実際には慰安所で働いていない女性も含め、2万人近くもの元慰安婦女性の登録を行ったT弁護士 | 日本のお姉さん

実際には慰安所で働いていない女性も含め、2万人近くもの元慰安婦女性の登録を行ったT弁護士

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反日主義者たちの陰謀


いろいろな人に、日本の軍人さんたちの戦時中の苦労話や、涙なくしては語れないような素晴らしい話、あるいは日本人が外地で酷い目にあった話をすると、必ず返ってくるのが、
「そうはいっても、日本人だって悪いことをしてきたのだから」
という声です。

これが実に曖昧な話で、では、その「悪いこと」というのは、具体的に、いつ、どこで、どういうことをしたのか、という段になると、誰も答えられない。


要するに単に漠然と「日本人は悪いことをした」と思い込まされています。

このあたりは、このブログにおいてときたま見かける反日左翼の方のコメントも同じで、「悪いことをした」、「怪しい」、「疑惑がある」などと、実に過激でいっけん具体的な背後がありそうな、つまり「におわせる」発言に終始します。

具体的に事実を正確に伝えながら、いつ、ここで、こういう事実があったとは、彼らは語れない。仮に語ったとしても、それは捏造でしかない。

具体的な例をあげます。

これは阿比留瑠比さんのブログ「国を憂い、われとわが身を甘やかすの記」で、2006年に書かれた記事です。

インドネシアの従軍慰安婦なるものが、どうやって捏造されたかが、詳しく書かれています。
ご本人の了解を得て転載します。


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【慰安婦問題でもあった不自然な字幕】
2006/07/08 23:38
http://abirur.iza.ne.jp/blog/entry/12089/

小泉首相の靖国神社参拝をめぐるTBSの字幕誤報事件が話題になっていますが、似たようなことは、慰安婦問題が論争になっていたころにもありました。
10年前の9月に、中京テレビが制作した「IANFU・インドネシアの場合には」という番組がそれです。

約30分間の番組中、インドネシアの人たちがかたる言葉に、実際には話されていない言葉が挿入されたり、意味をゆがめる不自然な省略が行われている字幕が、数カ所ありました。

たとえば、元慰安婦とされる女性が慰安所での経験を話すシーンで、女性が日本の敗戦によって給金が受け取れなくなったと話す場面で、番組は「戦争が終わると、日本人はだれもいなくなっちゃったんです」という字幕をあてていました。

しかし、実際に話されているインドネシア語は

「あのとき、コレア(朝鮮人)はだれもいませんでした。みんな出ていってしまったのです」

という意味でした。

当時、朝鮮半島は日本に併合されていたとはいえ、説明なしに「コレア」を「日本人」と訳したのはいかがなものでしょうか。

また、中学2年生への授業風景では、教師が「女性たちは『学校に行かせてやる』と誘われました。でも、日本軍の性欲を満たすために使われたのです」という字幕がついていました。

ところが、実際はこれも
「彼らは女性を軍隊の性の問題を解決するために使いました」と述べているだけで、「女性たちは学校に行かせてやると誘われた」などとは話していませんでした。

さらに、元慰安婦とされる別の女性が「日本兵に車に乗せられ」と字幕にある部分は、本当は
「日本車に乗せられ」
という言葉でした。

マスコミには、日本の旧悪をあばくという大義名分のためなら、事実関係はいいかげんでもいいという「甘え」があるような気がしてなりません。

番組に証言者として登場した元第16軍(ジャワ防衛軍)作戦参謀の宮元静雄さん(故人)は当時、私の取材に対し

「約3時間にわたって、慰安所の存在目的や、婦女暴行を最も禁じていた軍の綱紀のことを説明したのに、放映されたのは1分弱。それも、言葉の前後を省いて向こうの論旨に都合のいい部分だけが使われた」と憤っていました。

この宮元さんは、さきの大戦後、進駐してきた英軍の命令を無視して、降伏した日本軍の武器・弾薬をインドネシアの独立勢力に渡すのを黙認し、スカルノ元大統領による独立宣言にも立ち会った人物で、インドネシアに行くと国賓待遇を受けた「インドネシアの友」だったことを指摘しておきたいと思います。

一方、番組を制作した中京テレビのプロデューサーは「女性たちの話と字幕や通訳が食い違うのは、本当はもっと長い時間をかけて話をした中の一部分の映像を利用したから。視聴者に理解してもらうために、多少、言葉を補ったり、分かりやすくするのは、どこのテレビ局も同じだ」とさも当然であるかのように語りました。

当時はインターネットも普及しておらず、こうした記事を産経が書いても読者以外には伝わりにくかった事情もありますが、歴史事実という大事な問題に関する番組づくりについて、へらへら笑いながら答えるプロデューサーに違和感を覚えたものでした。

結局、私はこの件の背景を調べるためにインドネシアでの現地取材を行い、後に樺太(サハリン)での残留韓国人取材でも同じ名前を聞くことになる日本人の人権派弁護士の「暗躍」を知ったのですが、その件は次回に書かせてもらいたいと思います。


【火のないところに火をつける人たち】
2006/07/09 08:33
http://abirur.iza.ne.jp/blog/entry/12174/

きょうは前回ブログの続きです。
10年前、中京テレビが放映した慰安婦特集番組の不自然な字幕について書いた私は、さらに事実関係を検証するためにインドネシアに向かいました。

インドネシアでは、空港からホテルへと向かう際に、早くも華僑の白タクに引っかかって相場の数倍の料金をとられたりもしましたが、幸運なことに中京テレビの番組で取材協力者と紹介されていた男性通訳、ワヒューさんと接触することができました。

彼は日本語が堪能で、中京テレビの取材人と20日間にわたって行動をともにしていたそうです。
番組は、ジャワ島西部の町、スカブミに元慰安婦たちが日本からの補償を求めて結集した-というシーンから始まるのですが、ワヒューさんによると、実態はこうだったそうです。

「慰安婦集会はテレビ局の要請で特別に集めたもので、交通費もテレビ局が負担した。

奥さんたち(元慰安婦とされた女性たち)はこのとき、『集まるのはもう3回目になるのに、まだお金がもらえない。もういやだ』と怒り出しました」

「それ以前にも2回、同じような集会が開かれましたが、それは日本人のライター(戦後補償実現市民基金代表)らが『補償問題で日本政府を追及します』と集めたものでした」

また、首都ジャカルタでニューズ・レターを発行し、現地事情に詳しい元日本兵の石井サトリアさんにも話を聞くことができました。石井さんは、こう証言しました。

「インドネシアで慰安婦問題が浮上したきっかけは、3年前にやってきた日本の弁護士。

彼らは地元紙に『補償のために日本から来た。元慰安婦は名乗り出てほしい』という内容の広告を出した。
それまでは、インドネシア人の間で慰安婦について話題になることはなかった」

当時、元慰安婦女性の登録作業を行うなどの実働部隊を務めていた「元兵補中央協議会」のラハルジョ会長も訪ねて話を聞きました。
兵補とは、日本軍政時代に補助兵として採用されたインドネシア人のことです。

元兵補中央協議会の活動は、もともとは戦時中の兵補の強制貯金の未支払い分に対する賠償要求が目的で、慰安婦とのかかわりは薄かったといいます。
そんな彼らがなぜ慰安婦問題に取り組むようになったのか聞くと、ラハルジョさんははっきりとこう答えました。

東京のT弁護士の指示を受けて始めた。
『早く』と催促も受けた。われわれは元慰安婦に対するアンケートも行っているが、これもT弁護士の文案で作成した」

T弁護士は有名な方で、当時、「従軍慰安婦訴訟」にかかわり、戦後補償関係の著書もある人です。

T弁護士に帰国後、電話でコメントをいただこうとしたところ、いきなり「産経には日頃から不満がある。訴えてやろうか」と脅かされました。

ただ、私がラハルジョさんに直接会って話をしてきたと言ったところ、慌てた様子で「えっ…。一度会ってお話がしたい」と下手に出てきました。不思議ですね。

それはともかく、元兵補中央協議会はT弁護士らの指導に従い、実際には慰安所で働いていない女性も含め、2万人近くもの元慰安婦女性の登録を行い、「1人当たり200万円の補償を要求する」としていました。

しかし、実際は「登録したら、日本から補償がもらえる。金額がすごいというので盛り上がったが、それまでほとんどの人が慰安婦の存在すら知らなかった」(スカブミでインタビューした青年)というのが本当のようでした。

2万人という登録者の数について、戦時中のことをよく知る老舗英字紙「インドネシア・タイムズ」の会長に聞いたところ、

ばかばかしい。1人の兵隊に1人の慰安婦がいたというのか。
われわれは中国とも韓国とも違う歴史とプライドがある。
『お金をくれ』などとは、360年間わが国を支配したオランダにだって要求しない。日本大使館は何をしているのか。
日本を理解させようとしていないのではないか」と吐き捨てました。

日本軍政時代、インドネシアにいた日本人は民間人を含め、多いときで4万5000人ぐらいだったそうです。

この世の中には、日本を悪者にして、日本を困らせるためには、どんな手段も厭わないという日本人がいる。

本当にわけのわからない話ですが、これは確かなようです。

そして、世界各地で反日運動を煽っているのも、何割かは日本人自身なのかもしれません。

実は、このインドネシアで有名だったT弁護士の名前を、それから3年後の平成11年に遠く離れた樺太(サハリン)の地で耳にし、驚いたことがあります。

ユジノサハリンスクで、サハリン高麗人協会のパク・ケーレン会長と話していた際に、パク氏は「日本はもっと韓国への帰国支援をすべきだ」と言い出しました。

実はサハリン残留韓国人は、日本が徴用で連れてきたというよりも、自分の意思で来た人の方が多いようですが、それはそれとして日本は村山内閣時代に、ソウルに27億円かけて永住帰国者のためのアパートを建てるなど、帰国支援を続けています。

韓国人は日韓併合前から、サハリンに移り住み始めていた。
戦後は、労働力がほしかったソ連が韓国人を帰国させようとしなかった」と現地の残留韓国人が教えてくれました。

ところが、パク氏はこうした善意の支援についても「日韓基本条約で補償問題は解決済みというが、支援は日本政府が不十分だと認めているから行われているのだ」と受け止めていました。

そして、さらなる補償を求める論拠として、パク氏の口から飛び出したのが、またしてもT弁護士の名前でした。

「東京で、すばらしく大きな弁護士事務所を開いているT弁護士が、日本政府にもっと要求しなさいと教えてくれた。
T弁護士のいうことだから、間違いないはずだ」

なんという反日にかけるエネルギーでしょうか。
そら恐ろしい思いがしました。

インドネシアとサハリンで私が同じ名前を聞いたということは、このほかの国でもどうようの活動をしている可能性が高いということでしょう。敵は強大です。

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