太極拳は漢民族の生んだ武術ではあるが、反清復明の役には立たない武術であった。
さて、威力である。楊氏太極拳が威力を捨てていった過程を単純に考えてはならない。
彼らは積極的に、清朝の貴族、高官、金持ち、に太極拳を指導した。つまり、支配者階級と交渉を持ったということである。
清朝は少数民族が多数派民族を支配するという、歪な構造を持っていた。これは、議論 の余地がない史実である。清朝は民族融和を?策としてはいない。露骨な階層化によって 漢民族を圧殺していた。これも事実である。
更に、モンゴル人の好戦性には手を焼いたのであるが、これも仏教(西蔵仏教)に帰依させることでコントロールに成功した。少数派による多数派支配には狡猾さが必要なのである。
楊氏太極拳が威力を捨てた背景を無邪気に肯定するのは勝手だが、支配という構造から離れて、太極拳の流行を説明するのは困難であろう。
楊氏太極拳が一世を風靡できたのは清朝が黙認したからである。
これならいくらやってもよい、という判断が、どこからどのように出てきたかが問題であろう。
太極拳は漢民族の生んだ武術ではあるが、反清復明の役には立たない武術であった。
そのように改造されたから普及を許可されたと考えるべきである。
現に、太極拳のイメージは、ひ弱な人間のための運動、である。
太極拳を廃屋を支える支柱のように考えてしまう原因は、太極拳自体に存在しているのであり、偏見ではない。
太極拳に対する一般的イメージを偏見による印象と考えてはならない。
それは、事実に対する認識といってよいものである。
24式簡化太極拳は健常者、青年にとっては退屈な運動である。
中国でも太極拳というイメージは、老人専用の体操であって、武術と考える人間は少ない。
それが太極拳に対する中国人の一般的認識である。
太極拳教師の中には、太極拳は中国では武術として扱われている、と、トンデモナイ嘘をつく人間がいる。
日本では太極拳が体操と思われているので驚いた、という不良中国人指導者も多い。
なぜヤツラが不良なのかを説明しておく。
太極拳の本場、中国では国家として公式に、簡化太極拳も他の太極拳も社会体育であるとしている。
中国は太極拳を武術ではなく、体操や体育と定義しているのである。
こうした事情を知らない、無知でバカな日本人から金を巻き上げる手段として、武術らしく化粧させた太極拳を教えようと画策しているような嘘つきを、日本語では不良という。
若者でも心身鍛練を実践できる陳氏太極拳は、体力と年齢に見合った運動(量と質)を自由自在に調整することが可能であり、武術訓練であっても体調に応じた訓練をすること
ができる。
年とともに老化に対応した練習に移行し、無理な練習を排除していけば、何ら問題はない。
これは太極拳に限ったことではなく、他の武術であっても同じである。
廃屋を支える支柱としての太極拳では、大した効果は期待できない。そうなる前に訓練を開始するべきであろう。
http://syujyukai.main.jp/pre/ronkou/005-6.htm