チュウゴクは、さかんに沖縄を奪おうと工作をやっていますよ。 | 日本のお姉さん

チュウゴクは、さかんに沖縄を奪おうと工作をやっていますよ。

◎この、仲村俊子さんは91歳。元小学校教師で8人の子持ち。
沖縄の日本復帰運動で活動された愛国者です。
91歳のご婦人が、檄を飛ばしておられます!
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■【仲村俊子】「全国の愛国者の力を結集して「琉球独立学会」を押しつぶせ!」
沖縄県靖国参拝団からの報告の仲村俊子氏のスピーチは、今後の沖縄問題の核心を指摘していると思います。
中国国民を洗脳している「日本軍琉球人民大虐殺プロパガンダ」と「琉球独立プロパガンダ」。
そして、今年5月15日、「琉球民族独立総合研究学会」が設立され、それが単なるプロパガンダではなく実際に沖縄県民の中から琉球独立の声をあげる団体が現れました。
この工作は、今後日本を解体し、日本を滅ぼす最大の脅威だといえます。
そのプロパガンダに対する反撃が、沖縄戦の真実を記録した金城和彦先生著「嗚呼、沖縄戦の学徒隊」の書籍です。
スピーチの内容をご理解しやすいように、動画の下に関連資料を掲載しましたので、その意味を噛みしめるようにお聞きいただきたいと思います。
(仲村覚)
■第一部:沖縄県靖国参拝団からの報告
<仲村俊子(初代沖繩防衛協会婦人部長)>
http://youtu.be/Og2PPUVRb7Y
◎「日本軍が沖縄を引き揚げる時に沖縄県民を26万人虐殺したといっているという情報が耳に入りました。」
◎「これは、本土と沖縄を分断しようとする計画が裏にあるのではないか?
これは、恐ろしいことだと私は思います。」
◎「沖縄戦を生きてきた私にとっては、これが真っ赤な嘘であることが 肌身で感じて分かります。」
◎「沖縄戦の時と同じ様に全国から愛国者を総動員して、『琉球民族独立学会』なるものを押しつぶしていただきたい!」
<参考資料1:【youtube】激怒せよ!唐淳風の琉球独立プロパガンダ番組 >
http://youtu.be/i8dQgVCoKbA
<参考資料2:中国のネット百科事典(百度百科)に掲載されている「琉
球大虐殺」>
http://baike.baidu.com/view/4898096.htm
<画像URL>
http://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2e/29/06afae8a44dde218f9e9640fbb9cfe20.png
<赤線部分の翻訳>
日本軍は、米軍の琉球上陸前に琉球人民を26万人余りも虐殺した。
その虐殺の規模は、南京大虐殺に次ぐ。
その血痕は、27年後の今も未だに乾く間もなく、日本の侵略者は勢いを盛り返しまたやって来ようとしている。
(仲村訳)
<参考資料3:鳳凰網プロパガンダ:琉球独立組織、国連へ独立の意志を陳情する意向>
http://youtu.be/1Et4dKR8miI
<参考資料4:書籍「嗚呼、沖縄戦の学徒隊」(積徳高等女学校=積徳学徒隊)>
(P274~P276から抜粋)
ある日、小波津照子たちは小池少佐に願いでた。
「隊長殿、私たちもぜひ斬り込みに参加させて下さい。お願いします。」
学徒たちの切ない気持ちだったが、小池少佐は首を横に振り、
「みんなの気持ちは良く分かる、しかしまだ時期ではない。もう暫く待
て。」と諭すばかりだった。みんなは仕方なく時期を待つ他はなかった。
(途中省略)
間もなく看護隊に集合の命令があった。みんなはいよいよ斬込隊に参加さ
せてもらえると、喜びに胸を高鳴らして、急いで隊長の前に集まった。と
ころが意に反して病院長の小池少佐は、
「今日まで、長いこと軍と共に行動していただき、本当にご苦労であっ
た。しかし、もはや事態はこれ以上みなさんをいっしょに行動させること
はできなくなった。みなさんは、これから壕を出て、何とかして北部へ脱
出していただきたい。壕外は危険であるから、決して団体行動はせず、い
つでもニ、三名ぐらいで行動しなさい。」
と丁寧に解散の言葉を述べた。生徒たちは、その言葉が終わるか終わらな
いうちに、小池少佐にすがるようにして、最後まで部隊と行動を共にした
いと、拝むようにして何回も嘆願したが、それは聞き入られず、少佐は更
に言葉を続けて
「兵隊は歓呼の声に送られてきているし、また最後まで戦うのは当然であ
る。みなさんは勉強途上にある生徒であり、しかも将来国を背負ってもら
わねばならぬ大事な身である。死ぬことだけが国に対するご奉公ではな
い。私にもみなさんぐらいの子供があるが、みなさんをみていると、自分
の子供のように思えて、どうしても、一緒に死地に連れていくのは忍びない。
みなさんは、他府県の生徒に比べると本当に気の毒でならない。それだけ
にぜひ、生きのびて、沖縄戦における学徒隊の精神を他府県の生徒に知ら
せてもらいたい。どうか私の言っていることを、よく噛みしめてほしい。」
と心からの訓示をした。
(途中省略)
小池少佐は、生徒たちの手を一人一人しっかり握って、別れを告げだ。少
佐の頬は涙で濡れ、生徒たちの目からも涙が流れた。
生徒たちは少佐の言葉を守って、ニ、三名づつ組をつくり、五、六分おき
に北部へ突破するべく壕を出た。
それから三十分ぐらい経ってからである。小波津照子たちは、小池少佐が
自刀されたことを知った。それは学友の一人が、大事なものを忘れたのに
気づき、壕に引き返したが、そのとき、すでに割腹して立派に最後を遂げ
られた少佐の遺体を確認したからである。介錯は当番の軍曹が果たした。
<積徳高等女学校戦歿学徒職員数>
入隊学徒41名中32名が散華した。
職員は5
名が戦死した。 以上
(情報収録:中山)