ドイツとイタリア人が韓国人を今でも嫌うわけは2002年ワールドカップが原因 | 日本のお姉さん

ドイツとイタリア人が韓国人を今でも嫌うわけは2002年ワールドカップが原因

審判がおかしいのは知っていたけど、韓国が決勝までいってアジア人がそこまでいけたのはいいことだと思って応援してたけど、なんやねん。
開会式でも日本を侮るパフォーマンスをしていたらしい。韓国、最低な国やな
しかし、マスコミは、ちっともそういうことを日本人に知らせなかった。
だから、なぜ、ドイツ人とイタリア人が今でも韓国が嫌いなのかピンとこなかった。日本のマスコミってダメね。
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添付①:『日韓共催ワールドカップと韓国問題』
2013年7月改稿及びコラムを追加
目次
はじめに:2002年とW杯
1.開催前の問題 招致前の不正や呼称問題等
2.開催後の問題 他国選手を執拗に侮辱する応援
3.韓国誤審問題 有名な四件よりも悪質なケース
4.閉会後の世界 必然的に招いた悪評と軽蔑
5.考察偏向報道 日本の偏向報道の弊害について
コラム①:日韓共催になった過程
コラム②:スタジアム建設費の話
※2002年ワールドカップにおける韓国起因の異常な問題や行動は、本稿で取り上げたものだけでなく、数多くあります。単に字数の問題と、自分で裏を取るほど手が回せなかったので掲載していないだけの話もあり、興味がある方は自身でも調べてみましょう。
はじめに:2002年とW杯
2002年とは「21世紀」に人々が慣れ、前年に米国で9・11自爆テロが生じ、YahooBB(ADSL)の登場によって「一般人も常時接続」という時代の始まりでした。
また、日本人の意識が変わりつつあった時代であったかもしれません。
当時、その少し前までの日本人は、日本という国柄や国民性について「新しいものを生みだす能力がない」「真面目で勤勉な傾向にあるが個性がない」「何かと欧米より遅れている」というような認識や論調が普通でしたし、国民のモラルやマナーも先進国では普通なのだろうと思っていた人も少なくありませんでした。
しかしながら2002年頃になると、日本は既に経済大国とは違う側面によって国際的な評価を確立しつつありました。そして日本人も、外国からの褒め言葉を「完全なリップサービス」だろうと恥じ入る感覚も薄れてきた時期に重なるでしょう。
2002年には、政治的にもいくつか重要な出来ごとがありました。とりわけ、北朝鮮による日本人拉致の問題が公式に確認されたときの衝撃は、多くの方がご記憶されていることでしょう。
そして――2002年と言えばもう一つ。W杯史上初のアジア開催となる「第17回FIFAワールドカップ韓国/日本」が開催された年でもあります。
このW杯…ある意味では成功したと評価できます。
当時、Jリーグも下火で急速に衰退していた日本サッカー界でしたが、大会と同時に盛り上がりを見せ、その後は現在にいたるまで2002年の状況とは比較できないほど盛んになっています。
大会そのものも、日本は、諸外国から最高のホスト国として賞賛され、驚くほど海外に親日派を増やすきっかけにもなりました。
当然、日本では総じて成功したという扱いでしたが、この2002年大会そのものは、世界的にFIFAワールドカップ史上最低の大会――まさに悪夢――という評価も合わせ持っています。
本当に残念なことですが、その原因は、後々まで海外のサッカーファンが韓国を軽蔑し嫌悪することになってしまったほどの韓国による数々の問題に尽きます。
当時のことをご存知ない方は、らしからぬ身内贔屓や差別だと感じるかもしれませんが、そうではありません。
この大会は、韓国に残存する不名誉な精神性が、強烈に発現してしまったと表現しても、大げさではないのです。そして、世界に類を見ない韓国の異様な所業を黙認し、虚飾に満ちた日韓友好をごり押した主要メディアの態度は、醜悪かつ有害という他ありませんでした。
この「2002年FIFAワールドカップ韓国/日本」における異常な出来ごとは枚挙に暇がありませんが、ここでは一例だけ「明石家さんまの謝罪事件」を紹介しましょう。
何があったのかというと、韓国vsドイツ戦でのこと、昔からの熱狂的なサッカーファンであった明石屋さんまは、その日、TV番組でドイツのユニフォームを着用し、ドイツを応援していました。
たったそれだけの話ですが…なぜ韓国を応援しない!などという、とても日本人とは思えないような内容の苦情が殺到し、圧力に屈したTV局は、明石屋さんまに番組内で謝罪させたのです。
ちょっと考えてください。
なぜ、筋金入りのサッカーファンでもある日本の一芸人が、日本のTV番組で、韓国ではなくドイツを応援しただけで苦情が殺到し、公式に謝罪せねばならないのでしょうか。
この明石家さんまの謝罪事件ひとつ取っても私は異常なことだと思います。
少なくとも韓国のTV番組で韓国の芸人がそのような応援をしたならば、共感こそしませんが、ある程度までは理解できなくもありません。あるいは、さんま氏が韓国が嫌いだからと公言した上での行動ならば、非難も当然でしょう。しかし、このケースではそうした要因が皆無なのです。
何かがおかしかった…。
当時、日本のメディアは、多くの韓国人が日本の敗北を願い、試合に負ければ多くの国民が大喜びするという異常な価値観の人々であることを報じることなく、日本だけが一方的な悪意にさらされながら「日韓友好」という虚しい美名のもと、韓国を「友」として賛美し続けたのです。
明石屋さんまがドイツを応援することが批判され、謝罪を強要された一方で、これはいったい何なのでしょう。
そうです、2002年W杯こそが「日本の大手メディアが韓国的な反日価値観を共有している」というメディアへの不信感――そう、およそ10年後に爆発した、2011年の「フジテレビ韓国偏向抗議デモ」に通じる不信感を生じせしめる起点になったのです。
確かに、そこには非合理な陰謀論の側面も付きまとうこともあれば、実際はあまり関係のない在日韓国・朝鮮籍の方々までワンセットで非難する人々も生み出してしまいました。
これは不幸な副産物ですが、もちろん一部の残念な人々に過ぎませんし、その根幹にはネトウヨだのといって愚弄するには看過し難い問題が潜んでいます。
というわけ、本稿では、多くのネットユーザーに、メディアの韓国偏向問題を認識せしめた2002年W杯で、いったい何があったのか、改めて整理しておきたいと思います。
1.開催前の問題 招致前の不正や呼称問題等
そもそも、このアジア初のW杯が日本単独開催ではなく、日韓共催になった過程(コラム参照)に始まり、大会組織委員会の委員長に鄭夢準(大韓サッカー協会会長,FIFA副会長)が就任する段階ですら、様々な問題が起きていました。
その舞台裏で、一体どのようなことがあったのか?これは欧州最高のスポーツジャーナリストとして名高いマーティン・ヘーゲレ氏が怒りと共に暴露した記事から推察できます。
「…私はこういう汚い手段を徹底的に憎む。ジャーナリストに対する行為で、最も卑劣なものではないか。「アルコールで酩酊させ(女性提供の事実で)相手を脅迫」する。私が長年、アジア・サッカー界で最も権力を持つ人物を国際的メディアで批判し続けてきたのも、ここに理由がある。
鄭夢準はこういうことがあって、私をソウルでのワールドカップ開催式とFIFA総会から閉め出そうとした。彼はフランツ・ベッケンバウワーとDFB(ドイツサッカー連盟)会長に、私の取材を禁止するように要請する書簡を送った。しかし、ベッケン・バウワー氏もDFB会長もこれを一蹴。逆に、鄭夢準に警告を送ったのだが、私としては彼との対決はむしろ望む所でもあった―――」『WORLD SOCCER
DIGEST』05/08/04発売号寄稿
何より、いざ開催されてからの韓国人及び韓国代表選手たちの振る舞い、審判の異様な判定の数々、相手国への官民一体となった組織的嫌がらせの数々を評価すれば、鄭夢準を始めとする韓国陣営が、かなり色々なことをしていたであろうことは想像に難くありません。
(強いて議論の余地があるとすれば、他のW杯における開催国のアンフェアな行動と比較して、韓国だけが特別悪質だったのか、という部分(「国際大会の悪しき常識」を持ちだす擁護論)の是非があるかもしれませんが、2002年大会の韓国は異常過ぎるため、他国と五十歩百歩扱いするのは相当に困難でしょう)
それはさておき、現代財閥の力を武器に、様々な工作に奔走した韓国に比して、日本の協会は、平和ボケというべきか、こうした政治闘争に対する認識が甘く、かなりやられたい放題というのが実情でした。
私としては韓国の真似をする必要はないと思いますが、それでも理不尽を回避できるくらいには政治的圧力を行使すべきだったと思っています。もっとも、肝心の日本政府がW杯を日韓友好に使うなどという稚拙かつ欺瞞的な政治介入をしてきたのですから、当時、協会側に出来ることはあまりなかったかもしれませんが…。
さて、こうした不毛な経緯での共催決定から少し後のこと、1997年にアジア通貨危機が生じました。当然、韓国経済は悲惨な事態に陥り、ついにはIMFの管理下におかれてしまいます。(これは非常に不味いことで、延命治療的な措置を受ける代わりに、借金返済を優先し公共への投資すらどんどん削られるという最低の事態で、国際的な地位もがくっと下がります)
結局、W杯開催どころの話ではなくなってしまい、貧窮した韓国は、日本にスタジアム建設費の融資を求めてきました。ここでお人よしの日本政府は300億円相当の融資を快諾しています。
ところが、アジア通貨危機からすぐ後に、韓国の景気がV字回復したため、日本からの融資は必要なしということで断ってきました。そのためスタジアム建設費としての300億円の融資は行われませんでした。
ちなみに、このときの融資は行われていませんので「韓国がスタジアム建設費300億円を借りたのに一円も返済していない」というのはデマです。が、その後、9.11不況でW杯どころではなくなった韓国に、日本から超巨額の融資がされていますので、日本の融資のおかげで韓国がW杯を開催できたというのは妥当な評価でしょう。
このスタジアム建設費をめぐる話はデマが入り混じっていますので、詳しくは「コラム:スタジアム建設費の話」を参照願います。
このように、日本の援助もあってW杯が開催できたのですから、お互い仲良くすれば良いと思うのですが、韓国側は、むしろ高圧的な態度で理不尽な大会呼称問題を喰らわしてきました。
そもそも2002年日韓ワールドカップは、FIFAの慣例に従うと「Japan/Korea」という表記になるのですが、韓国にとって「韓日」と「日韓」の差は、民族の誇りと直結する重要な問題とのことで、大会公式名称の表記順を「Korea/Japan」にするよう主張したのです。
これを受けFIFA共催検討委員会は採用を決定し、対価として、せめて決勝戦は日本で、ということになり合意しました。
その後、日本側は、国内流通のチケットでは、表記を「2002FIFAワールドカップ日本・韓国」としていたのですが、なんと!韓国から「韓国・日本」という表記を使うよう抗議が入り、逆の立場では考えられない暴挙に出ました。いったい何様なのでしょうか。
しかも、日本がそれを受け入れないなら、「決勝は日本で」という合意を無効にするなどと主張する始末です。自分たちにとって民族の誇りに直結するほど大事な表記順を、日本国内に強要する精神は、韓国独自の文化的価値観が成せる行為でしょうが、私は嫌悪します。
(※ちなみに、こういう価値観の違いを受け入れることも、多文化共生なのだということを、我々は知っておくべきですね)
ともあれ、この韓国の抗議を受け、FIFAワールドカップの組織委員会(あの鄭夢準が委員長です)は、日本における公式な印刷物等に大会名称を使う場合は「2002 FIFAワールドカップ韓国・日本」と表記する
か、国名部分を省略して「2002 FIFAワールドカップ」だけとするか、どちらかを採用するよう求めてきました。
結果として日本国内での公式な表記は「国名省略」で統一されるようになりました。また、当然ですが公式の印刷物以外では慣例というか常識として「日韓」という略称が使われています。
この呼称問題に関して、当時の2001年2月4日の報道記事に次のような記述がありました。
「 サッカーの2002年W杯の日本国内での大会名称表記について、韓国組織委員会(KOWOC)の役員が「日本が名称の変更を主張し続けるなら、われわれは決勝戦(来年6月30日、横浜国際)を日本で開催するという合意の見直しを求めるかもしれない」と述べた
日本組織委員会(JAWOC)はKOWOCの再三の申し出を拒否、さらに2日には仲裁に入った国際 サッカー連盟(FIFA)の「日本国内での大会名称表記から日韓両国
名を削除する」という解決案を拒否することを決めた。
これに対し、同役員は「日本が名称問題を次回のFIFA理事会に持ち出すなら、決勝の会場も理事会で再検討されるべきだ」と語った。
韓国国内ではこの問題についてサッカー愛好家がソウル市内の日本大使館前で抗議集会を開くなど、政治問題にまで発展していた」
綜合ニュース 2004,02.04
なんというか・・・。
こうして開催前から不穏な事態が生じていたのは事実です。
2.開催後の問題
2002年大会は開催決定からチケット販売にいたるまで、韓国は、ホスト国としての資質に疑念を抱かせる行為が散見されていましたが、開催後、想像を遥かに越える問題を乱発しました。
韓国は招致したホスト国にも係わらず、そもそもの韓国人が韓国戦しか観に行かない傾向にあり、チケットが大量に売れ残ってしまったのです。韓国内では、決勝トーナメントのドイツ選(vsパラグアイ)ですらチケットを大量に余らせてしまい、観客席が6割程度しか埋まらないという前代未聞の事態になりました。
もっとも、チケットに関しては、日本でも開催時に受付側のトラブルで混乱を招き、初戦などは空席が目立つという失敗がありました。FIFAから慰謝料も出ています。しかし、日本は、トラブルでチケットが販売できていなかったことが判るや、チケットぴあに委託し全試合完売しました。
最初からそのような問題があるなか、さらに酷い問題が続きます。
これは韓国の文化的精神、国民性の問題として、韓国にとっても不名誉極まりない問題だと思いますが、当時の韓国流の応援方法は、相手国の選手を侮辱したり挑発したり、とにかく執拗に貶めて足を引っ張ることが応援になるという発想からなされています。それを不名誉に思う韓国人サポーターもおられることも忘れてはなりませんが、さすがにこのときは酷かったのです。
ドイツ戦では「ヒットラーの息子はされ!」というプラカードや、クローゼ選手とカーン選手の写真に韓国語で「謹んで敗者の冥福を祈ります」と書いた挙句、遺影にして掲げていたりするのです。
こういった応援方法の問題は、2011年9月の日韓戦で東日本大震災を祝福する横断幕があったように、根強く残存しているようです。ただここまでくると韓国からも非難轟々でしたので、そうした文化が残っているのは事実でも、これほどまでに酷いのは例外的なようです。
ちなみに、ドイツの遺影問題についてはTBS/筑紫哲也NEWS23 6月25日放送分が取り上げたのですが、「クローゼ選手負けてください」「カーン選手負けてください」という日本語字幕で紹介していました。「選手の写真を遺影にして敗者の死を掲げる応援方法」という実際の状況と比較すれば、なんと寛容な日本語字幕でしょうか。
話が逸れました。ともあれ、そういった行為だけでなく、最大の問題は、そういった不名誉な行為を、恥だと思わない国民性があるようで、なんということかホスト国でありながら運営側も加担しているのです。
信じ難いことに、イタリア戦でもドイツ戦でも、試合前にスタンドに韓国側サポーターを入場させ、ナチスのカギ十字マークに禁止マークの入った横断幕や、イタリアを侮辱する横断幕が準備されていたのです。信じがたい暴挙です。
他にも、ポーランド戦の前には、釜山市内の宿泊ホテル前で韓国サポーター約20人が騒ぎ、選手の大半が眠りから覚めてしまい、エンゲル監督は窓を開けて騒ぎを制止しようとしましたが、騒ぎは収まらないため警察も出動しています。エンゲル監督は試合も「後半はボールボーイがわざとボールを遅く投入したり、韓国は組織的に試合の邪魔をした」として抗議の意思を表明しています。
※本文で引用していない当時の記事を追加しておきました。記事例(前はもっとあったのですが)
3.韓国の誤審問題
実際に、世界各国のサッカーファンや関係者が、韓国に対して向けた言葉は、とても厳しく、強い軽蔑の念が込められています。しばしば、これを人種差別に結びつける人や、サッカーに加熱しすぎる外国人の加熱ぶりが、やや過ぎているかのように指摘したがる人もいますが、それは大間違いです。
この大会が最低の評価を受けている理由は、そういった韓国の観客による問題ばかりではなく、韓国チームの振る舞いと、確実視されている審判の買収疑惑、行為の卑劣さにあります。
要するに、「どこの国でもある」「世界では珍しくない」という50歩100歩の世界ではなく、このときの韓国の振る舞いは規模や卑劣さの度合いが比較にならないほど異様だったのです。
これは実際に検証可能な動画を確認した方が早いかもしれません。
この動画にあるように、悪意ある暴力行為が頻発していたばかりか、反則がとられないという異常な現象が起きたのです。
とくに、エクアドル人のバイロン・モレノ審判とエジプト人のガマル・ガンドゥール審判が買収されているのは、世界中の関係者が確信するほど露骨さでした。
ちなみにモレノ審判は、大会後に別の試合で相手が逆転するまで12分もロスタイムをとった件で買収が明るみにでてクビになりました。最近は、麻薬の密輸で逮捕されて一部で話題になっていましたね。
その結果、2002年日韓ワールドカップを象徴する出来事は、誤審と韓国の問題という風にも認識されているわけです。
たとえば、FIFAが創立100周年を記念して2004年に『FIFAフィーバー 』というDVDを発売していますが、この件を象徴する記録が入りました。
このDVDのなかには、ワールドカップの歴史に残る「10大誤審疑惑」を選定しているのですが、その半分、五件が2002年日韓ワールドカップから選出という異常さです。
そのうち四件は、極端で理不尽なほど韓国に有利な「誤審」でした。イタリア戦から2件、ドイツ戦から2件です。こういった記事もありました。
ちなみに、韓国の深刻な反則はこれだけではありません。興味がある方は当時、リアルタイムで観戦していた人々が当時に記録した資料を閲覧することを推奨します。卑劣です。
2002年当時、世界の報道では、BBCとESPNが、やや韓国を庇う(というか誤審の悪質さに対する批判を批判する)そぶりを見せたこともありましたが、ロイターからローカル紙、テレビメディアまで、世界では、「韓国を勝たせるための露骨な誤審」を公然と非難していました。
そのようなわけで、韓国チームはホスト国でありながらW杯の5試合全てにおいてユニフォームを交換してもらうことができませんでした。これは凄いことです。さらには、この2002年W杯以降、たびたびユニフォーム交換を断られています。
もちろん、世界から届いた韓国への声は悲惨です。当時、鹿島総監督だったジーコ氏は、比較的寛容で、韓国の実力を称えていましたが、それでも怒りを表明しています。
「はっきり言って納得いかない。私は怒りさえ感じている。スペインは2点取っていた。どこにも反則などなかった。主審は何を見ていたのか。副審だってそうだ。明らかにオフサイドじゃないのに、オフサイドをとっていた。あれだけオフサイドを取られれば、スペインの攻撃はできなくなる。」
「W杯という舞台だから、世界最高峰の大会だから言うんだ。どちらか一方に偏ったジャッジは、平等に見ている人間にとっては許し難い。韓国戦に限って不可解な判定が多い。ポルトガルは2人も退場になった。イタリアのトッティの退場もあった。イタリアがなぜ、あれだけ文句を言っているか。それは判定が明らかに間違っていたからだ。いずれも韓国が一番苦しい時間帯に退場になった。これはもう、偶然とは言えない。言っていいはずがない。」と、日刊スポーツのインタビューで回答しています。
他にも、サッカー界の大物や現役選手のコメントは非常に厳しく、クライフやプラティも不快感を隠していません。さらにドイツのネッツァーは「米国、ポルトガル、イタリア、スペイン戦で韓国が行ったことは、これまでFIFAが築いてきたフットボール文化を否定し、腐敗を招く行為でしかない。私は、多少混乱が生じたとしても韓国から勝利を剥奪しても良かった様に思う。そうすれば、このような過ちは繰り返されなくなるのだから。」というほど憤っています。
実際に、このときの憤りは各国選手及び関係者も覚えており、2002年以降も、たまに本音がこぼれてくることがあります。次の記事は朝鮮日報に掲載され見つけたものです。
「 英国代表発言「韓国はW杯開催してはいけない馬鹿な国」
サッカーのイングランド代表として2002年韓日ワールドカップ(W杯)に出場したポール・スコールズ(29,マンチェスター・ユナイテッド)が、韓国を侮蔑する発言を行い、韓国ネチズンの反発を呼んでいる。
スコールズは英国のサッカー専門雑誌『Four four two』 1月号に載せたインタビューで「2004年欧州サッカー選手権大会(ユーロ2004)の優勝候補はどのチームだと思うか」との質問に、フランスを挙げ「フランスは(ユーロ2000に続き)もう一度優勝できるチーム」と語った。
彼は続けて「彼ら(フランス)は前回のW杯で好成績を挙げることが出来なかったが、それはW杯を開催してはいけない「馬鹿な国」での一時的不振に過ぎない(but that was just a blip in a stupid
country where the World Cup, should never have been played)と話した。 この内容が国内サッカー専門インターネットサイトに紹介され、ネチズンが続々にスコールズへの非難文を掲載している。
デビッド・ベッカム(レアル・マドリード)とマンチェスターユナイテッド幼年クラブ入団同期生のスコールズは、2002年のW杯でイングランドが行った5試合すべてに、中央MFとして先発出場した。イングランドは準々決勝で、ブラジルに1-2で逆転負けした。」 朝鮮日報 鄭栄在(チョン・ヨンジェ)記者 2003/12/15
また、イングランドのオーウェンは「(大会終了後)卑劣な手段によって準決勝まで進出した国がW杯の権威まで汚してしまったことを残念に思う。」と遺憾の意を表明し、リネカーは「一つ確かな事は、今回の韓国の勝利に名誉が伴っていないことだ。後年、日韓W杯を振り返ったときに、トルコやセネガル、米国、スウェーデン、ベルギー、日本の健闘が賞賛されることはあっても、韓国が賞賛されることは決してないだろう。」と指摘しています。
スペイン代表のカマーチョ監督は帰国のインタビューで「ベスト8の試合に相応しい審判を期待していたが、不適格な審判が不正な判定をした。勝つのは不可能だった。」と嘆いていますし、これは多くのサッカーファンが同意しています。
このときのスペイン代表の気持ちが、2002年7月の『サッカーダダイジェスト』で伺い知ることができます。
「…試合終了後、エルゲラが審判に殴りかかった。「話したいことなんて何もない。この後、10年間、出場停止にされても構わないから、ただあいつを殴りたかった」。 怒りで身体を震わせたエルゲラの言葉
は、全員の気持ちを代弁していた。モリエンテスは理不尽な判定に悔し泣きをこらえられなかった。 PKを外したホアキンは、「TVの目の前で見ていたはずの家族を思う
と……」と息を吐いた。イエロは、「FIFAのスローガンは、フェアプレー。頼むからそれを守って欲しい。 (判定については)人だから犯したミス、だと思いたい」と唇をか
みしめた。余りにも割り切れなかった。フアンフランは目を腫らしていた。 」
あまりにも残念です。