太田さんの場合 | 日本のお姉さん

太田さんの場合

定期的にオフ会を開いてメルマガ読者と交流しておられる。自分が突然亡くなった場合のことまで、決めている。偉いと思います。

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太田述正コラム#5976(2013.1.19)
<2013.1.19オフ会次第>(2013.5.6公開)

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1 始めに

本日のオフ会には、私を除いて8名の方が参加される予定であったところ、遠
方から参加される予定の読者から、急に仕事が入って行けなくなったと いう連
絡が入ったのですが、遅れて参加された読者が知り合いの人(女性)を連れて
やってこられたので、結果的に8名変わらず、ということになりま した。

2 私の近況等

最初から参加された6名は全員名誉有料読者・・うち一名は本日名誉有料読者
になっていただいた・・で、うち4名はオフ会幹事団在京メンバーで あったこ
とから、縁起でもないと思われるかもしれないがと断りつつ、私に現在身寄りの
者が存在しないこと、かつまた、私が危機管理担当官庁に勤務 していたという
ことを踏まえ、私が急死した時にどうするか、ということを、(現在、従来にも
増して健康そのものではあるけれど、)議論してもらい ました。

この議論を踏まえ、以下のような方針・・散会後、私の一存で若干敷衍しまし
た・・を私から示し、オフ会幹事団メンバーの賛同を得ることができま した。


・オフ会幹事団在京メンバー(私の死亡時のもの)は、私が別途指定する遺言執行者の統制の下、やはり私が別途指定するところの、私の著作権相続者 と調整しつつ、太田HP、太田ブログ等の太田関係のフォーラムの存続の是非について協議し決定する。
・オフ会幹事団在京メンバーは、太田関係のフォーラム中、当分の間、維持することを是と決したものを管理する。
・太田関係のフォーラムが維持される間、オフ会基金もオフ会幹事団在京メン
バーが管理し、全てが廃止されることとなった暁には、この基金の処分方 法
は、このメンバーが決定する。
・私の死亡後、IT支援グループ中、希望者は、オフ会幹事団在京メンバーをIT面で支援する。
・上記とは別に、IT支援グループ中の上記希望者は、遺言執行者の統制の下、手分けして、(ロボフォーム上に登録されている)私のID/パスワー ドを調べた上
で、メンバー相互で協議しつつ、かつオフ会幹事団在京メンバーと調整しつつ、
脱会すべきと判断されたものについて脱会処置をとる。

IT支援グループにはお諮りしていないので、忌憚のないご意見をお寄せください。

3 テーマ別ディスカッション

MSさんがテーマとして、「コラム#5940(2013.1.1)<日本の芸術について>」を選び、印刷したものを参加者全員に配って、議論し ました。

4 フリーディスカッション

その後、フリーディスカッションに移り、様々なことが取り上げられたのです
が、その中で、TTさんからなされた問題提起に係る議論は極めて重要 なので、
本件に絞って、紹介しておきます。(NOが私です。)

TT:和辻哲郎の、現在岩波文庫から出ている『人間の学としての倫理学』を少し
前に読んだが、このタイトルに「にんげんのがく」というルビが振っ てあった。
太田さんが読んだ戦前の岩波全書版には「じんかんのがく」というルビが振っ
てあったのか。
ちなみに、本文には人間を「じんかん」と読むといったくだりは全く出てこない。

NO:確かめてみよう。(一階の書庫からこの本を探し出してもどり、頁をくった。)
ルビはそもそもふってないし、確かに本文中に「じんかん」という記述はなさ
そうだ。
ネットで調べてみよう。
Weblioで「人間」で検索をかけると、下掲の頁が開く。

その最初に出て来るのは「じんかん」という読みであり、「人の住む世界。世
間。にんげん」とある。
二番目に出て来るのは「にんげん」という読みであり、三番目に出て来るのは
「ひとま」という読みだ。
「じんかん」の所には、「(成句)人間到処青山あり」とも記されている。
ちなみに、「人間万事塞翁が馬」という成句も、「人間」は「じんかん」と読む。
「「人間(じんかん)」とは日本で言う人間(にんげん)の事ではなく、世間
(せけん)という意味です。」とのこと。

従って、「人間」を「人」の意味で用いるのは、(現在は知らないが、かつて
は)日本だけだ、ということになる。
このことは、和辻自身が、「人間社会<(世間)>を意味する『人間<(じん
かん)>」といふ言葉が、<日本で>『人』の意に轉用せられるに至つ た」
(『人間の学としての倫理学』17頁)と指摘しているところだ。

以上から、和辻自身は、「人間の学」を「じんかんのがく」と読んでいた可能
性が高いと思う。
以下のようなことではなかろうか。
仮に「にんげんのがく」と読んでいたとすると、「としての倫理学」と続くけ
れど、倫理学の対象は当然ながら人(人間(にんげん))のみであるか ら、
「にんげんのがくとしての」はトートロジーになってしまう。
他方、「じんかんのがく」と読めば、「人間(じんかん)」には、Weblioによ
れば、人間社会(人の住む世界=世間)と人(にんげん)という 二つの異なっ
た意味があるわけだから、タイトルだけで、この本の内容、というか結論を的確
に表現できることになる。

このように考えてくると、一体全体どうして岩波書店が、タイトルに「にんげ
ん」などというルビを付したのか、聞いてみたくなる。

なお、「人間主義」という言葉は私がつくったと思っていたが、
Humanism(ヒューマニズム)の訳語として、「人文主義」、「人本主義」、
「人道主義」


や「人間中心主義」

と並んで使われることがあるらしい。(もちろん「にんげんしゅぎ」と読む。)
となると、誤読はもとより、誤解を回避する見地からも、私が、「人間(じん
かん)主義」という言葉を今後とも使うべきかどうか、一考を要する。

それにしても、極めて重要で興味深い問題提起をしていただき、感謝する。

5 その他

飛び入り参加した女性の何か弾いて欲しいとのリクエストを受け、私がショパ
ンのワルツの3番を演奏した後、散会しました。

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