日本を貶め続ける「河野談話」という悪霊ー櫻井よしこ
櫻井よしこ
日本を貶め続ける「河野談話」という悪霊
強制連行を認めた河野氏
九三年八月四日、宮澤喜一内閣総辞職の前日に、河野洋平官房長官が発表した談話が悪霊のように日本にとり憑いている。
中国や韓国、さらに欧米諸国で"高く"評価されるに至った河野談話は「慰安婦の募集については、軍の要請を受けた業者が主としてこれに当たったが、その場合も、甘言、強圧による等、本人たちの意思に反して集められた事例が数多くあり、更に、官憲等が直接これに加担したこともあったことが明らかになった」と明記して、「官憲」が「強圧」によって慰安婦を生み出したと、公に認める内容だった。
また、「慰安所は、当時の軍当局の要請により設営された」「慰安所の設置、管理及び慰安婦の移送については、旧日本軍が直接あるいは問接にこれに関与した」「軍の関与の下に、多数の女性の名誉と尊厳を深く傷つけた」として、軍による強制の意思が働いていたことを強く示唆する内容だった。
また、河野氏は、直後の記者会見で次のように、より明確に強制連行を認めている。
(官邸記者)今回の調査結果は、強制連行の事実があったという認識でよろしいわけでしょうか。
「そういう事実があったと。結構です」
氏は明快に答えたが、これだけはっきり言うからには根拠があるはずだ。その点を別の官邸詰めの記者が質問した。
強制連行については公文書は見つからずそれで聞きとり調査をしたと理解していますが、客観的資料は見つかったのですか。
この問いに河野氏は次のように答えた。
「強制には、物理的な強制もあるし、精神的な強制もあるんです。精神的な強制は官憲側の記憶に残るというものではない。しかし関係者、被害者の証言、それから加害者側の話を聞いております。いずれにしても、ご本人の意思に反した事例が数多くあるのは、はっきりしておりますから」
要は、質問に出てきた客観的資料はなかったのだ。しかし、「証拠はないという事実」に反して、河野氏は「強制」があったと断じ、それが一人歩きし始めた。
政府は、当時十六人の元韓国人慰安婦の証言を聴いており、彼女らの証言が「強制」の決め手になったとされた。だが、その証言内容も、証言者の姓名も、今日に圭るまで、一切明らかにされていない。
公表できない調査内容
私が実際にこの問題について当事者らの取材を始めたのはそれから四年近くがすぎてからだった。九七年四月から慰安婦問題が中学の歴史教科書に掲載されることになり、事実はどうなのかという疑問が再ぴ私の中で頭をもたげてきたのだ。
宮澤内閣の力を結集して集めた歴史資料は膨大な量にのぼり、その中には、日本軍による強制を示す資料はただの一片もなかったとされている。にもかかわらず、なぜ、政府は強制を認めたのか、私は考え得る当事者たち全員に取材を申し込んだ。
そして取材を一旦受けながら、直前に断ってきた宮澤首相を除き、河野氏、河野氏の前に官房長官を務めた加藤紘一氏、官房副長官の石原信雄氏、外務審議室長の谷野作太郎氏、武藤嘉文外相、駐日韓国大使の孔魯明氏、駐韓日本大使の後藤利雄氏らの話を聞いた。
その結果確認出来たのは、河野談話には根拠となる事実は、全く、存在せず、日韓間の交渉の中で醸成されていったある種の期待感と河野氏自身の歴史観が色濃く反映されていたことだった。氏の歴史観、戦争に関する極めて、否定的な想いは、宮澤氏のそれと多くの共通項を有してもいた。
河野談話に至る過程で重要な役割を果たしたのが、前述のように、十六名の女性たちの"証言"だった。十六人は韓国政府によって選ばれ、日本側から外政審議室の田中耕太郎審議官ら四名が韓国に派遣され、一人平均二時間半をかけて聞き取りをした。報告書を読んだ谷野外政審議室長は次のように語った。
「凄まじい内容でした。宮澤さんにお見せしたら目を背けました。読みたくないと仰った。余程公表しようと思いましたが、出してもいうことをきかない人はきかない。余りにもオドロオドロしいので出しませんでした」
一方、石原氏は、「最後まで迷いました。第三者でなく本人の話ですから不利な事は言わない、自分に有利なように言う可能性もあるわけです。それを(旧日本軍及び政府による強制連行有無の)判断材料として採用するしかないというのは …」と□ごもった。
氏が□ごもったのは、女性たちへの聞き取りが尋常なものではなかったからである。第一に、日本側から女性たちへの反問も検証も許されなかった。加えて、韓国政府の強い要望で実現した聞き取り調査は、日本政府が、女性たちは生活やお金のために慰安婦になったのではなく、強制連行されたのだと認め、謝罪することにつながるべきだと、韓国政府が要求していたことである。
事実、聞き取り調査の始まる前の七月十四日、孔大使は日本記者クラブで会見し、元慰安婦の名誉回復のため、強制連行だったと日本政府が認めることが第一条件だと述べている。女性たちの証言は日本政府が聞き取りをすると決めた瞬間から旧日本軍による強制連行の"証拠"となるべき運命だったと言える。
韓国人でも証言に疑問
ただ、石原氏も谷野氏も、温度差はあれ、証言内容に疑問を抱いてはいた。「彼女たちの体験を売春だったと開き直れる世界ではありません」と述べた谷野氏でさえ、女性たちの証言を「そのまま信ずるかと言われれば疑問はあります」と答えたのだ。
女性たちの証言を信じ難いとする評価は日本人だけのものではない。韓国においても同様の見方がある。九三年、二月に出版された『強制で連れて行かれた朝鮮人軍慰安婦たち証言集1』(韓国挺身隊問題対策協議会・挺身隊研究会編)は、四十余人を対象に調査を実施した。調査に参加した安秉直・ソウル大学教授はこう書いている。
「調査を検討するにあたってとても難しかった点は、証言者の陳述が理論的に前と後ろが合わない場合がめずらしくなかったことだ」「調査者たちをたいへん困難にさせたのは、証言者が意図的に事実を、歪曲していると感じられるケースだ。我々はこのような場合に備えて、調査者一人一人が証言者に人間的に密接になることによってそのような困難を克服しようと努力し、大部分の場合に意図した通りの成果を上げはしたが、ある場合には調査を中断せざるを得ないケースもあった」(西岡力氏『闇に挑む!』徳間書店)
韓国の人々の目にも疑問が残った女性たちの証言を前にして石原氏が懸念したことのひとつは、日本が強制を認めた場合、それが後々、新たな補償問題につながっていく可能性だった。
だが、韓国政府は日本政府より一枚上手だった。彼らは日本側の懸念を見通し、日本政府が強制を認め易くするために、日本には金銭的補償は求めない、補償の必要があれば、韓国政府の責任において行うと明言したのだ。こうして、懸念が取り除かれた日本政府は強制連行を認めるべく、背中を押されていった。
十三歳の少女まで?
だが日本が強制を認めて四年後、状況はまたもや微妙に変化した。九七年春、韓国の柳宗夏外相が、日本政府は慰安婦問題に対して補償し責任を認めるべきだと述べたのだ。日本政府による個人補償の必要性に韓国政府がはじめて言及した瞬間だった。
石原氏は「女性たちの名誉が回復されるということで強制性を認めたのであり、国家賠償の前提としての話だったなら、通常の裁判同様、厳密な事実関係の調査に基づいた証拠を求めていたはずだ」と語る。
河野談話はそうではないという前提で、"善意"で"日韓関係に配慮して"認めたというのだ。
もう一歩踏み込んで言えば、あの時点で日本政府が強制性を認めれば、韓国側はもはやこの間題を問わないという、阿吽の呼吸とでも呼びたくなる"共通の理解" があったと、氏は述懐する。
河野官房長官の強い意思とそれを支える宮澤首相の決意によって生まれた談話は、いま、国際社会で日本軍による強制連行の動かぬ証拠とされ、日本非難の支柱となった。それにしても、米国下院での状況は、検証のプロセスが欠落している点で、日本での聞き取りと酷似する。
米下院本会議に、「旧日本軍が若い女性を強制的に性的奴隷にしたことに対して、日本政府の公式な謝罪を要求する」という内容の決議案が日系三世のホンダ議員によって提出されたのは、今年一月三十一日だった。
米国下院の決議案には、「日本帝国陸軍が直接的及び間接的に」「若い女性の隷属」「誘拐を組織することを許可した」「慰安婦の奴隷化は、日本国政府によって公式に委任及び組織化され、輸姦、強制的中絶、性的暴行、人身売買を伴っていた」と記述されている。
慰安婦の中には、十二歳の少女もいたとされ、彼女らは、「自宅から拉致され」「二十万人もの女性が奴隷化され」「多くの慰安婦は、最終的には殺害されたり、交戦状態が終了した際には自殺に追い込まれた」、その結果、「(女性たち)の内僅かしか今日まで生存していない」とある。
こうした対日非難の"証拠"となったのが、またもや、検証されざる女性たちの証言である。たとえば二月十五日の米下院公聴会で証言した韓国人女性は昭和十九年、十六歳のとき、友人に誘われて未明に家出し、国民服の日本人の男についていったそうだ。汽車と船を乗りついで台湾に到着、男が慰安所の所有者だったと知った。男は彼女を電気ショックで拷問し、電話線を引き抜いて縛り上げ、電話機で殴ったという。彼女は売春を強制されたが、「ただの一度も支払いを受けなかった」とも語っている。
検証もせずに批判
真実とすれば、このひどい取り扱いは心底憎むべきものであり、女性には深い同情を禁じ得ない。だが、疑問も残る。たとえば、右の証言はどこで日本国政府や軍による挾致、強制につながるのかという点だ。白ら語ったように、彼女は友人と家出した。彼女らを台湾に連れて行ったのは慰安所の所有者だった。彼女の台湾行きに日本軍や日本政府が加担し、強制したのでないのは明らかだ。
また同じ公聴会で証言したオランダ人女性は「インドネシアの抑留所にいた一九四四年、日本軍の将校に連行され、慰安所で性行為を強要された」と証言した。たしかに、インドネシアでは、現地の旧日本軍人がオランダ人捕虜の女性を同意なく売春婦として働かせたことがあった。
しかし、事態を知った軍本部は、この慰安所の閉鎖を命じ、当事者は戦後、戦争犯罪人として死刑に処せられている。彼女の事件は、むしろ日本側が「国家による強制はなかった」と説明出来る材料なのだ。
にもかかわらず、ホンダ議員らは検証もせずに日本を断罪する。戦後補償問題に取り組むミンディー・コトラー氏も、公聴会で慰安婦問題とユダヤ人虐殺を同列に並べ、日本に、強制連行を否定することで「日米同盟の名誉を汚すのをやめよ」と糾弾した。
河野談話が全ての原因
かつて日本政府は韓国政府の強い要請を受け入れて、疑問を封じ込めて強制を認めたが、今や、女性たちの証言は、韓国政府が要請しなくとも、検証なしで、米国議会で受け容れられていく。まさに河野談話によって、強制性は慰安婦問題の大前提として国際社会に認知されたのだ。そのことに気づけば、駐日米大使の三月の発言も、自ずと理解出来る。
トーマス・シーファー大使は米国下院公聴会での女性たちの言葉を「信じる」「女性たちは売春を強要された」として旧日本軍による強制は「自明の事実」と述べた。
ホンダ議員も、二月二十五日、日本のテレビに生出演して、「強制連行の根拠を示してほしい」と問われ、答えた。
「実際に(河野)談話という形でコメントが出ているじゃありませんか。また、強制的でなかったというのなら、どうして日本の首相は心よりお詫びしたのですか」
日本を深く傷つけ、貶め続ける河野談話。だが、米国の反日グループからは、次のように悪し様に言われている。コトラー氏は公聴会で述べた。
「日本政府は公式な謝罪をしたことがない。今までの首相の謝罪は全部個人の意見としての謝罪である」
「官房長官は、ホワイトハウスの広報担当者とほぼ同じ。広報担当者のお詫びが政府のお詫びでないように、河野氏のお詫びも政府のお詫びではない」
さらに「河野氏はレイムダックで、責任を持てない」人物だとし、「この問題は今日だけではなく明日の問題でもある」と強調した。
河野談話にもかかわらず、未来永劫日本の非をとがめ、責任を問い続けるというのだ。そして決議案は、日本政府は「歴史的責任を明確に認め、受け人れ」、「この恐ろしい罪について、現在及び未来の世代に対して教育し」、「慰安婦の従属化・奴隷化は行われなかったとするすべての主張に対して、公に、強く、繰り返し、反論し」、米国下院の主張する慰安婦のための「追加的経済措置」について国連やNGOの勧告に耳を傾けよと結論づけている。
河野談話が全て、裏目に出ているのである。
証拠ない、と安倍首相
安倍首相はこうした動きについて、河野談話を引きつぐとしながらも、重要な点に言及した。三月一日には「(軍の強制連行への直接関与など)強制性を裏づける証拠がなかったのは事実」と発言し、三月十六日には社民党の辻元清美衆院議員の質問上意書に対して、「政府が発見した資料の中には、軍や官憲によるいわゆる強制連行を直接示す記述は見あたらなかった」とする政府答弁を出した。
韓国政府もメディアも即反応した。宋畏淳外交通商相は二日、「健全で未来志向の日韓関係を築く共通の努力の助けにならない」と不快感を表明。有力紙『中央日報』は下院公聴会に関連して「日本は恥ずかしくないのか」との見出しをつけた。
河野談話は「女性たちの名誉を守るため」に「善意」で出されたはずだった。それがいま反対に、恥を知れと日本に突きつけられる。にもかかわらず、つい先頃までの日本政府、外務省の対策は信じ難くもお粗末だ。
たとえば、米国下院の対日非難に対し、駐米大使加藤良三氏はこの数か月、何をしてきたか。たしかに氏は、下院宛に書簡を出した。だがそこには、日本が謝っていないとするのは正しくない、日本はこれまで謝罪を重ねてきたと書かれているのである。事実関係を争う文章は、一行も見当たらない。
但し、加藤氏の名誉のためにつけ加えれば、氏は二月の公聴会の直前、「決議案は事実に基づいていない」とする声明を出した。出さないよりも出した方がよかったとはいえ、公聴会直前の簡単な声明がいか程の説得力を持つのか。なぜこれまで、下院の動きに対して、事実に基づく抗議も説明もしてこなかったのか。
ホンダ議員についても、外務省は調査してこなかった。同議員は後述するように、中国の反日勢力と深く結びついている。そのことを明らかにしたのは産経をはじめとするメディアである。それはメディアの責任である以上に、大使以下、ワシントン大使館の外交官の責務であるはずだ。日本の名誉を汚し、国益を損ねる理由なき外国の主張に、反論もしないのは、責任放棄であり国辱外交である。
反日団体と密なホンダ
「沈黙して耐えるのがよい」。こういう意見は内外に少なからず存在する。たとえば知日派のマイケル・グリーン前国家安全保障会議アジア上級部長である。
氏は「慰安婦問題は、高いレベルで政治介入すればかえって複雑化する。強制性があろうとなかろうと、被害者の経験は悲劇で、現在の感性では誰もが同情を禁じ得ない。強制性の有無を解明しても、日本の国際的な評判が良くなるという話ではない」「日本が政治的に勝利することはない」と言う。
同様の意見は日本国内ではさらに多い。とりあえず眼前の摩擦を回避し、"火を消すのが大事"だと考える結果、事実関係については、"歴史家に任せよ"などと言う。しかし、これまでと同じ小手先の手法が一体どこにつながっていくのか。答を得るためにはホンダ議員が過去に関わった対日賠償請求問題を検証しなければならない。
米カリフォルニア州議会で「賠償・第二次大戦、奴隷的な強制労働」という条項を含む民事訴訟法が成立したのは九九年七月だった。タイトルからはナチス・ドイツ時代のユダヤ人強制労働に対する賠償請求が連想されるが、なんと、それはナチス政権、その同盟国との表現で日本を訴追の対象に含めた法案だった。
同法案成立から一カ月後、同州議会はホンダ議員が提出した第二次世界大戦時の日本軍による戦争犯罪に関する下院共同決議を採択した。それはアイリス・チャン氏の『ザ・レイプ・オブ・南京』を全面的に肯定して日本を貶める、おどろおどろしい内容だった。
ホンダ議員らは、日本の歴史的責任は現在米国で活動中の日本企業が果たすべきだとして、二〇一〇年まで、対日企業賠償請求訴訟を起こすことが出来ると定めた。日本企業への賠償請求金額は一兆ドル・百二十兆円に上った。
ユダヤ人の消滅を国策としたドイツと日本が一緒にされる理由は、断じてない。公正さも国際法も無視したあの東京裁判においてさえも、連合国は日本を"人道に対する罪"で裁くことが出来なかった。にもかかわらず、凄まじい偏見と日本を貶めたという意図に立って対日企業賠償訴訟を法制化したのがホンダ議員だ。同じ人物が、今回もまた、深く関っている。
ホンダ議員が中国系反日団体、「世界抗日戦争史実維護(保護)連合会」による全面支援を受けていることも、すでに明らかにされた(「読売新聞」、三月十六日朝刊」。右の連合会には、中国共産党政府の資金が注入されていると考えるべきであり、一連の展開は中国政府の長年の、そして数多くの反日活動の一環だと断じざるを得ない。
誇り高く事実を語れ
読売の記事は、下院外交委員会でただひとり、「日本はすでに謝罪してきた」として、決議案に反対してきた共和党のダナ・ローラバッカー議員が、地元カリフォルニア州の事務所で韓国系団体の訪問を受け、「決議支援」に転じたとも伝えている。
つまり、私たちは今回の米下院の慰安婦問題に関する動きを日米二国間の関係でのみとらえてはならないのだ。下院の決議案は紛れもなく、中輯両国による反日連合勢力の結実で、その中に米国が取り込まれつつあることを物語る。だからこそ、彼らの反日の意図、空恐ろしいほどの反日戦略を読みとり対処すべきなのだ。沈黙を守れば消え去り、忘れ去られるような生易しい脅威ではない。
日本がこの深刻な事態に対処すべき道はただひとつ、真正面から正論で闘うことだ。拉致問題で、筋を曲げることなく闘ってきたように、安倍首相は同様の決意で日本の名誉と誇りにかけて、全力で対処しなければならない。国際社会に張り巡らされようとしている反日情報の罠の核心をしっかりと見詰め、長く困難な論争になるのを覚悟して取り組むのだ。挫けず、誇り高く、事実を語り、世界を説得していく心構えをこそ新たにしなければならない。
http://www.ianfu.net/opinion/sakurai-yoshiko.html