知らせぬニュース | 日本のお姉さん

知らせぬニュース

メルマガ「軍事情報」に載っている記事の紹介です。↓
■「国民年金の花柳な生活」
知らせぬニュース
2012.04.16 Monday12:40
海上自衛隊の掃海部隊が初めて海外に派遣され、ペルシャ湾一帯の機雷掃海作戦を実施したのは平成3年で、もう21年も前の昔話になった。あの時はテレビも新聞も朝から晩までこの問題で持ちきりで、日本国中が蜂の巣を突いた様な騒ぎだった。イラクがクウェートを侵略したのは前年の8月である。その時、日本は諸外国から熱望された出兵を、憲法を理由に断り続けた。
その結果は世界で高く評価されるどころか、逆に蔑まれ、とどのつまりは遅れ馳せの掃海部隊派遣という体たらくになったのである。その決断の余りの遅さに「今頃来ても、もう機雷は無いよ」と各国海軍に嘲笑されながら、我が海自掃海部隊は、もう無い筈の海底から機雷を発見処理し、辛うじて、日本の機雷処理能力の高さを示す事には成功した。
だが、何故か、この時の詳しい状況は報道されていない。だから、日本の掃海技術が世界一である事を、殆どの国民は知らないのだ。ただ、この時、躊躇逡巡して世界の笑いものになった事が、平和ボケしていた国民の一部の人々を目覚めさせる結果を生んだのは確かである。
その後はカンボジアPKOに始まり、現在に至るまで「後方支援」「復興支援」の名の下に世界各地で陸、海、空の自衛隊員が活動を続けている。最近、危険地帯とされる南スーダンへ派遣の話が具体化し、先日、一部の隊員が民間機に搭乗して出発した。日本の様にピストルは愚か、小さいナイフを所持する事さえ禁止している国は世界でも稀で、大抵、ライフルは自由に持てるし、マシンガンも武器販売店へ行けば手に入れる事が出来る。
治安の悪い所ほどその傾向は強い。今まで自衛隊が派遣された所は殆どそんな場所である。そこへ丸腰状態で派遣される自衛隊員は余程の覚悟と使命感に支えられていなければ任務を遂行する事は出来ないであろう。
規模の大きさで例外的なのが、「海賊対処行動」として海賊が多数出没するソマリア沖・アデン湾に派遣されている部隊だ。ここは年間2万隻(その中の2千隻は日本に関連のある船舶)が通過する重要な航路である。
《アデン湾では、2隻の護衛艦が護衛対象の船舶を前と後ろからガードし、900kmほどの航路を一日半ほどかけて進んでいきます。P-3C哨戒機はアデン湾上空をパトロールし、不審な船舶を発見した場合などに、護衛艦や他国の艦艇、周囲を航行する民間商船等に随時情報を提供します。平成21年7月に「海賊対処法」による護衛活動が開始されてからは、我が国に関係する船舶だけではなく、あらゆる船舶を護衛する事が出来る様になりました。(海自HP)》
平成21年6月19日、麻生政権によって「海賊対処法」が成立した事はせめてもの幸いだった。若し、成立が遅れ、鳩山内閣に代わっていたら、今頃、事態は如何なっているか分からない。この法律のお蔭で、遠慮なく武器を使用し、他国の船舶の危急を救う事も出来るのである。
しかし、ソマリアに艦隊を派遣すると決まった時に行なわれた世論調査の結果は、30%弱が「派遣」に「反対」と答えている。今回の北朝鮮のミサイル発射に備えてパトリオットの据付が始まると駆けつけた「平和団体」などが「反対」のシュプレヒコールを浴びせたのと全く同じである。
懸命に作業を続ける自衛隊員も、内心嫌気が差したのではないかと思う様な場面だ。隊員達が守ろうとしている対象の中にこのバカ者共も入っているからだ。反対なら、如何すれば良いのかと訊かれた時、この連中は何と答えるのであろうか。
「『平和を愛する諸国民の公正と信義』に基づいた話し合いで解決する」などと答えるかも知れないが、実は答は疾うに出ているのである。護衛が始まって間もない頃だった。彼等の象徴でもある「ピースボート」の客船が「乗客の安全を考えて」護衛を依頼して来たのである。自ら正解を示す事になったのは、「お気の毒」と言う他に言葉のない皮肉な結末であった。
平成21年11月23日、ロンドンの国際海事機関(IMO)の本部で、同年度の「IMO勇敢賞」の授与式が行われ、ソマリア沖・アデン湾に於いて海賊対処に従事した、我が国を含む関係各国の部隊が、受賞することとなった。【IMO勇敢賞】とは、海洋に於いて危険を顧みず、目覚しい働きをした個人や団体に対して、IMOが毎年授与しているものであるという。この年は日本の他22ヶ国が受賞している。つまり、海外で貿易を営む国は、殆ど自国の船を護る為に軍艦を派遣しているのだ。
現在、ソマリア・アデン湾に派遣されているのは、護衛艦「むらさめ」「はるさめ」「P3C哨戒機」2機、及びジブチの基地要員(陸自)である。
任務は略3ヶ月で交代となるが、遮る物の無い炎天下で、彼らはどんな日常を送っているのか。護衛艦の乗組員は、一体何時休息するのだろうか。日本がジブチに設営した飛行場を管理し、護衛する為に陸自隊員も派遣されている。彼等の活躍も知りたい。
いや、それにも増して、全ての派遣隊員は毎日、何をしているのだろうか。ゴラン高原ではどんな暮らしをしているか。先日スーダンに渡った陸自隊員達のその後は如何なったか。一寸考えただけで、次々に疑問が湧いて来る。
だが、それを知る手段は防衛庁や各自衛隊のHPの固い簡単な記事を読むほかに方法はないのである。本来なら新聞、テレビが真っ先に取り上げて然るべきモノだ。ところが現地からの報道は稀に小さい囲み記事が載る程度で、現地取材の詳しい報道など今までに何回あっただろうか。
明らかにメディアはサボっている。報道の義務を自ら放棄し、国民に伝えるべき事を伝えていないのだ。
ソマリアに限らず、普段でも自衛隊に関する情報は殆どない
。時々あるのは隊員が酔っ払って何かしたとか、交通事故を起こしたとか、普通なら記事にもならない様な出来事を針小棒大に伝える程度である。
私は京都に住んでいた頃は舞鶴まで遠出して、護衛艦を見学する機会があったし、商圏内に桂自衛隊があった。現在地で開業した後は顧客の娘さんが陸自の隊員と結婚したので、時々、千僧駐屯地に程近い団地を訪問していた。だから一般の人に比べると自衛隊員の外見的な一面は見て知っている。だが、実際に活動している姿は観た事がなかった。
初めて目のあたりにしたのは阪神大震災の時である。自衛隊員が災害救助に挺身する姿はニュースの映像などではよく見ていたが、その現場を見るのは初めてだった。その、きびきびした行動には肉体労働に慣れている私の目で見ても感嘆するものがあったのである。
その後も日本列島の各地で、大災害が連続して起きている。その度に自衛隊は出動した。本来、自衛隊の職務は敵襲に備えて国土を護る事である。広義に解釈すれば自然災害も外敵の襲来と同じだが、災害救助は本職ではない。その所為か本職の東京消防庁レスキュー隊の活動などは詳しく伝えられて来たが、自衛隊は何時も縁の下の力持ちであった。
しかし、「縁の下」だから伝えなくても良い、という理由はない。遠いインド洋やアデン湾なら致し方ないとしても、国内の自衛隊の活動を報道しないのは伝える意思がない為としか思えないのである。
「東日本大震災」も関西に住んでいる私は「揺れ」すら感じなかったせいもあって、容易ならざる実情を知ったのは夜になってからだった。なまじ「阪神大震災」の震度7を体験している事が、却って邪魔になり、現地の被害が想像を絶するものである事を悟ったのは翌日である。津波の現場にはカメラマンはいないから従来なら実情を知るのにも時間が掛かった。
しかし、携帯電話のカメラ機能の充実が、高い堤防を乗り越え、内側で平和に暮らしていた人々の家を押し流し、何もかも飲み込んで行く「津波」の凄まじい光景をリアルタイムで伝えていた。映像は信じられないものばかりだった。東日本の至る所に核弾頭ミサイルを撃ち込まれたかの様に瓦礫だけの平野が延々と続いていた。
国家存亡の危機に際して、陸、海、空自衛隊は直ちに出動している。地震の翌日には約3万名、最終的には即応予備自衛官を含めて10万6千余名の隊員が参加した。中には福島原発3号機への冷却水投下という「特攻隊」の役割を、何食わぬ顔をして、担った勇者もいる。
一方、この時とばかりに、我が国の領空や領海に、度々侵入を図ったロシアとチャイナの海空軍を、その都度追い払った空自機の活動も見事だった。
国家や国民の品位は非常の際に本性を表す。
瀕死の重病人を叩く様な行動をとった、この2国に「公正」と「正義」があると思う者がいるとすれば、救い様の無い大バカとしか言いようがない。
しかし、これ程の大活躍をした自衛隊に対してメディアの対応は相変わらず冷淡であった。ロクに報道らしい報道もしていない。というよりも、意識的に自衛隊の人気が上がる様な行為はしないのである。
被災地で自衛隊員に接した人々は、その目で確認しているから、皆、自衛隊に感謝し、その存在を誇りに思っている。
だが、被災地以外の全国の殆どの場所では自衛隊員に会う事もないし、活動する姿を観る事など不可能である。
その姿は報道されて初めて具体的なものになるのだ。
荒木肇氏の【東日本大震災と自衛隊】(並木書房)は今回の自衛隊が見せた真の姿を克明に描き出した名著である。内容はメルマガ【軍事情報 別冊】に連載されたもので、これに加筆・推敲、更 に豊富な写真を加えて、誰が読んでも現場の空気が伝わってくる。
私が荒木氏を知ったのは一昨年、同じ「軍事情報別冊」に連載された「小銃と日本人」を読んだ時である。その薀蓄の深さに私は面白くて堪らないものを感じた。次の「戦車と日本人」も同様である。
今回は400人の隊員に求めたアンケートと100人との面談を元に構成されており、読み進むにつれて自衛隊への認識が改まる。結論を先に言うと、私は「自衛隊は世界一強い」と確信が持てる様になった。
私に残された時間はもう僅かしかない。しかし、祖国の敗戦を現実に体験した一人として、常に思うのは日本の将来である。それをを考えると心配で心配で、死ぬに死ねないものがあった。敗戦は2度と繰り返してはならない。
だが、国の守りに関する限り、心配は無用である事が分かった。これはこの本の嬉しい副産物である。
次は最初から順を追って内容を確かめる事にする。
(高志)
東日本大震災と自衛隊