オスプレイは、尖閣諸島にチュウゴクが入って来た時用のヘリです。 | 日本のお姉さん

オスプレイは、尖閣諸島にチュウゴクが入って来た時用のヘリです。

オスプレー断乎擁護論
━━━━━━━━━━
 前田 正晶

虚しい思いである。

少し遅くなったが、24日の産経が一面でオスプレーの事故率を報じた記事の引用から始める。

「オスプレーの事故率は1.93%。海兵隊の垂直離着陸戦闘機AV8Bハリヤーの事故率は6.76で、海兵隊の平均事故率は2.45だ。普天間飛行場の現行機CH46ヘリコプターは1.11だが、むしろ「老朽化し使い続ける方が危ない(森本敏防衛相)状態だ。」とあった。

だが、今や四方八方からの訳の解らない与論誘導と形成にあって、最早オスプレーとその配備を受け入れた我が国の政府は悪の権化のような存在にされてしまった。


関係各県や市町村に如何に説得しても、感情論にまで発展してしまっていては簡単には理解させて解決できない段階に入っただろう。

そこにあの「言うだけ番長」の姿勢を未だに維持する前原政調会長の暴言が、火に油を注ぐ結果にしてしまった。

事故の発生率と危険率から考えてみよう。産経の数字の力を借りるまでもなく、私はオスプレー危険論は不当であると言いたい。

これは以前から言われてきたことだが「自動車事故は毎日のようにこの東京都内で発生し不幸な犠牲者も出るのは遺憾ながら事実である。だが、だからと言って危険だからと都内に自動車を走らせるなという議論があるか。俺はもう今後乗らない、乗せいないと言う人がいるか」との説がある。

また、マスコミは旅客機の事故が発生して乗客からも犠牲者が出た場合には、大々的に取り上げて報道するが、その事故発生の率は自動車の比ではないのだが、そういう点は論じないのが常だ。

実は、当家では父親は昭和12年(1937年)12月に東京の数寄屋橋交差点で貰い事故で亡くなっていた。

免許を取ったこともない実弟は助手席に座っていながら、昭和39年(1964年)4月に、神奈川県相模原市で酒酔い運転の疑いがあった免許証不携行の米兵の中央線突破運転にぶつかられて鼻を中心に顔面を潰され、2度の大手術に成功して会社復帰に2年を要した。

かく申す私は、1985年10月にワシントン州シアトルの郊外でこれまた貰い事故で頸椎捻挫、肋骨骨折、顔面打撲で横方向の鞭打ち症となった。
そして、自律神経失調症に襲われ、精神状態までおかしくなった。結果的に2度の入院治療を経て仕事復帰まで半年を要した。

すなわち、我が家の男性は100%で自動車事故に遭っていたのである。亡父は兎も角、その後我々兄弟は未だに自動車に乗っている。

しかし、当時5歳と3歳の兄弟は母親の「あなた方の父親を失っただけでも辛いのに、将来2人が運転をして他人様を傷付けることがないよう、絶対に運転免許を取らないで欲しい」と申し渡された。

これほど自動車が危険な存在であっても、私は未だに乗っている、いや乗せて頂いている。少し論旨は強引だが、オスプレーや一般の航空機が墜落する率は我が家の被事故の率との比較をするまでもなく極めて低い。
それにも拘わらず、あの配備拒否騒動である。

しかしながら、寄ってたかってあのような誤解と誤認識に溢れた世論を、日米安保の条文を無視して形成した専門職的で職業的と聞く運動家の連中や、それに煽られた一般の方々にも疑問があるが、事実を正確に報じているとは言い難いマスコミの罪は軽くないだろう。

大体、彼らは如何なる形でも空飛ぶ航空機が落ちるところを、現場で見たことがあるのか。オスプレーの事故を目撃したのか。だが、自動車事故は目撃しただろうし、貰い事故だろうと何だろうと被害を経験した人は幾らでもいるだろう。

もうこれ以上、付和雷同して感情的になって貰いたくない。前原政調会長は次期総選挙で落選の心配でもしていて欲しい。マスコミは報道姿勢を正すべきだ、お国のためにも。