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日本の子供たちがそれぞれの家で幸せに暮らせますように。

「ママに暴力をふるわれている」小4の娘が自ら110番、母親を逮捕
産経新聞 12月25日(火)11時19分配信
 小学4年の長女に殴るけるの暴行を加えけがをさせたとして京都府警東山署は25日、傷害の疑いで京都市東山区の無職の女(38)を逮捕した。同署によると容疑を認めている。

 逮捕容疑は24日午後3時~4時ごろ、同区内の自宅マンションで、小学4年の長女(10)に殴るけるの暴行を加え、ひざなどに全治約2週間のけがを負わせたとしている。

 同署によると、女は長女と2人暮らし。長女が口答えをしたことに腹を立てて暴行。同日午後4時45分ごろ、「ママに暴力をふるわれている」と長女が自ら110番した。長女が「ママによくたたかれる」と話していることから、日常的に暴力行為があった可能性もあるとみて調べている。長女は25日、児童相談所に保護された。

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20121225-00000521-san-soci


高裁も一蹴 2児放置・餓死の25歳ママが上告する「理由」

配信元:
2012/12/22 12:29更新
【衝撃事件の核心】
 単なる詭弁(きべん)か、それとも倒錯した愛情なのか。今月5日、幼児2人を餓死させたとして殺人罪に問われ、大阪高裁で控訴が棄却された中村(旧姓下村)早苗被告(25)は、控訴審で「2人の子供のことは今でも愛している」などと話す一方、殺意を否定した。だが、裁判所は殺人罪の成立を認定、懲役30年(求刑無期懲役)が相当と判断した。十分な食事を与えず、約50日にわたってごみや汚物まみれの部屋にわが子を放置し、裁判所に「むごい」とまで言わしめた行為。それでもなお、中村被告は「理解されなくても『死んでほしくなかった』という気持ちを最後まで訴えたい」と周囲に語り、最高裁に上告した。
 ■「殺していない」と否認
 「同じような事件で被害に遭う子供を出してほしくない。私にも何か伝えられることがあるのではないかと思った」
 こうした理由で控訴し、殺意を否認して臨んだ今月5日の控訴審判決公判。大阪高裁で一番大きい201号法廷は満席となった。髪を頭の上でまとめ、黒い洋服姿で証言台の前に立った中村被告に、森岡安広裁判長が判決の主文を宣告した。
 「本件控訴を棄却する」
 言い渡しの瞬間こそ、肩を少し震わせた中村被告だが、判決理由が朗読される間は落ち着いていた。今年3月の1審大阪地裁判決のころよりふっくらした印象だった。


判決によると、中村被告は平成22年6月9日、長女の桜子(さくらこ)ちゃん=当時(3)=と長男の楓(かえで)ちゃん=同(1)=に十分な食事を与えなければ死亡する可能性が高いと知りながら、2人を自室に閉じ込めて外出。帰宅せずに放置し、同月下旬に餓死させた。
 中村被告は1審段階から「殺害したというのとは違う」と殺意を否認。しかし、1審判決は殺意を認定した上で「幼い子供がゴミと糞尿(ふんにょう)にまみれた部屋で絶望の中、空腹にさいなまれながら命を絶たれたのは、『むごい』の一語に尽きる」と厳しく断じた。
 判決を不服とした中村被告は控訴。控訴審初公判でも、衰弱した子供2人を食料のない自宅リビングに放置したことを「危険という認識はなかった」と述べ、改めて殺意を否定した。
 弁護側も、中村被告が幼少期に実母から育児放棄されていた経験が犯行に影響しているとして、「虐待のトラウマで、対応が困難な状況になると意識を飛ばしてしまう傾向があった。子供たちが餓死する具体的な認識を抱くまでに至らなかった」と述べ、1審同様、保護責任者遺棄致死罪にとどまると主張していた。
 ■「私ね、取り返しのつかないことしてたの」
 高裁判決は、改めて殺意の有無を検討するにあたり、判決理由の中で犯行前後の状況を、以下のように振り返った。
 中村被告は21年5月に離婚した後、風俗店で働きながら子供2人を育て、22年3月、客の男性と交際を始めてほぼ毎日のように外泊するようになった。子供は十分な食事を与えられず、栄養が偏った状態で、5月中旬には表情に変化がなくなるなどしていた。
 6月9日、約10日ぶりに帰宅した中村被告が子供たちに用意した食事は、コンビニの蒸しパン、おにぎり、手巻きずし、りんごジュースだった。
 それらを自宅リビングに置いた後、中村被告は、子供たちが外に出ないようリビングと廊下の間の扉に粘着テープで目張りし、玄関に鍵をかけて立ち去った。
 7月29日、勤務先の上司から「(被告の)自宅から異臭がする」との連絡を受け、約50日ぶりに帰宅。2人の子供が亡くなっているのを見た中村被告は上司にメールを送った。
 《私ね、取り返しのつかないことしてたの。子供たちほったらかしで地元に帰ったんだ。それから怖くなって帰ってなかったの。今日1カ月ぶりに帰ったら、当然の結果だった》
 こうした状況を踏まえ、高裁は「相当衰弱した子供を目の当たりにし、十分な食事を与えなければ生命が危険な状態になると認識していた」と指摘し、こう結論づけた。
 「子供に2、3食分の飲食物を与えたのみで、自宅から出られない状態にした上で立ち去った。被告には短期間で帰宅するつもりはなかったと推認され、殺意があったと認められる」
 ■「最後まで訴える」と上告
 判決理由の朗読を終えた森岡裁判長は中村被告に語りかけた。
 「事件の重大性に照らして慎重に審理した結果、1審判決には誤りがなかったという結論です。積極的に子供2人を殺害するつもりではなく、未必的なものだったということです」
 今年10月に中村被告と養子縁組した養父母は高裁判決後に記者会見し「厳しい結果と思うが、まったく想定していなかったわけではない。早苗もそう感じていると思う」と語った。
 養父によると、1審判決後に、面会や手紙のやりとりを始めた当初は「どうしたら死ねるだろう」と話していたが、今は「生きて罪を償う」と心境に変化が現れ、子供2人が亡くなったことを悔やんで写経する日もあるという。
 養父は「早苗は当時子供を捨てることもできず、保護施設に預けることもできなかった。彼女の心理状態では、子供を守る行為は部屋に残すことだったのではないか」と推し量る。
 しかし、高裁判決は「被告には自己に都合の悪いものを避けようとする傾向がある。だが、だからといって、衰弱した子供に食事を与えないと死亡するという認識や、部屋に閉じ込めて放置した行為の未必的な殺意が否定されるとは到底考えられない」と一蹴した。
 控訴審の判決直後、「どれだけがんばっても(殺意はなかったという)自分の気持ちは理解してもらえないと思う」と漏らしていたが、その後に「殺すつもりはなかったと最後まで訴えたい」と上告を決意。高裁判決から13日後の今月18日。中村被告は最高裁に上告した。
 養父に対し、「子供には死んでほしくなかったと今でも思っている」と話したという中村被告。食料を与えられず、目張りした部屋に閉じ込められ、空腹と絶望感のうちに亡くなった2人の子供は、母親の弁解をどのように聞いているのだろうか。
http://www.iza.ne.jp/news/newsarticle/event/trial/616779/


30分にわたる暴行で娘を死亡させた母…悲劇はなぜ防げなかった
配信元:
2012/10/20 20:11更新
【衝撃事件の核心】
 広島県府中町の小学5年、堀内唯真(ゆま)さん(11)が10月1日、母親の無職、亜里容疑者(28)=傷害致死容疑で逮捕=に練習用のゴルフクラブで頭部を殴られるなど暴行を受け、死亡した。唯真さんは以前にも亜里容疑者から虐待を受け、施設に保護されたことがあった。虐待経験のある母1人、子1人の生活。事件を通して見えてきたのは、そんな危うい母子の暮らしを見守る社会の体制がまったくなかったことだ。
 ■30分間にわたり暴行
 「娘の様子がおかしい」。10月1日午後2時ごろ、東広島市内の交番に、亜里容疑者が車で乗り付けた。警察官が車内でぐったりしている唯真さんの様子を確認したところ、すでに心肺停止状態だったという。
 亜里容疑者が「娘を殴ったのは間違いない」と認めたため、広島県警は傷害致死容疑で緊急逮捕した。逮捕容疑は、1日午前11時ごろ、府中町の自宅で、唯真さんの頭や腹を殴ったとしている。
 その後の調べで、亜里容疑者は約30分間にわたり、唯真さんに殴る蹴るの暴行を加えていたことが判明。先端に硬質ゴムのついた長さ約55センチの練習用ゴルフクラブで後頭部を殴っていた。唯真さんの死因は、くも膜下出血と脳挫傷による出血性ショックだった。


■「しつけのために殴った」
 さらに、唯真さんの体にはこの事件より古い多数の打撲痕が見つかった。それらの古い傷は、いずれも衣服に隠れて他人から見えない箇所だった。
 これらのことから、県警などは日常的な虐待があったとみている。
 亜里容疑者は暴行の理由を「嘘をつくのでしつけのために殴った」と供述。「部屋のいろんな場所で殴った」と暴行が執拗(しつよう)だったことを認め、「やりすぎた」と後悔の言葉も口にしている。
 ■過去にも受けていた虐待
 唯真さんは平成13年7月に生まれた。母親の亜里容疑者はこのとき、17歳。その3カ月後に離婚し、唯真さんは「養育困難」を理由に乳児院に預けられ、15年に児童養護施設に移った。
 5歳になった18年3月、東広島市内の祖母方に引き取られ、亜里容疑者と一緒に暮らし始めた。
 ところが、3年後の21年2月、最初の虐待が発覚する。顔や体に大きなあざを作って登校した唯真さんに教師が気付いた。唯真さんは、無断で外出したことを理由に、祖母にほうきでたたかれ、亜里容疑者には顔を殴られ、腹を蹴られる暴行を受けていたのだ。
 校長は2人を呼んで指導したが、2人は体罰を肯定し、特に亜里容疑者には反省の態度が見られなかったため、「県西部こども家庭センター」が唯真さんを職権で一時保護。そのまま唯真さんは再び児童養護施設に入所した。
 ■母子の関係改善の判断
 それから3カ月後、施設で母子の面会が始まった。続いて定期的な外泊も開始。翌22年は春休みやゴールデンウイークなどに長期外泊を積み重ね、母子関係は改善されたように見られた。
 亜里容疑者は引き取りに熱心だったという。唯真さんも同居を望むようになっていた。
 センターは会議の結果、3カ月程度の一時帰宅で問題がなければ、唯真さんを亜里容疑者の元に帰すことを決めた。同年12月、唯真さんは当時、亜里容疑者が住んでいた広島市内で同居を再開した。
 その様子を確認したセンターは23年3月、「親子関係は改善された」と判断。唯真さんの入所措置を正式に解除した。
 ■11年の生涯の半分を施設で暮らす
 だが、再同居から約1年半後、亜里容疑者の虐待は再発し、唯真さんは死亡した。11年の短い生涯の半分以上を施設で過ごし、希望かなって一緒に暮らし始めた母親の手で命を奪われてしまった。
 なぜ、虐待は再発したのか。「関係機関で情報が共有できていなかった」という声が上がる。
 母子は2月、広島市から府中町に転居している。県や同町教委によると、虐待の疑いがある児童が転入した場合、県のこども家庭センターから町側に情報提供があり、町や学校などがケース会議を開いて対応を協議するという。
 ■伝わらなかった虐待の情報
 だが、唯真さんの場合、町教委は「まったく知らされていなかった」という。
 県側が母子関係を良好と判断し、町へは電話による引き継ぎしかしておらず、町側の担当者も重大事案とは受け止めなかったためだった。
 唯真さんが通う小学校の教頭は虐待の経歴を「新聞で初めて知った」と話した。唯真さんは学校では明るく振る舞っていた。同級生の1人は「話を聞くのが好きで、お姉さんみたいな子」と話し、虐待に気付いていた様子はない。
 ■間に合わなかった改訂マニュアル
 広島県内では平成22年8月、福山市で女児=当時(2)=が母と養父から虐待を受け死亡する事件が発生。一時保護措置から帰宅後の事件だったため、県は児童虐待危機管理要領(マニュアル)を改訂し、一時保護された児童を親元へ返す際、必ず文書で市町へ引き継ぎ、見守りを継続して対応するよう改めた。
 だが改訂マニュアルの運用開始は皮肉なことに今年4月。約1年早かった唯真さんの場合には、適用されなかった。府中町教委の関係者は「情報共有ができていれば違った対応ができたかもしれない」と肩を落とす。
 ■事件を検証、再発防止への動き
 唯真さんの事件で、県は行政機関の対応に問題がなかったかを調査する検証委員会を設置した。委員は児童福祉や医療など関係分野の専門家9人が務める。
 今後、児童養護施設の職員や府中町の担当者らから聞き取り調査を行い、県(センター)の判断に間違いはなかったかを検討する。委員長の七木田敦・広島大大学院教授は「検証を含め、社会が母親をどう支援すればよいのか意見をまとめたい」と話している。http://www.iza.ne.jp/news/newsarticle/event/crime/600244/


浮かぶセレブの落とし穴…5歳児虐待の母「家族に相談できず」
配信元:2012/10/27 20:23更新
【衝撃事件の核心】
 3億円超の邸宅、外国製の自家用車、実業家の夫、4人の子宝…。東京都目黒区碑文谷で9月、5歳の男児がごみ袋に閉じ込められて重体となり、その後死亡した事件で、殺人未遂容疑で逮捕された母親(41)=鑑定留置中=は誰もがうらやむ“勝ち組”のはずだった。ところが、母親は「夫に育児の悩みを相談できなかった」と供述しており、精神的に孤立を深めたことが事件を誘引した可能性がある。専門家が「プライドが高く周りに弱みを見せたくないセレブならではの落とし穴に陥ったのだろう」と指摘する転落の顛末(てんまつ)とは…。(中村翔樹)
 ■口ふさぎ、手足縛り…母親「しつけのつもり」
 捜査関係者によると、事件が起きた9月2日は日曜日だったが、男児の父親(45)は正午近くになっても、自宅3階で寝ていた。父親は最近、体調を崩して精神的に不安定になり、感情の起伏が激しい状態が続いていたからだ。
 2階居間では母親に向かって、男児が「おもちゃを出してほしい」とわめいていていた。前日に男児がおもちゃで遊んだ後に片付けをしなかったため、母親が取り上げて隠していた。
 「夫を起こしてしまう。子供が騒いでいるのを聞かれたくない」


こう考えた母親は、「しつけのつもり」(母親)で男児の口を粘着テープでふさぎ、手足をひもで縛り、ごみ袋を二重にかぶせて閉じ込めた。
 男児は呼吸ができずに窒息したとみられ、意識不明の重体になった。3階から下りてきた父親が気付き、「何をしているんだ」と母親を怒鳴ったが、すでに手遅れだった。父親の通報で母親は逮捕され、男児は3日後に死亡した。
 捜査関係者によると、母親は捜査員からわが子の死を伝えられ、泣き崩れた。その後も取り調べのたびに涙をこぼし、ハンカチで顔を覆っていたという。母親は以前にも男児の頭をたたくなどしたことがあったといい、こう弁明した。
 「ちょっとしたことでは効果がないと思った。『思い通りにならないことがある』と分からせたかった。殺すつもりはなかった」
 ■恵まれた家庭環境…地域社会では裏目に
 男児の家庭は経済的に恵まれている。父親は都内で飲食店や宅配弁当店を経営し、自宅は東急東横線都立大学駅から1キロほどの閑静な住宅街。3階建ての邸宅は「3億円以上の物件」(近隣住民)とされ、駐車場にはイタリア製の高級外車が止まっている。2人の兄と妹もいた。
 しかし、母親は精神的に孤独だったようだ。ごく一部の古くからの知人に「男児がわがままで言うことをきかず、手に負えない」と漏らしていたが、家族にはその悩みを打ち明けていなかった。同居していた祖母は「それほど思い詰めているとは思わなかった」と話しているという。
 児童虐待に詳しい花園大学の津崎哲郎教授(児童福祉論)は、これまでの子育ての経験値が母親を孤立させた可能性があると指摘する。「複数の子供を抱える母親はこれまでの経験から、少しぐらいのトラブルなら人に相談せずに乗り越えようとする」という。
 さらに、母親は家庭内で孤立していただけでなく、地域社会や行政へも悩みを打ち明けられなかった。
 目黒区保育課によると、母親は複数回、男児が通う保育園の園長や担任に育児の相談をしていたが、いずれも深刻に受け止められていなかった。同課は「送迎時に数分間、立ち話で聞いた程度のようだ」と説明する。近所にも直接、母親から悩みを聞いた住民はいなかったという。
 津崎教授は「特に高級住宅街に住むなど社会的地位が高い家庭では、外部に家庭の内情をさらすのを恥と考えてしまう傾向がある。同じような立場にある周辺住民も深く関わりにくかったのではないか」と指摘する。
 ■虐待の2割が「孤立」…父親「余裕なかった」
 東京都の平成17年の調査では、児童虐待を行った親などが親族、近隣などから孤立していたケースは23・6%に上っている。厚生労働省の22年度の調査でも、虐待死の事例の45・8%が地域社会との接触が「ほとんどない」という家庭で起きていた。
 児童虐待の原因の一つに経済的困窮があるケースは多いとみられるが、一方で、経済的に裕福でも周囲から孤立を深めたために、虐待をしてしまうケースも少なくないようだ。
 津崎教授は「子育て中の母親ならば、一度はわが子に対して『どうして私だけがこんなに苦労しないといけないんだろう』『この子がいなかったら自由になれるのに』などと考える。そうした不意に抱く感情を抑えきれないと、虐待につながる」と強調する。
 捜査関係者によると、母親は8月末ごろから、父親が飲んでいた睡眠薬を自分も服用していた。子育ての悩みから不眠症だったとみられ、事件時の状態についても「睡眠薬を飲んでいて頭がぼーっとしていた」と供述している。
 睡眠薬を常用するなど、精神的に不安定な状態であれば、心の抑制がきかなくなり、虐待など不適切な行動をとりやすくなるとされる。本来であれば支え合うはずの父親はこう言って後悔しているという。
 「妻が睡眠薬を飲んでいるのは知っていたが、悩みを聞いてあげる余裕がなかった」
 東京地検は9月19日、母親が睡眠薬を服用するなど精神的に不安定だった可能性があるとみて、東京地裁に鑑定留置を請求、認められた。約2カ月かけて精神鑑定を行い、事件時の刑事責任能力を慎重に調べる。
http://www.iza.ne.jp/news/newsarticle/event/crime/601949/