クリスチャンだからという理由で、 | 日本のお姉さん

クリスチャンだからという理由で、

わたしは、杉原千畝は単純にロシア正教会に改宗して
クリスチャンになったので、ロシア正教会があるロシアが
好きだったのだと思うけどな~。
ロシア人と結婚したのも、信じることが同じだったからだろうし、
美人さんだったからでしょう。
ロシアの捕虜となっても、杉原は特別待遇を受けたのは
クリスチャンだからという理由で、ロシア人のクリスチャンの計らいで
寛大に扱ってもらえただけなんじゃないの?
戦後、ロシアに行ってビジネスマンとして働いたのも
日本は焼け野原でなにもないし、好きなロシアで働きたかったからじゃないかな。
ロシア正教会の一員としてロシアにいたかっただけかもよ。
これは、天国に行ってから本人に聞いてみないとわからないよね。
ロシア語ができてロシアにコネがあったから、ユダヤ人を日本に送れたということもあるかもね。
ロシアでも日本人外交官がユダヤ人にビザを一生懸命発行していたとどこかの本で読んだことがあります。
杉原千畝ひとりが特別だったのではなく、日本人、全体が優しかったのだと思います。
一部のユダヤ人が無事に日本経由でアメリカなどに亡命できたのは、日本の外務省が許したからだし、
ドイツも積極的に反対せずロシアも邪魔しなかったからでしょう。
杉原千畝ひとりでは、無理だったと思います。
でも、本人が頑張ってギリギリまでビザを発行し続けたというのは本当らしい。
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杉原千畝はソ連との二重スパイだった?
「宮崎正弘の国際ニュース・早読み」 
   平成25(2013)年3月31日(日曜日)
  通巻第3912号 
 衝撃の歴史証言がシロニー教授から飛び出した
  あの杉原千畝はソ連との二重スパイだったという鬱勃たる疑惑

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ベン・アミー・シロニー『日本の強さの秘密』(日新報道)
  (青木偉作、上野正訳)
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シロニー教授と言えば、その昔、『天皇陛下の経済学』で颯爽と日本の
論壇にデビューし、山本七平氏らが絶賛した。後年には勲二等瑞宝章に
も輝くイスラエルきっての日本通だ。

生涯を通じて日本の強さ、その精神に学問的関心が集中し、日本の底力
と、その復活への見通しを多様な角度から検討する。

この本は日本通のユダヤ人学者シロニー教授の完熟された日本及び日本
人論である。

議論は広範囲にわたり、天皇家の歴史、三島由紀夫の諫死事件などにも
鋭角的な論究があるが、評者(宮崎)が俄かに注目したのは下記の一節
だった。

あの「人道的配慮」からユダヤ人に日本通過ヴィザを発給した美談の持
ち主、元外務官僚の杉原千畝が、ソ連のスパイではなかたのか、という
歴史の疑惑にシロニー教授が挑戦したことである。
この一点だけでも本書を読む価値がある。

バルト三国の南端、リトアニアのカウナス日本領事館にいた杉原は六千
人のユダヤ人に日本を通過し、カリブ海のオランダ領キュラソー島へ行
くという名目でヴィザを片っ端から発給し、近年では人道的支援をなし
たと等とする美談に飾られた。

外務省は後日、杉原の名誉を回復し、記念碑が岐阜に建立された。イス
ラエルからは1985年に名誉賞が贈られた。

ところがその美談の裏側に信じられない本質の顔が潜んでいた。

杉原の未亡人は「外務省の指示に反してヴィザを発行し、それによって
自分の身とその立場を危険にさらした」などと証言し、その妻が書いた
伝記では「戦後、外務省から罰せられ、解雇された」と叙述されていた。

これらが事実に反することは既に多くの研究によって明るみにでている。

杉原は、外務省の指示にしたがってヴィザを発給したし、その後も彼は
外務省内で出世階段を駆け上がった。ましてユダヤ人を人道的に救援す
ることは当時の日本の国策であり、トップの決定は東条英機、土肥原将
軍らである。

そうした前提のうえで、シロニー教授は次のように活写する。

「外交官としての任務は、単に表向きだけのことだった」

「杉原氏が1939年にリトアニアに送られたのは、ヨーロッパにおけるド
イツとソ連の軍隊の動きを偵察し潜入調査して、日本政府に報告するこ
とであった。

スターリンとヒトラーの間の不可侵条約の継続は、ロシア人の東に日本
に対する攻撃を可能にするものであ」り、そのうえ「日本の軍隊をソ連
との国境から等安アジアへと移動させることを可能にした」

これが事態の背景である。そのうえ、同教授は書いていないが、当時に
日本の知識人にはコミンテルンシンパが山のようにいた。

或る研究に拠れば、杉原氏はリトアニアでポーランドの地下組織と接触
し、情報を得たのだが、それと引き替えに「日本の商用パスポートを与
え、日本の外交郵便を使って彼らの郵便物をロンドンにあるポーランド
亡命政権に移送していた」

その経緯にあって杉原はヴィザを亡命希望のユダヤ人に発給し続け、そ
の行為にドイツは反対しなかった。当時、反対したのは英国だけだった。

だから杉原の行為は「人道的に素晴らしい行為」だがと前置きしつつも
シロニー教授は「英雄視する必要はない」と言う。

「もし外務省の指示に反しての行為なら、杉原は「すぐに解雇されるか、
または日本に送還され刑務所送りになっただろう(ドイツやソ連だった
ら、殺されていたに違いない)」。

ところが、逆に杉原はその後、プラハ領事館に勤務し、1942年には公使
としてブカレストへ赴任するのである。

重要なのはその後日譚である。

「赤軍によってブカレストが占領されると、杉原氏とその家族はロシア
の捕虜となった」。捕虜生活の時間は謎のまま、1947年に帰国したが、
米軍の占領下にあって、外務省そのものがなくなっていた。だから解雇
ではないのである。

「戦時中に『枢軸国』の諜報員だった杉原氏のような人物はいわずもが
な(中略)、ミステリアスな側面は「ソ連との特別な繋がり」である。

彼はロシア語に通じており、ソ連専門家であったばかりか、「ロシア正
教会に改宗し、一時的にではあるがセルゲイ・パブロヴィッチというロ
シア名まで名乗り、クラウディアというロシア人女性とハルビンで結婚
し、彼女とは11年間を共に暮らした」のだ。

この衝撃の人生の軌跡はほとんど語られていない。

だからロシアの捕虜となっても、杉原は特別待遇を受け、はやくも1946
年に釈放された。にも拘わらず釈放から数ヶ月間も杉原氏は日本に帰国
しないで、ロシア国内を旅行している。

あまつさえ、杉原は1960年代に「モスクワへ移住し、そこで15年間、日
本のビジネスマンとして働くという、冷戦時代には非常に稀な生き方を
している。杉原氏は二重スパイだったのだろうか?」

という疑問を直截に読者に投げかけている。
     

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 樋泉克夫のコラム 樋泉克夫のコラム
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樋泉克夫のコラム
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【知道中国 883】     
    ――「愈々支那は気に食わない」(芥川の中)
         『支那游記』(芥川龍之介 改造社 大正14年)


芥川は、「支那」に対する怒りの矛先を豚、それも死んだ豚にまで向け
ている。

長江を遡行して訪れた景勝地の廬山で「若葉を吐いた立ち木の枝に豚の
死骸がぶら下がっている。それも皮を剥いだ儘、後足を上にぶら下がっ
ている」。そこで「一体豚を逆吊にして、何が面白いのだろうと考え」
た芥川は、「吊下げる支那人も悪趣味なら、吊下げられる豚も間が抜け
ている。所詮支那程下らない国は何処にもあるまいと考えた」。 

ここまで考えたら、後はもう一瀉千里である。

廬山を見ては、「廬山らしい気などは少しもしない。これならば支那に
渡らずとも、箱根の山を登れば沢山である」。

連れて行かれた有名な料亭の庭を眺めては、「洪水後の向島あたりと違
いはない。花木は少ないし、土は荒れているし、『陶塘』の水も濁って
いるし、家の中はがらんとしているし、殆御茶屋と云う物とは、最も縁
遠い光景である」。

「さすがに味だけはうまい支那料理を食った」にもかかわらず、「この
御馳走になっている頃から、支那に対する私の嫌悪はだんだん逆上の気
味を帯び始めた」。

そして遂に、「私は莫迦莫迦しい程熱心に現代の支那の悪口を云った。
現代の支那に何があるか? 政治、学問、経済、芸術、悉堕落している
ではないか? 殊に芸術となった日には、嘉慶道光の間以来、一つでも
自慢になる作品があるか?

しかも国民は老若を問わず、太平楽ばかり唱えている。・・・私は支那
を愛さない。愛したいにしても愛し得ない。この国民相腐敗を目撃した
後も、なお且支那を愛し得るものは頽唐を極めたセンジュアリストか、
浅薄な、支那趣味のしょう?者であろう」とまでいい切るのであった。
(尚、「しょう」の漢字は、「口」へんに「尚」)

「莫迦莫迦しい程」と正々堂々と綴っているが、さて、どの程度までに
「熱心に現代の支那の悪口を云った」のか。その程度を知りたいものだ
が。

北京では「薄汚い人力車に乗り」、「北海の如き、万寿山の如き、或は
又天壇の如き、誰も見物もののみにはあらず。文天祥祠も、楊椒山の故
宅も、白雲閣も、永楽大鐘も(この大鐘は半ば土中に埋まり、事実上の
共同便所に用いられつつあり。)」

見物し、男女の席を厳格に分けているがゆえに、父親と幼い娘であって
も別々に坐らなければならず、父親は「こちら側に坐りながら、(席を
分ける)丸太越しに菓子などを食わせていた」姿を眼にして、「まこと
に支那人の形式主義も徹底したものと称すべし」と洩らす。

救国の英雄である文天祥を祀った文天祥祠は、「亦塵埃の漠々たるを見
るのみ」。清朝王宮の紫禁城は「こわ悪魔のみ。夜天よりも厖大な夢魔
のみ」

かくして芥川は、「しかし杜甫だとか、岳飛だとか、王陽明だとか、諸
葛亮だとかは、薬にしたくてもいそうじゃない。云い換えれば現代の支
那なるものは、詩文にあるような支那じゃない。

猥雑な、残酷な、食意地の張った、小説にあるような支那である。・・
・文章規範や唐詩選の外に、支那あるを知らない漢学趣味は、日本でも
好い加減に消滅するが好い」と結論づける。

芥川の説く「支那あるを知らない漢学趣味」の弊害は一向に改まること
なく、戦争期を経て毛沢東の時代に絶頂に達し、現在までも絶えること
なく続いている。いったい、いつになったら改まるものなのか。
「百年、河清を待つ」わけにもいられまい・・・に。
《QED》
 
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 ▼ 宮崎正弘独演会のお知らせ
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宮崎正弘独演会
『ラストエンペラー・習近平の絶叫が聞こえる』
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とき  4月13日(土)14時~16時30分(開場:13時40分)

ところ 文京区民センター3F 3-A会議室(文京シビックセンター向
かい側)
東京都文京区本郷4-15-14 Tel:03-3814-6731

交通:都営三田線・大江戸線「春日駅」A2出口から徒歩10秒、東京メト
ロ丸の内線・南北線「後楽園駅」5出口から徒歩3分

参加費  事前申込:1500円、当日申込:2000円(事前申込の学生:
1000円、高校生以下無料)

司会  タイラ ヨオ  作詞家・シンガーソングライター・ラジオDJ
(倖田來未、ピコ(『よりぬき銀魂さん』エンディングテーマ)などへ
作詞を提供)。

懇親会  17時~19時頃 参加費:事前申込3500円 (事前申込の学
生3000円)当日申込4000円 (当日申込の学生3500円)

申込先  4月12日23時迄にメール又はFAXにて(当日受付も可)(懇
親会は4月11日 23時迄)★当日は混雑が予想される為 事前申込の無い方
の入場は講演10分前とさせて頂きます

主催   「士気の集い・青年部」千田宛て
http://blog.goo.ne.jp/morale_meeting
     FAX 03-5682-0018
E-mail:morale_meeting@yahoo.co.jp

第一級の中国ウォッチャーで、作家・評論家の宮崎正弘先生が中国の軍
事・経済・環境・社会面等多角的な視点から最新の中国情勢を語ります。

講師】宮崎 正弘(みやざき まさひろ) 評論家、作家(1946年 石川県金
沢市生まれ。早稲田大学英文科在中に日本学生同盟(日学同)の機関紙で
ある「日本学生新聞」の編集長、雑誌『浪漫』企画室長を経て、貿易会
社を経営する。著書は『習近平が仕掛ける尖閣戦争』『中国権力闘争』
『中国大暴走 高速鉄道に乗ってわかった衝撃の事実』『自壊する中国
ネット革命の連鎖』、『震災大不況で日本に何が起こるのか』『ウィキ

リ-クスでここまで分かった世界の裏情勢』等約160冊(共著を含む)。
最新刊は『現代中国「国盗り物語」かくして「反日」は続く』(小学館新
書 756円))『中国の反日で日本はよくなる』(徳間書店 1000円)、『中国
を動かす百人 習近平政権の重要人物一覧 習近平政権の重要人物一覧』(
双葉社 1575円)。

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 読者の声 どくしゃのこえ READERS‘ OPINIONS 
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(読者の声1)貴誌3910号の読者コメントで「千葉のST」さんが、
「江澤民の本籍地は江西省?源県江湾」と述べておられますが、これは
間違いですので、敢えて訂正させていただきます。

江澤民の本籍(中国語:祖籍)は安徽省●??江村(●=「旅」の旁の下
部を「生」に変える)です。江西省▲?源?江湾(▲=「女」の上に「務」
の旁の「力」を除去したものを乗せる)というのは、江澤民とは別系統
の「江」姓の人々は集中して住む地域です。

STさんが言われる通り、確かに江澤民は江西昌の「江湾」を訪問して
いますが、安徽省の「江村」を訪問した際には残した揮毫を「江湾」に
は残していません。

「江湾」は江澤民の故郷であると名乗りを上げて「江村」に張り合って
いますが、これは最初から勝負にならない性質の話です。

なお、ついでながら、胡錦涛の本籍も江澤民と同じ安徽省の績渓県龍川
村です。胡錦涛の「龍川村」と江澤民の「江村」とは直線で20kmの距
離にあります。(元商社員9