私はそれを脇からとはいえ、黙ってみていた間抜けだった。
渡部亮次郎のメイル・マガジン 頂門の一針 第583号 平成18(2006)
年09月29日(金) - [無残!発見34年ぶりとは 渡部亮次郎より抜粋
34年前の今日(9月29日)は北京の人民大会堂で日中共同声明が発せら
れ、日中の国交が回復した記念の日である。私は当時、NHK政治部記者で
あり、派遣されて田中角栄総理の特別機に同乗を許されて、「現場」を
つぶさに目撃した。
しかし、当時(1972年)9月25日に到着して以来4日間に亘った田中総理と
中国の周恩来総理による日中首脳会談で何がどう話されたかについては、
会談に同席した二階堂進官房長官が「一切発表できません」と説明を拒
否。ただ最後に共同声明がいきなり発表されただけだった。
最近になってパソコンの中を遊弋していたら<データベース『世界と日
本』 戦後日本政治・国際関係データベース東京大学東洋文化研究所
田中明彦研究室>の次のHPに突き当たった。
http://www.ioc.u-tokyo.ac.jp/~worldjpn/documents/indices/JPCH/
[文書名] 田中総理・周恩来総理会談記録 を発見して初めて全文を読
むことが出来た。
[場所] 北京
[年月日] 1972年9月25日~28日 極秘無期限となっている。一定の期
限が過ぎたので 公開されたのであろう。
私自身は共同声明の6年後、今度は外務大臣園田直の秘書官に発令(福田
赳夫総理大臣辞令)され、共同声明に謳われながら、6年間も締結のでき
なかった日中平和友好条約の締結プロジェクトに携わった。
しかし田中・周恩来による日中首脳会談の記録については時間的余裕が
無かったし、見せてくれとも言わなかった。「極秘無期限」では外部か
ら来た秘書官風情に外務官僚が拒否するに決まっていると知っていたか
らでもある。
秘書官を退官した後、わずか3年で園田は腎不全により70歳で逝去した。
私も別の仕事に就き、今回、ようやく「極秘無期限文書」に会うことと
なった。その時すでに34年の歳月が流れていた。無念、無残也。
記録は厖大である。特に興味のある向きは下記のHPで当ってほしい。
http://www.ioc.u-tokyo.ac.jp/~worldjpn/documents/indices/JPCH/
以下、概略を抜き出す。
田中総理: 台湾問題につき、問題は日本国内、特に自民党内に問題が
ある。私は訪中前、佐藤前総理に決意を伝えた。彼は十分理解してくれ
た。台湾との関係については私と大平との政治力が試される問題である。
しかし、日中の長い歴史のためには、その程度の困難は覚悟している。
周総理: 何か物事をやろうとすれば、必ず反対する者が現われる。
田中総理: 私が中国との国交正常化を決意した最大の理由は、中国
(共産党)が世界を全部共産党にしようなどとは考えておらず、大中国
統一の理想をもっている党であって、国際共産主義の理念の下に行動し
ているのではないと考えたからである。
周総理: まず自分の国のことを立派にやっていくことが大事で、他国
のことは他国自身が自分でやるべきだ。今後は日中関係をできるだけ緊
密なものにしたい。まず、飛行機の相互乗り入れからやりたい。
田中総理: 結構である。
周恩来:日中は大同を求め小異を克服すべきであり、共通点をコミュニ
ケにもりたい。
日米関係にはふれない。これは日本の問題である。台湾海峡の事態は変っ
てきているから、条約(日米安保、米華相互防衛条約)そのものの効果
も変ってきている。
台湾問題にソ連の介入を許さないという点で、日米中3国の共通点があ
る。中国側としては、今日は日米安保条約にも米華相互防衛条約にも、
ふれずにゆきたい。日米関係については皆様方にお任せする。中国は内
政干渉はしない。【第1回会談】
(日米安保条約を周恩来は口を開くたびに非難していた。しかし、2ヶ月
前に訪中した公明党訪問団=代表:竹入義勝委員長に対して、周恩来は、
安保条約には触れない、と断言していた。知らなかったのは国民だけ)。
周総理: 日本政府首脳が国交正常化問題を法律的でなく、政治的に解決
したいと言ったことを高く評価する。戦争のため幾百万の中国人が犠牲
になった。日本の損害も大きかった。
我々のこのような歴史の教訓を忘れてはならぬ。田中首相が述べた「過
去の不幸なことを反省する」という考え方は、我々としても受け入れら
れる。しかし、田中首相の「中国人民に迷惑をかけた」との言葉は中国
人の反感をよぶ。中国では迷惑とは小さなことにしか使われないからで
ある。【第2回会談】
周総理: 日華条約につき明確にしたい。これは蒋介石の問題である。
蒋が賠償を放棄したから、中国はこれを放棄する必要がないという日本
外務省の考え方を聞いて驚いた。
蒋は台湾に逃げて行った後で、しかも桑港条約の後で、日本に賠償放棄
を行った。他人の物で、自分の面子を立てることはできない。戦争の損
害は大陸が受けたものである。
我々は賠償の苦しみを知っている。この苦しみを日本人民になめさせた
くない。
我々は田中首相が訪中し、国交正常化問題を解決すると言ったので、日
中両国人民の友好のために、賠償放棄を考えた。しかし、蒋介石が放棄
したから、もういいのだという考え方は我々には受け入れられない。こ
れは我々に対する侮辱である。
田中・大平両首脳の考え方を尊重するが日本外務省の発言は両首脳の考
えに背くものではないか。(戦時賠償を要求しないことも竹入委員長を
通じて予め日本政府に伝えられていたが、当然竹入は極秘を守った)
日米安保条約について言えば、私たちが台湾を武力で解放することはな
いと思う。(「思う」としているところが微妙だ。不倒翁といわれた用
心深さがうかがわれる)。
1969年の佐藤・ニクソン共同声明はあなた方には責任がない。米側も、
この共同声明を、もはやとりあげないと言った。佐藤が引退したので、
我々の側はこれを問題にするつもりはない。
したがって日米関係については、何ら問題はないと思う。我々は日米安
保条約に不満をもっている。しかし、日米安保条約はそのまま続ければ
よい。国交正常化に際しては日米安保条約にふれる必要はない。
日米関係はそのまま続ければよい。我々はアメリカをも困らせるつもり
はない。日中友好は排他的なものでない。国交正常化は第3国に向けた
ものではない。日米安保条約にふれぬことは結構である。米国を困らせ
るつもりはなく、日中国交正常化は米国に向けたものでない。
ソ連に対しては、日中双方に意見があるが、条約やコミュニケには書き
たくない。日ソ平和条約交渉の問題につき、日本も困難に遭遇すると思
うが同情する。北方領土問題につき、毛は千島全体が日本の領土である
と言った。だからソ連は怒った。
茅台酒がウォッカより良いとか、ウィスキーが良いとか、コニャックが
良いとか、そのような新聞記者が言うような問題は中国側には存在しな
い。【同】
田中総理: 大筋において周総理の話はよく理解できる。日中国交正常
化は日中両国民のため、ひいてはアジア・世界のために必要であるとい
うのが私の信念である。
賠償放棄についての発言を大変ありがたく拝聴した。これに感謝する。
中国側の立場は恩讐を越えてという立場であることに感銘を覚えた。中
国側の態度にはお礼を言うが、日本側には、国会とか与党の内部とかに
問題がある。(ODAで賠償相当額を掠め取られたとの指摘にどう応えるか)
しかし、あらゆる問題を乗り越えて、国交正常化するのであるから、日
本国民大多数の理解と支持がえられて、将来の日中関係にプラスとなる
ようにしたい。【同】
田中総理: 自民党の中には、国交正常化に十分の時間をかけろという
意見が多い。それは、中国が大きな力で統一されたが、その中国に不安
をもっているためである。他の社会主義国は別として中国は日本に対し
内政不干渉であるという考えが国交正常化の前提となっている。
日本の国内で、中国が革命精神の昂揚をやることはない。日中間に互譲
の精神と内政不干渉、相手の立場を尊重するという原則が確認されれば、
自民党内もおさまると思う。
(日中国交回復が「角福戦争」の争点となっていただけに、田中総理は
今回、条約ではないから国会の批准は必要としないものの、国会での論
戦よりも自民党内福田派からの反撃を強く懸念し、遂に相手国首脳に苦
衷をうちあけてしまった)
周総理: その点は自信をもってほしい。【同】
周総理:経済力について言えば、中国は20世紀の末になっても、1人
当り国民所得で日本のレベルに到達できるかどうか全く判らない。中国
の国民総生産は昨年は1500億ドルである。但し、サービスは入っていな
い。
7億の人口であるから、1人当り国民所得はせいぜい200ドルである。
日本は昨年は1人当りで国民所得はいくらですか。(田中総理の説明を
聞き)それでは、今世紀の末になっても、到底、日本のレベルに到達で
きないと思う。(人口はあれから34年が経ったとはいえ、13億人。当時
の統計が不完全だったのが真相ではないか)
我々は財政上、先端的な武器は持ちえない。また軍事大国には決してな
りたくない。日本がどれだけの自衛力を持つかは日本自身の問題であり、
中国側からは、内政干渉はしない。
田中総理: 日本は核兵器を保有しない。防衛力増強は国民総生産の1%
以下におさえる。軍隊の海外派兵はしないという憲法は守るし、これを
改変しない。侵略は絶対にしない。だから日本に危険はない。
国交正常化の結果、中国が内政に干渉しないこと、日本国内に革命勢力
を培養しないことにつき、確信を持ちたいというのが、大平と私の考え
である。中国が革命を輸出しないということが私の最大のみやげになる。
自民党を国交正常化問題について全部賛成に回らせることが問題解決の
カギである。
周総理: 我々のところでも、日中国交正常化に、少数の者が反対した。
また、彼らは米中関係改善にも反対した。林彪がそうだった。また我々
の方も人民に説明する必要がある。人民を教育しなければ、「三光政策」
でひどい目にあった大衆を説得することはできない。【同】
周総理: 1959年6月、フルシチョフは中国との間に締結した原子力に
関する協定を一方的に破棄した。インドの挑発によって発生した中印国
境紛争に際しても、ソ連はインドを支持した。
フルシチョフはアイゼンハワーとの会談がうまくいかなかったので、そ
の鬱憤を中国に向けた。
そこでソ連は対中国援助物資も提供を打ち切り、1,300余の技術者も一斉
に引き揚げた。
ソ連は反面教師であり、我々は余儀なく自力更生の原則に立った。
田中総理: ソ連は日本との間で不可侵条約を結んでいながら(敗色濃
厚となると日本に対し)首つりの足を引っ張ったので、日本としては、
ソ連を信用していない。(首吊りの足を引っ張る、とは角さんといわれ
た庶民派らしい表現だ)
周総理: 我々は日本がソ連と話をするのは容易でない、4つの島を取
り返すのは大変だと思っている。【第3回会談】(この観測は正確だった)
周総理: 話が変るが過去の歴史から見て、中国側では日本軍国主義を
心配している。今後は日中がお互いに往来して、我々としても、日本の
実情を見たい。
田中総理: 軍国主義復活は絶対にない。軍国主義者は極めて少数であ
る。戦後、衆議院で11回、地方の統一選挙が7回、参議院が9回選挙を
した。革命で政体を変えることは不可能である。また国会の2/3の支
持なくして憲法改正はできない。日本人は領土の拡張がいかに損である
かをよく知っている。
日本人は現在、2人づつしか子供を生まない。このままでいけば、300年
後には日本人がなくなってしまう。日本を恐れる必要はない。
田中総理: (日本列島改造計画を説明し)軍国主義復活のために使う
金はない。 (土建屋上がりと揶揄された所以の発言。カネが別のところ
に掛かりすぎるから軍事大国にならないとか、少子化傾向だから危険が
無い、との発言は経済大国日本の代表としては少々情けない)
周総理: 日本は核戦争にはどのように対処するのか?ソ連は核戦争禁
止、核兵力使用禁止を提唱しているが、これは人をだますペテンである
から、あばく必要がある。
核非保有国がソ連のペテンにかかる恐れがある。彼らは核兵器の禁止を
口にするが廃棄するとは決して言っていない。これはペテンだ。ソ連に
対する警戒心を失えば、ソ連にやられてしまう。
田中総理: 日本の工業カ、科学技術の水準から、核兵器の製造ができ
るがやらない。また一切保有しない。 【同】
田中総理: 尖閣諸島についてどう思うか?私のところに、いろいろ言っ
てくる人がいる。
周総理: 尖閣諸島問題については、今回は話したくない。今、これを
話すのはよくない。石油が出るから、これが問題になった。石油が出な
ければ、台湾も米国も問題にしない。【同】(なぜ良くないのか。後に
トウ小平もこの手口で逃げた。禍根はここに始まっていたのか)
周総理: 私は日本の社会党より、ひらけている。社会党は「非武装」
をやかましく言うから、日本が自衛力をもつのは当然ではないかと言っ
てやった。
田中総理: それはどうも。【同】
田中総理: 台湾問題につき、問題は日本国内、特に自民党内に問題が
ある。私は訪中前、佐藤前総理に決意を伝えた。彼は十分理解してくれ
た。
台湾との関係については私と大平との政治力が試される問題である。し
かし、日中の長い歴史のためには、その程度の困難は覚悟している。
周総理: 何か物事をやろうとすれば、必ず反対する者が現われる。
田中総理: 私が中国との国交正常化を決意した最大の理由は、中国
(共産党)が世界を全部共産党にしようなどとは考えておらず、大中国
統一の理想をもっている党であって、国際共産主義の理念の下に行動し
ているのではないと考えたからである。
周総理: まず自分の国のことを立派にやっていくことが大事で、他国
のことは他国自身が自分でやるべきだ。今後は日中関係をできるだけ緊
密なものにしたい。まず、飛行機の相互乗り入れからやりたい。
田中総理: 結構である。 (第4回会談)
抜書きは以上である。翌日、共同声明に調印。周恩来も同乗して上海を
訪問。(歓迎に出た張春橋は、後に「4人組」の1人として処断された。)
共同声明から4年後に周恩来、毛沢東が相次いで死去。復活してきた(と
う)小平が、1978年には資本主義経済導入に踏み切った。
その結果、100万ドル以上の資産を持つ中国人ミリオネアは25万人に達す
るという時代になった。
「今世紀の末になっても、到底、日本のレベルに到達できないと思う。
我々は財政上、先端的な武器は持ちえない。また軍事大国には決してな
りたくない。
日本がどれだけの自衛力を持つかは日本自身の問題であり、中国側から
は、内政干渉はしない」といった周恩来の見通しも約束もすべて空文と
化したことを痛感するのみである。田中・周恩来会談はひょっとして幻
だったのか。【文中敬称略。2006・09・28】
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渡部亮次郎のメイル・マガジン 頂門の一針 第582号-平成18(2006)
年09月28日(木) 「スカートにかかった水:渡部亮次郎」より抜粋
9月29日は日中国交正常化がなった記念の日である。これを卜して第5回
9・29反中共デー東京大会が開かれることをご存知か。
<昭和47年9月29日、我が国は中共との国交を樹立しました。その日か
ら30年以上の年月が過ぎましたが、我が国と中共との関係が正常かつ友
好的であった事はありません。
靖国神社に対する冒涜、歴史教科書への介入、尖閣諸島への侵犯…、さ
らに東シナ海における海底資源の盗掘、我が国の領土である沖ノ鳥島の
存在の否定、支那各地における反日侮日暴動…など、我が国に対する中
共による主権侵害や内政干渉が繰り返されています。
さらに中共は、我が国からのODAや円借款など多額の経済援助によっ
て、軍備を増強し、我が国をはじめ周辺諸国に軍事的脅威を与えていま
す。
「反日」「共産」「中華」の3悪国家である中共は、我が国にとって明
確かつ危険な敵国です。我が国は現在、中共による侵略の重大な危機に
直面しています。
我々は草莽の有志として、祖国の危機を坐視する事は、断じて出来ませ
ん。平成14年9月29日、所謂「日中国交正常化」30年の秋、我々は中共
との国交断絶を勝ち取る為、第1回9・29反中共デーを開催いたしまし
た。
第5回の今年は東京をはじめ、神奈川(横浜)、中部(名古屋)、関西
(大阪)、九州(福岡)と各地において大会を開催いたします。
これは「中央での共闘」から「全国での連帯」の拡大であり、統合から
連合への発展といえます。
「9・29反中共デー」の旗の下、「打倒中国共産党」「日中国交断絶」
「中華覇権主義排撃」「まもれ!尖閣諸島」を声高らかに叫び、勝利を
目指して、同志同憂各位が共に起ち上がり、共に闘う事を熱望いたしま
す。
☆日時 9月29日(金)雨天決行
午前11時~集会開始
正午~デモ出発
☆会場 三河台公園 東京都港区六本木4の2の27
(六本木通り/俳優座の横)
☆合意事項
超党派の運動のため、次の行為はご遠慮下さい。
1)会旗の掲揚
2)車輛での参加
3)隊服の着用
☆主催
9・29反中共デー東京大会共闘委員会 事務局03-3918-9524(三澤浩一)
>
<過去数十年にわたって,日中関係は遺憾ながら,不幸な経過を辿って
参りました。この間わが国が中国国民に多大のご迷惑をおかけしたこと
について,私はあらためて深い反省の念を表明するものであります。第
2次大戦後においても,なお不正常かつ不自然な状態が続いたことは,
歴史的事実としてこれを率直に認めざるをえません。>
周恩来総理主催招宴における田中内閣総理大臣挨拶(1972年9月25日)
を私は人民大会堂=北京=で聴いていた。NHKを代表して田中総理に同行
取材していたからである。
「中国国民に多大のご迷惑」を掛けたというこの「挨拶」を事前にわれ
われ同行記者団(80人)はコピーを日本外務省から渡されて知っていた。
多大な迷惑を掛けた、それはそうかな、とだれも問題にしなかった。と
ころが周恩来総理初め中国側は、「飛んでもない」と怒り始めたのだと
いう。だが、我々にはどよめきが聞き取れなかった。5000人の宴会。双眼
鏡で取材していたのだもの。
当夜も翌日も、発表係りの官房長官二階堂進からは何の説明の表明もな
し。帰国後、しばらくしてわかった。日中戦争状態について、日本側が
「多大のご迷惑をおかけした」というのは「道で水撒きをしているおじ
さんが通りがかりのお嬢さんに謝る程度の科白」と周恩来が怒り始めた
というのだ。
綸言汗の如し。角さんの発した言葉を訂正する事はできない。「厭、本
当に済まないと思っているんですよ」と翌日から外相大平正芳が何度も
謝って、何とか事なきを得たそうだが、我々は全く知らなかった。
インターネットで「データベース『世界と日本』戦後日本政治・国際関
係データベース 東京大学東洋文化研究所 田中明彦研究室」を見るこ
とが出来る。
http://www.ioc.u-tokyo.ac.jp/~worldjpn/documents/texts/JPCH/19720925.S1J.html
1972年9月28日、明日は共に上海に行くという日の夜、人民大会堂で田
中総理の催した答礼宴会で周恩来総理は、何事もなかったように、次の
ように挨拶した。原文コピーを保管している。
<尊敬する田中角栄総理閣下 日本の貴賓のみなさま 友人のみなさ
ま,同志のみなさま
今晩,田中総理閣下は宴会を開いてわれわれを心からもてなしてくださ
いました。わたしはこの席にいる中国の同僚を代表して,また,わたし
個人の名において,総理閣下ならびに日本の貴賓各位に深い感謝の意を
表します。
田中総理のこのたびのわが国訪問は,短期間ではありましたが,実りゆ
たかな成果をおさめました。
田中総理は毛沢東主席と会見し,1時間にわたって真剣かつ友好的な談話
をおこないました。
われわれ双方は,数回にわたる会談をおこない,中日国交正常化の実現
と双方がともに関心をもつ問題について,真剣,率直かつ友好的な話合
いをおこないました。相互理解と小異をのこして大同を求める精神にの
っとって,われわれは中日国交正常化に関する一連の重要な問題で合意
に達しました。
われわれはまもなく両国間にこれまで存在していた不正常な状態に終止
符をうつことになります。戦争状態の終結と中日国交の正常化という中
日両国人民のこの長い間の願望の実現は,両国の関係に新たな一章を開
き,アジアの緊張情勢の緩和と世界平和の擁護に積極的な貢献をなすで
しょう。
わたしは,われわれの会談の円満な成功を熱烈に祝うとともに,田中総
理ならびに大平外相が中日国交樹立のためになされた重要な貢献を高く
評価するものです
われわれが成果をおさめることができたその功労は,われわれ両国人民
に帰するべきです。両国人民はかならずわれわれの成果に大きな喜びを
感じるものと,わたしは信じています。
この歴史的な時点に,わたしは中国人民を代表して,長期にわたり中日
友好の促進と中日国交正常化の実現のために貢献され,はては自己の命
を犠牲にすることさえ惜しまれなかった日本各界の友人に心からの感謝
と敬意を表したいと思います。
中日両国は社会制度の根本的に異なる国です。しかし,われわれ双方の
実りゆたかな会談が示しているように,双方が確信をもちさえすれば,
両国間の問題は,平等な話合いを通じて解決できるのです。
われわれ双方が平和共存五原則を遵守しさえすれば,われわれ両国の平
和友好関係は,かならず絶え間なく発展し,われわれ両国の偉大な人民
はかならず子々孫々友好的につきあっていくことができるものと,わた
しは信じています。
それでは,
田中総理閣下のご健康のために,
大平外相閣下,二階堂官房長官閣下のご健康のために,
すべての日本の貴賓のみなさまのご健康のために,
ここにおられる友人のみなさま,同志のみなさまのご健康のために,
中日両国人民の偉大な友誼のために,
乾杯しましよう!>
(『中日関係史の新たな一章』外文出版社)
日中関係資料集 データベース「世界と日本」 東京大学東洋文化研究
所 田中明彦研究室
http://www.ioc.u-tokyo.ac.jp/~worldjpn/documents/indices/JPCH/
この演説を振り返ると、現在の中国が、あの中国とは思えない。どちら
かが嘘を吐いているのだ。不幸にも日中関係のウォッチャーに成ってし
まった私からすると、この34年は日本が騙された34年間である。それで
もなお「35年」の来年は日本から大挙して『記念に』騙されに行く、そ
れが日本人だ。
日中国交正常化こそは田中角栄の最大の功績とされているが、当時、現
場に記者として立ち会った私からすれば、角栄は日中が目的で政権を獲
得したのではなかった。
角福総裁選で、三木武夫、中曽根康弘や当時ハト派若手グループを率い
ていた河野洋平ら親中派議員がキャスティングボートを握っており彼ら
の支持を得ようとせんとするのであればやむをえない面があったに過ぎ
ない。
つまり「哲学」や「思想」があっての対中政策ではなかった。それをNHK
-TVで指摘したら、総理側から抗議が来て、私はあっという間に地方へ
左遷された。
如何なる事績にも寿命は勝てない。死んだのは周恩来が先で1976年1月、79
歳。田中角栄75歳で1993年12月16日没。
(文中敬称略)2006・09・25
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(ほうしゅやま のぼる 元国家公務員)
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身 辺 雑 記
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日中友好とは中国が騙して日本からカネと知恵を分捕る為の殺し文句だったことが良く分かった。
その哲学は毛沢東が指導し、周恩来とトウ小平が先頭に立った。私はそれを脇からとはいえ、黙ってみていた間抜けだった。
署名なき投書は採用しません。必ずご本名を記した上にハンドルネーム
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