彼女たちが日本人の生活の一部に組み込まれる日は、相当程遠いか、おそらく来ないだろう。
激安”お手伝い移民”が、日本の奥様を救う
シンガポール・香港にあって、東京にないもの
ムーギー・キム :プライベートエクイティ投資家
ムーギー・キムムーギー キム
プライベートエクイティ投資家
1977年生まれ。慶應義塾大学総合政策学部卒業。欧州系投資銀行、米系戦略コンサルティングファーム、米系資産運用会社の東京支店にて勤務した後、香港・シンガポールに移住し、アジア・太平洋地域でのプライベートエクイティ投資業務を担当。英語・日本語・韓国語・中国語を操る。現在は欧州に拠点を移し、フランス在住。
2013年02月27
「うわぁー、人、人、人、人ばっかり! それも、おばさんばっかりや~~!!」
狭い歩道の脇にダンボールを敷いてトランプゲームに興じる民族衣装のおばさん。辺りかまわず大声で大爆笑するお姉さん。音楽を聴いたりYoutubeでドラマを見たり、歌いながら踊り出したり……とそのもようは自宅の居間さながらである。
香港のヴィクトリア公園やセントラルの歩道は、日曜日、週末に1日だけ自由な外出を許されるフィリピンやインドネシアから来た、数万人規模のナニー(お手伝いさん)で埋め尽くされる。辺り一帯にインドネシア料理のスパイシーな香りが辺りに立ち込める。ナシゴレンはおいしそうだが、あの魚を揚げたフライは私の好みでなさそうだ。
女性進出の進む香港やシンガポールでは、一般の家庭でもインドネシアやフィリピンからお手伝いさんを雇っていることが多い。価格は激安で1ヵ月4000香港ドル(約4万円)である。
美食家のあなたはナニーのおばさんに好みの味付けを覚えてもらって自宅の家庭料理も作ってもらうだろう。4つも部屋がある大きな家の掃除も、3人も生まれてしまった子どものベビーシッティングも、手間のかかる料理も買い物も、なんでもかんでも月4000香港ドルでやってもらえるのだ。
この“お手伝いさん”はエクスパット(本社から海外支社に派遣される社員)の奥様方に大好評で、私のご家族連れの同僚は、中国人でもインド人でもアメリカ人でも、ほぼ全員お手伝いさんを雇っている。
韓国人の先輩は当初、文化の違いもあるから自国からお手伝いさんのおばさんを連れてきたのだが、文化的に年上のオバサンには気を使わなければならないうえ、海外まで来て働いてもらうには月25万円程度と非常に高く、結局フィリピンのおばさんに来てもらうことにした。これは日本でいわゆるシルバーシッティング(高齢者による家事手伝いサービス)があまり普及しないように、同じ国の年上の他人に物事を頼むのは、どうしても儒教文化のバリアが高く立ちはだかるのである。
読者の皆さんはきっと、自宅の居間に“違う国のおばさんがいる”のは落ち着かないのではないか、と懸念されているに違いない。しかし意外なことに慣れるとまったく気にならず、4000香港ドルで何でもかんでもやってもらえる生活が当たり前になってしまうと、もう本国には帰れなくなる――少なくともあなたの奥さんは。
あなたの奥さんは、朝起きて口うるさい姑の朝ごはんの支度をしなくてよければ、腕白盛りの小学2年生のお弁当の支度をする必要もない。バスで30分かかる私立の小学校まで通勤前にドライブして見送っていくことなく、産休明けに血眼になって託児所を探す必要もないのである。しかめっ面の上司の顔色を見ながら、5時に帰ってきて買い物と食事の準備をしなくてよいし、食器洗いや洗濯も当然あなたの仕事ではない。泣きわめく6歳のの里奈をお風呂に入れる必要もなければ、夜泣きする2歳の赤ん坊を寝かしつける必要もないのである。
お手伝いさん生活に慣れることのリスク
いいことづくめに聞こえるナニーの導入だが、このコラムを書きながらシンガポール人の友人に聞いてみたら、どうやらいいことづくめでもないらしい。彼女いわく、お手伝いさんが当たり前という環境のダウンサイドリスクは、ともすれば“人間が怠けてしまうこと”だという。
たとえば、最近のシンガポールの若者は子供の時から社会に出るまで、食事の準備、片付け、部屋の掃除、洗濯などをすべてやってもらってきたため、“身の回りの面倒は他人がみてくれる”という感覚が身についてしまっているという。
社会に出てもずっと甘やかされてきた習慣が残っているエリート大卒のアナリストに対し、経営陣が「ここは君たちの家ではない。デスクの上を掃除し、食べたものはデスクから掃除して家にかえりなさい」という小学生向け並みの情けない内容のメールを全社オールで何回も送る必要があったとのことである。
この“何でもやってもらって当たり前”というのは、香港やシンガポールの男性が彼女にたいへん尽くすことにも影響しているのかもしれない。これは、私が好みの女性に多少親切にしたところでは、「ありがとう」と言ってもらえないことにも、少なからず影響しているのだろう。
海外からのお手伝いさんへの人権侵害
なお、自宅という最もプライベートな空間に異国から1人女性を迎え入れるのだから、それに伴うさまざまな問題も生じる。
先日、香港で新聞を読んでいたら、サウジアラビアでインドネシアからのお手伝いさんに対する虐待がニュースになっていた。しばしばシンガポールでも問題になるのだが、お手伝いさんが契約に反して朝6時から深夜1時まで働かされ、週末の休みもない、というとんでもない人権侵害が頻発している。
また香港ではほとんどの高級マンションに、“お手伝いさん向け”の粗末な窓もない小さな部屋があるのだが、あの窓もない差別感あふれるナニー部屋の造りは何とかならないものだろうか。ナニー部屋すらもない家では、キッチンや廊下で彼女たちがごろ寝を強いられている。ナニーのおばさんたちの心境を考えると、異郷で独り働き、母国にいる子供の生活費や教育費を送金する境遇のつらさは、いかほどのものであろうか。
今後の日本の移民政策については後ほど議論するが、仮に日本でも海外からナニーを多く雇い入れる日がくれば、思いやりと感謝の気持ちをもってナニーのおばさんに接していただきたいものである。
せめて畳と暖かい布団の上でナニーのおばさんにお休みいただきたい。そうであってこそ、数ある出稼ぎ先の国の中から、優秀なナニーの皆さんに「できるなら日本で働きたい」と思ってもらえるのだ。
ナニーが救う日本経済
さて、女性の社会進出の必要性が日本で長らく叫ばれてきた。某米系投資銀行のストラテジストが「ウーマノミクスが日本を救う~日本女性の労働参加率増加で15%GDP成長」といったプレゼンをよくしている(ちなみに私はあまり信じていないが)。
短期的には単に男性がジョブマーケットから追い出されて失業率が高まるだけな気がするが、仮に女性ならではの新分野のサービス産業が生み出されるか、ないし数多くいらっしゃる窓際族の男性社員より優秀なパフォーマンスを上げる女性がより生産性の高い仕事についてくれれば当然、経済成長の助けになるだろう。
また経済面のみならず、女性が持って生まれ努力して磨き上げた才能を社会で開花させる、という女性の自己実現を成し遂げる機会が増える(念のために加筆しておくが、専業主婦も立派な生き方のひとつであり、それを自己実現とされる方に異存は毛頭ない)。
実際のところ、ナニーが家事全般をみてくれる香港やシンガポールでは、結果的にビジネスでも政界でも官庁でも、女性の社会進出が先進諸国に比べて進んでいる。ひるがえって日本では、「子育てを機にキャリアが断絶される」「結婚して子育てで働けなくなるから女性の雇用に消極的」といった問題がしばしば取りざたされている。
日本でも、女性が子育ての重荷から解放されれば、子供を産むインセンティブにもなるだろう。また共働きから生じる家計所得の向上も、子供を複数名育てる経済的余裕につながる(なお私の住んでいるフランスでは子供が生まれたらアルジェリアやモロッコからナニーを雇う補助金まで支給される)。
そもそも、ナニーの皆さんはこちらが申し訳なくなるぐらいありがたい存在である。彼女たちは自分が働けるときは幼児や高齢者など“非生産者”の面倒をみてくれて、働けなくなると、年金や福祉の受給者として日本の若者に面倒見てもらうわけでもなく、本国にお帰りになる。これらヘルパーの仕事は日本国内でやりたがる人が少ないため国内の雇用をクラウドアウトせず、増大する高齢者福祉費用の低減にも寄与するだろう。
海外から来てくれるナニーはあなたの愛妻を少し怠け者にするかもしれないが、その普及は女性の社会進出促進を助け、育児負担を減らし、潜在的には少子高齢化や複数の社会問題への有効な解決策のひとつになるだろう。
しかし、たぶん“お手伝い移民“は日本に来ない
これだけお手伝いさん移民のよさについて議論してきたのに、最後は「どうせ彼女たちは日本にこない」という終わり方にするのはたいへん心苦しい。しかしながら彼女たちが日本に来てくれない理由はたくさんある。
まず移民政策に消極的な政治家が時間を浪費している間に、年々、彼女たちの賃金は上がっており、デフレで毎年賃金が下がる日本との所得ギャップは狭まっていくだろう。そのうえ、英語がほぼ通じない日本では、彼女たちとの間でコミュニケーション上の困難が伴う。またインドネシアの隣のシンガポール、フィリピンの隣の香港と異なり日本は地理的にも遠い。
しかも近所のシンガポールや香港でも人手不足でつねに“よいお手伝いさん”への需要が非常に強い。インドネシアでもフィリピンでもナニー専門の資格があるくらい、高品質サービスを提供してくれるナニーは、ヘルパーとして本格的なトレーニングと実務経験を有している。家事のお手伝いといっても、大卒や大学院卒の高学歴な人も多く、ついでに子供の言語教育なども担えるナニーはどこの国でもひっぱりだこである。
各国がこのように優秀なナニーの確保で競争する中、海外からの移民受け入れに消極的な政治風土も相まって、移民受け入れの議論がまるで進んでいない国が東経135度、北緯35度に存在する。このままでは海外からナニーのおばさんたちに来ていただいて、彼女たちが日本人の生活の一部に組み込まれる日は、相当程遠いか、おそらく来ないだろう。
生産性の高い女性が経済活動を続けるのを支援してくれるナニーの有無は、社会を構成する壮大な連立方程式の重要な変数として、社会の女性労働力化率、出生率、労働人口、社会福祉負担(ひいては税率)に関し、シンガポールや香港から東京が差をつけられる重要な一因となるだろう。
何十年か後の東京で、とある日曜日、代々木公園や新宿の歩行者天国で、ゴザを敷いてナシゴレンを囲みながら陽気な笑顔でパーティーを開くインドネシアやフィリピンのおばさんの姿を目にすることができるのであろうか。
それが実現したとき、代々木公園には現在のようにミニチュアダックスフンドやロングコートチワワだけでなく、より多くの子供たちを引き連れた、ブラックベリーで海外本社からのメールをチェックするキャリアウーマンの姿を目にすることができるに違いない。
http://toyokeizai.net/articles/-/13060