百年以上たっても本質は全く変わらない中国人。 | 日本のお姉さん

百年以上たっても本質は全く変わらない中国人。

「宮崎正弘の国際ニュース・早読み」 
   平成24(2012)年10月4日(木曜日)

通巻第3775号  


(読者の声5)最近読んだ本で『日清戦争従軍秘録』(濱本利三郎 著 地主愛子 編 1972年 青年出版社)について。
著者は旧制松山中学で夏目漱石と教員仲間として机を並べ『坊ちゃん』のなかでも体育教師のモデルとして登場。編者は著者の娘さんですが、編者の注が全編通じて「反戦」なのはキリスト者として生きた父親ゆずりだけではなく1970年代という時代の雰囲気も影響しているのだろうと想像されます。本編とは全く関係なく「旅順の虐殺」や時代が全く違う三八式歩兵銃の挿画が出てきたりしますが、当時連載されていた司馬遼太郎の「坂の上の雲」に影響されていたのかもしれません。
著者は朝鮮の元山に上陸、あまりの不潔さに驚くものの、京城を通り、平壌では朝鮮一不潔だとまで言いますから、都市部の不潔さはどこも大差なかったのかもしれません。
ろくな道もなかった当時の朝鮮、歩兵の行軍に糧食が続行しない。牛は斃れ、韓人を雇わんとすれど応じない。強制的に雇えば途中荷物を捨て置き逃げ出すありさま。
監督の下、副官がいくら命じても動かず「この苦しみを見るより一思いに切り捨てよ」という。下副官は軍規の厳正を思い知らせようと一人夫を斬り捨てる。なんともやりきれない話ですが西南の役からまだ十数年、そういう時代だったのでしょう。他の人夫は恐れおののき、荷を担わんとする者はない。
大隊長はこの惨憺たる有様を目撃せられ、大決断をもって、人夫をなぐさめ、その力に応じ、必要荷物のみを配当し、他のことごとく原野に捨てさせた。予の胸中如何ばかりならん。
清国兵との戦いでは数に勝り最新の武器を揃えた敵に相当苦戦している。
支那兵は退却するときには民家を略奪・放火するのはその後の戦争と変わらず、支那兵に捕えられた日本兵は頭・手・陰部まで切断されるため、瀕死の重傷を負った軍曹は帝国軍人の名誉のため兵卒に一弾で息の根を止めるよう命令する。

江戸時代の切腹・介錯が武士の名誉だったことに通じます。


現代でもアフガンに攻め込んだソ連軍、路上の赤ん坊を囮にアフガン兵に捕虜になったソ連兵は四肢を切断、両眼を抉られ路上に生きたまま放置された。

そのためアフガン兵に包囲され逃げきれなくなった兵士からはアフガン兵に捕まる前に殺してくれという懇願、攻撃ヘリから泣きながら味方に向かって銃を撃つ、という話が高山久之氏の本にでてきます。


村の人間がすぐ盗賊に早変わりするところも似ています。
この本で一番面白かったのが『営口の風俗』。営口は遼東半島の都市。「彼等の脳髄は私利私欲をもってみたされ、欲より外は何もない。金儲けのことともなれば、親でも敵にして恥じない。満州泥棒とは彼等の呼び名である。公道において、ある場所に限り露店が軒を並べている。これは飲食物の売買でなく、賭博を商うのである」
として、毎日宿舎に残飯を貰いに来る少年が実は大金持ちの息子であるという話が出てきます。

上下を問わず台所には大小の春画を壁一面にはり、売春婦は三千人、野盗を捕まえては辮髪を切断、城内に入る支那人ことごとく帽を脱がさせ髪の有無を点検、一度捕縛されたものは二度と入ることができない。
賊の首領、あるいは殺人犯は斬首。

罪人の死を恐れない様は長野朗が描く1930年代のシナと全く同じです。


この話だけでも支那事変当時、日本軍の統治地域だけが治安が保たれ安心して暮らせたかがわかります。


百年以上たっても本質は全く変わらない中国人。


日清戦争の陸戦での苦戦ぶりについては江川達也の漫画『日露戦争物語(未完)』に描かれていた通りで驚きでもありました。
(PB生、千葉)


(宮崎正弘)その営口には八年前と二年前と二回、いきました。驚くほどの大都会に変貌し、繁華街はネオンが輝き、街は繁栄し、公園も整備されて、「えっ? これがあの営口か」と驚かされました。
 ただし大連が表玄関とすれば、営口は遼寧省の裏玄関、夜九時頃にぷっつんとネオンが消えて、静かになります。
ここは瀋陽―錦州から阜新、胡廬島、その先に河北省の秦皇島、天津への通過点なので交通の要衝として、これから発展すると思います。

「宮崎正弘の国際ニュース・早読み」 
   平成24(2012)年10月5日(金曜日)
        通巻第3776号   


読者の声5)前回の投稿拙稿に書き落としがありました。アフガンでのできごと、村人が盗賊に早変わりする、というのは高山正之氏の著書によるものですが、ソ連兵が赤ん坊の囮に引っかかりダルマにされる話は佐藤優氏の「 私のマルク ス ロシア篇」でした。


佐藤氏がモスクワ大学からの依頼で、プロテスタント神学を講義するのですが、その学生の中にアフガン帰還兵がいてアフガン戦争の実相を打ち明ける。アメリカでベトナム帰還兵が感じたのと同様の社会的な違和感・不適合・疎外感を抱えての日々、「日清戦争従軍秘録」の著者も帰国後、夜中に突然大声を上げてうなされたりした様子が編者により書かれています。


日本が勝った戦争であっても、戦地におけるありとあらゆる欠乏・殺し合いと内地でのあり余るほどの豊かさの落差に精神が追いつかなくなるのでしょうか。
ましてや敗戦の兵士ならば精神的ダメージはよほど大きいことでしょう。


道の真中に置かれた赤ん坊を村まで連れて行ってアフガン兵に捕まったソ連兵、手足をもがれ目を抉られ、それでも生きていることに驚いています。


赤ん坊の罠」を経験したあとは、道路で赤ん坊が泣き叫んでいても平気で戦車で踏みつぶしていく。

正規軍によらない戦争はこれほど残酷になる。


ベトナムでの村民虐殺事件も、子供爆弾などの例もありますから、ベトナム人がみな敵に見えたのかもしれません。

動画サイトを見ていたら日本のテレビ番組で上海事変を取り上げたものがありました。

日本軍の攻撃で上海市民多数が犠牲になった、というナレーションと共産党による被害でっち上げの石碑。実際には日本軍は市民に被害が及ぶことをおそれ、自軍の危険をも顧みず市街戦を極力避けようとした。
マニラの公園の石碑にも日本軍によりマニラ市民が犠牲になった、とありますが、実際にはアメリカ軍の攻撃によるもの。
今のフィリピン人はそんなプロパガンダを信じている人はほとんどおらず、それどころかフィリピンが日本の植民地になっていたら台湾や韓国なみになっていただろうという人までいる。
フィリピンを中心にした地図では台湾は隣国、台湾との格差がいやでも目につきますから日本の統治だったら、という気持ちもわかります。


結局、日本を非難しているのは特亜三カ国だけ。日本は中韓の非難には堂々と反論すればいいだけのこと。


元々何の根拠もなく日本を非難しているだけですから譲歩など一切せず日本側の主張を押し通すべきです。


橋下や加藤紘一のように尖閣を領土問題として認めるべき、など論外。領土問題と認めた瞬間、紛争地域なのだからと実力で奪いに来る。


石原伸晃みたいな甘ちゃんは、尖閣には人が住んでいないのだから中国が攻めてくるわけがない、などとほざいていた。



石破幹事長ともほぼ同世代とはいえ、中学の頃の価値観のまま全く進歩していない。この辺りの世代はネットに疎い人が多くテレビ・新聞の世論に弱すぎる。ツイッターを見ても安倍氏は在任中の実績を披露、石破氏は「国家の命により戦地に赴き散華された兵士」と「明らかに勝てない戦争を、そうであると知りながら開始した立場に居た国家指導者」とは明らかに異なると私は考えており、八月十五日には地元の護国神社に参拝することと致しております、といかにも中国好みの戦争指導者と日本国民を分断する策に嵌っている。
石原伸晃にいたってはツイッターのアカウントすらないようです。眉毛の手入れにはこだわるのに政策に対するこだわりは全く感じられない。
安倍氏が総理になるのは確実でしょうから、その次は石破・石原の世代を飛び越えて若い世代に期待したいところですね。
  (PB生、千葉)

中野区野方に住んでいた頃、ちょうど石原伸晃が立候補。西部警察・石原軍団の応援で商店街は大賑わいでしたが、これほどおんぶにだっこでだいじょうぶか? と思ったものですがやはりダメでした。
http://ww1.m78.com/sib/eikou.html