「魚はどこに消えた?」 片野 歩 (株式会社マルハニチロ水産)
「魚はどこに消えた?」
急がれる資源管理
かつて北海道では100万トン近く獲れたニシン
2012年07月17日(Tue) 片野 歩 (株式会社マルハニチロ水産)
片野 歩 (かたの・あゆむ) 株式会社マルハニチロ水産
1963年東京生まれ。早稲田大学商学部卒。マルハニチロ水産・水産第二部副部長兼凍魚課課長。1995~2000年ロンドン駐在。 90年より、最前線で北欧を主体とした水産物の買付業務に携わり現在に至る。特に世界第2位の輸出国として成長を続けているノルウェーには、20年以上、毎年訪問を続け、日本の水産業との違いを目の当たりにしてきた。中国での水産物加工にも携わる。著書に『日本の水産業は復活できる!』(日本経済新聞出版社)、「ノルウェーの水産資源管理改革」(八田達夫・髙田眞著『日本の農林水産業』<日本経済新聞出版社>所収)。
日本の漁業は崖っぷち
成長する世界の水産業の中で、取り残されてしまっている日本。潜在力はありながらも、なぜ「もうかる」仕組みが実現できないのか。海外の事例をヒントに、解決策を探る。
『チーズはどこへ消えた?』いうスペンサー・ジョンソンが出版したミリオンセラーがあります。迷路の中に住む2匹のネズミと2人の小人の物語で、彼らは迷路をさまよった末、チーズを発見します。ところがある日、そのチーズが消えてしまいました。ネズミ達は本能のまま、すぐさま新しいチーズを探しに飛び出していきますが、小人達は、「チーズが戻ってくるかもしれない」と無駄な期待をかけ、現状分析にうつつを抜かしていました。しかし、やがて一人が新しいチーズを探しに旅立つ決心をするのです。
この話は、「変わらなければ破滅することになる」「従来通りの考え方をしていては、新しいチーズは見つからない」「早い時期に小さな変化に気づけば、やがて訪れる大きな変化にうまく対応できる」等、多くの教訓を教えてくれます。そして、今日の日本の漁業問題によく当てはまっています。
常にあると持っていたチーズ(=魚)を食べつくしたために無くなってしまうのですが、まだそこにチーズがあったことを忘れられず、また新たなチーズが現れるのを待っているのです。実際には、無くなる予兆(=魚が減ってきた)があったのですが、安易に見逃し続けた結果、手遅れになり何も無くなってしまうのです。最後には、変化に対して積極的に対応することで道が開け、苦労していく過程で多くの教訓を得ていくお話です。もちろん変化に対応できなければそのままなのですが、それは、今日の日本の漁業そのものかも知れません。
北海道から消えたニシンは何処にいった?
明治時代から1957年にニシンの魚群が消滅するまで、ニシンは北海道の水産業を支えていたといっても過言ではないでしょう。1897年の水揚げは97万トンと、実に100万トン近い量を誇っていました。北海道の主要水揚げ地であった留萌・小樽といった町は、出稼ぎでシーズン中には人口が大幅に増え、町中が活気に満ちていたそうです。数の子を取ったり、獲りすぎたニシンは肥料にしたりと、ニシン一色だったようです。
ソーラン節もニシン漁が盛んであったこの頃に歌われたものです。産卵に来ていたニシンの精子で海は白くなっていたそうです。しかし、1897年をピークに減少を始めたニシン漁は、その後も水揚げの減少が続き、極端な右肩下がりでニシンの資源は消えていきました。ニシンが獲れなくなった要因として(1)乱獲 (2)水温の変化 (3)森林の伐採等の理由が考えられており、近年ではこれらの要因が複数関連していたといわれています。
ニシンがいなくなってしまった状況を表現した歌があります。昭和50年にヒットした石狩晩歌です。2番の歌詞を要約してみると、「かつては100万トン近く獲れたニシンはどこに消えてしまったのだろう。ニシン御殿と呼ばれた建物も今では寂れてしまった。当時はよかった。ニシンが消えてしまったために町の灯は消えてしまった…」という内容です。
かつてノルウェーにもあったニシンの減少
(図1)ノルウェーニシンの資源推移
ノルウェーは乱獲による資源悪化を、科学的根拠に基づく資源管理で乗り切った。 資源回復を軌道に乗せるまでに、忍耐強く1970年~1990年の約20年かけ、現在の水産業の繁栄を実現している(出所:ノルウェー水産審議会)
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筆者は、ノルウェーニシンの復活を20年間以上にわたって毎年見ており、日本の漁業と比較してきました。そうでなかったら、北海道からニシンが消えてしまい寂れてしまった地方と、水産業に従事していて仕事が無くなり、都会に仕事を求めて出て行かざるを得なかった方々に哀愁を感じ、気の毒に思っただけであったことでしょう。
実は、世界第2位の水産物輸出国として成長を続けているノルウェーでも、同じようにニシンがいなくなっていたのです(図1)。しかしながら、魚が減ってきた時期に取った行動が、その後の資源量の有無と将来を決定づけたのです。これからご説明する日本とノルウェーの資源量の推移とその経緯を比較分析してみると、北海道でニシンが消えた決定的な要因は「乱獲」ではないだろうか、と推測できる客観的な事実が浮き上がってきます。
ノルウェーのニシンは200m前後の海底の礫に粘着卵を産むタイプですが、北海道のニシンは沿岸の海藻類や藻類に粘着卵を産み付けるタイプです。小型の船であっても近場で沿岸の定置網や刺し網で容易に漁獲できます。産卵場で待ち構えて、漁獲制限なしで毎年獲り続けてしまったのです。ニシンは来なくなったのではなく、獲ってしまったのでいなくなったに過ぎません。
ソーラン節を歌って魚を獲り続けている時に、誰かが「このままではまずい! ニシンがいなくなる!」と声を大にして漁獲制限をすべきでした。もっとも、どんどん押し寄せてくる魚の魚群を見逃すことなど、当時の漁業者にできるはずはありません。出稼ぎに来て、数カ月の内に1年間暮らせるだけの収入を得られる仕事を休むことなど、できるはずもなかったのです。
大漁旗を揚げて大漁を喜ぶ日本は、ニシンがいなくなってしまった当時と基本的に変わっていません。だから、水産物が減り続けるのです。当時必要だったのは、景気良く魚を獲るための掛け声や、歌や大漁旗ではなく、強力なリーダーシップに基づいた、適切で冷静な資源管理政策でした。
海外にも影響を与える日本の乱獲
ニシンが消えた原因が乱獲だったことについての理由付けの補足をします。まず、前述の(2)の理由についてですが、水温が上昇していなくなったわけではないはずです。
北海道の北はロシアです。水温の上昇が原因であれば、1957年以降、ロシアで多く獲れるようになっていたはずでしょう。筆者は1990年からニシンの買付け状況を見てきていますが、ロシアからニシンの買付けが本格的に始まり、輸入量が1万トンを超えたのは1995年からでした。おそらく1990年代に卓越群(特に個体数の発生が多かった年齢群)が発生し、漁獲を逃れて資源回復が始まっていた魚群が、ロシア船に発見されて、急激に漁獲が進んだものと思われます。ロシアから本格的にニシンを輸入するまでは、アイスランドとノルウェーから、食用ニシンを主に輸入していたのですが、ロシア産の評価は高く、それまでは品質評価が高かったアイスランド産と置き換わる形になりました。日本での乱獲はロシアにも影響を与えていたものと思われます。
(3)の理由についても影響はあったものと思いますが、(1)に比べるとかなり軽微であったと推測します。そもそも産卵場を探し回るニシン自体がいなくなっていたのでしょう。
漁獲枠対象魚種はわずか7種類
2002~2011年間の10年間のニシンの平均水揚げ数量はたったの4千トンで、水揚げ金額は10億円しかありません。ノルウェーでの同時期の年間平均水揚げは67万トン(2011年の水揚げ金額、60万トンで約490億円)と比較にならない大漁の水揚げとなっています。4千トンという数字は、ノルウェーでのニシンの漁獲シーズン中に水揚げされる1日分にも満たない数量です。ノルウェーではいうまでもなく、多額の水揚げ金額が港町に落ちており、町は豊かです。しかし、日本では信じられないことに、これだけ低水準の漁獲が続いているにもかかわらず、未だにニシンに対して漁獲枠の設定さえないのです。
日本での、漁獲枠(TAC・Total Allowable Catch=漁獲可能量)の対象魚種は僅か7魚種(サンマ・スケトウダラ・マアジ・マイワシ・マサバ及びゴマサバ・スルメイカ・ズワイガニ)しかないのです。水産白書には、漁獲枠を設定する要件の一つに「資源状態が悪く、緊急に漁獲可能量による保存及び管理を行うことが必要な海洋生物資源」とあり、まさにニシンは該当するはずなのですが、なぜか対象にはなっていません。ちなみに米国では、2012年に漁業対象魚の全魚種(528魚種)にTACを広げる方針です。
ノルウェーでは漁獲枠制度がない漁獲対象魚種を探す方が難しいぐらいです。もちろんニシンにも厳格な漁獲枠の設定があり、少しでも特定年度の新規加入の資源量が少ないとわかると、将来のことを考えて漁獲枠を減少して資源を高水準に維持するように努めます。漁獲枠を減らしても、マーケットは供給減を見込んで高い魚価を支払うので、水揚げ金額は減少するどころか、増加するということがよく起こります。2009~2011年のノルウェーでのニシン漁獲は約100万トンから60万トンへと40%も減少しました。しかし、魚価が約2倍に上昇し、水揚げ金額自体は22%増の約490億円(324万ノルウェークローネ)と上昇したのです。
漁獲枠の減少は単価の上昇でカバーする
資源管理と品質管理がしっかりしている国の水産物は、世界の市場があてにしています。漁獲枠の減少は、単価の上昇でカバーされ、水揚げ金額自体は、減少するどころか逆に上がるケースもよくあります。資源減少という傷口は、浅ければ浅いほど回復が早いのです。一方で、資源的に慢性的な傷だらけの魚種が多く、回復自体が難しくなっているのが日本の漁業です。
仮に、あまりにも漁獲枠が減って、単価が上昇しても水揚げ金額が増加しない場合も考えられますが、そんな時でも漁業者は文句を言いません。資源回復を待って将来に備えたほうが得だとわかっているからです。特定の魚種だけ管理しているわけではないので、ニシンが減ってもサバが増える等、他の魚種だけでも十分にもうかる構造を作りあげています。
一方で日本では、何でもかんでも魚を獲ろうとしてしまうので、様々な魚種が減少して、ノルウェーと逆の現象が起きてしまっています。ノルウェーは、非常に巨額な元本(=親魚)を残して高い利率で利子(=生まれてくる魚)を大きくしながら漁獲を続けていきます。常に魚を見つければ獲り続け「海から魚を借りて借金生活を続ける日本の漁業」とは、非常に大きな違いがあることがお分かりになるかと思います。
復活の兆しは何度かあった
(図3)北海道からニシンが消えたといわれた1957年以降の水揚げ推移
グラフからわかるように、1957年以降も何度か水揚げ復活の兆しはあった。しかしながら、波状攻撃のごとく乱獲を続けたために、本当にほとんどいなくなってしまった。今すぐにでも最低10年は禁漁にすべきだろう。時間さえ確保できれば資源は回復できることは、歴史が物語っている(出所:農林水産省データより筆者作成)
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日本のニシン漁全盛期の1887年~1927年の約40年もの間の水揚げは、上記のノルウェーの水揚げ量と同じ、60万トン前後もありました(図2・図3)。日本にもニシンは大量にいたのです。しかし、資源管理のルールがなかったために、ソーラン節を歌いながら資源を破壊してしまい、衰退とともに、ニシンはどこへいった? と哀しみの石狩晩歌が歌われるようになってしまったのです。食べ尽くしてしまったのでチーズ(=ニシン)は消えてしまったのです。じっと待っていても、新たなチーズはなかなか現れません。
ニシンがいなくなった北海道では、ホッケ、サンマ他の水産物でカバーされてきましたが、もしノルウェーのように漁獲枠を設けて資源管理をきちんと行っていたのならば、今日とは全く違う展開になっていたことでしょう。数の子をアラスカやカナダから輸入することは、ほとんど無かったと思います。
日本の資源が枯渇した恩恵は、アラスカとカナダが受けています。日本人は、日本以外では市場価値がない数の子を、生産技術を教えて非常に高い価格で競って買付けてきました。現在でも両国はきちんと科学的に資源量を測りながら漁獲枠を設定して漁を続け、毎年数の子を供給し続けています。資源管理ができていれば、日本で数の子を生産し続けることができたわけで、巨額のお金が毎年水揚げ地の周辺に落ち続け、多くの関連産業が育っていたはずです。実にもったいない話です。
裾野の広い水産業
水産業はとても裾野が広い産業です。水産物を獲るためには漁船が必要です。造船所、魚網等の漁具、製氷工場、ドック等漁業に関連した設備も必要になります。水揚げされた水産物は加工場で処理されていきます。加工用の機械、資材、技術開発と加工に携わる多くの人とその家族が生活する住居、子供の学校も必要になります。大量に生産された水産物は、その多くが冷凍品となるので、保管のための冷蔵庫も必要です。水揚後、鮮魚、加工品・冷凍品として生産されていく水産物を全国に配送する物流機能もなくてはなりません。海外に鮮魚で輸出する場合には、陸送だけでなく空輸もあります。物流機能は、水揚げ量に応じて需要が決まります。荷物を買い取って販売する荷受・商社機能も必要。資金需要が増えれば金融機関へのニーズが増えます。人が多く集まれば、付随する宿泊施設、食堂等様々なビジネスが生まれてきます。
水産資源管理がしっかりしていれば、その地域全体が活況を呈し、コミュニティーが形成されながら町全体が発展していくのです。水揚げが多かった1980年代後半までが、まさにこの形でした。今でいう6次産業化で、生産・加工・流通を一体化させて付加価値の拡大を図ることで幅広い産業を創り上げていく可能性を秘めているのです。若者は仕事を求めて都会に行かなくても、地元で豊かな暮らしができていました。
釧路、八戸、気仙沼、石巻、銚子、境港、下関…。かつては大漁の水揚げとともに栄えていた港町は、水揚げの増加とともに栄え、水揚げの減少とともに残念ながら衰退していきました。金鉱が発見されてゴールドラッシュに沸いた町は、「金」をとり尽くすことで衰退してしまうのです。「金」という資源の切れ目が縁の切れ目です。
(図4)ノルウェーの主要青物(サバ・ニシン・シシャモ等)の産卵資源推移
科学的な資源管理を続けるノルウェーでは、右肩上がりに親魚の資源量は増加を続けている。水産業も、資源量の増加とともに右肩上がりで成長を続け、国際的な水産物需要の増加を背景に儲かり続けている(出所:ノルウェー漁業省)
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しかしながら「魚」という資源は、正しい資源管理政策を行っていたならば、持続的に利用していくことが可能です。しかも、農作物と異なり、耕したり肥料をまいたりする手間も経費もかかりません。今回は、ニシンを例にして説明しましたが、サバ、イワシ、ハタハタ、スケトウダラ等、大多数の多獲性魚種は、同じような歴史と結果を繰り返してしまっているのです。
大漁旗をふって大漁に歓喜するような漁業には、未来などありません。再生産のために、どれだけの親魚を残さなければならないのかを、科学的に測った上で、それを越えた分の魚を獲り続けるのです。そうすれば、魚は大型化して価値を増すだけなく、卵を産む量も増えていきます。やる気さえあれば、日本の水産業は復活できるのです。そのヒントと政策は、すでに結果として漁業で成長を続けている国々に指標として残っているのですから(図4)。
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著者
片野 歩(かたの・あゆむ)
株式会社マルハニチロ水産
1963年東京生まれ。早稲田大学商学部卒。マルハニチロ水産・水産第二部副部長兼凍魚課課長。1995~2000年ロンドン駐在。 90年より、最前線で北欧を主体とした水産物の買付業務に携わり現在に至る。特に世界第2位の輸出国として成長を続けているノルウェーには、20年以上、毎年訪問を続け、日本の水産業との違いを目の当たりにしてきた。中国での水産物加工にも携わる。著書に『日本の水産業は復活できる!』(日本経済新聞出版社)、「ノルウェーの水産資源管理改革」(八田達夫・髙田眞著『日本の農林水産業』<日本経済新聞出版社>所収)。
http://wedge.ismedia.jp/articles/-/2067?page=1