安全基準という当然あるべきと思えるものが、取引の障害となる「障壁」としてもとらえられる | 日本のお姉さん

安全基準という当然あるべきと思えるものが、取引の障害となる「障壁」としてもとらえられる

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TPP

TPPの何が問題か、『ゆうひろば』2012年1月号に載せられていたブルースター・ニーンさんの文章で一つ気づかされた。

TPPは、「関税をなくして自由な貿易圏をつくるための協定」などと説明されている。これは、言い換えれば、ブルースター・ニーンさんが書いているように、
「物品、サービスの取引や投資の障害となる、あらゆる関税や障壁を取り除こうというもの」
となる。この理念に従うと何が起こるのだろうか。
ブルースター・ニーンさんは次のことを指摘している。
「『統一化』(harmonization)という名のもとに食品や遺伝子組み換え作物の安全基準、知的財産に関する法や特許法令などが、参加国間で同一化されます」。

ここで気づかされることは、安全基準という当然あるべきと思えるものが、取引の障害となる「障壁」としてもとらえられるということだ。今の日本では遺伝子組み換え作物の栽培は制限され、生産物には表示規則がある。日本では多くの人がそれを必要と考えているからだ。しかし、もしも「取引」に関与するほかの国の人と一緒にルールをつくることになったら、その国の人も同じように考えるとは限らない。

同じことはほかにも起こりうる。ブルースター・ニーンさんは、日本がTPPに参加した場合、社会保障や失業保険、労災補償制度、国民皆保険などの公共事業」について一部民営化が進んでいくだろうとと指摘している。

社会の制度も、ある国で当然と思われていることが、ほかの国の人にとっては取引の障害と見えることは当然あるだろう。

今の日本では、建前かもしれないが、自分たちの国のことは自分たちで決めるというしくみになっている。選挙があれば一応は自分の意思を表明できる。民主国家という以上それは当然のことのように思える。けれども、TPPはこのしくみは揺らがせる。意思を反映させることのできない他国の人たちによっても自分たちの国のことを決められてしまう可能性もある。このことはもっと注目されるべきことなのかもしれない。
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