拳銃持ち歩き中国人従業員「悪いのは俺じゃない」…再雇用断られ射殺にも「あいつのせい」 | 日本のお姉さん

拳銃持ち歩き中国人従業員「悪いのは俺じゃない」…再雇用断られ射殺にも「あいつのせい」

チュウゴク人を雇うと逆に逆恨みされて殺される場合がある。
以前も、チュウゴク人の保証人になってさんざん世話をしてあげていたのに、そのチュウゴク人が手引きして連れてきた仲間のチュウゴク人に自宅で殺された。
チュウゴク人には「やれるものならやってみろ」と言わない方がいい。
本当にやるからだ。チュウゴク人は、普通の日本人と思って同じように語りかけてはいけないのだ。
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衝撃事件の核心】
拳銃持ち歩き中国人従業員「悪いのは俺じゃない」…再雇用断られ射殺にも「あいつのせい」謝罪の言葉ない身勝手さ
2013.10.21 07:00 (1/4ページ)[westセレクト]
金属加工会社の専務射殺事件で逮捕された郭栄茂容疑者容疑者。「撃てるものなら撃ってみろ」といった専務に引き金を絞った=大阪府警松原署
単調で無機質な機械音が繰り返される工場に、「パン」という銃声が響いた。大阪府松原市別所でベアリングを製作する金属加工会社「山道製作所」の専務、山道亮(やまみち・あきら)さん(36)が9月30日、工場内の事務室で中国籍の元従業員、郭栄茂容疑者(59)に射殺された。殺人容疑で逮捕された郭容疑者は数年前、「護身用に」と中国人の知人から拳銃を譲り受け、スーパーでの買い物やパチンコに行くときにも持ち歩いていたという。その銃口が元勤務先の役員に向けられたのは、同社を解雇された逆恨みから。「撃てるものなら撃ってみろ」。山道さんの言葉に、郭容疑者は引き金を引いたという。
「何でここまで言われなあかんねん…」
30日夕、事務所では、ぶぜんとした表情の山道さんに何度も頭を下げる郭容疑者の姿があった。
「専務、すみません。社長に会わせてください」
「何言ってるんや。帰れ」
郭容疑者は昨年11月に同社を解雇された。その後、複数の会社の面接を受けたがうまくいかず、経済的に困窮した状態が続いていた。困り果て、泣きつこうとしたのが社長を務める山道さんの父親だった。無施錠のドアから2階の事務室に侵入し、社長を探したが、不幸なことに偶然出くわしたのが残って仕事をしていた山道さんだった。
2人は押し問答を繰り返し、郭容疑者は何度も頭を下げたが、山道さんが首をたてに振ることはなかった。
「山道さんはよく、郭容疑者が『言うことを聞かず、仕事もしない。性格的にも合わないし、扱いに困っている』とぼやいていた。二人はまさに水と油だった」。山道さんの知人男性は振り返る。
以前は中華料理店を経営していた郭容疑者。平成20年ごろに同社に採用され、働き始めたが、勤務態度の悪さから、山道さんにたびたび叱責(しっせき)を受けるようになった。ところが、郭容疑者は反発を繰り返し、いさかいが絶えなかったという。
 そんな間柄の2人がこの日、押し問答を続けていた。「何でここまで言われなあかんねん…」。山道さんの態度に怒りを爆発させた郭容疑者は、持っていた拳銃を取り出し、山道さんへと向けた。
 だが、山道さんは決して取り乱すことなく、「撃てるものなら撃ってみろ」と応じたという。激高した郭容疑者が発砲し、山道さんがばたりと倒れたのはその直後だった。
血まみれな現場
 激しく出血する山道さんの様子に動揺し、「頭が真っ白になった」という郭容疑者。そのまま階段を駆け下り、外に止めてあった車であてもなくうろついていたが、やがて奈良県内に住む友人を頼り、逃走した。
 一方、終業時間が過ぎても山道さんが帰宅しないことを不審に思った山道さんの父親は、撃たれてから5時間近くが経過した午後11時ごろ、事務所を訪れ、愛息の変わり果てた姿を目の当たりにした。
 すぐに通報し、山道さんは病院に搬送されたがまもなく死亡が確認された。駆けつけた大阪府警の捜査員も血まみれとなった凄惨(せいさん)な現場の状況に思わず息をのんだという。
 この日、同社は給料日だったため、事務所の机の上にも現金が入った封筒が残されていたが、全く手を付けられていなかった。府警は強盗などの金銭絡みの犯行ではなく、怨恨(えんこん)の線が強いと判断。山道さんの交友関係を中心に捜査を始めた。一方、郭容疑者は1日午前2時ごろ、この奈良県内の友人宅を訪問。「正直に警察に話したほうが良い」と勧められ、同9時ごろ、奈良県警中吉野署に出頭した。
「悪いのは俺じゃない」
 「会えば気さくにあいさつしてくれた。事件を起こすような雰囲気はうかがえなかった」
郭容疑者が住んでいた大阪府八尾市の府営団地の住民はこう話す。だが、実際には中国人の知人から譲り受けたという拳銃を「やくざに絡まれたら面倒だから」という理由でスーパーやパチンコに行くときも持ち歩いていたという。
 一方、松原市出身の山道さんは、府内の高校を卒業し、17~18年前から父親が経営する山道製作所を手伝うようになった。将来は社長を継ぐことを見越し、人脈を増やそうと、若手経営者らでつくる中小企業同友会さかい支部に加入。幹部を務め、セミナーや勉強会のコーディネーター役を任されることもあったという。
 同友会での活動を通じて知り合った知人男性(41)は「周囲を巻き込んで物事を達成するリーダーシップがあった。性格も前向きでみんなから慕われていた」と振り返る。こうした山道さんの仕事ぶりに父親も「息子のやり方は近代的だ。これからは若い者に任せていきたい」と見守っていた。
 プライベートでは、妻との間に3人の子供に恵まれ、日曜日には自宅前の路上で一緒にボール遊びをする姿がたびたび見かけられていたという。また、地元子供会のソフトボールチームを指導するなど地域貢献にも一役買っていた。
 郭容疑者が殺人容疑で逮捕され、事件は解決へと向かったが、仕事、プライベートともに充実した毎日を過ごしていた山道さんが戻ってくることはもうない。山道さんを失った家族の悲しみは深く、現場に臨場した捜査関係者は「両親の衰弱は痛々しいほどだった」と語る。
だが、家族の悲嘆は郭容疑者には届いていないようだ。逮捕後、郭容疑者は通訳を交え、取り調べに応じているが、謝罪の言葉は一切なく、こんな言葉を繰り返していたという。
 「悪いのは俺じゃない。あいつのせいや」