英情報機関 ハッキング用工作 発見 中国レノボ社製 PC『使うな』 | 日本のお姉さん

英情報機関 ハッキング用工作 発見 中国レノボ社製 PC『使うな』

2)サッカー東アジア杯の日韓戦で観覧席に掲げられた大横断幕の言葉
「歴史を忘れた民族に未来はない」は、韓国からの報道によると。実は朝
鮮の独立運動家・歴史家で独立運動中に捕えられ獄死した申采浩(シン・チェホ 1880-1936)の言葉だという。
この言葉がどのような文脈で使われたかが解らないので断定が難しいが、
発言した申の立場や文言自体をを考えれば、朝鮮人に対する呼びかけの可
能性が大きい。
だとすると、韓国のサポーターたちは、これを日本に対する非難に転用し
たことになる。
対日非難に使うのは勝手であるが、それだけでは発言者の真意を曲解した
ことになりはしないか。近頃の韓国の対日非難の中味が品格がら離れて何
でもありなので別に驚くことでないが。
朝鮮併合統治、竹島、従軍慰安婦に関する対日非難は、どれも劣等意識に
捕らわれてそれを無理に優越意識に切り替えるためそれらの歴史経過を自
己都合で曲解認識することで成り立っている。歴史を正しく認識できない
民族に未来はないのでないか。
でることなら申采浩にこのことを聞いてみたいものだ。この言葉が使われ
た状況をご存知の方が居られればそれをお教え願いたい。
(品川 阿生居士)
3)最早付ける薬もない事態を引き起こしたあの国:前田 正晶
折角の休養中であってPCとは離れていても、宿泊先ではテレビを見ること
が出来たし、A・Y・Nの3紙は読む機会はある生活だった。従って何事に関
しても余り何か意見を打ち出そうとも何とも考えてはいなかった。
それでも、何日だったか覚えていない夜、東アジア杯サッカーの日本対韓
国の試合を前半と後半の終わりだけは見ていた。全部見なかった主たる理
由は、就寝前の温泉入浴を優先しただけだったが。
私が危惧していたことは相手が我が国代表で、しかも自国が敗れれば日本
が優勝となってしまうとあれば、何が起きても不思議はないことだった。
しかし、テレビ放映のための措置で意図的にカメラが捉えなかったのか、
横断幕の如きものは見えなかった。確か前半は同点で終わったので、良く
も韓国の応援団が黙っているものだと思っていた。
前半のゲームの内容は誠に見る価値がないもので、拙攻、無作戦、拙劣
等々どの批判的熟語を当て嵌めても通用してしまうもので、観戦に耐えな
かった。
最近の韓国サッカーは技術的にも低停滞気味なのだが、相手が我が国とな
ると持てる力以上の何かを発揮して果敢に挑んできて接戦に持ち込み、ロ
ンドン・オリンピックで見せたように勝ってしまうのである。
あのゲームはオリンピックよりは精鋭を集めていたはずだが、意余って力
足りずの典型的なサッカーだった。
だが、最悪の“アウエー”状態に持ち込まれた我が代表もその韓国と対等に
拙劣なサッカーを展開したのだから、観戦を諦めて温泉入浴を選んだの
だった。もしかすると、愛国精神の欠如だったかも知れない。
しかし、部屋に戻って再度観戦すると丁度後半の1~2分を残して同点とい
う「意外な」と言っては失礼かも知れない状況だった。そして、そこで、
左サイドをドリブルで上がってきた原口が確か(当方が推薦しない)左足
で蹴った(強烈で低い)シュートをGKが弾き、それが右サイドを忠実に上
がってきた柿谷の真っ正面に跳ね返り決定的な2点目となった。あれは彼
の忠実な上がりを褒めるべきで、当方の好む点の取り方だった。
我々にとっては望んだ以上の非常に良い終わり方で気分も良かった。結果
を出したことは賞賛して良いだろう。しかも、その時点までで知る限りで
は中継では横断幕の件は採り上げられず、「善くぞ敵地で無事に終わった
ものだが、このまま何事もなく代表選手たちが宿舎に帰れたら良いな」と
いう程度の心配しかしなかった。
だが、矢張りというか何と言うべきか、ロンドン・オリンピックに続いて
のFIFA規定に違反したかの如き事態が起きていたと後になって知らされ
た。私は韓国の協会が何と強弁しようと糊塗できる事態ではないとは思
う。この事態を誘発した原因とも指摘したいことは、ロンドン・オリンピックであの事件を起こした選手に対するFIFAの処分が生ぬるかったこと
にあると信じている。即ち、もう一度やっても大丈夫と応援団に思わせて
しまったのだ。
あの場面では「再度同種の事件が起きるだろうくらいの日韓情勢を認識して、『次回は厳罰に処する』くらいの警告を発しておくべきだった」と思っている。今回読売が強烈な意見を掲載したグレンデール市の一件を見ても、何事についても今後の韓国の姿勢は予見可能だと私は考えている。
4)「英情報機関 ハッキング用工作 発見 中国レノボ社製 PC『使うな』」
漠然と想像していたことが実は本当だったというような話が、日々、公に
なって来ています。
15年ほど前のニュースには、日本の電機メーカーが東南アジアの政府調達の入札に敗れた際、現地法人では情報漏れの原因とみられる世界最大シェアのOSをインストールしたPCを社内で使用することを禁止したというようなものもありました。また、EU議会でもこのOSのバックドア問題が議題にとりあげられていたかのように記憶しています。
いま、グーグルマップに自分の住所を入力して検索してみると、たちどころに通りから見た自宅の写真、あるいは住んでいる集合住宅の建物の写真がでてくるという人は少なくありません。
家の飼い猫が塀の上で日向ぼっこをしていたり、ばあちゃんが洗濯物を干していた、という可笑しい例もあるようです。
しかし、丸見えになっているのは外側の建物だけでなのでしょうか。その建物内の住人の属性、たとえば生年月日、性別、健康保険の利用履歴、年金受給者ならその詳細、そしてもしかしたら金融資産や負債の状況、加えて親族の同等の情報も、法的手続きをとって日本政府が行なわはなくとも、たぶんどこかで電話帳を繰るようにたやすく見えていると確信しています。
さらに、SNSやタダがけ電話の内容がどこかで漏れていたなら、それを連結させると、自分の交友関係や抱えている問題もことごとく赤裸々に浮かび上がってくるでしょう。
たとえ自分がどれほど用心をしていても、家族や周辺の人間のやりとりからも、あぶりだされることがあるでしょう。えらい時代になっているんだと思います。
参院選直前に、「ビッグデータ」という言葉がさりげなくマスメディアにもでてきました。ついに来たかという感じですが、まさにこの一次情報を握ることこそが、「IT革命」のひとつの最終段階なんだとも思います。
(匿名希望)
5)私の「身辺雑記」(15)
平井修一
■7月30日(火)。快晴だが涼しい。散歩中に70歳ほどの老人から声をかけられた。石段に腰を下ろしてワンパック黄桜を飲んでいる。「私は俳優なんですよ、昨日、そこの跨線橋で撮影がありましてねえ、雨が降ったので大変でした」と言う。
俳優とは珍しい仕事だ。見れば頭とヒゲはごま塩だが、大層ハンサムである。人は見られることで磨きがかかるというが、この歳でこれだけハンサムなのはちょっと見ない。「女が放っておかない」タイプとはこういうものかと思わず見つめてしまった。服装もこざっぱりしてセンスがいい。俳優です、と言われれば「そうだろうなあ」と納得するくらいの美形である。
初めてみる顔だから、撮影が終わってからこの界隈の知人の家にでも泊まったのかもしれない。朝食後か朝食前かは知らないが、知人の家でも朝から酒を飲むのはあまり恰好がいいものではないから「ちょっと散歩してくる」と言って出てきたのだろう。暇つぶしの相手になる気はないからさっさと別れたが、俳優、役者の世界ではいくらハンサムでも余程の個性、力量がなければ老人になっても大部屋なのだろう。
わが街から車で20分ほどの日活調布撮影所が根城だという。調布撮影所がまだあるとは知らなかった。サイトにはこうある。
<調布撮影所は沢山のをしています。年間100本に及ぶ映画やテレビ、CMの撮影編集、製作に携わってきました。これからもより良い作品をつくり続け、「つくる喜び」「見る喜び」を提供してまいります>
「つくる喜び」・・・これがあるから貧乏暮しでも70歳になっても役者はやめられないのだ。
若い時から役者の仕事が大好きで、アルバイトをしながら端役をもらったり、きれいだけれども鳴かず飛ばずの大部屋女優と恋したり同棲したりヒモになったり・・・気がつけば70歳で、生活臭がないから多分独り身だ。
先々の心配はあるが、それでも動けなくなるまで役者を続けたいと思っているだろう。「いい人生だった?」と聞けば、「もちろん。生まれ変わってもまた役者をやりたいよ」と言うに違いない。
小生は「いい人生だった」のか。バカなこと、恥ずかしいことも多かったが、まあ凡人としてはそこそこか。「生まれ変わってもまたやりたいか」と聞かれれば、「いやあ、ちょっと、今はどうもそんな気持ちには・・・
まあ、そのうちにそういう気分になるかもしれないけれど」といったところか。
おもしろうて やがて悲しき 鵜舟哉
芭蕉が「美濃の長良川にてあまたの鵜を使ふを見にゆき侍りて」詠んだ句だ。歓楽尽きて哀情深し、人生もそんなものか。
■7月31日(水)。夕べは雨が降った。曇、涼しい。室内は27度だから外の木陰は25度くらいだろう。散歩コースは先日ボランティアが桜を剪定し、昨日からは業者が植栽の剪定と草刈りをしており、床屋へ行ったばかりのようにさっぱりときれいになっている。ずいぶんと維持費がかかっているが、日常的にここを散歩しているのは20人くらいで、なんだか申し訳ないような気がする。ありがたいことだ。
ところで小生は自分のことを「小生」と書いているが、好んで使っているわけではない。一人称には僕、俺、私などがあり、猫は「吾輩」と言った。荷風は「私」を使っているが「わたくし」と読ませるのだろう。拙者や愚生、余は死語になってしまった。
文章内容によっては僕とか私と書いた方がいいかなあと思うが、60を過ぎて「僕」と言うのも照れくさいし、「私」というのは淡島寒月、漱石、山本夏彦なども使っており、それなりに教養、学識がなければどうもしっくりこないので、やむを得ず「小生」を使っている。
「論語を読む」などの著作があり中国哲学史に造詣が深い加地伸行(77)は最近は「老生」を使っている。年寄り、老人、年をとった書生という意味で、年輩男性が自分をへりくだっていう語だそうだ。なかなかカッコイイのでそのうちに使ってみよう。(2013/07/31)
主宰者より:60そこそこで年寄りぶるのは却って見苦しい。なんでそんな
に年寄りぶるのか。
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身 辺 雑 記
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早くも「盛夏」。正月からあっという間に8月。寿命の無駄遣いばかりしてきたように思う。
平井さんはまだ60そこそこなのに老人ぶる。お孫さんがまとわりつくからか。それとも人生を「失敗」と思うからはやく「エンド」にしたく思っているからか。こちらは80を目前にしながらまだ老人と思っていない。どしどし寿命の無駄遣いをしようと考えている。明日も銀座で5000円で飲む計画だ。下旬には向島で5つ子のパパを交えて飲む予定。
東京湾岸は朝から雨。散歩できぬ故、メルマガ配信が早くなった次
第。とはいえこんな弱い雨では、コンクリートジャングルは湿らない。今
年の関東は空梅雨だったから盛夏の水不足は不可避だ。
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