友好と強硬の二つの顔を使い分けながら実効支配を進めるのは、中国の常套手段だ。私たちは、その先例を南シナ海に見ることができる。東南アジア諸国との領有権問題がくすぶっている南シナ海について、2010年になって中国は、それまでの友好姿勢から一転し、「核心的利益」という表現を用いて、自国にとって譲れない海域との意思を顕わにした。
じつは、中国は友好姿勢を示している間にも、自国の漁船保護を名目に漁業監視船を同海域に派遣するなど実効支配を強めてきていた。その上での意思表示であり、これは周到な戦略に基づいたものであることが明らかである。
中国は今、東シナ海のガス田開発では日本に「対話による解決」を表明しながら、文字通り水面下で資源を吸い取っている。今回の漁船衝突事件では、日本による船長の釈放によって外交姿勢は穏やかなものへと変わったが、尖閣近海での漁業監視船の常駐パトロールを宣言し、既に周辺海域で2隻が活動を開始している。
南シナ海の歴史は東シナ海でも繰り返されるのか。日本はいかなる対抗措置を講じるべきか。長年、中国を軍事と政治の両面から研究し続けてきた同志社大学法学部の浅野亮教授は、「危機の時こそ、大局観をもって対処に臨むことが重要」と語る。(編集部)
──まず始めに、最近の尖閣諸島を巡る日中の対立を、先生がどのように見ているかお聞かせください。
浅野亮教授(以下、浅野教授):中国の行動や態度が日本を強く刺激したことは事実です。否定できる人はまずいません。しかし中国を一方的に批判するだけでは、事態の打開もむずかしいでしょう。こういう危ない時こそ、わかりきっていると思う現状をもう一度見直すことが必要、特に広い視野で捉え直すべき、と聞いたことがあります。尖閣諸島をめぐる問題は、もっと広い視野で見るということです。
見逃してならないのは、中国は、これまでできないと思っていたことが、国力が増大してくるとできるようになる、つまり今までは外国からの圧力に屈してきたが、これからは押し切ることができると考えるようになった、しかし実際の力はそれに見合っていないのでイライラ感、すなわちフラストレーションが逆に前よりも高まったことです。これは、青山学院大学の高木誠一郎教授が指摘したことで、研究者の間ではほぼコンセンサスになっているといってよいでしょう。
ここでのポイントは、日本から見ればどう見ても中国の態度は高圧的で不当ですが、逆に中国からしても、自分たちは奪われたもの、特に国際的な威信を取り戻そうとしているだけで、日本のほうが高圧的で不当だと見ていることを頭に入れておくことです。これが日中関係の現状であり、中国と多くの国々との関係でもいえることです。今回、中国が高圧的になったと多くの国々が懸念を持ったため、ヨーロッパを訪れた温家宝首相は、ヨーロッパ経済への中国の貢献を強調する一方、ドイツなどと二国間の関係を進め、ヨーロッパの足並みを乱すようなこともして、対中批判がこれ以上強くならないように努めました。しかし、劉暁波氏のノーベル平和賞受賞に中国が圧力をかけて抗議したことで、結局、中国のイメージ改善はうまくいかなかったのです。
──90年代半ばまで、中国は南シナ海の領有権を巡ってベトナムやフィリピンと激しく衝突していました。しかし、その後は海洋資源の共同開発を提案するなど、経済発展を重視した友好姿勢を前面に打ち出してきていたはずです。それが2010年に入り一転、再び強硬な顔を見せ始めた背景にはいったい何があるのでしょうか?
浅野教授:たしかに、東南アジア諸国とは、2000年代の初めごろ協力的な姿勢が見えました。しかし、それ以後、中国の姿勢は大きく変わっています。たとえば、2002年に中国と東南アジア諸国の間で合意した「南シナ海行動宣言」は、南シナ海問題の平和的な解決を図るものとして日本でも高く評価されましたが、実際にはそれ以降、中国は二国間の交渉に力点を移して(*1)、妥協する姿勢は見せないようになったといわれています。そこで東南アジア諸国はお互いの協力を進めることとしました。そればかりでなく、1980年代後半に中国と海上で武力衝突を経験したベトナムは、ベトナム戦争で敵同士だったアメリカとの関係を強めることさえしたのです。両国の接近は2009年にはっきりしましたが、これには中国も怒りました。南シナ海をめぐる情勢は、2010年になってから突然変わったのではなく、このような伏線があったのです。
経済的な側面から見ると、リーマンショックの影響も大きかっただろうと思います。リーマンショック以降、深いダメージを受けた多くの先進国は、中国に頼らざるを得ない状況に追い込まれました。リーマンショック後に2度行われたサミットでも先進国は中国批判を避けました。そういう経験から、もっと強気に出ても大丈夫だという学習を、中国が積み重ねていったと考えられます。なお、この読みは今回のノーベル平和賞批判にもあてはまるかもしれません。
また、昨年は中国の空軍・海軍にとって60周年という節目の年でもあり、外国の軍人を招いて大々的な閲兵式が行われました。これをきっかけに、軍部の中ではとくに若い世代を中心に自信を深めてきていると聞いたことがあります。ただ、人民解放軍の中にもいろいろな意見があり、軍人がみな好戦的とは限らないようです。艦艇をきちんと動かすには、カーナビと同じように、位置情報を正確に捉える人工衛星ネットワークが不可欠ですが、それは2020年ごろにならなければ完成しません。ですから、海軍の指導者は実際にはかなり慎重でしょう。中国のネットでは海軍を叱咤激励する意見も出たくらいです。
──南シナ海を巡り、中国はどのようなやり方で実行支配を強めているのでしょうか?
浅野教授:中国には「三戦」という考え方があります。これは文字通り3つの戦い方をあらわす言葉で、「世論戦」、「心理戦」、「法律戦」の3つを組み合わせることで、軍事力を行使せずにソフトな戦いを展開しようというものです。2003年12月に改定された人民解放軍の「軍政治工作条例」では、この三戦を展開していくことが明記されました。
たとえば、南シナ海で領有権争いをしている「島」に人民解放軍を送り込むのも、「世論戦」のひとつと見ることができます。人間が住む環境としては条件が厳しいところに部隊を配置するのですが、水、食糧、兵器や装備の補給が難しく、基地としての機能を十分に果たしているわけではないと言われています。ただ、そこに人民解放軍がいるという既成事実をつくり、国際社会や国内世論に向けて領有権をアピールしていくのです。
「心理戦」は、言うことを聞かない相手に対して、緊張を過度に高めない程度の圧力をかけて、揺さぶりをかける方法です。たとえば、先日、ベトナムの漁船を中国が拿捕したという報道(*2)がありましたが、これも中国による心理戦と見ることができます。なぜなら、10月12日にハノイで行われるASEAN+8(拡大国防相会議)は、ベトナムの努力によって実現に漕ぎ着けたものです。領有権問題で多国間交渉を嫌う中国が、ASEAN+8の開催を目前に、ベトナムに対して揺さぶりをかけていると見るのが自然かと思います。
心理戦を進めるうえで肝心なことは、相手の心理にほんの少し圧力を加えることを繰り返し、なるべく目立たないようにちょっとだけ前に進むことです。過度な圧力を一気にかけると、相手は瞬時に警戒を強めてしまいますが、小さな圧力であれば、警戒を強めるタイミングを失うので、気づいたときにはもう手遅れという事態が起こります。
尖閣諸島沖での漁船衝突は断面的に見れば突発的な現象ですが、もし仮に、このような事件が今後繰り返されていくとしたら、どうでしょう。日本側の感覚も少しずつ麻痺していくのではないでしょうか。そして、いつの間にか中国に尖閣諸島の実効支配を奪われているという事態が、起こらないとも限りません。そうやって相手の基本線を少しずつ後退させていくやり方は、「戦わずして勝つ」孫子の伝統を重んじる中国ならではの伝統的な手法です。軍事力を使って戦わないのですから、その意味では平和的なのかもしれません。
また、3つ目の「法律戦」は、国際法を中国に有利な解釈で広めるやり方ですが、特に中国は海洋法をよく研究しています。たとえば、CLCS(大陸棚限界委員会)は、国連海洋法条約の条文をもとに活動し、関係国間を調整しようとしていますが、中国のタフな交渉ぶりは有名です。日本ではどうしても領海やEEZ(排他的経済水域)をめぐる海図や地図だけに目が行きがちですが、じつは法律面でも厳しいやり取りが続いているのです。
さらに、すでに報道されているように、中国は海洋法が規定するEEZについて、日本とベトナムに対して、それぞれ違う原則を用いて主張しています。日本に対しては大陸棚延伸論を主張して、日本側の主張する中間線を否定していますが、一方でベトナムに対しては、大陸棚延伸論を否定して中間線を主張しています。中国は国際法上の一貫性よりも、中国の実利を優先する解釈を行っていると言われても否定はしにくいでしょう。
ですから、南シナ海での中国のやり方が、東シナ海や尖閣諸島など、日本に対しても用いられると考えてよいのではないでしょうか。中国からみてこれらは一つの問題なので、あまりに違うアプローチは採りにくいと考えられます。
──そうやって、中国が少しずつ実効支配を固めていく動きに対して、日本はこれからどのような対抗措置を講じるべきでしょうか?
浅野教授:多くの人々が言うように、先が不透明なときには、日米同盟を維持し強化するのは当然として、さらに日本と同じように、中国に脅威を感じている国々と緩やかな連携を図っていくことが当面有効だと思います。これは日米同盟に替わるものではなく補うものですが、中国にはそれほど強い措置には見えないでしょう。あまりに強い刺激を与えれば、中国国内の強硬論が台頭してしまいますから、緩やかな圧力をかけて牽制していくのが賢明です。
たとえば、今年5月19日に、日本はオーストラリアとの間で、「日豪・物品役務相互提供協定」(*3)に署名しました。このような連携で、日本が孤立した存在でないことを中国に対してほどよくアピールしていくのです。もちろん、一方で、オーストラリアは9月24日、黄海で中国との合同軍事演習を行っています。かつての冷戦時代のような極端な対立構造が今はありませんから、このように双方が緩やかに牽制しあうことによって、安定が保たれていくのだと思います。同じように、中国と協力を進めながら警戒もするインドや、宇宙開発分野でやはり協力するだけでなくライバル関係にあるブラジルなどにも、日本は積極的に連携を持ちかけていくべきかと思います。
ただし、このような緩やかな連携にはひとつ欠点があります。インド、オーストラリア、さらに韓国など、連携国のプレゼンスが高まるので、国際社会における日本のプレゼンスが相対的に低下することが懸念されます。ひとつの大きな問題を解決しようと思ったら、それなりの代償を支払うことになるので仕方がないのですが、予想しない副作用が出るかもしれません。たとえば、将来中国との武力衝突が実際に起こるとすれば、日中ではなく、それ以外のところで起こり、日本が巻き込まれる、または味方だと思っていたらもっと相手側に傾斜した、などです。そのリスクは完全には解消しようがありません。たぶん、お互いさまです。
副作用は、相手に対して強いコミットメントを示す場合にも気をつけなければなりません。コミットメントを示すこと、つまり毅然とした態度は相手を思いとどまらせるためにはもちろん必要なのですが、大きなコストや犠牲を覚悟しなければなりません。また、過度に強いコミットメントは味方を恐れさせ、離れていくきっかけになりかねません。ですから、正確に現状を把握することが大前提となりますが、その上で、尖閣諸島を含めた大きな見取り図を作り、数十手先まで読んで、その時々に何が最も重要な利益か冷徹に計算を行い、日々の変化に応じて細かな調整を進めることが必要でしょう。すぐに絶大な効果が出る処方箋は見当たらないので、粘り強さが不可欠です。
当面は、立ち居振る舞いによって、あまり緊張を招かず、力も消耗せずに存在感を大きく見せることが充分に可能です。たとえば、日本が優れている科学技術の分野で、国際社会における日本の役割をアピールしていくことは、とても大切だと思います。
浅野亮氏(同志社大学法学部教授)
1955年生まれ。専門は現代中国政治、とくに中国の対外政策、安全保障問題に造詣が深い。著書に『中国の軍隊』(創土社)、『中国をめぐる安全保障』、『中国・台湾』(共著、ミネルヴァ書房)など。