優れたリーダーを選び、支持する責任が、国民の側にあることは言うまでもありません。 | 日本のお姉さん

優れたリーダーを選び、支持する責任が、国民の側にあることは言うまでもありません。

  2012年7月30日発行JMM [Japan Mail Media]     No.699 Extra-Edition
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 ■ 『村上龍、金融経済の専門家たちに聞く』
   ◇読者投稿編:Q:1269への読者からの回答
■ 読者投稿編:Q:1269への読者からの回答
■今回の質問【Q:1269(番外編)】 フランスのオランド新大統領は、自動車大手プジョー・シトロエン・グループの人員削減計画に対し「受け入れられない」と、政府の介入を表明しました。日本でもパナソニックなどが合理化を発表しましたが、今のところ、日本政府は関与する気はないようです。こういった問題をどう考えればいいのでしょうか。
村上龍
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 ■ 読者投稿:尾崎俊哉 立教大学経営学部教授

近年、国際経営の分野で、今回の質問に関連する分野の研究が進んでいますので、その内容を紹介し、議論への一助としたいと思います。

それに先立ち、経営学以前の問題として、政府の方針と国民の考えや期待の間に、どのような関係があるか確認したいと思います。
日本を含む民主国家では、国民が主権者です。
従って政府の施策は、国民の期待する大きな方向性の中で作られているはずです。
もし政府が国民の意に沿わない政策を遂行し続ければ、国民は次の選挙で、それまでの政治への評価を行い、政権の交代を求めるからです。

日本が民主国家だという前提にたつと、『政府は、企業の合理化に関与する気がないのではないか』という編集長の問題提起は、『日本人の多くは、雇用を含む経営への政府の関与を、本当に望んでいないのか』という問題と捉え直せます。
関連して『グローバル競争の中、政府は放任政策をとっても大丈夫と、我々は考えているのか』という問題もあると考えられます。

国や社会のありかたや国民の考え方と、企業経営との間に、どのような関係があるかをめぐっては、近年、比較制度分析の手法を使って考察する方法で、研究が積み重ねられてきました。
その代表の1つが、ハーバード大のホールとオクスフォード大のソスキスによる『資本主義の多様性』(2001年)です。
残念ながら我が国では、国際経営よりも比較政治学などで注目されていますが、世界的に見れば、その後に大きな賛否両論の議論を巻き起こした点も含めて、一つの時代を開いた画期的な研究といえます。

要約すると、企業は『市場』と『組織』を組み合わせ、社内外のさまざまな利害関係者との『関係性』を構築する中で経営を行い、顧客に価値を提供しますが、このような関係性のあり方は、国によって大きく異なります。
その違いは、財市場、資本市場、労働市場、教育、ガバナンス、の5つの分野で、相互に依存しあう制度によって、最も大きく影響される、というものです。

近年日本では、アメリカに代表される市場主義のメリットが強調されてきました。
『競争に満ちた市場のほうが、イノベーションも起こりやすく、効率的で好ましい』というものです。
そのような競争的な市場のもとでは、リストラも当然の施策とされ、労働者へのしわよせもやむを得ないものと理解されていました。

しかしホールらの研究によれば、各国の経済社会や企業のあり方は、このような単純化された理解とは異なる、はるかに複雑な様相を呈しています。
アメリカほど市場主義的でない国民経済の形態が多数存在していることも、明らかになります
その代表が、ドイツに代表される『調整型経済』です。

重要なのは、市場主義型経済のほうが、調整型経済よりも効率的で好ましい、というような単純な問題ではない、という点です。
制度の組み合わせや産業の選び方、そして何より、そのような環境と整合的な企業の戦略と組織運営によっては、調整型経済のもとでも、企業は生産性を高め、優れた業績をあげ、国民経済の成長に貢献することができます。
他方で、市場主義的な制度のもとでも、制度設計が不十分で制度間の整合性がとれていないと企業がイノベーションを起こさず、国民経済全体としては停滞する場合もあるのです。

その中から、デンマークを興味深い事例として紹介したいと思います。
ドイツなどと同様、『調整型経済』の1つですが、グローバル競争の問題に20年近く前に直面したとき、フランスとも日本とも異なる対応を行って、一定の成果を出すことに成功しました。
この国もかつては、造船をはじめとした製造業が一定の重要性を占めていたのですが、1990年代の始めに日本や韓国などとの競争に勝てず、窮地に追い込まれました。
それへの対応策として『フレキシキュリティ(フレキシビリティとセキュリティの造語)』という制度を導入したのです。

もともと高福祉国家として、政府が経済活動に大きな責任を持っていましたので、今回のフランスのような直接介入もあり得たのかもしれません。
しかしこの国は、企業側には自由な解雇権を与える一方、労働者には、手厚い失業保険と職業訓練を提供する、という組み合わせを選びました。

労働者の側から見ると解雇はつらいのですが、結果的に、勝ち目の少ない競争の中で、きついばかりの仕事に無理にしがみつく代わりに、充実した職業訓練と再雇用を通して、社会全体のなかでの適材適所が実現していきました。
その結果、90年代を通して産業構造が一気に転換され、ライフサイエンス産業やサービス産業が主体の経済に生まれ変わり、国民の幸福度も高い豊かな社会を実現しています。

このような選択を行った背景の1つには、供給サイド、すなわち企業による生産活動では、生産性を高め、成長を実現するために、解雇の自由を認めて適材適所を進め、規制緩和のもとでイノベーションを起こすことが必要であり、そのためには、市場主義的なアプローチが最も効率的だという理解が、福祉国家のなかでも成立していた点があげられます。

このような割り切りの上に、解雇に伴う失業保険や再訓練の費用など、経営の自由を確保するためのコストを、需要側すなわち広く国民の側で負担すること、その上で、成長の成果を社会全体で広く公平に分配すること、が、社会的なコンセンサスとして形成され、それが政策に反映されました。(ちなみにアメリカなどの市場主義型経済では、成長の成果は、『リスクを取った』ということを根拠に、経営者や株主に、より多く配分されています。)

だからこそ、企業の側から見ると規制もゆるやかで解雇権も与えられ、法人税も安い一方、平均的なサラリーマンの所得税が50%を超え、消費税が25%、という、市場主義的な考えからはありえない組み合わせが実現し、そのもとで生産性の高い経済を実現し、税負担への国民からの文句もほとんど出ないのです。

では、日本も『フレキシキュリティ』を導入すれば、うまくいくのでしょうか。
この分析枠組みからは、この点も含め、いくつかの興味深い示唆が導かれます。
第一に、うまくいっている国民経済(経済学でいう効率的な市場と組織)は、5つの制度が整合的で無理がない、という点です。
デンマークの例でいえば、企業のレベルで、経営者にも労働者にもしがらみや甘えがなく、合理的で優れた経営が実現する組織能力があります。

また需要の側も、価格弾力性がアメリカのような市場主義的な経済よりも低く、価格がインセンティブとして働きにくいことを実現するための社会的規範が、教育や文化などを通して、それぞれの制度の中で成立しているのです。
従って、このような整合的な制度なしに『ベスト・プラクティス』などと言って日本で『フレキシキュリティ』を導入しても、おそらくうまくはいかない、ということも予測できます。

そのうえで、制度的補完性の上に、市場と組織との整合性がとれている経済では、多くの企業が、制度と整合的な戦略を持ち、それを実行している、という点も明らかにできます。
企業の経営、特にグローバルな経営戦略の展開においては、このような各国の経営環境における制度の違いを意識した『制度的な比較優位』を使うことが肝要である、という点も導かれます。
さらに、現実の世界においては、市場主義的な社会が、必ずしも最大多数の最大幸福を導くわけでもないという点で、最善の選択というわけでもない、という点も示唆されるものです。

政策のレベルで重要なのは、5つの制度を、経済活動についての一貫した考えのもとで、社会として一貫した考えの上に制度を整合的、一体的に構築するとともに、そのような制度が実効性をもつための実施体制を備えることなのです。
これは、言うは易く行うは難し問題です。
政策の企画立案と実施体制としての官僚組織が、機能別に省庁によって分断されているからです。
したがって放っておくと、5つの制度がバラバラで非整合的なものになりがちです。

これは大きな組織の企業でも同じことです。
大事なのは、オーケストラの指揮者ように、さまざまなパートを、一貫した思想でまとめ、一つの方向へもっていくリーダーシップと、そのようなリーダーを盛り立てながら、他のプレイヤーと協調しながら演奏できるプロフェッショナルなプレイヤー、の両方なのかもしれません。
政治の場合、それに加えて優れたリーダーを選び、支持する責任が、国民の側にあることは言うまでもありません。

 立教大学経営学部教授:尾崎俊哉
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