蜂巣敦『殺人現場を歩く』ミリオン出版、2003年。ISBN 4813010814
藤井誠二『少年の街』教育史料出版会、1992年。ISBN 4876522308
古村龍也・雀部俊毅『犯罪心理分析マニュアル』同文書院、2000年。
横川和夫・保坂渉『かげろうの家 女子高生監禁殺人事件』共同通信社、1990年。ISBN
476410251X
脚注[編集]
^ “父は薬剤師、母は看護婦という「女高生虐殺」の家”. 週刊新潮: p. 132.
(1989年4月13日)
^ 赤旗. (1989年4月7日)
^ “追跡女子高生監禁殺害事件―甘かった親の“認識”―魔の40日間”. 赤旗.
(1989年5月20日)
^ “歯止めなき攻撃を生んだもの(社説)”. 朝日新聞. (1990年7月20日)
^ 碓井真史『少女はなぜ逃げなかったか』(小学館文庫)129-130頁
^ スマイリーキクチ『突然、僕は殺人犯にされた - ネット中傷被害を受けた10年間』(竹書房)
^ コンクリート OFFICIAL SITE 2004/5 銀座シネパトスでの公開中止にあたって
^ コンクリート OFFICIAL SITE 2004/6/1 UPLINK FACTORYでの公開にあたって
関連項目[編集]
少年法
少年
実名報道
コンクリート (映画)
女子高生コンクリート詰め殺人事件 -壊れたセブンティーンたち
真・現代猟奇伝
完全な遊戯
17歳。
スマイリーキクチ中傷被害事件
外部リンク[編集]
高裁判例集 東京高判H3.7.12(平成2う1058 猥褻誘拐・略取、監禁、強姦、殺人等被告事件)
高裁判決全文 (PDF)
女子高生コンクリート詰め殺人事件の全貌【史上最悪な殺人事件】
1988年11月25日、18歳Aは埼玉県三郷市内で当時17歳の女子高生をわいせつ目的で拉致、ホテルに連れ込み強姦した。その後、A、17歳B、16歳C、17歳Dの4人で東京都足立区綾瀬のCの自宅に女子高生を監禁。
更新日: 2013年10月18日
女子高生コンクリート詰め殺人事件
女子高生コンクリート詰め殺人事件(じょしこうせいコンクリートづめさつじんじけん)は、1988年(昭和63年)11月から1989年(昭和64年)1月の間に、東京都足立区綾瀬で起きた猥褻誘拐・略取、監禁、強姦、暴行、殺人、死体遺棄事件の通称である。事件番号は平成2う1058。
この事件は、加害者が全て少年(未成年)であったこと、犯罪内容が重大・悪質であったこと、犯行期間も長期におよび、少女が監禁されていることに気づいていた周囲の人間も被害者を救わなかったことなどの点で社会に大きな衝撃を与えた。
出典女子高生コンクリート詰め殺人事件 - Wikipedia
1988年11月25日、18歳Aは埼玉県三郷市内で当時17歳の女子高生をわいせつ目的で拉致、ホテルに連れ込み強姦した。その後、A、17歳B、16歳C、17歳Dの4人で東京都足立区綾瀬のCの自宅に女子高生を監禁。同28日、17歳E、16歳Fも加わり、6人で女子高生を集団で強姦。その後もCの家の部屋で監禁、強姦、傷害など虐待行為が続いた。
出典性犯罪殺人事件 女子高生コンクリート詰め殺人事件
数名の少年が、女子高校生をレイプ後拉致、仲間の自宅2階の居室に監禁した。集団によるレイプ、性器にビンなどの異物挿入、裸踊りや自慰行為の強要、タバコを2本一度に吸わせる、シンナーを吸わせ、1メートル以上上から鉄棒を腹に落とす、トイレにも行かせず飲料用紙コップに排尿させその尿を飲ませる、1.6キログラムの鉄球付き棒で大腿部を数十回にわたって殴打したり、被害者の脇腹部、脚部等を多数回にわたって手拳で殴打し、全身が血だらけになり目の位置がわからなくなるほど顔を膨れ上がる程の殴る蹴るなどの行為を繰り返し、少年Bが「なんだお前でっけえ顔になったな」と笑う、足にライターのオイルをかけて火で何度もあぶる、真冬の時にベランダに裸で放置、顔面に蝋をたらす、などの苛烈な行為を41日間にわたり行った。
女子高生を監禁していた家の両親は女子高生の存在を認知しており、一度一階で一緒に食事を摂ったりした。その折、女子高生に「早く帰りなさい」と促し、一時は家を出たのだが、加害者の少年の一人が連れ戻したので、結局監禁は続いて行われた。
1989年(昭和64年)1月4日、「ギャンブルに負けた」という理由で、自力では立てなくなりほとんど動けなくなった被害者を2時間にわたって殴る蹴る、足をライターオイルで焼く、鉄の棒で殴るなどのリンチを加え放置し、その結果被害者は死亡した。翌日、被害者の死亡に気づき死体の処理に困った加害者たちは、遺体を毛布で包み旅行バックの中に入れドラム缶に入れてコンクリート詰めにして、東京都江東区若洲の埋め立て地(現在の若洲海浜公園敷地内)に遺棄した。
同年(平成元年)3月29日、別の事件で逮捕された際の取調中の加害者の供述により、被害者の遺体が発見されたことから事件が発覚した。
お気に入り詳細を見る 被害者に行われた行為
◆アルバイト帰りの女子高生を誘拐して不良仲間4人で輪姦
◆不良仲間の家に監禁し暴走族仲間十数人で輪姦、関係者は100人に及ぶ
◆殴打された顔面が腫れ上がり変形したのを見て「でけえ顔になった」と笑う
◆度重なる暴行に耐えかねて、被害者は「もう殺して」と哀願
◆顔面に蝋を垂らして顔一面を蝋で覆いつくし、両眼瞼に火のついたままの短くなった蝋燭を立てる
◆衰弱して自力で階下の便所へ行くこともできず飲料パックにした尿をストローで飲ませる
◆鼻口部から出血し、崩れた火傷の傷から血膿が出、室内に飛び散るなど凄惨な状況となった
◆素手では、血で手が汚れると考え、ビニール袋で拳を覆い、腹部、肩などを力まかせに数十回強打
◆1.74kgのキックボクシング練習器で、ゴルフスイングの要領で力まかせに多数回殴打
◆揮発性の油を太腿部等に注ぎ、ライターで火を点ける
◆死んだのでコンクリート詰めにして放置
◆腕や足は、重度の火傷で体液が漏れ出していた
◆脳が萎縮して小さくなっていた
※あまりに凄惨な性的暴力表現は避けています。
上記リンクでさらに詳しい犯行描写が見られます。閲覧注意。
【女子高生コンクリート詰め殺人事件 加害者】宮野 裕史(A) (1970.04.30)
出典personalsite.liuhui-inter.net
【女子高生コンクリート詰め殺人事件 加害者】宮野 裕史(A) (1970.04.30)
主犯格。懲役20年の刑で服役中。2008年出所予定。
中学時代は軽量級の柔道の選手として活躍。身長160cmと小柄だがガッシリとした体格。付属男子高校中退。見習いタイル工として働き始めるが暴力団員と知り合い、パシリとなる。
関西の篤志家と養子縁組して「横山(?)」と改姓。
お気に入り詳細を見る 【宮野裕史】育った環境
父は愛人宅にいて、家庭は崩壊していおり、夫婦仲に問題があった。Aの中学時代は、柔道に打ち込み、出場した各大会で優勝、準優勝するなどして活躍し、格別の問題行動もなく中学生活を送った。柔道の関係で入学した高校では、練習が厳しく、先輩のいじめを受けたことなどから、入学した年の9月には柔道部を退部し、翌昭和62年3月には同校を退学し、自宅近くのタイル工業所に就職した。
http://www.h4.dion.ne.jp/~kakumei/hannzaisya.htm
お気に入り詳細を見る 【女子高生コンクリート詰め殺人事件 加害者】小倉 譲(B)
(神作と改姓して神作譲) (1971.05.11)
出典personalsite.liuhui-inter.net
【女子高生コンクリート詰め殺人事件 加害者】小倉 譲(B) (神作と改姓して神作譲) (1971.05.11)
サブリーダー。すでに刑務所から出所。
主犯格の1年後輩。180cmを越す長身。検事や弁護士の質問に太い声でハッキリ答える。
お気に入り詳細を見る 【神作譲】育った環境
父母の折り合いが悪く、両親はBの幼少時に別居し、Bは母の許で成育し、この間、昭和56年8月小学校4年時に一時父と同居したこともあったが、二か月後に再び母の許へ戻った。中学校時代には、格別の問題行動は見られなかったが、昭和61年1月スキーで右足の複雑骨折をし、以後スポーツで活躍する場を失い、昭和62年4月都内の私立高校に入学したものの、勉学の意欲がなく、次第に怠学が多くなり、同年11月除籍処分となった。その後一時電工見習いとして働いた後、都立の定時制高校へ入学したが、すぐに登校意欲を失い、学籍はあるものの長期欠席の状態が続く。
【女子高生コンクリート詰め殺人事件 加害者】湊 伸治(C)
(1972.12.16)
出典personalsite.liuhui-inter.net
【女子高生コンクリート詰め殺人事件 加害者】湊 伸治(C) (1972.12.16)
犯行現場の部屋の提供者。すでに刑務所から出所。
JR常磐線綾瀬駅から北へ15分ほど歩いた住宅街。玄関と二階ベランダが南欧風、3DKの建て売り住宅。約百平方メートルの敷地いっぱいに建っていて、両隣の家とは人がやっと入れるほどの狭さ。近くに小さな公園有り。事件の13年前、一家は同じ足立区内から引っ越してきた。
「足立の学習院」と言われたエリート中学卒。その後、都内では唯一の化学専門工業学校に進学
【湊伸治】育った環境
仕事一筋の父親はきびしい体罰をふるった。Cが決められた家事の分担をしないことなどを母親から相談されると、Cをたたき起こして叱った。泣いて逃げる少年を追いかけて殴ったり、深夜外へ引きずり出して、公園を走らせたこともある。父親は、毎晩酒を飲んで帰宅した。Cとその兄は「週に1回はなぐられていた。ぞっとするほど怖かった」と、弁護士に証言。
【女子高生コンクリート詰め殺人事件 加害者】渡邊 恭史(D)
少年院でいじめに合い、現在引きこもり症候群。
四人の少年達の中では一番痩せていて、声が小さく、右後頭部、中学教師の体罰を受け出来た10円玉程の白髪が、公判時にはこぶし大にまで広がっていた。定時制の工業高校へ進むが1週間で行かなくなる。ファミコンが好き。
お気に入り詳細を見る 【渡邊恭史】育った環境
父母は、昭和51年10月に別居したうえ、その2年後に離婚し、父は離婚後間もなく死亡しており、Dは姉と共に母の手で育てられた。都立の工業高校定時制に入学したものの、一週間で登校しなくなり退学。その後、何か所かで働いたことはあるが、いずれも長続きしなかった。
女子高生コンクリート詰め殺人事件
出典image.space.rakuten.co.jp
女子高生コンクリート詰め殺人事件
女子高生コンクリート詰め殺人事件(じょしこうせいコンクリートづめさつじんじけん)は、1988年(昭和63年)11月から1989年(昭和64年)1月の間に、東京都足立区綾瀬で起きた猥褻誘拐・略取、監禁、強姦、暴行、殺人、死体遺棄事件の通称である。事件番号は平成2う1058。
お気に入り詳細を見る 判決状況
1989 07/31第一審 東京地裁 初公判
1990 05/21第一審 東京地裁 論告求刑公判
検察側は主犯格の被告Aに対して無期懲役、被告Bに懲役13年、被告Cと被告Dに懲役5年以上10年以下の不定期刑を求刑
1990 07/19第一審 東京地裁 判決公判
東京地裁は被告Aに懲役17年を、被告Bに懲役5年以上10年以下、被告Cに懲役4年以上6年以下、被告Dに懲役3年以上4年以下の不定期刑をそれぞれ言い渡し
1991 07/12控訴審 東京高裁(柳瀬隆次裁判長) 判決公判 判決文
東京高裁は、被告A、C、Dについて、一審判決を破棄し、被告Aに懲役20年を、被告Cに懲役5年以上9年以下、被告Dに懲役5年以上7年以下の不定期刑をそれぞれ言い渡し。被告Bについては、控訴を棄却
お気に入り詳細を見る 事件を再現したドラマ
17才の女子高生を40日にわたって監禁した上、数名での強姦、殴る蹴るの暴行、ライターのオイルをかけ点火するなど、激しく執拗な暴力を加え、死体をコンクリートに詰め遺棄した事件
女子高生コンクリート詰め殺人事件 1/7 - YouTube
女子高生コンクリート詰め殺人事件 2/7 - YouTube
女子高生コンクリート詰め殺人事件 3/7 - YouTube
女子高生コンクリート詰め殺人事件 4/7 - YouTube
女子高生コンクリート詰め殺人事件 5/7 - YouTube
女子高生コンクリート詰め殺人事件 6/7 - YouTube