台湾は中国人にとってテスト・プラントみたいなもの | 日本のお姉さん

台湾は中国人にとってテスト・プラントみたいなもの

こちらのブログ紹介。↓

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第56回
台湾は中国人にとってテスト・プラントみたいなもの

天安門事件が起こった時、
香港の人たちは民主化を要求する学生たちに
声援を送っただけでなく、
カンパまでしてせっせと天安門広場にお金を送った。

天安門広場ではタダでいくらでもメシにありつけたので、
北京大学や清華大学の学生たちがもうデモはやめて
引き揚げようと提案しても、
地方から応援に駆けつけた学生たちが承知しなかった。

天安門広場でタダでメシにありつけたことが
事件を収拾するタイミングを誤らせた、と見ることもできる。
おそらく北京の政府としても
民主化を要求する学生たちに発砲するのは、
やりたくてやったことではないだろう。

地方に駐屯する何もわからない若い兵士を
北京に移動させて発砲させたのも、
北京に駐屯する部隊の司令官たちが
武力による制止に賛成しなかったからであろう。
にもかかわらず、あえて武力に訴えたのは、
思案に暮れての窮余の一策であろうが、
抵抗するすべもない学生たちに発砲する現場を
テレビで見せつけられたのでは、
共産党に悪感情を持たなかった人々でも、
共産党の肩はもてなくなってしまう。

事実、武力で収拾をはかったことは、
中国政府に予想もつかないほどの打撃をあたえ、
それが三年あまりたった今日なお、
アメリカが中国に改善を迫り、
ヨーロッパや日本をはじめ、西側の国々が対中国援助や
投資をなおためらっているのも、そうした後遺症と見てもよい。
デモを収拾する見通しを失った中国政府は
最後の手段として武力に訴えたが、
香港やその他、海外華僑からの非難に対して
「これ以上、中国が混乱におちいって、
難民が二、三百万人も香港に逃げ込んだら、
香港は受け入れるつもりか」と、
鄧小平が不満を述べたと伝えられている。

同じことだが、 もし中国に大混乱が起こって、
一億人くらいの中国人が難民船に乗って
日本に押しかけてきたとしたら、
日本人はどう対応するつもりだろうか。
自衛隊を出動させて、
波打ち際で難民を撃退するつもりだろうか。
それとも一億人を収納するバラックを建てて
難民救済に乗り出すことになるだろうか。

中国政府の非人道的行為を非難するアメリカに対しては、
中国側の言い分もある。
アメリカはべトナムで大量虐殺をしてきたが、
外国人を殺すのは人道的で、
自国人を殺したのは非人道的とでも言うのか。
少なくともアメリカに中国を非難する資格はないはずだ。
そう切りかえされたのでは、
アメリカだって一言もないであろう。
だからと言って、
武力行使が是認されていいというわけではないが、
環境が熟しておらず、
民衆にその自覚のないところで、
いきなり民主化を主張しても、
一気にそこまで辿りつかないことは自明の理である。

将来、民主化が必然の方向だとしても、
それは天安門広場で旗をふっただけで
達成できる性質のものではないのである。
中国人の歴史はもっとずっと残酷で屈辱的なものである。
中国人は自らの主人であるよりも、
他人に統治されることに馴らされてきた。
元朝や清朝は明らかに異民族による支配であったが、
中国人は異民族に顎で使われても、
ハハッと額を地面にすりつけることによってそれに耐えてきた。
どうしてそういうことができたかというと、
もともと中国には主人としもべといった二つの階級しかなく、
使われる人は使われることに馴れてきたからである。

使われる人はどうせ使われる宿命にあるのなら、
相手が中国人だろうと、韃靼人だろうと、さしたる違いはない。
むしろ中国人にこき使われるくらいなら、
異民族のほうがまだ我慢ができると思ったのかもしれない。
そういう態度の中に
「中国人の奴隷根性」を垣間見ることができる。
元朝や清朝までさかのぼって考えるまでもない。

http://www.9393.co.jp/china_japan/kako_china_japan/2012/12_1002_china_japan.html

第57回
台湾は中国人にとってテスト・プラントみたいなもの(2)

卑近な例で言えば、香港は阿片戦争後、
イギリス人によって統治されるようになった。
イギリスに割譲された時、
香港は海賊たちの拠り所になった程度の小さな漁村にすぎなかった。

イギリス人の手に渡ると、
イギリス人は母国からの入植を奨励するために、
九百九十九年の期限を切って土地を入植者に貸しあたえた。
イギリス人にはすでにアメリカやインドの植民地があったから、
植民地を統治するについては経験もあったし、
彼らなりのルールも心得ていた。

まず土地の風俗習慣を尊重すること、
イギリス人の風俗習慣を押しつけないこと、
異民族が同居しておれば分割して統治すること。
たとえば、清朝時代、
中国大陸には鞭打ちの刑という体罰があった。
イギリス人はそれをずっと受け継ぎ、
私が戦後、香港に住んだ時期でも、
まだ鞭打ちの刑が継承されて残っていた。

そういうところはさすがイギリス人の面目躍如たるものがあるが、
衛生とか、教育とか、あるいは、治安の維持については、
自分らの母国に見ならった。

議会こそつい最近までなかったけれど、
形ばかりの諮問機関をつくったし、
地元で功労のあった人々には叙勲でそれに報いた。

トップにイギリス人をいただいているが、
その下ではすべての中国人が平等な立場におかれ、
法の前で不当な扱いをすることはなかった。
おかげで人々は自由に生業を営むことができ、
香港は自由港としてアジアでも屈指の国際経済都市に成長した。
しかし、肝心の中国大陸では相も変わらず、
軍閥が跳梁し、政変がくりかえされて、
そのたびに亡命する者と政権を握る者が入れかわった。

亡命する者は亡命先として香港を選んだ。
香港まで辿りつけば、逮捕令の出ている者でも
生命を保証されたからである。
何のことはない、中国人にとって、
イギリス人の統治している香港はこの百年間、
ずっと安全地帯の役割をはたしてくれたのである。

このことは、国民党や共産党にも役立ったが、
私のように、国民党に追われて台湾から逃げ出した者にとっても、
同じように役に立った。
こうなると、中国人はいやでも中国人自身による統治と
イギリス人による統治を比較してしまう。

国民党の時代もろくなことはなかったが、
共産党になってからも恐怖政治は続いた。
統治の実績ということになると、
どう考えても中国人はイギリス人よりも遅れている。
中国人に統治してもらうくらいなら、
まだイギリス人のほうがずっといい。

そう考える人が多い証拠に、前にも述べたように、
サッチャーさんが北京に乗り込んで、
鄧小平との間で香港を返還する約束をした途端に、
香港の株も不動産も三分の一まで大暴落した。

この一点をもってしても、
海外に住む中国人がいかに自分らの国の政府を
信頼していないかがわかる。
中国人自身がそう思っているのだから、
中国人が信頼できるような国づくりをしなければ、
中国人が助かるわけがない。

しかし、このことを
一方的に為政者のせいにするわけにはいかない。
統治する人間や階級の能力にも問題があるだろうけれども、
同時にまた統治される側にも問題があることは疑いない。

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第58回
台湾は中国人にとってテスト・プラントみたいなもの(3)
長い間、他人に、あるいは
他民族に統治されることに馴れてきた中国人は、
統治する側の都合のいいように、自らすすんで膝を屈する。
たとえば、香港や台湾のテレビドラマで演じられる
中国の時代劇を見ていると、
皇帝が入ってくる前から家臣どもは膝をついて、
「奴才在」(奴隷がここにおります)と叫んでいる。
自分を奴隷と称して上ご一人の恭順の意を示す。
もしこれが中国人のしきたりだとすれば、
中国人は奴隷根性の持ち主だと悪態をつかれても返す言葉がない。
自分より上の者に対して奴隷をもって任ずる者は
自分が使う者に対しても同じように奴隷であることを要求する。
中国には使う人と使われる人しかいないということになると、
中国には上下の関係はあっても、
民主化の芽はどこにも見当たらない。
それは共産党の天下になっても全く同じことだから、
「人民のための…」などとうまいことを言っても、
基本的には上意下達の構造以外のものは
どこにも見当たらないのである。
そういう現状を見て、そもそも民主主義は
中国人に向いていないのだと悲観的な見方をする中国人も多い。
韃靼人や女真族をトップにいただいたら、
うまくいったという歴史もあるし、
昨今のようにカリスマ性のある独裁者がいるおかげで
国がうまくおさまっているという実績もある。
どうしてそういうことになるかというと、
民主主義でやっていくには
あまりに国が大きすぎるという見方をする人もある。
もしそうだとしたら、そこであきらめるということではなくて、
どうすれば民意を反映する体制を
つくりあげることができるかに向かって努力すべきであろう。
国興しは人づくりからはじまる。
国が大きすぎれば、権限を地方に譲ることもできる。
すでにそういうきざしは随所に見えている。
開放政策が推し進められるにつれて、
中国人が外部の人々に接する機会はうんとふえてきた。
外国に留学する若い中国人もふえているし、
海外からの投資を勧誘するために
外国に出かける官僚や企業界の責任者も激増している。
通信網の発展によって、世界中で何が起こっているか、
たちどころにわかってしまう時代にもなっている。
ヨーロッパの国々がどうなっているのか、
アメリカや日本の政治がどうなっているのか、
中国の内陸にいてもよくわかる時代になっているのだから、
中国人が自分らのおかれている立場と
外国を比べないということはまずあり得ない。
だからといって、アメリカで行なわれているような民主主義が、
そのまま中国人の間で採用されるとは私も思わない。
しかし、経済の長足の発展は
やがて政治思想に大きな影響をあたえる。
かつて官僚専制を地で行った台湾で経済が発展し、
GNPが急速に上昇しはじめると、
国民党の一党独裁は解消され、
人権を尊重する気風が生まれた。
台湾は中国人にとって
テスト・プラントみたいなものだが、
台湾で起こったことなら、大陸でも起こる。
もちろん、経済の発展がもたらすものだから、
今日明日に一挙にそこまでは到達できないだろうが、
シンガポールの李光耀が先鞭をつけたような
独裁的色彩の強い民主主義ならば、
あるいは抵抗が少なくてすむのではないだろうか。
http://www.9393.co.jp/china_japan/index.html