「カイロ会議の声明書を見れば尖閣諸島は日本領である」と発表すべきである。 | 日本のお姉さん

「カイロ会議の声明書を見れば尖閣諸島は日本領である」と発表すべきである。

カイロ会議で尖閣諸島討論はなかった
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 Andy Chang

1月30日、尖閣諸島の公海で中国海軍艦艇が海上自衛隊艦艇に射撃管制用レーダーを照射したことで尖閣諸島問題がさらに緊張している。
明らかな中国の挑発行為である。

去年9月に台湾の漁船が尖閣諸島海域でデモをしたあと、台湾の中国系新聞はカイロ会議でルーズベルトが蒋介石に対し沖縄を返還することを二度持ちかけたが、蒋介石は二度とも断ったと残念がっていたと報道している。つまり尖閣諸島は討論されなかったのだ。

中国と中華民国は、カイロ宣言によると尖閣諸島は中国の領土であると主張しているが、カイロ会議の実録を見ると尖閣諸島の討論はなかった。

これは米中英の首脳が尖閣が沖縄群島の範囲内にあることに同意していた証拠である。
カイロ会議を見れば尖閣諸島は沖縄領で日本領であることが明確になる。

●カイロ会議

カイロ会議とは第2次大戦の末期に、戦争終結に向けての作戦方針と、日本に対する戦後処理について、1943年11月22日から26日まで、エジプトのカイロでローズベルト、チャーチルと蒋介石が行った3者会談である。

アメリカのホプキンス(Harry Hopkins)と中華民国の王寵恵秘書長が作成したのが米国版原稿で、22日夜にルーズベルトと蒋介石が会談をした時は口頭だけで文書はない。
英国側の原稿は外交部副大臣カドガン(Alexsander G. Cadogan)が提出した。

26日の本会議で、最初にアメリカ版、次に英国版の原稿が討論されたが、最終版にはアメリカ版も英国版も採用されず、簡単な声明書が26日に作成された。
会議のあとルーズベルトとチャーチルはテヘランに飛び、蒋介石は重慶に戻った。

カイロ会議の声明書はテヘランでスターリンが同意したあと、12月1日に発表された。
中国はこれをカイロ“宣言”と呼ぶが、参加国首脳の署名がないのでカイロ宣言ではなく声明書である。

●中華民国の「カイロ会議」実録

筆者の手元に梁敬?(1893―1984)という、中華民国の中央研究院、中国近代史研究所所長の著書、「開羅会議」(台湾商務印書館発行、 1973年)がある。
この本は筆者の友人、陳逸南氏が古書店で見つけて筆者に贈ってくれたものである。

カイロ会議の目的は(1)対日作戦の戦略と調整、(2)日本に対する懲罰と戦後処理などであった。
詳細は省いて、筆者が興味を覚えたことは以下の4点である:

 (1)日本皇室の存廃につきルーズベルトは蒋介石の意見を求めた。
蒋介石は、この戦争は日本の軍閥によるものだから軍閥を倒すのが目的で、日本の国体については日本人民が決めるべきと答えた。
しかしホプキンス(Harry Hopkins)の提出したアメリカ版初稿には天皇を排除すると書いてあり、
王寵恵が再度訂正した。

 (2)ルーズベルトは2回も琉球を中国に返還するかと聞いたが、蒋介石は2回とも米国が琉球を占領し委託管理とすべきと答えた。
このあと琉球の帰属は26日の本会議では討論されなかった。

 (3)11月26日の本会談では、まずアメリカ版原稿を検討した。
英米の幕僚は「3カ国には領土の野心はない」と明記すべきだと提案し、王寵恵も同意した。
このアメリカ版には3カ国首脳の署名はなかった。
英国の提示した第2原稿には3カ国首脳、及び会議に参加した幕僚全員の署名があった。

 (4)英国の外務副大臣・カドガン(Alexander G. Cadogan)は、日本が太平洋地域で占領した土地については返還の帰属国を明記していないのに、満州、台湾澎湖だけを中国に返還すると書くのは不一致だから、

両方とも日本は返還すべきと書けばよいと主張したが、王寵恵は日本が中国から窃取したのは明らかだから中国に返還と書くべきと主張し、アメリカのハリマン大使が賛成したので最終的に英国も同意し、中国に返還とされた。
最終版は更に短くなり、参加国の署名はなかった。つまり「宣言」の効力を失ったのである。

●沖縄(琉球)群島について

領土の返還問題について、発表されたカイロ宣言と呼ばれる議事録の領土問題については「第一次世界大戦により占領した太平洋の全島奪還、及び日本が中国領土から奪った領土を中華民国へ返還(例として満洲、台湾、澎湖諸島)」となっている。
サンフランシスコ平和条約第2条bには日本が台湾澎湖の「主権を放棄」と書いてある。

カイロ宣言と呼ばれる声明書には沖縄(琉球群島)の討論はない。
琉球群島がなければ尖閣諸島も書かれていないのは当然である。

要点はカイロ会議において蒋介石が琉球返還を拒否した事である。
尖閣諸島も沖縄の一部と理解されていたので特に尖閣諸島を討論しなかった。
いまさら中国が尖閣諸島の主権を主張する時にカイロ議事録を取り上げるのは明らかに中国側に不利である。

中国は「尖閣諸島は昔から中国の領土であった?と主張するが、証拠がない。
1971年に沖縄を日本に返還した際も尖閣諸島を沖縄の範囲内に明記してあったことは中国も認めている。
カイロ会議の声明書には「3カ国に領土の野心はない」と明記してある。

梁敬?の著書は1973年出版である。
これは1968年に尖閣諸島近海の油田可能性が発表され、中国や中華民国が領土主権を主張し始めた後である。

しかしこの本では尖閣諸島が中国領である証拠を挙げることが出来なかった。
つまり同書やカイロ会議議事録は尖閣諸島が日本領である確たる証拠でもあり、日本政府は中国と交渉する際にこの二点を強調すべきである。

日本政府は毎度の中国側の勝手な声明に呆れたり怒ったりするより、「カイロ会議の声明書を見れば尖閣諸島は日本領である」と発表すべきである。