傷つけ合う家族 [著]藤木美奈子
ローマ帝国の法律をネットでいろいろ調べてみたけど
下に書いてあるような情報は見つかりませんでした。
ローマ市民権を持っている者は、裁判なしには逮捕されたり、刑罰を受けたりしないことになっていたようです。むちうちの刑も、40回までとか、きちんと回数が決まっていたとか。聖書に書いてあったよ。十字架刑は国家反逆罪か強盗のための極刑。イエス・キリストは、犯罪を犯していないのに、ユダヤ人の宗教家がローマの裁判官ピラトを脅して無理やり十字架刑にさせた。
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書店員に聞く 今なお続くDV
[文]寺下真理加 [掲載]2013年06月15日
著者:藤木美奈子 出版社:講談社 価格:¥ 620
ローマ帝国では、夫の親指までの太さの棒か鞭(むち)なら、妻を打って良いという法律があったそうです。
2001年、いわゆる「DV防止法」が施行されましたが、いまだにDVにかかわる事件報道は絶えません。なぜなのでしょうか。
■丸善津田沼店 小松原俊博さんのおすすめ
(1)傷つけ合う家族 [著]藤木美奈子
(2)ドメスティック・バイオレンス―愛が暴力に変わるとき [著]森田ゆり
(3)平気で暴力をふるう脳 [著]デブラ・ニーホフ
▽記者のお薦め
(4)小銭をかぞえる [著]西村賢太
■自尊心を失い、支配される
(1)『傷つけ合う家族』は、11歳で義父の性的虐待を受け、10代で結婚した年上の夫からも激しい暴力を受け続けた女性が、半生をつづったノンフィクションだ。暴力から逃げ出し、新しい夫との間に小さな命を授かったというのに、著者は過去の悪夢にうなされる。前夫が血の海に自分を引き入れ、義父が襲ってくる。
小松原さんは「被害者が不安や恐怖から立ち上がるための示唆に富んだ本。自立支援NPOの代表を務める著者ならではの視点だ」という。
(2)『ドメスティック・バイオレンス 愛が暴力に変わるとき』は、自分や周囲の人間が、DVの加害者、被害者かどうかを判断する際に、テキストとして力を発揮するはずだ。
加害者は被害者に暴力や罵倒を通して「あんたはたいした人間じゃないよ」というメッセージを送っている、と著者は指摘する。いじめ、虐待も同じ構造だ。そのうち被害者自らが「そう、私はたいした人間じゃないや」と思うようになる。
だが著者は「あなたはただあなたであるだけで、もう十分にたいした人間なのです」と言い切る。実は、各自の個性や自尊心は、幼い頃から他人と比較され、競争を強いられることで輝きを失っている。たとえば容姿、学歴、社交性、収入、家事能力……。社会のプレッシャーを利用して、加害者は被害者に自責の念を植え付け、巧みに支配するという。
(3)『平気で暴力をふるう脳』もお薦めだ。「生物学の本だが、人間が暴力をふるうのは仕方ないという『言い逃れ』でなく、暴力を振るう仕組みを社会的要因と自然的要因との相互作用として客観的に『説明』していて、問題解決のための新しい視点を与えてくれる」(小松原さん)
チンパンジーにも、仲間を殺すまで傷つける観察事例があるという。キレそうな時、「脳内ではこんな反応が起きているんだろう」とシラけられるのは、知性を持った人間だけに与えられた特権的能力なのだ。
記者は小説(4)『小銭をかぞえる』を読み、DV加害者の心のひだをかいま見た。甲斐性(かいしょう)のない主人公の男は、同居する彼女の父親に借金し、彼女のパート代を頼りに暮らしている。男は彼女に依存する自分の無力さにいら立ち、鏡に映る惨めな自分に唾(つば)するように、女を痛めつける。「臭せえ臭せえ」「明日は糞(くそ)がしたくなったらどこか外へ行って、公園の便所とかで済ましてくれよな」
読んだ後でこう思った。もしも自己嫌悪が排泄(はいせつ)物のように仕方のない感情なら、どんなに寂しかろうと、自力で始末したい。特定の他者を「便器」のように利用して平気な人間は、誰からも見放され、自分の排泄物に埋もれれば良い。悔しいならそこから自力で這(は)い上がれ。そうしたら「便器」にされた側の気持ちが分かるはずだ。
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■〈聴くなら〉ラヴ・ザ・ウェイ・ユー・ライ
憎まれ役のラッパー、エミネム特有の、攻撃性むき出しの節回しを聴いていると背筋が寒くなる。アルバム「リカバリー」(2010年、ユニバーサル、2200円)に収められた1曲だ。
「もう絶対殴らない」と誓い、「愛してる」と懐柔しつつ、最後は「わかってる。オレはウソつきだ。もし彼女がまた『出て行く』なんてほざいたら、ベッドに縛り付けて家に火を付ける」と脅す。過去に恋人からの暴力が報道された人気女性歌手、リアーナの歌うコーラス部分も哀(かな)しい。「いいの、私はこの痛みが大好き」「私はそんな、あなたのウソが大好きなの」
「暴力的な愛」という「麻薬」に陶酔する男女。男は叫ぶ。「人生は任天堂のゲームじゃない、『次』はない」。ならば女にだけは伝えたい。その思考回路から逃げろと。老いた時、死の時、闘いに力尽きた時、陶酔の代償として、途方もない絶望と虚無感があなたを襲うだろうからと。(毬)http://book.asahi.com/reviews/column/2013061400001.html?ref=comtop_list