アメリカが怒るから4・28はやめとく? | 日本のお姉さん

アメリカが怒るから4・28はやめとく?

4・28は日米安保の日
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  山堂コラム 463

晋三君(総理)の親父(故・晋太郎氏)が外務大臣だった時、2度メキ
シコに一緒に行った。表向きの理由はメキシコ地震の見舞いということ
になっていたが他に目的があった。そのことについては機会があれば又
触れる。

2度目の時のメキシコシティの帰りに桑港に立ち寄って所謂・サンフラ
ンシスコ講和条約が結ばれたオペラハウスの見学にも行った。洋子夫人
はいっしょだったが晋三君はその時はいなかったような気がする。

以来、講和条約が結ばれたのは昭和26(1951)年9月8日だと記憶して
いたので菅官房長官が今回、4月28日に政府主催の記念式典を挙行する
と発表した(12日)折には違和感を覚えた。

菅発表によると、天皇皇后両陛下のご臨席を仰いで賑々しく「日本の主
権回復と国際社会復帰を記念する式典」にするのだという。

自民党が4月28日を主権回復記念日だとして運動を始めたのは平成に入
ってから(9年)。議員連盟(野田毅会長)も立ち上げて先の衆院選で
は選挙公約にも盛り込んだが、しかしそれ以前に4・28という日付が特別
の日として喧伝されることは無かった。

勿論、サンフランシスコ講和条約が9月8日に調印され、翌年の4月28
日に発効したというのは確たる史実である。日付で言えばその翌日4月
29日が昭和天皇の誕生日であり、晋ちゃんの親父(晋太郎)も同じ誕生
日であった。

先のミカドが御隠れになったあと、4月29日を「緑の日」にしてみたり
「昭和の日」に戻したりと、これもええ加減な対応だが、今度はその前
日を主権回復の日にするんだとか。

5月の連休を控えて旗日をもう一つ増やそうというのでもあるまいが、
肝腎なことは昭和52年4月28日のこの日に果たして日本の主権は回復し
たかという点に拘る。

講和条約といっしょに調印されたものに日米安保条約(旧)がある。こ
ちらはオペラハウスではなく桑港の米軍基地内で調印が行われた。吉田
茂は同道した池田勇人に「君はまだ若くてこれからがあるから」と言っ
て部屋に入れず単独で署名した。

安保条約によって日本が依然として米軍による隷属状態。それが続くと
分かっていたから後の池田首相にキズがつかないよう配慮したのである。

日本国憲法と日米安保条約の両輪によって戦後の復興と経済的繁栄が実
現したのは紛れもない事実。しかし60年以上経った今も、沖縄県は米軍
の前線基地であり、本土だって横須賀や岩国、三沢などには米軍が常駐
している。

軍事的主権の回復は未だし。独立国家としての主権が回復したとは言え
ぬわけで、それは「4・28主権回復の日」を推進してきたグループや自民
党の有志諸君らも十分承知している。「憲法9条改定(軍事的主権の回
復)」と「日米同盟の深化」は両刃のヤイバの二律背反、相互に矛盾す
るものであることも。


開国したばかりの明治の御代では日清・日露の戦さが日英同盟の頸木
(くびき)による請負戦争の色合い濃厚だった如く、昭和の御代も、先
の大戦以後は米国からの軍事的・経済的頸木(くびき)。

これから遁れることは容易なことではない。今でも日本国を属国だと思っている米国は、日本の核武装と常任理事国入りは絶対に認めない。

バツイチ出戻りの安倍晋三内閣。怪しげなエセ右翼やネットコンに煽
(おだ)てられて調子に乗ってやっているが思わぬところでまた躓くは
必至。悪いことは言わん。腹痛再発を予防するためにも今回の4・28は止
めておいた方がいい。(了)