中国を警戒し、接近する日露(その2)=佐藤優
中国を警戒し、接近する日露(その2)=佐藤優
中央公論 3月16日(土)17時30分配信
ロシア側は、森氏のシグナルを肯定的に受け止めている。すなわち、森氏が三島返還で平和条約を締結するという変化球を投げたのではなく、前提条件をつけずに北方領土交渉を行うべきであるとのメッセージを安倍首相とプーチン大統領の双方に対して発したと認識している。安倍首相も、一月十七日、タイで行われた内政懇で、〈北方領土に関しては「四島一括返還が一番望ましいが、政府の姿勢は四島の帰属を決めて平和条約締結ということだ」と説明した。国後、色丹、歯舞を日本、択捉をロシアとする森喜朗元首相の案については「たくさんあるご自身の選択肢について、ある種感想的な意見を述べられたと思う」〉(一月十七日、MSN産経ニュース)と述べているので、森氏のシグナルを正確に理解している。森氏の機転によって、「四島一括返還が基本的な考え方」という安倍発言が「ボタンの掛け違い」の原因となることを避けることができた。
■■弾圧政策への黙認という意味
森氏とプーチン大統領の会談に話を戻す。
会談に同席した、ウシャコフ大統領補佐官(外交担当)が、会談終了後、日本側同席者の上月豊久外務省欧州局長を追いかけ、「とても内容の濃い、意味ある意見交換だった」と述べたが、これはロシア側の額面通りの評価と考えてよい。日本側が設定した、北方領土問題の政治決断に向けた環境を整備するという目標は、この会談で達成された。
森氏は、今回の訪露の準備を入念に行った。特に重要なのは、プーチン大統領との会談前に、森氏が首相府横のストルイピン元首相の銅像に献花したことだ。この銅像は、ストルイピンの生誕一五〇年を記念して去年建立されたものである。ストルイピンは、一九〇五年の第一次ロシア革命後の混乱収拾や改革で大きな成果をあげた政治家だ。特にロシアの将来は、シベリアと極東の発展にかかっていると考え、投資と人口増加政策に取り組んだ。同時に反体制派に対する弾圧を徹底的に行った。多くの革命家が処刑されたので、絞首台が「ストルイピンのネクタイ」と呼ばれたくらいだ。最期は、皇帝ニコライ二世に同行して訪れたキエフ(現在のウクライナの首都)での観劇中にピストルで暗殺された。プーチン大統領はストルイピンをとても尊敬している。銅像建立のためにプーチン氏も寄付をした。去年十二月二十七日、プーチン氏はメドベージェフ首相とともにこの銅像に献花した。
銅像への献花という象徴的行為を通じて森氏は、表と裏の二つのメッセージをプーチン大統領に伝えた。表のメッセージは、「シベリア、極東開発で日露の戦略的提携を深めよう」ということだ。裏のメッセージは、プーチン大統領が異論派(ディシデント)、外国の支援を受けたNGO、NPOに対して弾圧政策をとっていることに関し、ストルイピンへの献花を通じ、「あなたがストルイピン流の反体制派政策を取ることを黙認する」という意味だ。
会談で、森氏はプーチン大統領に「一〇〇年前に極東開発の重要性を強調した帝政ロシア時代の首相ストルイピンの銅像を訪れ、献花した。あなたは、かつてストルイピンが行った極東開発でロシアを強化していくという方針を、ひとつの原点として、国家運営に取り組んでいるのではないか」と質すと、プーチン大統領は「その通りだ」と答えた。また、献花に対してプーチン大統領は「スパシーボ(ありがとう)」と謝意を述べた。ストルイピン銅像への献花という森氏の行動は、プーチン大統領の琴線に触れた。
北方領土交渉の環境整備の観点からも今回の会談は大きな意味を持った。朝日新聞は、〈北方領土問題をめぐってプーチン氏は昨年3月、朝日新聞などとの会見で「引き分け」という日本語を使って解決に意欲を表明している。プーチン氏はこの日の会談で「引き分けとは、勝ち負けなしの解決だ。双方、受け入れ可能な解決を意味する」と説明した。/両氏は日ソ共同宣言の有効性を確認した2001年のイルクーツク声明の重要性について改めて確認。森氏は「領土問題を最終的に解決するためには首相と大統領の決断が必要だ」と指摘し、プーチン氏は「両国間に平和条約がないことは異常な事態だ」と語った。〉(二月二十二日、朝日新聞デジタル)と報じた。
重要なのは、森氏がプーチン大統領に「引き分け」の内容を直接質したことだ。森氏によれば、プーチンは紙に鉛筆で枠を書いて、場外ぎりぎりのところで日本とロシアが組み合っていると印をつけ「ここに両国がいる。これじゃプレーができないので、真ん中に引っ張ってこないといけない。そこから『ハジメ』の号令をかける」と述べた。要するに、まず交渉を開始して、そこからどのような合意が得られるかについての「出口論」で交渉することをプーチン大統領は主張したのである。
もっとも、イルクーツク声明の重要性については確認しているので、平和条約締結後にロシアが歯舞群島と色丹島を日本に引き渡すことについて合意した一九五六年の日ソ共同宣言と、択捉島、国後島、色丹島、歯舞群島の四島からなる北方領土の帰属に関する問題を解決して平和条約を締結することを約束した一九九三年の東京宣言を前提に交渉を行うことになる。
今回、森氏とプーチン大統領は、北方領土問題について、具体的な交渉は行っていない。重要なのは、プーチン大統領に北方領土問題を「引き分け」で解決する具体的な腹案がないことが明らかになったことだ。同時に「北方四島の日本への帰属をまず確認して、それから条件について話し合う」という日本外務省の伝統的な「入口論」では、交渉の展望がまったくないことが、今回の森・プーチン会談で明確になった。ひとことで言うと、北方領土交渉の帰趨は、安倍首相とプーチン大統領の首脳会談ですべて決定されることになる。
■■「出口論」で交渉を行う
今回、森氏が行ったアプローチで特徴的なのは、森氏自身が「出口論」で交渉を行うという認識を示した上で、北方領土問題を他の経済的、地政学的問題と同じ「バスケット」に入れ、日露関係の総合的発展の中で北方領土問題を動かそうとするアプローチをとったことだ。二十一日、モスクワで行った森氏の記者会見から、バスケットの中に以下のテーマが含まれていることがわかる。
(一)日露のエネルギー協力。プーチン大統領が「エネルギー相を長とする代表団を、二十五日から始まる週にも日本に派遣したい」と述べた。もっとも同席の上月欧州局長は右事実を承知していなかった。外務省、経済産業省が連携していないことで、戦略的外交が展開できていないことが露呈した。
(二)北朝鮮問題をめぐる協力。プーチン大統領は「北朝鮮の核実験は断じて容認できない」との意向を表明するとともに、「(北朝鮮問題は)安倍首相とじっくり話し合う大事なテーマである」と述べた。
(三)スポーツ交流。特にレスリングをオリンピックの種目に残すことに関する日露協力について森氏とプーチン大統領の見解が一致した。
(四)農業協力。プーチン大統領より、「極東には広大な土地があり、日本の北海道とも気候が似ている。農業分野でも是非協力したい」との話があった。
二十二日、森氏は、モスクワ国際関係大学(MGIMO)で講演を行った。同行記者らに事前に配布された予定稿には、北方領土における日露の新たな法的管轄に関する興味深い以下の提案が含まれていた。
〈「現在住んでいるロシア人は現状のようにロシア法のもとで住める」という状態と「日本人も日本法のもとで住める」という矛盾が解決できるものでなくてはなりません。
それを生みだすのは知恵と熱意です。これを両国で追求する、これがこれからの政府間の交渉の核になるでしょう。〉
しかし、この部分は実際の講演では読み上げられなかった。この予定稿を元に、「北方領土で法的共同管理を提案」という見出しで記事を準備していた記者は、あわただしく修正したということだ。外務省が「政府の基本的立場と矛盾するのでやめてほしい」と直前に森氏を説得したのか、あるいは、当初から、予定稿には書くが実際には読み上げないという形で、外務省が法的共同管理に踏み込んだ場合のロシア政府と日本世論の反応を見るという高等戦術をとったのか、現時点で筆者は判断に足る十分な情報をもっていない。いずれにせよ、北方領土に属人的な法的管轄を導入するというのは、共同経済活動を可能にする選択肢の一つである。
講演の結びで、森氏は、「雄大な歴史観と高度な思想をもって領土問題を解決し、懸案の日露平和条約を締結し、その上に立って、日露間の政治、経済、学術、技術、文化、スポーツ、あらゆる分野での交流を飛躍的に進展させ、しかも世界の平和と発展に寄与する、これが私の生涯の最後の仕事だと心に定めています。それを果たした後、父と母の眠るシェレホフの墓地に私も共に眠る、これが私の覚悟であることを申し上げて、講演を終わらせて頂きます」と述べた。MGIMOからは、外交官やビジネスマンだけでなくSVRに就職する者も多い。森氏の父・茂喜氏は、ソ連時代からロシアとの交流に尽力したので、遺骨が東シベリア・イルクーツク州のシェレホフ市に分骨されている。遺言に従って、森氏の母・秋子氏の遺骨もそこに分骨されている。将来のロシアのエリートに対し、森氏は「私はロシアに骨を埋める」と宣言したのである。森氏の発言は聴衆に強い感銘を与えた。
今後の外交日程について、〈日ロ両政府は大型連休中の首相の公式訪ロで調整を進める方針だ。〉(二月二十二日、朝日新聞デジタル)ということであるが、五月一~三日はロシアはメーデーの休日で、四~五日は土日なので、五月に入ってからの大型連休中に首脳会談が行われる可能性はほぼない。〈安倍首相の特使としてロシアを訪れている自民党の森元首相は22日午前(日本時間22日午後)、モスクワのロシア下院でナルイシキン下院議長と会談した。/議長は、安倍首相が予定している公式訪露の時期について「4月末に予定されている」ことを明らかにした。〉(二月二十三日、読売新聞電子版)。その後、大統領府は、「四月末の安倍訪露は決まっていない」とナルイシキン発言を否定する情報をモスクワの日本人記者に流しているが、ロシア側からすれば、四月末以外にプーチン大統領と外国要人の会談日程を確保することは難しい。
四月末に日露首脳会談が行われるためには、遅くとも四月中旬までには、首脳会談で発表される合意文書が大筋でまとまっていなくてはならない。三月に行われることになるであろう日露次官級協議で、領土問題に関する協議が行われることになるが、四月末までに、北方領土問題に関し、両首脳が政治決断を行う環境を整えることは非現実的である。安倍首相の訪露は、両首脳の信頼関係構築にあてられ、その次のプーチン大統領訪日時が北方領土交渉の正念場となる。この機会に北方領土問題に関する何らかの妥協が成立しなければ、平和条約(北方領土)交渉はモメンタムを失うことになる。
■■ロシアからの変化球に備えよ
ロシアの日本専門家の間で、今後、領土問題に関する対日強硬論が強まってくる。すでにその兆候が現れている。ロシア科学アカデミー極東研究所の機関誌『極東の諸問題』二〇一二年第五号(九・十月号)に掲載されたV・クジミンコフ/V・パブリャチェンコの共同論文「一九五六年ソ日共同宣言の真の意味」がその例だ。
極東研究所は、日本、中国、韓国、北朝鮮、モンゴルに関する政治、経済、軍事問題を研究するシンクタンクである。この研究所は、クレムリン(大統領府)、首相府、外務省などから研究を委託され、また答申を政府機関に提出することができる、現実に影響を与える研究所だ。『極東の諸問題』誌(隔月刊)は、発行部数は五八四部に過ぎないが、専門家には影響を与える。さらにクレムリン、外務省などの委託研究にもとづく報告書から秘密に該当する部分を削除して、同誌に掲載することもよくある。
本論文の著者であるクジミンコフ、パブリャチェンコは、いずれも日本の内政、外交、軍事を専門とする日本学者だ。本論文では、一九五五~五六年の日ソ国交回復交渉の経緯を丹念に追って、ソ連が日本に平和条約締結後の歯舞群島と色丹島の引き渡しにいかに合意したかについてまとめている。日本側の文献としては、もっぱら松本俊一『モスクワにかける虹』(朝日新聞社、一九六六年。二〇一二年に朝日新聞出版より『日ソ国交回復秘録』と改題し、佐藤優による解説をつけて再刊)に依拠している。結論部で、日ソ共同宣言の二島引き渡し条項について、クジミンコフ、パブリャチェンコはこう述べる。
〈東アジア諸国における本質的な変化が、東アジアにおけるロシアの戦略形成におけるアプローチを全体的に再検討することを余儀なくさせ、特に「平和条約」締結に関する日本との交渉を最適化する。この最適化は、国際法を基礎にしてのみ完全な根拠を伴って実現できる。日本は、何度もソ日共同宣言第九項で規定されている義務の履行を拒否し、四島にまで要求を拡大した。一九六九年の条約法に関するウイーン条約(第四四条、第六二条)に鑑み、仮に義務の面での根本的な事情が変化するならば、条約は完全にもしくは部分的に履行されなくなる。日本が当初受け入れていた共同宣言(第九項)の条件を拒否したことは、当然、「根本的な事情の変化」である。
それ故に、上述のことから、地域と世界の新たな地政学的状況のためにロシアは、国益と安全保障全般に合致していない過去の立場を、部分的に、そして一部においては完全に再検討することを余儀なくされるのである。〉
要するに、日米同盟が深化し、米国のミサイル防衛システムに日本が組み込まれている状況で、しかも日本政府が一九五六年宣言で合意した歯舞群島、色丹島の日本への引き渡しに満足せず、領土要求を国後島、択捉島に拡大している以上、「根本的な事情の変化」が起きているので、もはや歯舞群島、色丹島を日本に引き渡す義務はロシアにないということを示唆している。北方領土交渉が動き出すことを念頭におき、「ゼロ島返還」でとりあえずハードルをあげようとするクレムリン、首相府、外務省の対日強硬派がこの論理を用いるであろう。
もっとも、日ソ共同宣言第九項前段では、平和条約交渉の継続が明記され、また日ソ双方が公表に合意した松本・グロムイコ往復書簡でも、「領土問題を含む平和条約締結に関する交渉は両国間の正常な外交関係の再開後に継続せられるもの」という了解が明記されているので、日本側が国後島、択捉島を要求していることをもって「根本的な事情の変化」を主張しても、説得力がない。
いずれにせよ、外務省は首脳レベルでの信頼関係の構築につとめるとともにロシア側からのさまざまな変化球に対応できる理論武装もしなければならない。(文中一部敬称略)
(二〇一三年二月二十六日脱稿)
本連載は加筆・修正の上、『新・帝国主義の時代 左巻:情勢分析篇』『新・帝国主義の時代 右巻:日本の針路篇』として三月二十五日に二冊同時刊行の予定です。
(了)
最終更新:3月16日(土)17時30分
http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20130316-00000302-chuokou-pol