三陸沿岸からみる災害地域再生の法的課題ー興味がある方だけ読んでください。
三陸沿岸からみる災害地域再生の法的課題(前編)
中澤 秀雄/中央大学法学部教授
専門分野 政治社会学・地域社会学
1.はじめに
筆者が三陸被災地に入って惨状を目のあたりにし(2011年8月)、自分にできることを考え始めてから一年が経過した。その間、中央大学ボランティアネットワークを立ち上げ(2012年4月からは学生部ボランティア担当委員という公職に就いた。写真1は活動の様子)、ボランティア活動の定着と被災地の地域再生への取り組みに微力を捧げてきたが、その経緯や知見については、中澤(2011;2012)でごく部分的に述べた。気仙沼・石巻を中心とする沿岸被災地に延べ30日以上滞在したことになるが、知り得たことの大部分は、なかなか文章にならない。事柄の性質や事態の流動性から言って、現時点で活字にすべきでないことも多いし、一定期間が経過しなければ結果がはっきりせず検証できないことも多い。また特定の過去においては事実であっても、もはや事実でなくなってしまったこともある。それだけ政策や現実が変化するスピードが速いのだ。一見さんボランティアに出来る「分かりやすい仕事」が、(少なくとも宮城県内については)もはや残っていないのも、このような変化の重要な一部だ。
写真1 ボランティア活動の様子
というわけで最初に強調しておきたいのは、今次被災地での時間の流れが非常に速いということだ。通常の行政なら数年から十数年かけて実施すべき膨大な事業が、数ヶ月の単位で事務処理され、各担当課は次のフェーズに入る。だから、ちょっと被災地から離れていた人、昨夏に訪問してそれっきりの人などは、現時点での現場のリアリティを誤解している可能性がある(そして言うまでもなく、マスメディアを通して得られた漠然としたイメージは、どの特定の場所の現実からも乖離している)。東日本大震災に関しては、「どの時点の話をしているのか」「どの地域の話をしているのか」を常に明確にしておかないと、同じ「被災地の話をしている」はずの相手と全く話が食い違ってしまう。
以上のような留保を付しつつも、一年間のまとめをやっておく必要があると考えた。とくに、浮上してきている法的制度的な問題については、これから時間をかけて検討しなければならないのだから、この場をかりて問題提起しておく意味はあるだろう。
2.災害関連法制の不備
2011東日本大震災はこれまでの災害関連法制が想定していなかったほど甚大で広範囲の災害であった。そもそも、以下にあげるような関連法は一般的な六法に載っていないものが多く、法律学のなかではマイナー分野で、防災関連学会だけで知られている法律が多い。発災から半年くらいの間は「自治体担当者が災害救助法を知らない」という指摘が災害研究者から頻繁に上がっていたが、それも当然のことである。
昭和22年に制定された災害救助法は、注目されてこなかったゆえ抜本的改正が放置されてきた典型的な法律である。条文を一度読んだものは、その接ぎはぎ度の甚だしさ(削除されている条文が非常に多く、理念は時代に合わず、重要部分は全て省令に委ねられている)と古色蒼然とした文面に驚くだろう。とくに、阪神大震災以降に災害救助の焦点となり続けてきたはずの仮設住宅について、条文上では知事が行う救助の一つとして「応急仮設住宅」の六文字が登場しているに過ぎない。細目はすべて厚生労働省の告示および通知によって定められ、それらを集約すると一冊の分厚い本になる。この一年半、仮設住宅をめぐって論争になった事柄はきわめて多い(住戸の建設基準、防寒対策や追い炊き機能の設置、空き住戸の転用可否、そして原則2年間という設置期限)が、それら全ては厚生労働省の内部規則の問題ということになる。体系性や民主的統制という観点から、無理が出るのが当然なのだ。千年に一回の災害を前に、直近数十年の災害を前提に作られた告示・通知の積み重ねを壊さないようにしながら、新たな現実に対応するための通知を作る。だから針の穴を通すような論理を使って、分かりにくい規則がひねり出されることになる。(一例として空き住戸転用問題がある。2011年8月12日の厚生労働省通知によれば「被災地に建設された応急仮設住宅については、恒久住宅への入居等により今後、地域によっては空き住戸が発生することも想定されることから、応急仮設住宅への入居を希望される方々への住戸提供を最優先しつつ、コミュニティー形成のための集会や談話のスペースとして利用する等、地域の実情に応じて柔軟に対応いただきたい」。これは、仮設とは応急救助だという建前を崩さないまま、集会所への転用を認めたものとも解される。しかし、この通知の解釈には自治体によって幅があり、気仙沼市は応援行政職員の宿泊所としてのみ転用を認めている。公平性と応急救助の論理に縛られた結果であろう)。
被災者生活再建支援法(2000)も、阪神大震災や中越沖地震を踏まえて見直されてきているが、これほどの規模となった東日本大震災の現実を前にすると、この法律単独で考えるような思考枠組みに無理が出てくる。この点、次節でもう少し展開してみよう。
3.財産権と補償
阪神・淡路大震災のときと異なり、「被災者個人の財産形成に国費をつぎこむことはできない」という国の理屈が聞かれなくなった。いわば革命的変化が、あっけなく起きていることには驚愕する。そればかりか、今次震災では個人に対する国費投入が、自治体を経由しているとは言え、多面的に行われていることが特徴だ。被災者生活再建支援法による給付(一律百万円、家屋再建の場合には二百万円追加)に留まらない。とりわけ防災集団移転事業(防集)の適用要件や実施基準は、現場からのフィードバックを踏まえて運用面で次々に緩和され、例えば自ら保有する土地に移転する場合でも他世帯の防集移転とセットであれば事業対象となる。浸水し海面下になってしまった土地(写真2)や災害危険区域に指定され居住できない土地も、最終的に災害前価格の6-7割で国費により買い取られることが想定されている。このような手厚さの背景には民主党政権になってから、農業/中山間地戸別補償や子ども手当として、個人に対する福祉給付が当然のことになったという、福祉国家のあり方の変容が影響している。しかし、制度が次々に変わり緩和されるために、早めに自力再建した世帯・個人には不公平感が募っている。加えて、ちょっとしたゾーニング指定の綾によって(例えば「がけ地近接住宅危険区域」に設定されるかどうか)、隣り合った世帯でも制度に乗るものとそうでないものが生じ、これまた近隣および対役所での火種となる。
写真2 地形が変わってしまった津波浸水地(左手前に気仙沼線が走っていた)
また福島県を中心に、原子力損害賠償法(参考:「原子力賠償と復興」)による補償枠組みの限界が早くも露わになっている。早期に働きはじめた人は、その給与分の補償を減じられてしまう(ただし2012年に入ってから一定の修正措置は講じられた)。そのため人々の自立の意欲を奪っている制度と批判されている。そもそも生活の基礎を全く別の場所に移さざるを得ない人々が大量に出ているとき、「不法行為がなかった場合」と「不法行為があった場合」との差額をどのように算出すればよいのか。これは、民法財産法体系の「損害」概念が問い直されているということでもある。個々人の生活構造に寄り添い、生活再建の相談をうけるようなコンサルティング的機能も「補償」の一部として扱わねばならないのではないか(このようなコンサルティングを国の外郭団体が行った例は戦後史上いくつかある。炭鉱離職者対策協議会および雇用促進事業団など)。
福島に限らず、これだけの国費が投入されるのであれば、最初から個人や世帯の事情にあわせてオーダーメイドした方が費用を節約し有効な再建ができた可能性が高い。初めて聞いた人は驚くだろうが、一戸あたりの建設・設備費に約500万円が見こまれていたが、その後の追い炊き機能追加等によって宮城県などでは解体費も含めると一戸あたり800万円を越えると見られている(時事2012/5/12)。先述の被災者生活再建支援法を含めて、理屈のうえでは仮設に入って自宅再建する被災世帯1戸には、国費1100万円が投入される。同じ額を使うなら、仮設ではなく他地域の借り上げアパート等(いわゆる見なし仮設)への避難に切り替え、その分を自宅や事業の再建に振り向けた方がハッピーだった者も多いはずだ(もちろん、現行法制度ではこのような柔軟な使い方はできないが、単純なコスト計算の話である)。あるいは、どのみち集団移転が実現するまで4-5年は仮設暮らしなのだとすれば、仮設住宅の設計を工夫して木造にするとか介護対応住宅にするとか、個々の世帯事情に応じた施工基準もありえたはずだ(実際、岩手県住田町では木造仮設、また遠野市では介護つき仮設を建設して、国に追認させた)。
いずれにせよ各世帯の生活構造にあわせた案件ごとの調整を、マンパワー不足の自治体窓口が行うことはできないから、福祉分野におけるソーシャルワーカーや地域包括支援センターのような対人窓口が、復興分野にも必要だ。そのような、対個人の総合的調整機能あるいは包括的補償支援機能を、災害関連法制はまるで想定していないのである。各自治体が設定した「絆支援員」とか「仮設住宅連絡会」のような仮設住宅・被災者マネージメントの仕組みが必ずしも機能していない現状を踏まえても、生活構造の変化に対応したワンストップ・準行政的窓口が必要だ。今後予想される三連動地震の復興過程においても、この教訓は該当するのではないか。
(後編に続く。後編は防災とまちづくり、中央地方関係、新しい公共と大学、という3テーマについて扱う)
http://www.yomiuri.co.jp/adv/chuo/research/20120927.htm
三陸沿岸からみる災害地域再生の法的課題(後編)
中澤 秀雄/中央大学法学部教授
専門分野 政治社会学・地域社会学
(前編から続く。前編では災害関連法制の不備および財産権と補償について扱った)
4.防災とまちづくり
防潮堤をめぐる軋轢は、今次震災からの復興過程における一大特徴である。気仙沼市は大島という自然の防潮堤に守られた内湾の景観が美しく(写真3)、「南イタリアを思わせる」という観光客もいる。この内湾に漁港施設・造船所・水産加工工場などが林立し、「魚の町」と呼ばれるにふさわしい景観と生活様式を作り出してきた。しかし、宮城県は「命を守る」というかけ声のもとに、県内沿岸に例外を認めずTP(東京湾海面を基準にした標高。したがって構造物そのものの正確な高さではない)7.2mの防潮堤を建設する予定だ。気仙沼ではこの計画発表以来、市民の反対の声は非常に強く、1年半経過した現在でもこの問題が燻っているために、市街地中心部の復興が進んでいない。宮城県が譲る気配を見せないので、気仙沼市ではコンペ方式で内湾復興計画を募り、大林組などが提案した、湾口に「浮上式防潮堤」を作る案を採用するというウルトラCを演じて、内湾をとりまく堤防の建設を回避しようとした。この試みは、「浮上式防潮堤の安全性は検証されていない」という村井・宮城県知事の鶴の一声で挫折した。2012年8月からは市民有志が「防潮堤を勉強する会」を立ち上げて、何とか宮城県に妥協を求める道がないのか探っている。こうした軋轢は陸前高田市でも起きている。
写真3 美しい気仙沼内湾の風景
防潮堤の高さは都市計画の基本となるため、この件が落着しない限り「魚の町」の心臓部の将来像を描くことは出来ず、水産加工工場や関連産業も立地できないため、雇用は悪化したままとなる。人口流出は止まらず町には沈滞ムードが漂っている。かといって県に妥協して内湾に巨大な防潮堤を作ることは、気仙沼の水産・観光業にとって自殺行為だと多くの市民(特にビジネスリーダーたち)は考えている。
しかし法的に、気仙沼市の海岸線の大部分は県土木事務所・港湾事務所、または国(水産庁・林野庁)の持ち物であり、市が関与できる余地は、行政法的に言えば存在しない。8月16日に気仙沼市役所内で開催された「防潮堤を勉強する会」において、「県・国の皆さんは口を開けば住民合意とおっしゃっているが、合意のとりまとめをするのは誰で、何をもって合意とするのか」という質問が住民から出た。県(土木事務所)・国(林野庁)からの参加者は誰一人として回答を持ち合わせていなかった。地元自治体が総合的な絵を描こうとしてもできない都市・地域関係法の問題点を考えさせられる。
5.中央地方関係
上記のように復興過程全体を通して、地方分権とは何だったのか、と脱力してしまうような状況が普遍的だ。三陸沿岸の副市長は、ほとんど国(特に国土交通省)・県からの派遣人員で占められている。防潮堤の事例を典型として、国と市、県と市が対等の関係ではないと実感させられる現実が多い。国が圧倒的な財力と権限を持ち、それを媒介する県が決まった制度を自分たちの都合の良いように解釈し、市町村が振り回されるという構図である。市町村は日常事務に忙殺されているため、自分たちから問題提起していく余力が残っていない。他市町村からの応援職員は入っているが、必ずしも有効に機能していない。それというのも三陸沿岸のように地縁血縁が強く集落ごとの歴史的経緯を抱えている地域では、よそ者による政策・利害調整に限界があるためだ。
さらに、復興局面に入ってくるほどに、在東京のマスメディアが流す情報が三陸沿岸の現実から乖離している実感は強い。たとえば今夏には、復興予算の遣い残しをやり玉にあげて「もっとスピードアップを」と中央メディアは力説しているが、上記のような気仙沼の現実をみたとき、進まない原因は県の力が強すぎることにある。そのような具体的制度に則した現実が、東京からは見えていないようだ。オリンピック報道のお祭りの中で、思い出したように「気仙沼出身で故郷に銀メダルをもたらした千田健太選手」を持ち上げるのが関の山である。千田一家と気仙沼の人々の地道なフェンシングへの取り組みは、それはそれで別の長いストーリーがあるのに、それを東京人に分かりやすい図式に回収してしまう。
だからメディアという面でも中央地方関係を考えさせられてしまう。改めて新聞とテレビを全国的統合した1920-50年代の政策がもたらした副作用は非常に大きいが、ただ幸いにも三陸沿岸は、多くのローカルメディアが生き残り、この副作用がなかった場合を観察できる絶好の場所である。宮城県の県紙は河北新報、岩手県は岩手日日であるが、沿岸市民としての日常生活には、これら県紙だけでも不十分なのだ。市レベルで存在する新聞(陸前高田なら東海新報、気仙沼なら三陸新報)を毎朝読んで、はじめてローカル経済社会の動態を理解できる仕組みになっている。
公共交通についても、中央地方関係を考えさせられる。気仙沼で宮本常一の仕事を改めて読み直す機会があったが(気仙沼大島には、神奈川大学常民文化研究所が管理する宮本の「漁業文庫」があり、宮本民俗学は気仙沼に浅からぬ縁がある。これも注目されにくい三陸の地域資源だ)、例えば『著作集第2巻 中央と地方』は今にも通用する記述で溢れている。この中で宮本は、周防大島の人々が納めている税金額に対して報われる額が極めて少ないという数字で運輸省を説得し、本州・九州・四国・北海道以外の島で唯一、ようやく国鉄バスが走ることになった経緯に触れている。地域社会が納めている税金が、どうして僻地と言われる場所にはなかなか環流しないのか。気仙沼が蓄えた冨と人材の仙台・東京への流出は甚だしいものがある。冨の環流として、一時的な道路建設(三陸道)だけで終わらせるのではなく、公共交通を継続的に、公共的な資金で支えるという議論はもっとなされるべきではないか(写真4 バスシステムとして仮復旧した気仙沼線)。同じ漁業の町として、岩手県の三陸鉄道や千葉県の銚子電鉄の奮闘には学ぶべきところがある。
写真4 バスシステムとして仮復旧した気仙沼線
6.新しい公共と大学
「新しい公共」とも言われる、NPO/NGO/ボランティアが織りなす領域に関しても、多くの法的課題が残されている。「NPO/NGOの二重性」という指摘があり(仁平典宏)、国際レベルを活動の場とする団体については資金を集められるが、そうでない団体については資金繰りに窮して撤退するものも多かったという現実がある。国際レベルの団体といっても、じつは外務省がODA資金の一部を振り向けて設立したJapan Platformという団体が資金的に一頭地を抜いていて、とくに岩手県エリアで発言力が強い。日本の「新しい公共」は、残念ながら国家資金頼みの現状から脱していないのである。一方で、市民ファンド(参考: 「東日本大震災が示唆する共助社会の金融システム」http://www.yomiuri.co.jp/adv/chuo/opinion/20110725.htm
)と言われるスモールマネーの循環が注目されたが、これを立ち上げる仕組みにも、ひるがえって一般市民が投資する仕組みにも、まだまだ工夫の余地があるだろう。たとえば被災地の報道が減少するにつれ、代表的な市民ファンドである「セキュリテ被災地応援ファンド」(http://oen.securite.jp/
)の調達金額は目に見えて鈍っているという。
前編の冒頭に、「一見さんボランティアに出来る分かりやすい仕事はもはや残っていない」と述べた。しかし、被災地にボランティアの姿がなくなった訳ではなく、NPO/NGO/大学などの組織としての活動は続いている。ここでいう「ボランティア」とは、もはや世間一般に流布している誤解が想定するような、「分かりやすい需要・ニーズに対応して労力を提供する人たち」ではない。言葉の原義である「志願兵」に近く、「自ら志願して地域再生のために自分に何ができるか考える人たち」である。誤解を避けるためには「地域再生志願兵」とでも呼ぶのがよいだろうが、適切な言葉を思いついた人は教えてほしい。
これからさき大学に出来ることは、何よりも本来の機能である研究による地域貢献である。陸前高田については、民俗文化を踏まえたグリーン・ネットワーク構想を理工学部の谷下先生が提唱されている(参考URL:http://www.yomiuri.co.jp/adv/chuo/opinion/20120416.htm
)。
気仙沼についても、いくつかの大学と連携しながら、「気仙沼ネットワーク大学」として市民を巻き込んだ地域資源掘り起こしプロジェクトを展開できないだろうかというアイデアがある。
単発の公開講座のようなものなら、若干の有志を集めれば直ぐ実現できる。しかしそれでは教える側にも教わる側にもゴールが決まらないだけでなく、本気で地域人材を育成するための体系性・継続性がなく、長続きしないだろう。これらの出張遠隔講義にきちんと単位認定機能を付与して、継続参加して卒業論文を書いた市民に「三陸発地域資源コーディネイター」等の称号を付与する、というような仕組みが継続的にあるとよい。被災地だからといって、いつまでも手弁当で教員が出向くということでは、継続しないから真の地域再生にはつながらない。災害は忘却されるし、市民も自立に向けて歩んでいる。正式な大学ビジネスとして展開するからこそ、新しい地域マネーの流れと雇用が生まれるのだ(シンプルに言えば大学の気仙沼サテライトキャンパスを維持するための雇用と経費に、徴収した授業料を充てるということ)。大学が地域の雇用を支える英国のようなモデルが、日本でも、もっと普遍化してもよいと思う。
(追記: 2012/9/22河北新報によれば、宮城大学と兵庫教育大学が、10年間の協定期間で共同教育事業を開始するとのこと。提携先は宮城県・大崎市・白石市・気仙沼市・南三陸町。両大学は課題発見解決型の「コミュニティ・プランナー」を育成する課程を作るとしている。上記6.に描いた構想は、まずは被災地での活躍が目立つ宮城大学が実現することになったが、いずれにせよ、このようなプラットフォームに多くの大学資源が連結することになるとよい)
参考
中央大学の三陸沿岸でのボランティアは、今年度から学生主体という形で継続しています(http://www.chuo-u.ac.jp/chuo-u/eminfo/index_j.html#eminfo04
)。その成果報告は、『学員時報』『白門ちゅうおう』『草のみどり』等に継続的に掲載されております。また、ボランティア活動する学生を支援するための学員会募金も引き続きお願いしております(http://www.chuo-u.ac.jp/chuo-u/news/contents_j.html?suffix=k&visit=11&mode=vst&topics=15902
)。
文献
中澤秀雄 2011「被災地支援と災害文化」『中央評論』278号: pp.49-60.
中澤秀雄・鈴木博人・都留康子・小室夕里・宮丸裕二 2012「中央大学の被災地ボランティア『冬ボラ』報告」Chuo Online2012年1月
中澤 秀雄(なかざわ・ひでお)/中央大学法学部教授
専門分野 政治社会学・地域社会学
東京都出身。1994年東京大学卒。2001年東京大学から博士(社会学)の学位を取得。札幌学院大学社会情報学部講師、千葉大学文学部准教授を経て2009年から現職。日本社会学会、地域社会学会等に所属。主著は新潟県の原発問題を扱った『住民投票運動とローカルレジーム』(ハーベスト社)や廃棄物・原子力・環境文化等のテーマを幅広く扱った『環境の社会学』(共著、有斐閣)など。前者により第5回日本社会学会奨励賞、第32回東京市政調査会藤田賞などを受賞。
研究室HP http://www.nakazawa-lab.net
http://www.yomiuri.co.jp/adv/chuo/research/20121004.htm