ルーズベルト大統領が、12月8日の5か月も前に、日本本土爆撃作戦計画の実行にOKのサインを出した
ペリー襲来から真珠湾への道
元ニューヨーク・タイムズ東京支局長 ヘンリー・ストークス
平成24年12月9日
今から71年前の昭和16年12月8日、日本機動部隊の真珠湾攻撃によって、日米戦の火ぶたが切って落とされた。
しかし、日米戦は実際にはこの時に始まったわけではない。
本当はペリー襲来以来の歴史にさかのぼって、その原因を究明しなければならない。
それににもかかわらず、12月8日が近づくと、なぜ日本が攻撃したのか、
ばかりを論ずる超視野狭窄の議論がマスコミをにぎわす。
これらの論は、唯一つ、ルーズベルト大統領が、12月8日の5か月も前に、日本本土爆撃作戦計画の実行にOKのサインを出したという、文書が公表されたことによって、完全に崩壊している。
本質的にはアメリカこそが日米戦を望み、それを仕掛けてきたというのが歴史の真実である。
昨年公刊されたフ―バー大統領の回顧録『Betrayed Freedom』に「日本との戦争の全てが、戦争に入りたいという狂人(ルーズベルト)の欲望であった」(833頁)と述べられていることによって、とどめが刺されたといってよいであろう。
イギリス人である、ヘンリー・ストークス氏は、日米戦の原因はペリーの日本来襲の必然的な結果であることを、本論文で実証している。
今や世界の良心的な知識人が、日米戦、そして大東亜戦争が決して日本の自己中心的な侵略主義によっておこされたものではないことを発言しつつある。
これからそうした論を順次発表していく予定であるが、まずはこのストー
クス氏の論を、真正面から読んでいただきくことを願うものである。
日本語原文は
http://hassin.org/01/wp-content/uploads/The-Road-from_J.pdf
です。
「史実を世界に発信する会」事務局長 茂木弘道