危険なモノを作っていると分かっていたなら松本死刑囚と同罪ですわ。
オウム関係者が普通に菊池容疑者らを助けてますから~!
「危険なものを作っているとの認識はあったが、何を作っているのか知らなかった」って、危険なモノを作っていると分かっていたなら松本死刑囚と同罪ですわ。
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<菊地容疑者>サリン製造方法など記したノート押収
毎日新聞 6月21日(木)1時9分配信
地下鉄サリン事件で特別手配され殺人容疑などで逮捕されたオウム真理教(アレフに改称)の元信者、菊地直子容疑者(40)の自宅=相模原市=から、サリンの製造方法などを記したノートが押収されていたことが20日、捜査関係者への取材で分かった。警視庁は菊地容疑者がサリン製造に関わっていたことを示す貴重な証拠とみて、菊地容疑者から詳しく事情を聴く方針。
警視庁によると、菊地容疑者は「化学班」キャップの土谷正実死刑囚(47)の下で、サリンなどの製造に関与し、薬や実験器具の購入を担当、実験工程などをノートにまとめていたとされる。今回見つかったノートが当時のノートと同一の可能性もあるという。
菊地容疑者はこれまでの調べに「危険なものを作っているとの認識はあったが、何を作っているのか知らなかった」と供述している。菊地容疑者の自宅からは、このほか教団の教えなどが書かれたメモも見つかっている。【小泉大士、喜浦遊、松本惇】
毎日新聞 6月21日(木)1時9分配信
地下鉄サリン事件で特別手配され殺人容疑などで逮捕されたオウム真理教(アレフに改称)の元信者、菊地直子容疑者(40)の自宅=相模原市=から、サリンの製造方法などを記したノートが押収されていたことが20日、捜査関係者への取材で分かった。警視庁は菊地容疑者がサリン製造に関わっていたことを示す貴重な証拠とみて、菊地容疑者から詳しく事情を聴く方針。
警視庁によると、菊地容疑者は「化学班」キャップの土谷正実死刑囚(47)の下で、サリンなどの製造に関与し、薬や実験器具の購入を担当、実験工程などをノートにまとめていたとされる。今回見つかったノートが当時のノートと同一の可能性もあるという。
菊地容疑者はこれまでの調べに「危険なものを作っているとの認識はあったが、何を作っているのか知らなかった」と供述している。菊地容疑者の自宅からは、このほか教団の教えなどが書かれたメモも見つかっている。【小泉大士、喜浦遊、松本惇】
オウム:菊地容疑者、潜伏先転々…他信者と生活も
毎日新聞 2012年06月04日 20時59分(最終更新 06月05日 00時44分)
菊地直子容疑者が潜伏していた建物=相模原市緑区で2012年6月4日午前9時55分、丸山博撮影
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17年に及ぶ逃亡生活の間、菊地直子容疑者(40)は捜査の網をかいくぐりながら、潜伏先を次々と変えていた。東京都八王子市、千葉県市川市、名古屋市、京都市……。逃走先で浮かび上がるのは他の信者との結びつきの強さ。警視庁は教団からの支援の有無を詳しく調べる。
犯人蔵匿容疑で逮捕された高橋寛人容疑者(41)と同居していた東京都町田市内のアパート。家賃7万5000円で、高橋容疑者が「神(じん)寛人」との偽名で契約していた。2人の知人という会社社長の女性は「洗濯物はいつも干しておらず、生活感のない家だった」と振り返る。
川崎市幸区の3階建てマンションには約10年前、高橋克也容疑者(54)とみられる男が「サクライシンヤ」と名乗って入居。2DKで家賃は約10万円だった。マンション住人の男性(40)によると、数年後から女性が出入りするようになった。この女性は「新たに公開された菊地容疑者の写真にそっくり」と証言する。ここ数年は女性の姿が見えなくなり、男も昨年末にマンションを退去した。男は無断でドアのカギを取り換えたこともあった。
捜査関係者によると、菊地容疑者は95年3月、強制捜査が近づいたとして「林泰男死刑囚(54)らと逃げた」と供述。その後、八王子市内に井上嘉浩死刑囚(42)らと潜伏した。同6月には市川市内のアパートで再び林死刑囚と一緒にいたことが確認されている。
その後、名古屋市や京都市などのアパートを転々としながら逃亡を続け、同年9月には岩手県の消印で「心配しないで」と書いた手紙を教団に送っていたという。
埼玉県所沢市内のマンションに96年11月ごろまで潜伏し、その後、菊地容疑者は克也容疑者と行動を共にする。「新横浜や川崎のホテルを2人で転々とした後、川崎駅周辺で二つのアパートを借りた」。しかし、菊地容疑者はそのころ克也容疑者とも別れ、入れ替わるように寛人容疑者と交際をスタートさせる。
06年からは町田市で同居を始め、介護関係の仕事をしながら、10年末に2人で相模原市内の民家へ転居した。地域社会に溶け込みながら特別手配者としての身分を隠す生活。この間、菊地容疑者は何度もプロポーズされたが「菊地直子だから結婚できない」と断り続けたという。今月3日夜、逃亡生活は突然終わりを迎えた。
警視庁は、菊地容疑者が複数の信者と接触しながら逃走を続けていたことから、最近も定期的に信者らと会っていた可能性もあるとみて調べている。
一方、菊地容疑者は「寛人容疑者と愛し合うようになり、生活を変えたくなかった」と出頭しなかった理由を説明しているという。【浅野翔太郎、小林利光】http://mainichi.jp/select/news/20120605k0000m040064000c.html