零戦を創ったことで有名な堀越二郎技師らが中心となって造られた、唯一の国産旅客機 | 日本のお姉さん

零戦を創ったことで有名な堀越二郎技師らが中心となって造られた、唯一の国産旅客機

敗戦から10年
GHQの方針により、日本は手持ちの飛行機全ての破壊を命じられ技術者は模型飛行機すら自由に飛ばせない日々が続きました
すでに空にはジェットエンジンの音が響き始めています
そういった、技術的にハッキリと遅れてしまった状況では
世界の本流である大型ジェット旅客機の市場に食い込むことは、もはや不可能でした
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YS-11について
YS-11とは日本が戦争に負けて、10年間の航空活動の禁止期間のあと、零戦を創ったことで有名な堀越二郎技師らが中心となって造られた、唯一の国産旅客機です。
写真がないので、フライトシミュレータの画面です。
FS Aircraft Factory 38のShoichiro Hommaさんの機体を使用しました。
YS-11の概要
YS-11の初飛行は1962年で、30年以上も前です。
飛行機の寿命というのは20~30年程度ということなので、もうYS-11も引退する時期です。実際に、YS-11も、いまでは数えるほどの路線にしか飛んでいません。実機を見ることができるのは、航空公園だけになる日も近いのかもしれません。
思えば、私が初めて乗った飛行機は、YS-11でした。
細かい理由は忘れましたが、東京から広島への全日空便のYS-11に乗ったのです。(その時は、広島空港はジェット化されていなかった。)
でも、こんなYS-11ですが、世界的にみて順調に成功した、名機と呼ばれる飛行機であった訳ではないようです。
それは、YS-11の製造メーカとして半官半民で設立された日本航空機製造株式会社(NAMC)が、常に赤字で最終的には解散に追い込まれたことからも判ります。
また、YS-11は主構造部の堅牢な作りで、寿命の長い飛行機として好評を得ていますが、ある面では過剰品質(旅客機として設計基準を高くしすぎた)であったとも言えます。
いずれにせよ、日本ではこれ以後、旅客機は製造されず、最後の国産旅客機となることでしょう。
世界的にみても、旅客機の製造メーカはボーイング1社に集中してきています。
旅客機のビジネスは、営業的にも、設計・製造的にも非常に難しくなってきているようです。
YS-11の名前の由来
YS 昭和32年に国産旅客機を開発するため発足した「財団法人輸送機設計研究協会」のイニシャル。 11 最初の「1」はダート系エンジンの意味
次の「1」は主翼面積95㎡級の意味
YS-11の販売先
第1次ユーザへの販売機数は、合計で181機であった。
総販売機数 181機
国内販売 国外販売
販売先 機数 備考 民間 全日空 34 東亜国内航空 33 現JAS 中日本航空
1 試作2号機 南西航空 5 小計 73 官需 防衛庁空幕 13 防衛庁海幕
10 航空大学校 2 航空局 3 海上保安庁 5 小計 33 合 計
106
販売先 国 機数 ピードモント航空 アメリカ 23 オリンピック航空 ギリシャ 8
クルゼイロ航空 ブラジル 8 バスプ航空 ブラジル 6 トランズエア カナダ 2
エアアフリカ コートジボアール 2 ガボン政府 ガボン 2 アリマンタシオン ザイール
1 アリューシャン航空 アメリカ 2 大韓航空 韓国 8 オリエント航空 台湾
2 フィリピン政府 フィリピン 1 ボーラック航空 インドネシア 1 ペリタエアサービス インドネシア 2 アラ航空 アルゼンチン 3 合 計 75
YS-11の運航状況
三菱重工業の97年8月27日現在での調査によると、YS-11は国内で62機・国外で26機の合計88機が運航中で、37機が販売やリースのため保管中となっており、合わせて125機が現存していることになります。(97年10月25・26日のYS-11の機内一般公開の資料から)
現存機数 運航(国内62機、国外26機) 88機 125機 未運航 37機
国内運航 国外運航
運航先 機数 民間 エアーニッポン 12 日本エアーコミューター 12 日本トランスオーシャン航空 4 小計 28 官需 防衛庁空幕 13 防衛庁海幕 10 航空局 6
海上保安庁 5 小計 34 合 計 62
運航先 国名 機数 エアーフィリピン フィリピン 8 アボイテス エアー トランスポート
5 エイシャン スピリット 2 KFS アビエイション 1 エアー キャリビアン
トリニダット&トバコ 5 ギリシヤ ギリシヤ政府 3 アフリカン エクスプレス
ガンビア 2 合 計 26
参考書籍
「YS-11 国産旅客機を創った男たち」: 前間孝則 著 :講談社
「YS11の悲劇 ある特殊法人の崩壊」 : 山村尭 著 :日本評論社
YS-11のスペック
製造メーカ 日本航空機製造株式会社(NAMC)
昭和34年6月1日~昭和57年9月6日解散 初飛行 1964年10月23日(-100)
1967年11月27日(A-200)
1969年9月17日(A-400) 型式証明 1964年8月25日(-100)
1968年4月3日(A-200) 就航 1965年4月(-100) 製造終了 1974年2月 運航乗員 2、3人 エンジン Rolls-Royce Dart 542-10K turboprops×2(推力:2,282kW) 詳細仕様
(A-200)
主要寸法 全長 26.30m 全幅 32.00m 全高 8.98m 主翼面積 94.80㎡ 重量 総重量
15,419kg 離陸重量 24,500kg 着陸重量 24,000kg 搭載重量 6,581kg 搭載燃料
5,820kg 乗客 60人 主要性能 最高速度 546km/h 巡航速度 452km/h 最高到達高度
6,580m 離陸滑走路長 1,280m 着陸滑走路長 668m 航続距離 3,215km
YS-11の総生産機数
総生産機数 182機
型名 生産機数 備 考 -100 49機 初号機からの基本型 A-200 95機 エンジンの出力アップにより、輸送力アップした全旅客タイプの機体
・脚下げ速度の制限緩和(165ノット→210ノット)
・フラップ警報装置の追加
・油圧ポンプの変更
・駐機中の地上電源なし対応
・乗降口の高さアップ(1.6m→1.75m) A-300 16機 胴体の前半部を貨物室、後半部を客室とするコンパーチブルタイプ A-400 9機 貨物専用型 A-500 4機 A-300の輸送力アップ
型 A-600 9機 A-400の輸送力アップ型
戦後の国産初の旅客機

敗戦の混乱も収まって急成長が始まった1960年代
日本航空機製造YS-11は戦後はじめての本格的な国産旅客機として開発されました
双発ターボプロップの中型機で、高空を快適に飛ぶための与圧機構やエアコンなど各種の快適装備を備えた立派な旅客機です
なお日本航空機製造(株)は
三菱重工、富士重工、新明和重工、日本飛行機、昭和飛行機、川崎重工の
6社が参加して立ち上げた半国策会社で、現在は解散されています
<写真は防衛庁提供>
敗戦から10年
GHQの方針により、日本は手持ちの飛行機全ての破壊を命じられ技術者は模型飛行機すら自由に飛ばせない日々が続きました
すでに空にはジェットエンジンの音が響き始めています
そういった、技術的にハッキリと遅れてしまった状況では
世界の本流である大型ジェット旅客機の市場に食い込むことは、もはや不可能でした
そういった中、1956年に「中型輸送機の国産化計画」が発表されました
そして要求された仕様は ●60人乗り前後の中型旅客機
●巡航速度480km
●滑走路1200m級の小規模空港で運用可能
すなわち、主要空港と地方空港を結ぶローカル線としての需要を見込んだのです
当時は確かに60人乗り中型機には魅力があったといえるでしょう
YS-11は、戦時中にゼロ戦や爆撃機を開発した技師たちの手で設計されており
シルエットには大戦中の爆撃機の面影が残っています
短距離滑走路での運用のため
細長い主翼、直系の大きなプロペラを採用しました
代わりに巡航速度がやや遅めです 1962年、試作初号機が初飛行に成功しましたが
しかし当時のマスコミに騒がれたほど順調な飛行ではなかったようです
技術者達は、離陸直後にふらついてダッチ・ロールに入ったのを見逃していませんでした
テストパイロットもラダーの効きが極めて悪いことを実感し
舵は非常に重く、各部から乱流が発生して機体がこまかに振動し
操縦輪を傾けたままなんとか飛行する有様でした
狙いを定めた短距離運用能力はともかく飛行機としての完成度は不足でした
結局、尾翼の大型化、舵の面積拡大、主脚位置変更などの大幅な改修を施し
量産機は1965年から旅客運用を開始しました
通常の旅客機は飛行6万時間(約20年分)相当の疲労試験を行うことが義務付けられています
ところがYS-11は22万時間(約70年分)に相当する疲労試験をこなしており
大変に頑丈な機体構造で、仮に2倍の安全率を取ったとしても
なんと11万時間(!)も飛行できることになります
製造が最も旧いYS-11の飛行期間はすでに30年近くにおよび
飛行6万時間をすでに越えていますが、構造寿命から言えばまだまだ全く問題がありません。
とはいえ「作りが堅い=出来が良い」と直に考えるのは尚早で
むしろそれは軍用機の美点であり、民間機では事情が少し違います
過剰な強度は重量増加を招き、旅客貨物の運搬量を減らしてしまいます
耐用寿命が残っていれば安易に捨てることもできず
運用コストが高くても使いつづけるという事態に陥ってしまいます 。設計者も会社責任者も、旅客機という範囲での設計思想やマーケティングに知識が浅く
販売部分でもだいぶ損をしたのがYS-11の泣き所でした
しかし現実に事故率が低く、安定した運行が可能であることだけは確かです 登場当初の完成度こそ高くなかったものの、その後の様々な改修により積載力や整備性も上がり、諸外国へも引き渡されました。
しかし逆にいえば後々になっても多くの自前アフターフォローが必要で
結局、360億円という多大な赤字を残しており名機であるかと聞かれてしまうと、どうしても疑問符が外せません
<写真は防衛庁提供>
初就航から間もない1965年、航空自衛隊にも引き渡され兵員輸送や飛行点検などに運用されています
飛行点検隊のYS-11は、埼玉の入間基地をホームベースに
各地の航空施設が問題なく機能しているか、などを点検するために全国を巡回しています
2002年の春に成田空港の暫定C滑走路(滑走路長2180m)が供用開始されますがそれに先立って飛行点検隊のYS-11も
新滑走路からの離陸、旋回ルートや着陸進入ルートの策定に活躍しました
一口にルートといっても1つではありませんので
天候の変化や風の変化、周辺地帯への騒音などを考慮し
もっとも適切と思われる飛行ルートは探しては離着陸を繰り返して、その安全性を点検しました
毎年11月3日に行われる入間基地祭では
飛行点検隊の地上メンバによるワケのわからない放送と
放送に呼応するYS-11によるワケのわからない無茶な飛行で
訪れた人々を楽しませています
また体験搭乗も時おり行われています
現在、後継である国産YSXの開発が決まり
次期輸送機、哨戒機であるC-XやP-Xの技術も転用し
100~150座席の中型旅客機とされており
2010年代の実用化を目標にプロジェクトは動き始めています
生産された182機のうち、唯一どこへも販売されることのなかったYS-11試作初号機は現在は成田空港脇、航空博物館の前庭に公開展示されており
国外へと行き来する大型機が飛び交う下で
ときには子供達の遊び場として、平和な余生を過ごしています
YS-11機体データ 種別 乗員 2~3名(飛行点検機は5名) 全長 26.3m 全幅
32.0m 全高 9.0m 主翼面積 94.8平方m 総重量 15,000kg 全備重量 24,500kg エンジン ロールスロイス・ダート社製
MK542-10(ターボプロップエンジン)
最大出力3,060馬力 x2 最大速度 時速540km 巡航速度 時速450km 実用上昇限度
高度6,500m 離陸滑走距離 1,200m 着陸滑走距離 670m 燃料搭載量 5,800kg 最大積載能力 旅客貨物6,500kg
座席数64(兵員45) 航続距離 3,200km 原型初飛行 1962年8月 現有保有機数 10機前後(逐次退役中)http://www.geocities.co.jp/Playtown-Knight/9679/JASDF/YS-11.html