病気だったんだ。 | 日本のお姉さん

病気だったんだ。

躁鬱病だったのかな。
躁の時は、ギャンブルに走ったりするらしいよ。
現金を持ちあるいていたのは、ギャンブルのためだったのか、、、。
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娘の大ヒットで多大な富…ギャンブルにはまった藤さん
配信元:
2013/08/25 14:53更新
【甘口辛口】■8月25日
どこで精神のバランスを崩したのか。昭和を代表する歌手だけに、自殺は残念でならない。♪バカだな バカだな だまされちゃって…。藤圭子さんがうめくように歌った1969
年のデビュー曲「新宿の女」。濃いまゆとキリリとした顔立ちの美女でもあり、当時小6だった小欄もよく覚えている。
翌年には♪私の人生 暗かった…と歌った「圭子の夢は夜ひらく」が大ヒット。高度成長期に陰りが見え始め、ベトナム戦争が長引く中、大学紛争で挫折した若い世代を中心に無力感が広がっていた。そうした時代にマッチしたのだろう。藤さんの歌声は人々の胸中を代弁するように癒やしたという。歌謡界で残したその金字塔は少しも揺るがない。
娘も98年、宇多田ヒカルとしてデビュー。恨み節の藤さんとは対照的に、アメリカナイズされた明るくも哀愁漂う「Automatic」も鮮烈な印象だった。藤さんの娘という意外性とともに、世間の注目を集めた。その裏には、娘のデモテープを持ち歩き、ラジオ局に売り込んだ藤さんの努力があったことはよく知られている。
しかし、娘の大ヒットで多大な富に恵まれた後の藤さんのギャンブルへののめり込み方は激しかった。もともとマージャンは好きだったが、世界各国のカジノに出かけてはスロットにハマったという。本人も2006年、テレビの取材に「世界各国の一流ホテルに泊まり、5年間で5億円使った」と打ち明けている。
楽曲提供で交流のあった作曲家、平尾昌晃さんの嘆きが、今となってはむなしく響く。「もっと上手に自分をコントロールできていたら…」。金額のケタは違うが、ギャンブル好きの小欄も人ごとではない。(森岡真一郎)
http://www.iza.ne.jp/news/newsarticle/column/other/679250/
転落死した藤圭子さん「家族から孤立していた」との証言も
配信元:NEWSポストセブン
2013/08/24 09:15更新
このニュース記事のカテゴリはエンタメです。
この記事に関連するフォト・情報記事本文 22日朝、東京・新宿区の高層マンション前の路上で頭を強く打った状態で亡くなっているのが発見された歌手の藤圭子さん(享年62)。飛び降り自殺とみられ調べが進んでいるが、遺書は見つかっておらず、詳しい経緯はまだ不明。藤さんは、過去には、米ニューヨークのJFK国際空港で、現金42万ドルの大金を押収されたことも。当時、元夫で音楽プロデューサーの宇多田照實氏(65才)やひとり娘の宇多田ヒカル(30才)への不信感を語っていたという。(女性セブン2006年11月2日号より)
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ニューヨークのJFK国際空港で押収された現金が約42万ドル、日本円にしておよそ5000万円(当時)。藤圭子はそれを手荷物に入れて持ち歩いていた。事件が発覚してから3週間以上たったが、藤はこの不可解事件について、自分の口ではいまだにきちんとした説明をしていない。
実はそんな彼女が、事件後の10月初旬にひっそりと日本に帰国していた。彼女に会った知人のひとりがこう語る。
「今回の件に関して、藤さんは“JFKの職員はおかしい。私は世界各国を大量の現金を持って回っているけれども、どこの空港でもこんな目にあったことはない”といっていましたね」
そんな藤の憤りの一方で今回の事件では、押収品の中に他人名義の小切手も一緒に含まれていたことが明らかになっている。その名義人は、以前藤のアシスタントを務めていたというA氏。ニューヨークの捜査関係者がいう。
「彼は2005年に藤とオーストラリアに旅行に行った際、多額の現金を所持していたため、通貨法違反で現地当局に逮捕されているんです」
藤にとっては、現金をめぐるトラブルは今回の件が初めてというわけではなかったようなのである。それはともかく前出の藤の知人によれば今回の事件に関して、藤が強く訴えたのは家族への不信だったという。
「藤さんは“今回の件はすべて家族のせいだ”というんです。“旦那も冷たいし、家族とも疎遠になって、ほとんど一緒にいない。寂しいし、ほかにもいろいろあって人間不信になっている。だから現金を持って、好きなギャンブルをして歩いている”と、切々と訴えるんですよ」
ギャンブル放浪の日々、その原因は家族という藤。また、今回の来日時に藤に会った芸能関係者は、崩壊のきっかけについてこう聞いたという。
「娘のヒカルが4年前に紀里谷さん(紀里谷和明氏・写真家、映画監督)と結婚するときに、ヒカルの個人事務所の役員を外れてほしいと家族に迫られたそうなんです。結局、役員は外れなかったそうですが、“家族からそんなこといわれると思わなかった。それから人間が信じられなくなった”といっていました」
つまり、“断絶”は宇多田ヒカルが結婚した4年前から始まっていたというのだ。そして藤はその娘・ヒカルについて、感情を抑えきれない様子でこう続けたという。
「ときには少し涙ぐむ様子で“ヒカルは冷たい”と何度も何度もいっていました。家族からもう完全に孤立しているという感じでした」(前出・芸能関係者)
かつては仲の良いおしどり親子といわれた藤と宇多田。1998年、宇多田が15才で天才シンガーとして大ブレイクしたとき、藤はこう語っている。
≪最近は宇多田ヒカルの母親といわれています。それがすごくうれしいんです≫
藤の恩師で作詩・作曲家の石坂まさを氏はこういう。
「デビュー直前のことです。『ヒカルは天才だから、歌を聞いてくれ』っていうんで、青山のホテルで純ちゃん(藤圭子の本名)とヒカルくんに会ったんだよ。ほんとにふたりは仲が良くて、純ちゃんは常々、ヒカルくんのことを『天才だ、天才だ』といっていたんだけどねえ…」
夫とも別居しているという藤は娘をとても頼りにしていたようだ。それだけに娘との距離ができてしまったことがこたえているのだろう。
「藤さんは“いまは現金がいちばん信用できる。家族が冷たいから現金を持ってギャンブルに歩くのよ”と寂しそうに何度も話していました」(前出・芸能関係者)
http://www.iza.ne.jp/news/newsarticle/entertainment/celebrity/678996/
藤圭子さん“自殺の闇” 謎の同居男性、不可解な結婚離婚、奇妙な行動…
配信元:zakzak
2013/08/23 20:35更新
藤圭子さん(1998年撮影) 記事本文 東京・西新宿の高層マンションから飛び降りて亡くなった藤圭子さん(享年62)。昭和の歌姫として一世を風靡し、娘の宇多田ヒカル(30)をトップスターに育て上げた母親としても知られる。何度も繰り返した結婚離婚、謎の同居男性、そして周囲に見せていた奇妙な行動。なぜ、冷たいコンクリートの上で最期を迎えなければならなかったのか。死のダイブの全真相-。
藤さんが最期を迎えた現場は、東京メトロ丸ノ内線西新宿駅から西に徒歩6分、西新宿6丁目にある高層マンション(28階)だった。
警視庁などによると、藤さんは13階にある知人の30代男性宅に約6年前から同居。22日午前7時ごろ、マンション前の路上であおむけに倒れているところを通行人が見つけ、110番通報した。男性宅から飛び降り自殺を図ったとみられる。
地上に落下し動かなくなった姿を目の当たりにした住民の1人は「ガードレールのすぐそばであおむけに倒れていた。顔はきれいでしたが、頭の周りは血だまりになっていた」と振り返る。
別の男性会社員(37)は「救急隊員が抱きかかえてストレッチャーに乗せて、心臓マッサージしていたが、駄目だと思った。瞳孔が大きく開いていた。右側頭部は陥没し、口と耳から血が垂れていた。拒食症の人みたいにやせていた」。心肺停止状態で病院に搬送されたが、間もなく死亡。警視庁では遺書がなかったことから引き続き動機を調べている。
この日は恩師で作詞家、石坂まさをさん(享年71)のお別れ会の前日だった。
不可解なのは62歳の藤さんと30代知人男性の関係だ。少なくとも20歳以上の差がある。関係者によると、内縁関係はないとされ、ともに別々の部屋で寝ていたという。
同居するマンションは2006年10月に竣工し、13階には9部屋がある。男性宅は約70平方メートルの2LDKとみられ、約6年前からの付き合いを踏まえると、竣工ほどなく同居したことになる。
不動産関係者は「居住する階によっても違ってくるが、70平方メートルなら6000万円台、借りても30万円近くはする」。
別の不動産関係者は「所有権は男性が持っていると聞いたので、かなり財力があるのだろう。借りたとしても月30万円近くの家賃を払えるわけだし」。2人はどこで知り合い、同居することになったのか。関係者は一様に首をひねる。
藤さんは人気絶頂の1971年、前川清(65)と結婚し、翌72年に離婚。その後、渡米し、現地で日本人男性と親しくなる。それが82年に再婚する音楽プロデューサーの宇多田照實(てるざね)氏だった。83年に長女、宇多田光(芸名・ヒカル)を出産した。
不可解なのは2007年に離婚するまで照實氏と計7度も離婚再婚を繰り返したことだ。
「夫婦の空気が変わったのは、藤さんが06年3月、米ニューヨークの空港で米国司法省麻薬取締局に4900万円相当(当時)の現金を一時、没収されたこと。探知したのは麻薬犬だったため、薬物との関連を調べられたが、結局、シロだった。その翌年に離婚した」(音楽プロデューサー)
ここ数年、藤さんは「精神的にまいっていた」(関係者)という。実際、テレビ朝日が06年にインタビューした映像の中で、藤さんは「あれ(藤圭子)はもういないんだから。人からもらった曲を生活のためにただ歌っていただけ」と語ったり、「私はラッキーだと思っている。神様に助けられて。目は治らないけどね」と目の障害を告白したり。突然歌い出したりもするなど感情の波が一定しない様子がうかがえる。
http://www.iza.ne.jp/news/newsarticle/entertainment/celebrity/678966/
宇多田ヒカル 公式HPで胸中吐露「母の娘であること誇りに思う」
スポニチアネックス
2013年08月26日12時11分
22日に自殺した歌手の藤圭子さん(享年62)の長女でシンガーソングライターの宇多田ヒカル(30)が26日、公式サイトにメッセージを掲載。母の死について「母が長年の苦しみから解放されたことを願う反面、彼女の最後の行為は、あまりに悲しく、後悔の念が募るばかりです」と辛い胸中を吐露した。藤さんの死後、宇多田がコメントするのは初めて。
「様々な憶測が飛び交っているようなので、少しここでお話をさせてください」と切り出した宇多田は、藤さんが長期間「精神の病に苦しめられていた」と明かし「何が彼女のために一番良いのか、ずっと悩んでいました」と告白。「幼い頃から、母の病気が進行していくのを見ていました。症状の悪化とともに、家族も含め人間に対する不信感は増す一方で、現実と妄想の区別が曖昧になり、彼女は自身の感情や行動のコントロールを失っていきました。私はただ翻弄されるばかりで、何も出来ませんでした」と振り返った。
また、生前の藤さんについて「誤解されることの多い彼女でしたが… とても怖がりのくせに鼻っ柱が強く、正義感にあふれ、笑うことが大好きで、頭の回転が早くて、子供のように衝動的で危うく、おっちょこちょいで放っておけない、誰よりもかわいらしい人でした。悲しい記憶が多いのに、母を思う時心に浮かぶのは、笑っている彼女です」と偲び、「母の娘であることを誇りに思います。彼女に出会えたことに感謝の気持ちでいっぱいです」と締めくくった。
また、「沢山の暖かいお言葉を頂き、多くの人に支えられていることを実感しています。ありがとうございました」と、関係者やファンへの感謝の気持ちもつづっている。
http://news.livedoor.com/article/detail/7984190/
宇多田ヒカルと母・藤圭子の「関係」に口出しする権利は誰にもない
messy
messy
2013年08月23日18時01分
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宇多田ヒカルと母・藤圭子の「関係」に口出しする権利は誰にもない
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『藤圭子 GOLDEN☆BEST』BMG JAPAN
8月22日の朝、宇多田ヒカル(30)の母親で、歌手の藤圭子(享年62)が亡くなった。東京都新宿区にあるマンションの13階ベランダから、自ら飛び降りたと見られている。家族とは疎遠で、そのマンションの部屋は、約6年同居していた30代の知人男性宅だったという。
彼女について、アルコール依存症だった、いや、うつ病だった……と口々に「音楽業界関係者」がコメントしているが、宇多田ヒカルは公式コメントを出していない。実母がそのような形で亡くなったのだから、すぐにコメントをよこせ、という方がおかしいだろう。新宿署に安置されていた藤圭子の遺体は、前夫で音楽プロデューサーの宇多田照實に付き添われて都内の斎場へ移送されたが、娘の姿はそこにはなかった。
宇多田ヒカルが母を歌った曲
訃報が流れた直後からわずか一日で、宇多田ヒカルと藤圭子の母娘関係についてあれこれ書かれたスポーツ紙やwebニュースサイトの記事が大量に出回っている。母の浪費癖や精神不安定から、親子関係は破綻していたというものもあれば、宇多田ヒカルは母親を慕っていたという記事までさまざまだ。
実際、宇多田は昨年7月にTwitterで、YouTube上にUPされていた藤の歌う「面影平野」の動画が削除されたことに触れ「『面影平野』歌うカーチャンすごくかっこ良くて美しくて」と発言したり、月1でレギュラー放送しているラジオ番組「KUMA
POWER HOUR with Utada Hikaru」(InterFM)の4月16日放送の初回で母のヒット曲「新宿の女」をかけたりしている。歌手としての藤圭子を、尊敬する側面はあったのだろう。
10年リリースのベストアルバム『Utada Hikaru SINGLE COLLECTION VOL.2』(EMIミュージック・ジャパン/イーストワールド)収録の楽曲「嵐の女神」は、彼女自身が母親とのことを書いたものとして有名だ。藤圭子を「嵐の女神」にたとえ、
「嵐の女神 あなたには敵わない」
「受け入れることが“愛”なら
“許し”って何? きっと……
与えられるものじゃなく与えるもの
どうして私は待ってばかりいたんだろう」
「お母さんに会いたい」
「分かりあえるのも 生きていればこそ
今なら言えるよ ほんとの『ありがとう』」
……と歌っている。母親との確執と和解を連想させる歌詞だが、この曲を書いたであろう頃には、宇多田の両親は6度目の離婚をし、母は前出の30代知人男性と暮らしていた。会いたくても会えないからこそ歌で届けたのかもしれない。
それにしても、近親者の死にかこつけて、すっかり「レアキャラ」になった宇多田からコメントを取ろうとしたり、ともすれば姿をメディアに露出させようとするやり方にも。スポーツ紙の取材に対して、レコード会社は「現在も人間活動中のため、どこで何をしているか把握していません」と説明したそうだ。
故人を偲ぶ気持ちを咎めることはできないが、やたらと過去の“輝いていた時代”の映像を引っ張り出し、「それが今ではこんなに落ちぶれていて……」と過剰な対比を演出するワイドショーの手法にもしらける。死後になお「悲惨だね」「不幸な人生だね」と言われてあの世で喜ぶ人間がいるだろうか。自殺防止の観点からも、過激な報道は避けるべきである。
後藤真希、そしてキンタロー。
母の自殺を大々的に報じられたことのあるタレントとして、後藤真希(27)の存在も記憶に新しい。彼女の母親が亡くなった2010年1月、有名タレントだった後藤の母だというだけで、メディアは大いに騒ぎ立てた。宇多田に対しても、一部で「娘の成功が、藤圭子の心に影を落とした遠因」という論調がある。遺された娘を、「これこれこういう事情で悩んで自殺したらしい」といったウワサ話が追い詰める。見なければ良い話だが、ウワサは75日をこえてずっと残り続けるのだ。
一方、昨年大ブレイクした芸人のキンタロー。も、「母親の自殺」と向き合ってきた女性タレントだという。彼女が芸能界入りする前の07年に実母が自殺しており、それが芸人に転身するきっかけだった、と週刊誌に報じられている。彼女の知人いわく、「“お母さんは、私のものまねが好きだった。天国にいるお母さんのために、頑張っている姿を見せたい。そうすることで、お母さんも笑ってくれるし、家族も元気になるに違いない”と強く思うようになったそうです」。
キンタロー。の場合は、その出来事を動機に「これからの人生を精いっぱい頑張る!」と気持ちを奮い立たせることができたのかもしれない。だからといって後藤や宇多田にも「これをバネにして頑張って! 天国のお母さんもきっと見てるよ!」などと呼びかけるべきでないのは自明。とんちんかんな励ましも、過剰な不幸報道も浴びせることなく、ただただ「そっとしておいてほしい」というのが本人たちの心境だろう。
清水美早紀
http://news.livedoor.com/article/detail/7979002/