『福島産は買わない』という選択を責めず全てをオープンにして、世界一安全だと言える作物を作る」 | 日本のお姉さん

『福島産は買わない』という選択を責めず全てをオープンにして、世界一安全だと言える作物を作る」

福島で基準値超え水産物多く
産経新聞 5月20日(日)7時55分配信
 4月に食品中の放射性セシウムの新基準値が適用されて以降、5月17日までに全国の自治体などから計2万3657件の検査結果が厚生労働省に報告され、うち622件が新基準値を超過している。いずれも野菜や魚などの一般食品(同100ベクレル)だった。

 検査結果を食品群別で見ると、基準値超えが最も多いのは農産物で370件。水産物は245件だった。

 都道府県別では福島が最も多く、検査した3601件のうち256件が超過した。水産物は707件を検査し、約25%にあたる175件が超過。ヒラメやマコガレイなど35種に及ぶ。一方、農産物は、1558件検査して、超過は約5%の80件だった。

 福島、宮城、岩手の被災3県では、農産物計2168件を検査し、超過は253件で約12%。一方、水産物は、計1186件を検査し約17%にあたる196件が超過した。

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20120520-00000082-san-soci

(上)「果樹王国」福島に打撃…信頼回復へ地道な一歩に戻る
http://www.iza.ne.jp/news/newsarticle/natnews/topics/561058/
「果樹王国」福島に打撃…信頼回復へ地道な一歩
配信元:
2012/05/10 12:51更新
 【大震災を生きる】海と大地とともに(上)
 東日本大震災と東京電力福島第1原発事故で被災地の農林水産業は大きな打撃を受けた。食の安全に大きな関心が寄せられる中、復興に取り組む人たちを追った。
                   ◇
 福島市中心部から車で約15分。フルーツラインと呼ばれる道路の両脇に広大な果樹園が広がる。
 「モモは山梨、リンゴなら青森。そういうブランド力では負けるかもしれないけど、『おいしい』と買ってくれるお客さんが多かったんです」
 この地でモモやリンゴなどの果樹園を営む高橋賢一さん(42)は振り返る。福島県は全国2位のモモの産地。リンゴは4位、日本ナシは3位。その果樹王国は東京電力福島第1原発事故による激震に見舞われている。
 ◆若手が立ち上がる
 高橋さんらの調査では、果実の放射性物質は多くても1キロ当たり50ベクレルだった。だが、昨年7月の肉牛の出荷停止措置で、出荷直前で贈答用が多いモモはその打撃をまともに受けた。全国からの注文は激減し、リンゴの収穫時期を迎えても風評被害は消えなかった。「『どうしてこんなことになったのか』と受け入れられない部分はあった。でも、30、40代の仲間と自分たちでやれることをしようと話し合った」
今年2月、「ふくしま土壌クラブ」を設立し、県北の果樹農家12軒が参加。他の生産者団体などと協力し、果樹の高圧洗浄などの除染作業を行い、果樹園の汚染マップを作った。放射線量を細かく計測した3メートル×5メートルのメッシュマップだ。「状況が分からなければ対策は取れない。味や安全性にこだわって、さらに強い産地になれるようにしたい」。地道な取り組みこそが消費者の信頼回復につながると、高橋さんは信じている。
 ◆縁に支えられて
 同県須賀川市の「阿部農縁(のうえん)」は4代続く果樹農家。4代目の寺山佐智子さん(44)は震災から1年となる3月、自宅のわら小屋を改装し、農家民宿をオープンさせた。「福島で農産物を作る思いを多くの人に伝えたい」。震災以降、多くの人の支援や励ましを受けた。人とのつながりに支えられたからこそ「農縁」と名付けた。
 佐智子さんは5年前までケアマネジャーの資格を持つ看護師だった。訪問看護で訪れた患者の家で荒れ果てた田んぼを目の当たりにし、農家を継ぐ決心をした。「体も気持ちも疲れてた。『笑わない人ね』って言われていたの」。モモのつぼみを摘みながら、佐智子さんは振り返る。民宿には土との触れ合いで、疲れた心を癒やしてほしいという願いも込められている。
 「安全でおいしい作物を届けたい。『命を支える食べ物が畑から台所までこうやって来るんだ』って多くの人に知ってほしい」
 ■生食用モモ リキュールに
 JA新ふくしま(福島市)では、東京電力福島第1原発事故の影響で売ることができなかった白桃と地酒をベースにしたリキュール「桃の涙」(500ミリリットル、1260円)を販売している。
 一昨年は25億円近かったモモの出荷額は、昨年は約17億5千万円に減少。出荷規制はなかったが、観光果樹園や直販されるはずのモモも共選所に持ち込まれ、価格は約3割落ちた。
 「生で食べてもらえなかった涙、心配してくれる人がいるといううれし涙、いろんな意味が込められている」(同JA)という。
 問い合わせは、同JA直販課(電)024・553・3657。

(中)「福島産は買わない」責めない…情報発信こそ安心の布石に戻る

 【大震災を生きる】海と大地とともに(中)
 東日本大震災と東京電力福島第1原発事故による影響で打撃を受けた福島の農林水産業を立て直そうと、福島県は昨年夏、「ふくしま新発売。」プロジェクト(http://www.new-fukushima.jp/)を始めた。作物などのモニタリング調査結果とともに、現地の声を紹介するものだ。
 ◆生の声を伝える
 同県郡山市のコメ農家、藤田浩志(こうし)さん(33)はそのリポーターに応募した。「原発事故後、福島の農産物は『○○から○ベクレル』という数字だけが注目された。生きている人間がいるということを伝えたかった」
 農作業のかたわら、県南を中心に奮闘する農家やイベントを取材し、週に2本原稿を書く。そこには情報が伝わらないことで生じる誤解を解きたいという思いがある。「インターネットでは『福島の農家は人殺しだ』という人がいる。最初は傷ついたけど、それは福島の農家を知らない人だと思うんです」と話す。
 東京でエンジニアをしていたが、28歳で地元に戻って就農。野菜ソムリエの資格を取り、仲間と一緒に郡山のブランド野菜を手掛け始めたとき、原発事故が起きた。幼い長男を連れて首都圏の妻の実家に一時避難したが、すぐに一家で地元に戻る。今年は長女も生まれた。
「僕は自分で作ったコメや野菜を子供たちにも食べさせている。検査結果はND(不検出)です。でも、『福島産は買わない』という選択は責めるべきではない。僕らは全てをオープンにして、世界一安全だと言える作物を作る」
 ◆「見える化」へ努力
 福島産米を扱う卸売業者でも取り組みが始まっている。むらせ(神奈川県横須賀市)は福島県に拠点を持ち、扱う玄米・精米のうち約5分の1が同県産だ。
 「応援だけでは安心はできない。今年も来年も継続する取り組みを卸として何ができるかと考えた」と、同社営業本部長の佐々木寿生さん。
 福島工場と埼玉県の首都圏工場に微量の放射性セシウムも検出できる機器を導入した。国が定める検査に加え、玄米を受け入れる際や入庫後、さらにロットごとと3段階の自主検査を実施。取引先や店頭に並ぶ袋にはQRコードが印刷され、これらの検査結果を携帯電話から確認できる。
 ■放射性物質 一体的コントロール必要
 福島県の農業再生のために何が必要か。
 福島大学うつくしまふくしま未来支援センターの特任助教、小松知未(ともみ)さんは「流通段階の検査だけでなく、生産段階も合わせた体系的なコントロールが必要」と指摘する。そのためには詳細な汚染マップによる現状分析と、作物が放射性物質を取り込むメカニズムの解明、除染効果の検証が必要だ。しかし、「現在の国や県の工程には現状認識が欠けているので、(対策が)後手後手に回ってしまう状態」という。
 1986年に起きた旧ソ連・ウクライナのチェルノブイリ原発事故で被害が大きいベラルーシでは汚染マップを4年ごとに更新し、結果に応じて作物を変えるなどの措置が取られているという。
 小松さんは「放射性物質が出たら出荷停止という『出たとこ勝負』では、消費者も生産者も疲弊するだけで、その後の対策も取れない。現状に合った新しい農業を組み立てるという視点に立つことが必要だ」と話している。

漁業を「育てる」 石巻魚市場ではぐくまれた団結心

 【大震災を生きる】海と大地とともに(下)
 4月下旬、宮城県石巻市の石巻魚市場で、コウナゴの競りが行われた。「身が黒っぽいのが稚魚。つくだ煮にしたとき骨が残らないから高値がつくんだよ」。同市場社長、須能邦雄さん(68)が教えてくれた。
 須能さんらは東日本大震災直後の昨年3月下旬、石巻水産復興会議を立ち上げた。週に1度開かれる会議は誰でも参加可能。時には進まない再建への不満や怒号が飛び交うこともあった。
 「皆、不満や不安をぶちまける場が欲しかったんだ。そうすることで納得して前に進める」
 昨年7月の水揚げ再開から10カ月。ようやく国の予算がつき、土地のかさ上げが行われる。放射性物質の検査態勢が行政と業者の協力で整うなど、水産業界に団結心が生まれつつある。
 ◆逃げない決意
 同市で40年以上続く津田鮮魚店。津波で冷蔵設備や機材が壊れた。「うちは建物は残ったんだ。ここで逃げるわけにはいかない」と、2代目の津田祐樹さん(32)は淡々と話した。父、竹雄さん(64)、母、泰子(たいこ)さん(65)ら一家はこの1年、走り続けてきた。仙台市の支店の他に、被災地支援のファンドで出資者を募り、インターネットの仮想百貨店「復興デパートメント」などにも出店した。

 「見ず知らずの人がたくさん出資してくれた。ありがたいことです」と泰子さん。個人の注文には調理法や食べ方を指南したメモを付けるなど、こまやかな心配りでファンを増やしている。
 祐樹さんは「津波がなくてもこの街は廃れる一方だった。だから、前に戻したんじゃ駄目なんだ。地味だけど、努力していくしかない」と話す。
 ◆漁業を「育てる」
 同市中心部から車で約1時間。同市雄勝地区は震災後、4300人の人口が1千人を切るまでに減った。
 この地で養殖業を営む伊藤浩光さん(51)らは昨年8月、合同会社「OH!GUTS!(オーガッツ)」を設立。全国から出資を募り、カキやホタテなどの養殖を再開した。同社では出資者を「そだての住人」と呼び、海産物を還元するだけでなく、現地に招いて作業体験や被災地見学をしてもらう。
 「激励文を送ってくれたり、新鮮なカキを喜んでくれたり。お互いに顔が見られるから励みになる」と伊藤さん。1口1万円の「そだての住人」は2300人を超えた。
 「目標は漁業だけでなく、町全体の復興。多くの人にその過程を見てほしい。関心が薄れる今年が正念場だね」
 今年9月には東京・築地に直販と飲食の店を出す予定だ。消費者と直接つながる新しい漁業の可能性が芽吹き始めている。(戸谷真美が担当しました)
 ■業界の垣根越え連携
 石巻市では、水産業復興へ業界の垣根を越えた連携も生まれた。
 石巻専修大経営学部准教授の石原慎士さんらのチームは昨年5月、水産加工業者の事業継続のため、他の産地での代替生産を提案。関東の流通業者の協力を得て、被災企業製品の販売イベントなども行った。石原さんは「研究だけでなく実際に役立つことをしなければと思った」。
 呼び掛けに応えた山徳平塚水産社長の平塚隆一郎さん(52)は「新たな顧客の声や販売方法が発見できた」と振り返る。
 平塚さんは、水産復興会議で若手による「将来構想ワーキンググループ」をまとめる。最先端の冷凍技術を使った設備の共同設置や魚市場に一般向けの商業施設などを検討中だ。目標は石巻ブランドを再構築して、輸出産業に育てること。
 石原さんは「日本の水産業には質への転換が必要。安全やおいしさといった面で買う側とのコミュニケーションを強化し、収益性を高める必要がある」と話している。