「日本人女性だ!」
殺される直前に「日本人女性だ!」とアラブ語で、叫ぶ声が
録音されていたとか。日本人女性ジャーナリスト・山本美香さんは、四方から撃たれていたとか。
~~~~~~~~~~~~~~~~~
安田純平の戦場サバイバル~政府軍によってジャーナリストが殺害される国、シリア
8月27日07時00分
提供:ガジェット通信
●安田純平の戦場サバイバル~政府軍によってジャーナリストが殺害される国、シリア
シリア北部の都市アレッポで、日本人女性ジャーナリスト・山本美香さんが銃撃戦に巻き込まれ死亡した。
死亡の報が日本にもたらされた8月20日早朝から、テレビ・新聞などでは一斉に山本さんのこれまでの取材活動が紹介され、多くの記者仲間もTwitterやブログで追悼のコメントを寄せた。
死亡した当時の状況はまだはっきりとしていないが、トルコとシリアの国境の街キリスから日帰りの予定でシリア・アレッポに入国。政府側か反体制側のどちらが掌握しているのか分からない場所に入り、アレッポの路上で山本さんの数メートル前にいた同行記者の佐藤和孝さんがカメラを構えたところ、「迷彩服の一団」が彼らに向かって銃撃を開始したという。佐藤さんは無事だった(22日共同通信)。
「山本さんの死によって、シリアが現在も激しい内戦状態に置かれていることがもっと日本で報じられるきっかけになるならば、その死にも意味があるのかなと思います」
と語るのは、ジャーナリストの安田純平さんだ。
安田さんは6月23日から7月30日までシリア市内を取材した。
現在、シリア政府は外国人記者が自由に国内を取材することを許していない。
内戦状態が激化してから、シリア国内に自力で入れた日本人記者は5人ほどしかいない。
安田さんの取材は、シリアの隣国レバノンで、シリアへの入国ルートを探るところから始まった。
「シリアから避難した医師らがレバノン国内の病院で働いており、シリア政府軍からの攻撃を受けて負傷した反政府側の市民をケアしています。その病院に通って情報を集め、入国ルートを探りました」(安田さん)
こうしてシリア国内の激戦地を長期取材に成功した安田さんだが、山本さんの死がなければメディアでシリアが扱われることはほとんどなかっただろう。
「元々日本は、国内ネタばかり取り上げる傾向があるため、外国の紛争地に関しての情報が手薄になっています」
山本さんの殉職の報じられ方も、安田さんは違和感があるという。
「確かに、山本さんがすばらしい方だった、というところを取り上げて報じるのは身近に感じてもらうという点で意味があることだと思うんです。これまで数多くの戦地に立って報道を続けてきた山本さんの取材姿勢には僕も敬意を持っています。けれど、今のところ日本の報道は山本さんの親族や友人らに取材するか、映像を分析する程度という印象が強いです。こうした事件が起きた場所なので現地に入るのには慎重にならざるを得ないでしょうが、自由シリア軍側には比較的容易に接触できますし、現場の状況をもっと詳しく聞くことはできると思います。山本さんらがそれを事前にどの程度認識していたのか、どのような判断で現場入りを決めたのか、現場ではどのような対策をとっていたのか、といった点を検証していってほしいところです。そうすることで今回の事件や、その背景となるシリアの現状についてもっと正確に報道することができるだろうし、シリアという国のいまを知る上で有益だと思う。今後、記者が現場に入る技術としても蓄積になるはずです」
安田さんは、2004年のイラク戦争取材時にイラク国内で誘拐されるというアクシデントに見舞われたときのことを思い出したという。
「僕は生きて帰ってきたから、日本の税金使って助けられるなんてけしからんとか、自己責任だとさんざんたたかれた訳ですが(笑)、その時も僕の親族や元の職場の同僚に、安田はどんなやつなのか、という取材がかなりきたそうです。一緒に拘束された人は親兄弟が叩かれたり、理不尽な目に遭ったりした人もいました。記者本人が取材される側に立ったときに、どういう報じられ方をされるか、そのときによくわかりましたが、いまもあまり本質的なところには目が向いていないんじゃないかという気がします」
安田純平さんの今回のシリア取材の成果や紛争地取材にまつわる話を、ガジェット通信で連載記事として配信することになった。
「シリアをあまり知らない人にも興味を持ってもらえるように、やわらかな内容にしていきたいと思ってます」
安田純平(やすだじゅんぺい)フリージャーナリスト
1974年生。97年に信濃毎日新聞入社、山小屋し尿処理問題や脳死肝移植問題などを担当。2002年にアフガニスタン、12月にはイラクを休暇を使って取材。03年に信濃毎日を退社しフリージャーナリスト。03年2月にはイラクに入り戦地取材開始。04年4月、米軍爆撃のあったファルージャ周辺を取材中に武装勢力によって拘束される。著書に『囚われのイラク』『誰が私を「人質」にしたのか』『ルポ戦場出稼ぎ労働者』
https://twitter.com/YASUDAjumpei
8月27日07時00分
提供:ガジェット通信
●安田純平の戦場サバイバル~政府軍によってジャーナリストが殺害される国、シリア
シリア北部の都市アレッポで、日本人女性ジャーナリスト・山本美香さんが銃撃戦に巻き込まれ死亡した。
死亡の報が日本にもたらされた8月20日早朝から、テレビ・新聞などでは一斉に山本さんのこれまでの取材活動が紹介され、多くの記者仲間もTwitterやブログで追悼のコメントを寄せた。
死亡した当時の状況はまだはっきりとしていないが、トルコとシリアの国境の街キリスから日帰りの予定でシリア・アレッポに入国。政府側か反体制側のどちらが掌握しているのか分からない場所に入り、アレッポの路上で山本さんの数メートル前にいた同行記者の佐藤和孝さんがカメラを構えたところ、「迷彩服の一団」が彼らに向かって銃撃を開始したという。佐藤さんは無事だった(22日共同通信)。
「山本さんの死によって、シリアが現在も激しい内戦状態に置かれていることがもっと日本で報じられるきっかけになるならば、その死にも意味があるのかなと思います」
と語るのは、ジャーナリストの安田純平さんだ。
安田さんは6月23日から7月30日までシリア市内を取材した。
現在、シリア政府は外国人記者が自由に国内を取材することを許していない。
内戦状態が激化してから、シリア国内に自力で入れた日本人記者は5人ほどしかいない。
安田さんの取材は、シリアの隣国レバノンで、シリアへの入国ルートを探るところから始まった。
「シリアから避難した医師らがレバノン国内の病院で働いており、シリア政府軍からの攻撃を受けて負傷した反政府側の市民をケアしています。その病院に通って情報を集め、入国ルートを探りました」(安田さん)
こうしてシリア国内の激戦地を長期取材に成功した安田さんだが、山本さんの死がなければメディアでシリアが扱われることはほとんどなかっただろう。
「元々日本は、国内ネタばかり取り上げる傾向があるため、外国の紛争地に関しての情報が手薄になっています」
山本さんの殉職の報じられ方も、安田さんは違和感があるという。
「確かに、山本さんがすばらしい方だった、というところを取り上げて報じるのは身近に感じてもらうという点で意味があることだと思うんです。これまで数多くの戦地に立って報道を続けてきた山本さんの取材姿勢には僕も敬意を持っています。けれど、今のところ日本の報道は山本さんの親族や友人らに取材するか、映像を分析する程度という印象が強いです。こうした事件が起きた場所なので現地に入るのには慎重にならざるを得ないでしょうが、自由シリア軍側には比較的容易に接触できますし、現場の状況をもっと詳しく聞くことはできると思います。山本さんらがそれを事前にどの程度認識していたのか、どのような判断で現場入りを決めたのか、現場ではどのような対策をとっていたのか、といった点を検証していってほしいところです。そうすることで今回の事件や、その背景となるシリアの現状についてもっと正確に報道することができるだろうし、シリアという国のいまを知る上で有益だと思う。今後、記者が現場に入る技術としても蓄積になるはずです」
安田さんは、2004年のイラク戦争取材時にイラク国内で誘拐されるというアクシデントに見舞われたときのことを思い出したという。
「僕は生きて帰ってきたから、日本の税金使って助けられるなんてけしからんとか、自己責任だとさんざんたたかれた訳ですが(笑)、その時も僕の親族や元の職場の同僚に、安田はどんなやつなのか、という取材がかなりきたそうです。一緒に拘束された人は親兄弟が叩かれたり、理不尽な目に遭ったりした人もいました。記者本人が取材される側に立ったときに、どういう報じられ方をされるか、そのときによくわかりましたが、いまもあまり本質的なところには目が向いていないんじゃないかという気がします」
安田純平さんの今回のシリア取材の成果や紛争地取材にまつわる話を、ガジェット通信で連載記事として配信することになった。
「シリアをあまり知らない人にも興味を持ってもらえるように、やわらかな内容にしていきたいと思ってます」
安田純平(やすだじゅんぺい)フリージャーナリスト
1974年生。97年に信濃毎日新聞入社、山小屋し尿処理問題や脳死肝移植問題などを担当。2002年にアフガニスタン、12月にはイラクを休暇を使って取材。03年に信濃毎日を退社しフリージャーナリスト。03年2月にはイラクに入り戦地取材開始。04年4月、米軍爆撃のあったファルージャ周辺を取材中に武装勢力によって拘束される。著書に『囚われのイラク』『誰が私を「人質」にしたのか』『ルポ戦場出稼ぎ労働者』
https://twitter.com/YASUDAjumpei
「宮崎正弘の国際ニュース・早読み」
平成24(2012)年8月22日(水曜日)
通巻第3732号
平成24(2012)年8月22日(水曜日)
通巻第3732号
戦場カメラマンの死に接して「存在と無」を思った
享年45歳。三島由紀夫をどうしても連想してしまう
******************
シリア内戦の戦闘現場に散った日本人女性ジャーナリスト。山本美香さんは享年45歳。一見、梶芽衣子風の美人。和服が似合いそうだ。
筆者は生のとなりにある死、不意の死を考えるとき、いつも「存在と無」に思惟がいきついてしまう。サルトル実存主義の信奉者でもないが、存在が突如、不在になる。我が国の仏教思想でいえば色即是空の世界。この世界の存在はすべて無である。『般若心経』の肯綮である。
三島由紀夫は遺作『豊饒の海』の最後の場面を「なにもないところに来てしまった。庭は夏の日だまりのなかでしんとしている」と書いて逝った。
「此后再不聞任何声音、一派寂寥、園里一無所有、本多想、自己是来到既無記憶又別無他的地方。庭院沐浴着日無尽的陽光、梢無声息。。。。。。。」(2011年。北京作家出版社、林小華訳)
三島由紀夫は享年45歳。
さて筆者は戦争現場から遠く離れた安全地帯に身を置くので、とやかく彼女の死について発言する気持ちもなければ、美しくも壮絶な死に様に大所高所から云々することは控えたいと思う。
ベトナム戦争がつづいていた頃のサイゴン(現在のホーチミン)。
1972年師走から翌正月にかけて、筆者は重いカメラを担いでベトナム戦争の末期を取材していた。サイゴンの書店で見つけたのは鈴木大拙と、西田幾多郎のベトナム語訳であった。
連日連夜、市内の何処かで銃撃があり、爆発音が聞こえ、筆者が泊まっていた河畔の宿「マジェスチック・ホテル」は外国人記者のたまり場だったが、夜、砲撃を受けたこともあった。開高健も、このホテルに投宿したことがある。
73年バンコック。「血の日曜日」といわれた学生大量虐殺によってタノム首相は海外へ亡命し、軍事力による民主化弾圧は逆効果となった。軍は死体を隠した。筆者はすぐにバンコクへ飛んで学生指導者らとインタビューを重ねた。かれらが日本人と聞いて興味を示したのは三島由紀夫の自決だった。
紛争地は随分とまわった。パキスタン、イラン、イスラエル、
筆者は生のとなりにある死、不意の死を考えるとき、いつも「存在と無」に思惟がいきついてしまう。サルトル実存主義の信奉者でもないが、存在が突如、不在になる。我が国の仏教思想でいえば色即是空の世界。この世界の存在はすべて無である。『般若心経』の肯綮である。
三島由紀夫は遺作『豊饒の海』の最後の場面を「なにもないところに来てしまった。庭は夏の日だまりのなかでしんとしている」と書いて逝った。
「此后再不聞任何声音、一派寂寥、園里一無所有、本多想、自己是来到既無記憶又別無他的地方。庭院沐浴着日無尽的陽光、梢無声息。。。。。。。」(2011年。北京作家出版社、林小華訳)
三島由紀夫は享年45歳。
さて筆者は戦争現場から遠く離れた安全地帯に身を置くので、とやかく彼女の死について発言する気持ちもなければ、美しくも壮絶な死に様に大所高所から云々することは控えたいと思う。
ベトナム戦争がつづいていた頃のサイゴン(現在のホーチミン)。
1972年師走から翌正月にかけて、筆者は重いカメラを担いでベトナム戦争の末期を取材していた。サイゴンの書店で見つけたのは鈴木大拙と、西田幾多郎のベトナム語訳であった。
連日連夜、市内の何処かで銃撃があり、爆発音が聞こえ、筆者が泊まっていた河畔の宿「マジェスチック・ホテル」は外国人記者のたまり場だったが、夜、砲撃を受けたこともあった。開高健も、このホテルに投宿したことがある。
73年バンコック。「血の日曜日」といわれた学生大量虐殺によってタノム首相は海外へ亡命し、軍事力による民主化弾圧は逆効果となった。軍は死体を隠した。筆者はすぐにバンコクへ飛んで学生指導者らとインタビューを重ねた。かれらが日本人と聞いて興味を示したのは三島由紀夫の自決だった。
紛争地は随分とまわった。パキスタン、イラン、イスラエル、
キルギス。。。。。。。。
1988年のイラン・イラク戦争ではファオ半島の戦闘現場に二台のカメラを持参した。死体がごろごろとして、すぐ前方ではイラクの兵士が銃撃をしていた。さきほどまで銃を構えていた兵士が砂漠に横たわり、死臭をかいで蠅が無数にたかってきた。やはり筆者の脳裏を去来したのは「存在と無」である。
1989年から91年にかけてロシア内戦、エストニアの戦闘があった。やはり望遠レンズ付きのカメラを二台かついでバルト三国へも出かけた。各地に戦闘の残骸をみた。
そして気がつけば、ベルリンの取材のとき、45歳になって、筆者は重いカメラを担いで走る体力が尽きた。
戦争ジャーナリストは結果的なものであり、この仕事はもはや体力的に無理であると悟ったのも、自らが三島由紀夫の享年を超えるという自覚に基づく。
個人的なことを加筆すればその後、五十歳で大病を患い、以後幸いにも十六年も続いている人生は付録のような僥倖、いまも現場はひたすら歩くけれども持参するのはデジタル・カメラ。戦場をはしる体力がないので、ともかく中国のあらゆる『現場』をみることにしている。
◎
♪
日本人女性ジャーナリストは「アレッポ」の罠にはまったのではないか?
外国人女性を標的にした外国メディアに「反政府側」への同情キャンペーン
*****************
1988年のイラン・イラク戦争ではファオ半島の戦闘現場に二台のカメラを持参した。死体がごろごろとして、すぐ前方ではイラクの兵士が銃撃をしていた。さきほどまで銃を構えていた兵士が砂漠に横たわり、死臭をかいで蠅が無数にたかってきた。やはり筆者の脳裏を去来したのは「存在と無」である。
1989年から91年にかけてロシア内戦、エストニアの戦闘があった。やはり望遠レンズ付きのカメラを二台かついでバルト三国へも出かけた。各地に戦闘の残骸をみた。
そして気がつけば、ベルリンの取材のとき、45歳になって、筆者は重いカメラを担いで走る体力が尽きた。
戦争ジャーナリストは結果的なものであり、この仕事はもはや体力的に無理であると悟ったのも、自らが三島由紀夫の享年を超えるという自覚に基づく。
個人的なことを加筆すればその後、五十歳で大病を患い、以後幸いにも十六年も続いている人生は付録のような僥倖、いまも現場はひたすら歩くけれども持参するのはデジタル・カメラ。戦場をはしる体力がないので、ともかく中国のあらゆる『現場』をみることにしている。
◎
♪
日本人女性ジャーナリストは「アレッポ」の罠にはまったのではないか?
外国人女性を標的にした外国メディアに「反政府側」への同情キャンペーン
*****************
シリアのアサド政権は末期、しかしロシアとイランが露骨に支援している。反政府ゲリアには英国などが医療、衛星通信などの支援をしているが武器弾薬が不足している。そのうえ反政府側は組織が分裂しており、統一した組織ではない。政府系のスパイももちろん混在している。
しかし国連監視団が撤退し、アナン特使が逃げ出し、すでに内戦で18000名が死んだ。血みどろの内戦に解決の見通しはない。
リビアへのNATO空爆はカダフィを滅ぼしたが、シリアへのNATOも介入もなければオバマの米国は冷淡に見ているだけである。冷酷に言えばシリアには石油がでない。
▼ユーゴ分裂、セルビア孤立の背後には情報操作があったように
さて1990年代、ユーゴスラビアが内戦状態に陥り、結果的にはセルビア、ボスニア&ヘルツェゴビナ、クロアチア、スロベニア、モンテネグロ、マケドニアの六つに分かれ、コソボが独立を宣言した。
内戦の段階で、国際世論は突如、セルビアをナチスと同一視しはじめ、「悪魔」として扱い、NATOが空爆、米国も五千メートル上空から「介入」し、セルビアの指導者ミロセビッチ、カラジッチを国際裁判にかけた。ロシアは内政が混乱し、セルビア支援ができなかった。
国際世論が突然、反セルビアになったのはサラエボのバザールでおきた爆破テロ。後日、これは「やらせ」であることが判明した。
ずばり言えば国際世論の関心を引くための自作自演である。
その後、セルビアを悪魔に仕立て上げて、サラエボ優位の世論づくりという巧妙な情報操作をやってのけたのは米国のPR会社に依頼したボスニアの外務大臣だった(詳しくは高木徹『戦争広告代理店』、講談社文庫)
今度のアレッポの罠とは?
なぜ山本美香さんを案内した反政府系武装組織が道を間違えたり、急に政府軍(らしき)が飛び出したりしたのか? 反政府系武装組織は外国人ジャーナリストを案内しておきながら、まっとうな護衛をしていないのは何故か?
外国人記者等はトルコ南部キリルから越境して、アレッポに向かう「取材ルート」があり、この道筋は反政府側のテリトリィのようである。
ということなどを類推していけば、ある種の推論が成立するだろう。
アレッポで山本さんと行動をともにした佐藤和孝氏が言うには襲撃してきたのは、「政府軍兵士とみられる」(読売新聞、8月22日都内最終版。以下引用は同紙)。ヘルメットに迷彩服の武装集団「十五人前後の一団」と遭遇したとした。
山本さんらは「反体制派武装組織『自由シリア軍』に同行取材していた」。
しかし「自由シリア軍系組織の幹部は、銃撃したのは政府軍と民兵『シャッビーハ』の混成部隊との見方をしめした」。
▼外国人記者のシリア取材を護衛付きで斡旋する「反政府」組織
外国人記者の取材をトルコ南部のたまり場で、「警護付きのエスコートを斡旋すると商談」を持ちかけ、「自由シリア軍の中堅幹部がいとこ」という斡旋業者は「五日間で500ドルの報酬」を読売新聞記者にも持ちかけた。
山本美香さんは、明らかにねらい撃ちされている。
女性の外国人記者を狙い撃ちするのは過去にも何例かあるように。
山本さんがアレッポ市内で撮影してきた、その「最後の影像」が日本テレビで放映されたが、「この最後の影像は、銃撃戦後、ふたりの取材に協力していた反体制派武装勢力の関係者に届けて貰った」。
この報道文章からも「自由シリア軍」とは別の「反体制派組織」と「反体制派勢力」という微妙な使い分けがされているうえ、「その関係者」ということになっている。
これらの細かな事実にも留意しておく必要があるだろう。
そして真相はいつものように藪の中である。
◆
♪
樋泉克夫のコラム
@@@@@@@@
【知道中国 793回】
――公道不公道・・・自由天知道
△
ここ数日、香港の新聞各紙は一面全体を使って中国における反日運動の情況を詳しく伝えている。運動参加者が掲げるプラカードに書かれた反日スローガンを拾い読みしていると、なにやら不思議な思いに駆られてしまう。
「小日本(日本に対する蔑称)は釣魚島からトットと出てゆけ」「釣魚島は中国のものだ」「我に銃を、砲を。立って釣魚島を守るぞ」「日本帝国主義、打倒」「日寇を駆逐し、我が中華の神威を宣揚し、日本による中国領土の侵略・占有に反対せよ」「我が華夏(ちゅうごく)を侮辱するなら、遠路なれど必ず誅すぞ」「領土主権、寸土も守れ」「南京の痛み、釣魚島を守れ」「我が中華を愛し、日本製品をボイコットせよ」「我が魚釣島を還せ」「中華の振興は一人一人の責務だ」などは常套句といったところ。先ずは“穏当”な表現だ。
一方、「釣魚島への出兵を政府に強く要求する」「政府の不作為に抗議する」といった政府の対応の軟弱さへの抗議も見られるが、「日本人に出遭ったら、必滅だ」「腐ったヤツラを叩き出し、政府にヤキを入れ、日虜を駆逐し、琉球を取り戻せ」「直ちに日本と断交し、宣戦を布告し、核を使って東京を攻撃せよ」などといった類の“勇壮”なものもあった。かくして「全土の壮麗なビルをすべて墓石にしてもいい、日本人を皆殺しだ。大陸に草が生えなくなってもいい、釣魚島の奪還だ」と、“悲壮な決意“はエスカレートするばかり。
以上の表現は“想定内”だったが、「鬼子(日本人に対する最も激しい蔑称)が我が釣魚島を奪うなら、鬼子の親娘(カーちゃん)を×××まうぞ」には正直言って開いた口が塞がらなかった。いや恐れ入った。なお、「×××」は敢えて訳しませんでした。
反北京の論調で知られる『蘋果日報』(8月20日)は、「公安傍観、デモは騒乱へ」との見出しで中国全土で最も過激な反日運動が見られたといわれる深?でのデモを詳細に報じている。暴徒はレンガを投げ、棍棒で日本レストランを襲った。そこで従業員が「レストランは中国人の経営だ」と叫ぶが、彼らは「この漢奸め」と怒鳴り返す。漢族の仇敵に身も心も売った最低最悪の民族的裏切り者と断罪されてしまった、というわけだ。可哀想に。
暴徒は行き掛けの駄賃よろしく、病院に向かおうとしたホンダの車を襲撃し、レンガでガラスを割り、車体全体をボコボコに壊し、最後はひっくり返してしまった。周囲のデモ参加者、いやヤジウマが囃し立てたことは勿論だが、被害者が「これは暴民の行為だ。公安は見てみぬ振りだ。
オレの車をぶっ壊すのが愛国なら、オレがダイナマイトで橋を爆破するのも愛国か」と訴えるが、公安は相変わらず見てみぬ振り。
ところで盧溝橋事件2年前の1935年、林語堂はニューヨークで欧米人向けに英語で『MY COUNTRY AND MY PEOPLE』(邦訳は『中国=思想と文化』鋤柄治郎訳 講談社学術文庫 1999年)を出版し、「中国人はたっぷりある暇とその暇を潰す楽しみを持っているのだ」。
そこで「十分な余暇さえあれば、中国人は何でも試みる」と説いた。かくて「蟹を食べ、お茶を飲み、名泉の水を味わい、京劇をうなり・・・子供を産み、高鼾を立てる」まで58種類の暇潰し法を挙げているが、その43番目に「日本人を罵倒し」とある。
「反日は我らが暇潰し法の1だ」と開き直られても、「ハァそうですか」と納得するわけにはいかない。
それにしても「鬼子の親娘を×××まうぞ」などを持ち出す辺りに、なにやら彼の民族の本性を見せつけられたような気がする。小人閑居して不善を為し、暇を持て余しては愛国無罪を叫び反日暴民と化す・・・おいおいキミたちは正気かい。
《QED》
~~~~~
しかし国連監視団が撤退し、アナン特使が逃げ出し、すでに内戦で18000名が死んだ。血みどろの内戦に解決の見通しはない。
リビアへのNATO空爆はカダフィを滅ぼしたが、シリアへのNATOも介入もなければオバマの米国は冷淡に見ているだけである。冷酷に言えばシリアには石油がでない。
▼ユーゴ分裂、セルビア孤立の背後には情報操作があったように
さて1990年代、ユーゴスラビアが内戦状態に陥り、結果的にはセルビア、ボスニア&ヘルツェゴビナ、クロアチア、スロベニア、モンテネグロ、マケドニアの六つに分かれ、コソボが独立を宣言した。
内戦の段階で、国際世論は突如、セルビアをナチスと同一視しはじめ、「悪魔」として扱い、NATOが空爆、米国も五千メートル上空から「介入」し、セルビアの指導者ミロセビッチ、カラジッチを国際裁判にかけた。ロシアは内政が混乱し、セルビア支援ができなかった。
国際世論が突然、反セルビアになったのはサラエボのバザールでおきた爆破テロ。後日、これは「やらせ」であることが判明した。
ずばり言えば国際世論の関心を引くための自作自演である。
その後、セルビアを悪魔に仕立て上げて、サラエボ優位の世論づくりという巧妙な情報操作をやってのけたのは米国のPR会社に依頼したボスニアの外務大臣だった(詳しくは高木徹『戦争広告代理店』、講談社文庫)
今度のアレッポの罠とは?
なぜ山本美香さんを案内した反政府系武装組織が道を間違えたり、急に政府軍(らしき)が飛び出したりしたのか? 反政府系武装組織は外国人ジャーナリストを案内しておきながら、まっとうな護衛をしていないのは何故か?
外国人記者等はトルコ南部キリルから越境して、アレッポに向かう「取材ルート」があり、この道筋は反政府側のテリトリィのようである。
ということなどを類推していけば、ある種の推論が成立するだろう。
アレッポで山本さんと行動をともにした佐藤和孝氏が言うには襲撃してきたのは、「政府軍兵士とみられる」(読売新聞、8月22日都内最終版。以下引用は同紙)。ヘルメットに迷彩服の武装集団「十五人前後の一団」と遭遇したとした。
山本さんらは「反体制派武装組織『自由シリア軍』に同行取材していた」。
しかし「自由シリア軍系組織の幹部は、銃撃したのは政府軍と民兵『シャッビーハ』の混成部隊との見方をしめした」。
▼外国人記者のシリア取材を護衛付きで斡旋する「反政府」組織
外国人記者の取材をトルコ南部のたまり場で、「警護付きのエスコートを斡旋すると商談」を持ちかけ、「自由シリア軍の中堅幹部がいとこ」という斡旋業者は「五日間で500ドルの報酬」を読売新聞記者にも持ちかけた。
山本美香さんは、明らかにねらい撃ちされている。
女性の外国人記者を狙い撃ちするのは過去にも何例かあるように。
山本さんがアレッポ市内で撮影してきた、その「最後の影像」が日本テレビで放映されたが、「この最後の影像は、銃撃戦後、ふたりの取材に協力していた反体制派武装勢力の関係者に届けて貰った」。
この報道文章からも「自由シリア軍」とは別の「反体制派組織」と「反体制派勢力」という微妙な使い分けがされているうえ、「その関係者」ということになっている。
これらの細かな事実にも留意しておく必要があるだろう。
そして真相はいつものように藪の中である。
◆
♪
樋泉克夫のコラム
@@@@@@@@
【知道中国 793回】
――公道不公道・・・自由天知道
△
ここ数日、香港の新聞各紙は一面全体を使って中国における反日運動の情況を詳しく伝えている。運動参加者が掲げるプラカードに書かれた反日スローガンを拾い読みしていると、なにやら不思議な思いに駆られてしまう。
「小日本(日本に対する蔑称)は釣魚島からトットと出てゆけ」「釣魚島は中国のものだ」「我に銃を、砲を。立って釣魚島を守るぞ」「日本帝国主義、打倒」「日寇を駆逐し、我が中華の神威を宣揚し、日本による中国領土の侵略・占有に反対せよ」「我が華夏(ちゅうごく)を侮辱するなら、遠路なれど必ず誅すぞ」「領土主権、寸土も守れ」「南京の痛み、釣魚島を守れ」「我が中華を愛し、日本製品をボイコットせよ」「我が魚釣島を還せ」「中華の振興は一人一人の責務だ」などは常套句といったところ。先ずは“穏当”な表現だ。
一方、「釣魚島への出兵を政府に強く要求する」「政府の不作為に抗議する」といった政府の対応の軟弱さへの抗議も見られるが、「日本人に出遭ったら、必滅だ」「腐ったヤツラを叩き出し、政府にヤキを入れ、日虜を駆逐し、琉球を取り戻せ」「直ちに日本と断交し、宣戦を布告し、核を使って東京を攻撃せよ」などといった類の“勇壮”なものもあった。かくして「全土の壮麗なビルをすべて墓石にしてもいい、日本人を皆殺しだ。大陸に草が生えなくなってもいい、釣魚島の奪還だ」と、“悲壮な決意“はエスカレートするばかり。
以上の表現は“想定内”だったが、「鬼子(日本人に対する最も激しい蔑称)が我が釣魚島を奪うなら、鬼子の親娘(カーちゃん)を×××まうぞ」には正直言って開いた口が塞がらなかった。いや恐れ入った。なお、「×××」は敢えて訳しませんでした。
反北京の論調で知られる『蘋果日報』(8月20日)は、「公安傍観、デモは騒乱へ」との見出しで中国全土で最も過激な反日運動が見られたといわれる深?でのデモを詳細に報じている。暴徒はレンガを投げ、棍棒で日本レストランを襲った。そこで従業員が「レストランは中国人の経営だ」と叫ぶが、彼らは「この漢奸め」と怒鳴り返す。漢族の仇敵に身も心も売った最低最悪の民族的裏切り者と断罪されてしまった、というわけだ。可哀想に。
暴徒は行き掛けの駄賃よろしく、病院に向かおうとしたホンダの車を襲撃し、レンガでガラスを割り、車体全体をボコボコに壊し、最後はひっくり返してしまった。周囲のデモ参加者、いやヤジウマが囃し立てたことは勿論だが、被害者が「これは暴民の行為だ。公安は見てみぬ振りだ。
オレの車をぶっ壊すのが愛国なら、オレがダイナマイトで橋を爆破するのも愛国か」と訴えるが、公安は相変わらず見てみぬ振り。
ところで盧溝橋事件2年前の1935年、林語堂はニューヨークで欧米人向けに英語で『MY COUNTRY AND MY PEOPLE』(邦訳は『中国=思想と文化』鋤柄治郎訳 講談社学術文庫 1999年)を出版し、「中国人はたっぷりある暇とその暇を潰す楽しみを持っているのだ」。
そこで「十分な余暇さえあれば、中国人は何でも試みる」と説いた。かくて「蟹を食べ、お茶を飲み、名泉の水を味わい、京劇をうなり・・・子供を産み、高鼾を立てる」まで58種類の暇潰し法を挙げているが、その43番目に「日本人を罵倒し」とある。
「反日は我らが暇潰し法の1だ」と開き直られても、「ハァそうですか」と納得するわけにはいかない。
それにしても「鬼子の親娘を×××まうぞ」などを持ち出す辺りに、なにやら彼の民族の本性を見せつけられたような気がする。小人閑居して不善を為し、暇を持て余しては愛国無罪を叫び反日暴民と化す・・・おいおいキミたちは正気かい。
《QED》
~~~~~
(読者の声1)宮崎さんが『なぜアメリカは対日戦争をしかけたのか』という本を紹介されたチャンネル桜の「討論」の席に、田中英道氏が加わっておられるのをユーチューブで拝見しました。
田中先生は、今月5日に福岡天神で講演され、その時の演題が、「社会主義者ルーズベルトの正体と日本改造計画」となっており、小生は中川八洋氏なら「社会主義者近衛文麿の正体」という演題にするかもと思ったことでした。
ルーズベルト周辺のコミンテルン工作員については、その多くを戦後マカーシーが弾劾し、露見したものは投獄、自殺、亡命の運命を味わいました。
マカーシーは、マーシャルにまで中国共産化の責任を追求し、その影響が広範囲に及んだためマスコミから嫌悪され非難されましたが、近年公開されたヴェノナ文書により彼の訴えの多くが正しかったことがわかりました。
ひきかえ、わが国にはマカーシーもヴェノナ文書も現れず、尾崎秀実がゾルゲとのからみで刑死したのがむしろ例外で、近衛周辺の社会主義者はほとんどが正体を暴かれることなく、多くは枢要の地位にあって無事生涯を全うしています。
わが国の政府は、売国政治家河野洋平や東京大空襲を行ったルメイ将軍にも最もよい勲章を出したことですから、近衛周辺にいて国を裏切った人たちの中にも栄達を極め、高位の叙勲の榮に浴した人たちがいたのではないでしょうか。
田中先生は、今月5日に福岡天神で講演され、その時の演題が、「社会主義者ルーズベルトの正体と日本改造計画」となっており、小生は中川八洋氏なら「社会主義者近衛文麿の正体」という演題にするかもと思ったことでした。
ルーズベルト周辺のコミンテルン工作員については、その多くを戦後マカーシーが弾劾し、露見したものは投獄、自殺、亡命の運命を味わいました。
マカーシーは、マーシャルにまで中国共産化の責任を追求し、その影響が広範囲に及んだためマスコミから嫌悪され非難されましたが、近年公開されたヴェノナ文書により彼の訴えの多くが正しかったことがわかりました。
ひきかえ、わが国にはマカーシーもヴェノナ文書も現れず、尾崎秀実がゾルゲとのからみで刑死したのがむしろ例外で、近衛周辺の社会主義者はほとんどが正体を暴かれることなく、多くは枢要の地位にあって無事生涯を全うしています。
わが国の政府は、売国政治家河野洋平や東京大空襲を行ったルメイ将軍にも最もよい勲章を出したことですから、近衛周辺にいて国を裏切った人たちの中にも栄達を極め、高位の叙勲の榮に浴した人たちがいたのではないでしょうか。
スウェーデン駐在武官小野寺が、
ヤルタ会談でドイツ降伏後のソ連の対日参戦約束、ベルリン陥落後ソ連軍戦車の全力東方移送
といった貴重な情報を報告しますが、それを軍の中枢にいた数人が握りつぶしています。
往時の責任を問わないわが国の流れですが、目の前で起こっていることども、北京オリンピック聖火リレーで長野県での赤旗乱立と、わが国民が怪我を負わせられながら中国人の逮捕者が出なかったことを得々として喜んでいた高村外相、当時の福田内閣。
現在、尖閣列島の危機を迎えながら、関係閣僚会議に最もかかわるべき防衛大臣の出席すら認めていない卑屈そのものの現野田内閣の所業を、今を生きるものの歴史の証人としてしかと見つめておきたいものです。
(九州在住 愛読者)
(宮崎正弘のコメント)その画像、小生は見ておりませんが、ご指摘の書籍は加瀬英明、スコット・ストークス共著(祥伝社新書)ですね。九月に、この本の出版記念会が行われる予定です。
田中英道さんにはフランクフルト学派とコミンテルンの陰謀とCIAの前身であるOSSのなかに巣くった共産分子、反日分子の戦略を分析した名著があります。
『戦後日本を狂わせたOSS「日本計画」―二段階革命理論と憲法』(展転社)
コミンテルン工作員ハーバート・ノーマンと親しかった都留重人、赤い貴族と言われた西園寺公一、この人たちも追及を受けることなく天寿を全うしました。 http://www.amazon.co.jp/%E6%88%A6%E5%BE%8C%E6%97%A5%E6%9C%AC%E3%82%92%E7%8B%82%E3%82%8F%E3%81%9B%E3%81%9FOSS%E3%80%8C%E6%97%A5%E6%9C%AC%E8%A8%88%E7%94%BB%E3%80%8D%E2%80%95%E4%BA%8C%E6%AE%B5%E9%9A%8E%E9%9D%A9%E5%91%BD%E7%90%86%E8%AB%96%E3%81%A8%E6%86%B2%E6%B3%95-%E7%94%B0%E4%B8%AD-%E8%8B%B1%E9%81%93/dp/4886563619
◎◎◎
<< 宮崎正弘の論文掲載誌ならびに予定 >>
(1)「バブル破産の現場をみにいく」(『北国新聞』、8月13日号)
(2)「パオトウの怪」(『月刊日本』9月号、8月23日発売)
(3)「レアアースと石炭でバブル破裂の震源地になるのか、内蒙古自治区」(『エルネオス』九月号、8月31日発売)
(4)「中国の腐敗糾弾デモの背景」(『サピオ』、9月19日号、8月28日発売予定)
(5)「日本化する中国」(『正論』十月号、9月1日発売)
(6)「レアアース・シティ=包頭に行ってみた」(『共同ウィークリー』、9月10日号)
(7)「書評 民主主義の基幹を論ず」(拓殖大学日本文化研究所『新日本学』、秋号)
(8)「日中国交回復四十年 周恩来、トウ小平、江沢民列伝」(『臨時増刊 正論』、九月20日頃発売予定)
○○○ ○○○ ○○
♪
宮崎正弘の最新刊
http://miyazaki.xii.jp/saisinkan/index.html
『中国が世界経済を破綻させる』(清流出版、1680円)
アマゾンから注文 ↓
http://www.amazon.co.jp/dp/4860293851/
♪
宮崎正弘のロングセラー
『国際金融危機 彼らは「次」をどう読んでいるか』(双葉社新書、840円)
http://www.amazon.co.jp/dp/4575153877/
『2012年 中国の真実』(ワック、930円、新書版)
http://www.amazon.co.jp/dp/4898316557/
『中国大暴走 高速鉄道に乗ってわかった衝撃の事実』(1365円、文藝社)
http://www.amazon.co.jp/dp/4286114228/
『中国は日本人の財産を奪いつくす!』(徳間書店 1260円)
http://www.amazon.co.jp/dp/4198631565/
『オレ様国家 中国の常識』(新潮社、1470円)
http://www.amazon.co.jp/dp/4103290617/
♪♪
<宮崎正弘の対談シリーズ>
+++++++++++
『猛毒国家に囲まれた日本』(佐藤優氏との対談。海竜社、1575円)
『増長し無限に乱れる「欲望大国」中国のいま』(石平氏との対談。ワック、945円)
『絶望の大国 中国の真実』(石平氏との対談。ワック、933円)
『日米安保、五十年』(西部邁氏との対談。海竜社、1680円)
『世界が仰天する中国人の野蛮』(黄文雄氏との対談。徳間書店、1575円)
http://miyazaki.xii.jp/saisinkan/index.html
宮崎正弘のホームページ http://miyazaki.xii.jp/
(C)有)宮崎正弘事務所 2012 ◎転送自由。転載の場合、出典を明示