頂門の一針
◎知らなかった台湾 :大橋 武郎
昨年7月に「台湾民政府」と言う団体の招きにより6日間の台湾訪問をしま
した。
現役時代には日米関係に携わる機会は数多くありましたが、台湾とは殆ど
縁が無かった私にとっては初めての台湾訪問でしたので、台湾について今
迄知らなかった事を沢山知る事ができ、きわめて有意義な訪問でした。
今回の訪問において台湾民政府の説明を通じて知り得た台湾に関する事項
の骨子を簡単に次のようにまとめてみました。
1 台湾は第2次大戦後の米国による占領が未だに続いている世界で唯一
の場所
台湾に対する米国の占領は大東亜戦争終結後から始まり、法的には現在に
至るも米国占領は継続されていると言う極めて特殊な状態です。即ち、昭
和20 年(1945年)に大東亜戦争での我が国の敗戦直後において米国による
台湾の占領が始まり、その後毛沢東に負けた蒋介石の中国国民党軍が台湾
に逃げ込んで来た昭和24年(1949年)から第2次大戦の戦勝国の1国(と言う
事になってはいますが、これは間違いで、実際は我が国は国民党軍には負
けてはいません。
しかし、この件についてはこの場では論じません)としての中華民国(中国
国民党)が米国に代わって台湾を占領し、その状態は現在も続いていると言う事です。何処においても永久占領と言う事態はないので、早く米国に
よる占領状態は集結すべきであるとの事です。
2 台湾には2種類の人達が居ます
したがって、大陸から台湾に逃げ込んで来た中国国民党は戦勝国として大東亜戦争の敵国民であった台湾住民に対してあらゆる乱暴狼藉を働き、台湾の人達は2.28事件に象徴されるような苛斂誅求を大陸から逃れて来た国
民党から受け続けて現在に至っているとの事です。
そのような状況であるために台湾には元々台湾に住んでいた人達と大陸から台湾に逃げ込んで来た人達との2種類の人達が居り、前者を英語では"People of Taiwan"と言い、現在台湾に住んでいる人全てを表す"People on Taiwan"とは区別しなければならないのですが、殆どの外国人はこの事については正しく理解していません。現在台湾の人口は約2,300万人ですが、その中の4分の3が元々台湾に住んでいる"People ofTaiwan"との事です。
3 台湾の人達は無国籍
昭和47年(1972年)の米中国交正常化により中華人民共和国が中国を代表する事になって以来中華民国と言う国は消滅してしまいました。このため、現在台湾に住む人達は無国籍の状態です。
さらに、昭和27年(1952年)に発効したサンシスコ講和条約において我が国は台湾及び膨湖島に対するすべての権利、権限及び請求権を放棄しましたが、その帰属先は未定であるために我が国は台湾及び膨湖島に対して潜在主権を未だに保有している事になるようです。
このような状態を「属日米占」といって、要するに日本に属しているが、現在は米国に占領されている状態である、と言う事です。
このような状況から、現在台湾に所在している中華民国と言う政府は「台北に亡命している中国の政権」と言う事になり、アジア大会やオリンピック等の国際競技に出場する台湾の団体は「チャイニーズ台北」と呼ばれるのはこの所以との事です。
第2次大戦中に英国のロンドンに亡命していた自由フランス政権が"French
London"と呼称していたのもこれと同じです。
4 米国はこの事実を認めている
このような事実、即ち、米国の台湾に対する占領が終了せずに継続されている事、台湾住民は無国籍である事、日本が台湾の潜在主権を持っている事等について台湾民政府は平成18年(2006年)に米国連邦法廷で米国政府を告訴した結果、平成21年(2009年)に米国連邦高裁は「台湾には国際的に承認された政府がないために台湾人は無国籍であり、未だに政治煉獄の中で生活している」との判決を下し、米國政府はこの判決に対して上告せずにこれを認めたために現在はこの事態正常化を目的として台湾民政府は米国政府と緊密な連絡を保っています。
5 皇室が結ぶ日台の絆
一昨年3月の東日本大震災の事態に際して台湾は直ちに200億円を越す義捐金を我が国に送って呉れましたが中共政府に気兼ねしている我が国政府は正式な謝意を台湾に表する事なく、この震災の慰霊祭における献花は中共政府代表が行いました。
この事を御心配された天皇皇后両陛下は、昨年4月19日に東京の赤坂離宮で開かれた「春の園遊会」に馮寄台駐日台北経済文化代表をお招きになられて台湾からの多額の義捐金に対して日本からの深甚なる謝意を表され、この事が台湾に伝えられて台湾の人達は喜びました。
台湾代表が皇室主催の園遊会に招かれたのは昭和47年の台湾との断交以来
初めての事でした。日本と台湾の絆を繋ぐ皇室の存在は誠に重要です。
台湾民政府の代表者達によれば、この義捐金の大半は日本が大好きな、元々から台湾に住んでいる人達("People of Taiwan")からものであり、日本人が一般的に思っている台湾の人達("People on Taiwan")からのものではない、日本の人達はこの区別を良くわかって欲しい、との事です。
本年3月に行われました東日本大震災の2回忌の慰霊祭に於いて安倍政権
は中国代表として台湾代表の方に献花をして戴きました。中共政府はこれ
に抗議してこの慰霊祭に代表を送らなかった事は皆様の御記憶に新しい事
と思います。
6 台湾との交流は大変重要です
以上のような状況で台湾の人達は日本統治の時代を高く評価していて「我々は未だに日本人である」と思っている人達が多数居ます。
昭和47年に日中国交正常化の際に我が国が一方的に台湾と断交した訳ですが、それにも拘わらず、台湾の人達は大の親日家が多く、台湾を旅行した事がある我が国民の殆どの人達が現地台湾の人達の我々に対する温かい態度に感激して「また台湾に行きたい」と思うようになっています。
一昨年12月には約150人、また、昨年12月には200人を越す台湾民政府の人
達が来日され、靖国神社に参拝、日本兵として祖国防衛に殉じられた3万
を超える台湾同胞の英霊を慰霊、顕彰すると共に12月23日には宮中を参
賀、日本国民として天皇陛下のお誕生日を心からお祝いされました。
7 余談-故宮博物館
台湾訪問が決まった時に台湾民政府から「台北市内を御案内しますが、何
か御希望はありますか?」との事でしたので、「故宮博物館を観て見た
い」との希望を伝え、訪台3日目に故宮博物館を案内されました。
館内でいろいろと説明を受けるうちに案内して呉れている民政府の人達か
ら「これらの展示物は大陸から持って来られた物で、台湾の物ではありま
せん。いずれ大陸からの亡命政権が居なくなったら、これらの展示物は全
て大陸に送り返したいと思います」との言葉を聞いて、彼等の大陸に対す
る気持ちの一端をつくづくと思い知りました。但し,台湾に住む人達にも
いろいろ感じかたがあるので、一括りにはできないのも現実であるようです。
台湾の人達の我が国への熱い思いに応えるためにも我が国と台湾の交流は
大変重要です。
日台間の活発な相互交流が望まれます。
本年3月には台湾民政府からの招待を受けて、20代30代の日本の青年達が
台湾を訪れる「日台・青年交流研修」が行われ、私も交流に参加して日本
から青年達10名を率いて台湾を再度訪問しました。
今後もこれ等の交流の幅を大きく広げて、将来の日台交流の基礎作りに努
力する事が大切だと信じている次第です。
平成25年6月
<追記> 現在も台湾においては台湾人と支那人とで明確な差別があるよ
うです。
政府発行の身分証明証の右上に小さな数字がありますが、この数字を見る
と本人が台湾人か支那人かがわかる仕組みになっています。給料も台湾人
と支那人では2~3倍違うそうですし、毎年約3万人が経済的な理由で自殺
するが、大半は台湾人との事。
内省人、外省人と言う語は、台湾の人達は使いません。国民党が台湾に逃
げ込んで来た時に、台湾は中国の一部であり、「台湾省」とする事にした
事に基づいています。
また、台湾では「民国〇〇年」と言う記述があります。これは1911年の辛
亥革命による中華民国建国を元年とした年号で、これも国民党の名残です。
(情報収録:中山)
◎新潟・柏崎の方で、現在70代の方が、若い頃、よく不審船が沖合にあ
らわれ、停泊していたのを仲間と一緒に何度も何度も見たので、警察に通
報して警察が捜査していたが 政治家の圧力で中止させられ発表もされな
かった、と証言しています。
拉致にかかわった朝鮮総連のメンバーは、今でも逮捕されず、ゆうゆうと
東京近郊で暮らしている、と、国際キリスト教大学の西岡教授がおしゃっ
ていました。 わかっていても逮捕しないのは、どういう理由があるので
しょう?
北朝鮮スパイで韓国に逮捕されたシンガンスを 在日朝鮮人だからという
理由で釈放嘆願書を出したのが当時の社会党。 菅直人氏も署名していま
す。 シンガンスは釈放され北朝鮮に帰国して、国の英雄として表彰され
ました。
そういう政治家たちの名前を公表するべきです。
http://banmakoto.air-nifty.com/blues/2011/04/post-39fe-1.html
http://www.tamanegiya.com/katoukouititokitatyousenn1.html
はじめて 拉致をとりあげた政治家 栗原茂男
拉致問題で横田めぐみさんのお父様の横田滋氏が政治家に拉致を訴えたと
ころ、誰も相手にしなかったが、高村さんが最初に外務大臣になった時に
初めて取り上げた、と高村さん自身の口から聞きました。
そして後日、あるパーティに横田滋さん御夫妻がお見えになった際、私は
名刺を差し出して近づき「一つお聞きしたいのですが、高村さんってどん
な人ですか?」と訊きました。すると横田さん、顔を紅潮させて「あ~の
人が~、初めて取り上げてくれたんですよ~!」と人差し指を上下に振り
ながら感激の表情で仰ったのです。
ですから私は高村さんを信用しています。
そして高村さんは「拉致問題解決なくして国交回復なし、国交回復なくし
て経済交流なし、という原則を立てたのだが、それにおかまいなしに義捐
米や義捐金を送って原則を台無しにした政治家が。
ところがその後「拉致問題を最初に取り上げた」色々な政治家が出てき
て、高村さんは拉致問題では陰に隠れてしまいました。そしていつの間に
か「高村が北朝鮮に米50万トンを贈与してきたんだよ! あいつだけは絶
対に許せない!」と怒って言う人まで出てきています。
政治家にはそんな人が、結構います。
その拉致問題ですが、親しくさせて頂いている菅沼光弘さん、その方は元
公安調査庁の方でオウム事件の際に陣頭指揮を執ったのですが、野中広務
という政治家の圧力で、捜査を中止させられ、それが原因で菅沼さんは公
安を辞任されました。
その菅沼さんが言うには拉致はデッチ上げなのだそうです。どういう事か
と言いますと、戦後日本から独立した朝鮮から日本人は引き上げてきまし
た。財産を持ち帰るどころではなかった人が多かったと聞きます。
同じ様に朝鮮人も朝鮮に帰るべきでしたが、日本に居残った人も多数いま
した。 帰国を拒否して線路にしがみついて抵抗する人もいたりしました
が、しかし徐々に帰り始めたのです。この、朝鮮総連で帰国事業をやって
いたのが小泉純一郎氏の父親の純也氏。 朝鮮日報日本語版に出ていまし
たが現在は削除されています。
ところが朝鮮戦争が突然始まって帰国事業は中止され、北朝鮮出身者は国
交のない北朝鮮に帰れなくなりました。そこで帰りたい人は密航船で帰国
したり、その後、朝日新聞の肝入りで朝鮮総連が「地上の楽園に帰ろう」
との帰国事業もあり大勢の日本人妻を含む在日朝鮮人が船に乗って帰国し
ました。
しかし「地上の楽園」よりも、やはり日本で暮らしたいと思った人々が再
入国しようとしても北朝鮮政府が帰しませんでした。それでその家族も、
横田めぐみさんなど、北朝鮮に実際に拉致された被害者家族と同じよう
に、「拉致」だと主張して日本政府に交渉させていると言うことです。
最近、人民日報日本支社・支社長の韓 暁清女史と会った際いろ いろ話し
たのですが、彼女も拉致された人の中に、希望して北朝鮮に帰国した人を
人数にいれるのは疑問だと言っていました。彼女は先日飯島勲氏(元小泉
総理秘書官)が北朝鮮へ交渉に行った際に橋渡しをしたと、写真週刊誌に
写真入りですっぱ抜かれた人です。
又私の近所にアメリカのメディカルスクールを出てマッサージ師をしてい
る人がいますが、なぜか彼は朝鮮人に詳しいのです。多分彼はコリアンだ
ろうと思いますが、小船で帰る順番を土井たか子が決めていたと言ってま
した。彼女が同志社大学を卒業する時の名前は「李 高順」であると関西
の有力教授からも聞いています。
拉致被害者は数百人いるとされていますが、マスコミが騒いでも拉致現
場を取材した記事も映像もほとんど見たことがありませんし、拉致現場を
見たという人の取材をしているものを見たことがありません。
マスコミにも疑問をもちます。 疑問だらけです。
事ほど左様に国際関係は魑魅魍魎のようです。(注:米国北朝鮮人権調査
委員会では、北朝鮮帰国事業で北朝鮮に渡った日本人妻が帰国したくても
日本に帰国できないでいることは人権侵害だとして、それも人数のうちに
入れている。)
(情報収録:中山)
◎2013年07月01日06:30
「日本が中韓友好を強化する以外の選択肢は絶対に許されない」 前衆院
議長が地政学的に日中韓の友好は不滅だと宣言 拍手
河野洋平元日本衆議院議長が安倍晋三政権の歴史歪曲の動きを強く批判
し、韓国など周辺国との関係改善を促しました。
河野元議長は最近AP通信とのインタビューで日本が地政学的にアジアの一
員であり韓国・中国と関係を強化する他に選択肢がないことを全面的に受
け入れなければならないと明らかにしました。
河野元議長はまた、安倍総理が河野談話と95年の村山談話など過去の歴史
関連責任を認めた談話を修正する試みも「韓国、中国との関係を数十年後
退させる危険がある」と憂慮の声をあげました。
ソース:MBCニュース(韓国語) コウノ"日本、韓・中関係強化他他の選択
肢なくて"
http://imnews.imbc.com/news/2013/world/article/3303539_11211.html
【U1速報】 2013年07月01日06:30
〔情報収録 - 坂元 誠〕
━━━━━━━
反 響
━━━━━━━
1)個人の自由の行き過ぎた国 日本
日本ほど、個人の自由が放任されている国は 世界中、ないと断言できる。
アメリカでさえ、自治体によっては、ゴミ屋敷は、警告しても放置してい
ると 強制的に移動させられ、その家の中のゴミを棄てられる。
家は外観もきれいにしておかなければ犯罪の巣窟になるからという理由も
あるそうだ。
日本の場合、シナ人が無断で畑を作っても、柵は個人のものだから撤去で
きない、とのこと。
裁判沙汰になるという。こんなおかしな国はない。
自由には必ず代償があるが、日本ではその代償も払いたくない、考えたく
ない、という人間をつくりだす教育をしてきたようだ。
(情報収録・中山)
2)首相の警護、前首相の警護、元首相も警護は、そろそろ止めてはど
うか。政党本部の警備も不要にすべきだろう。もともと、その時の風向き
のままに政権の座についただけのことで、引退後なら必要であれば、自ら
のコストで賄うべき事柄だ。適当に警備会社を見付けて頼むべきだ。もち
ろん、言い出しっぺの現役首相は、自ら襟を正すことで、警護不要と宣言
をすることだ。自ら得ている歳費や、党費の上がりから支払うべき。
そういう理由は次のとおり。
1)粗製濫造で首相数はうなぎ登り、既に賄えるコストの域を脱してい
るから。
2)税金が上がるときに、民間に任せられないものではないことにま
で、税金を使ってすべき仕事ではない。だから、この際、潔く切り捨てる。
3)警備や警護の作業が国のコストとなれば警察に任せることによっ
て、民間は電線を伝った電気信号にたよる警備や各種センサーにたよる器
械警備に特化せざるを得ず、これが装置産業となって警備業の起業コスト
を押し上げ、軽微な資本でも可能な警備会社が淘汰されて産業のサースト
ステップが失われる。
これは、ますます失業を増やすことになるし、失業者の吸収場所もなくな
る不都合がでてくる。
4)既にデジタルデバイドや、ITリテラシー欠如の人は多く、そのよ
うな人であっても仕事にあぶれることのない社会にすべきだから、例えば
警察によって、そのような仕事を取り上げる仕組みには是正が要るから。
5)警察官にとっても、せっかく警察官試験に合格しても、不用意にい
つまでも同じ仕事ばかりをさせていたのでは才能をスポイルさせることに
なる。それなら、もっと狭い試験範囲の警備人試験(そういうのがあるの
かどうかは知らないが)でもよかったはずだ。有為な人材を活き活きとは
荒課せるために必要なのだ。
6)仮に、不安なら自らの負担ですべき、重責を担うからには大きな報
酬が動いて見合っているから。
7)居て欲しくない人の安全まで国費で賄うのは忍びない。不用意な人
には不用意なことで応酬すべきだから。
ついでに言えば、政党交付金330億円もゼロにすることだ。
今月の選挙は、330億円の持って行きようを決めるもの。 「貴方の1票
が明日を作る」なんて、きれい事を言う前に、議員歳費(給与)や立法補
助費なども含めて、議員1にん1億円をはるかに超えるお宝と国会裏には
面積100平方メートルの個人事務所と殆どただ同然の宿舎提供を受けるか
どうかの争奪戦ゲームなのだ。
最低賃金900円の人が入り込むスキもないゼロサム・ゲームの争いと言う
ことだ。だから、せめて、勝ち組には自分のコストは自分で負担してくれ
と言いたいのだ。酒井 富雄)
3)kmnsさん、2992号「反響」での小生投稿の産経抄と南洲翁遺訓の
URLの表記の間違いを2993号の「反響」で訂正していただいてまことに有
難うございました。(品川 阿生居士)
━━━━━━━
身 辺 雑 記
━━━━━━━
くどいようだが、梅雨なのに東京では雨がさっぱり降らない。散歩を医者
から義務付けられている身としてはありがたいが空梅雨だと真夏の水不足
が心配になる。
洋平がまた余計なことを言っている。親父河野一郎は立派な政治家だった
が2世はだめだの典型が洋平だ。残念でならない。一郎の命日が近づい
た。そういえば七夕の飾りが猿江公園にたてられた。
「あしたは七夕。平塚に遊びに来いよ」が遺言になって河野さんは8日夜
に亡くなった。昭和40年(1965)のこと。48年前か。私は29だった。
◆メルマ!メルマガ
渡部 亮次郎