チュウゴクの富豪層、無茶苦茶です!
おそらく、薄煕来夫人、谷開来だけでなく
チュウゴクの幹部は、みんな人殺しか
人殺しに近いことをやっているのだろう。
田舎の省の幹部らは平気で農民の土地を取り上げて
売り物にして儲けているし、
宗教家を病院の地下に閉じ込めて
臓器を取り出して移植用に使って儲けていた。
今でもこっそりやっているかも。
チュウゴク人は上から下まで道徳心が無いから、
金儲けのためには人殺しでもなんでもやりそうだし、
金がかかりそうな人助けもいっさいしなさそう。
子供が車に轢かれて倒れていても、
女の子が暴漢に襲われて倒れていても
誰も助けない恐ろしい国なんだ。
たぶん、家族と他人の差が恐ろしい距離で開いているんだろう。
チュウゴク人だって家族には普通に優しいのだと思うけど。
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「宮崎正弘の国際ニュース・早読み」
平成24(2012)年 4月25日(水曜日)弐
通巻第3637号
薄煕来夫人、谷開来は王立軍に告白していた
「ヘイウッド殺人、わたしがやったわ。あの部屋にわたしはいた」
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英国紙テレグラフの特ダネ?
25日付け同紙は伝えた。「薄煕来夫人、谷開来は王立軍に三回も告白していた。『ヘイウッド殺人』、あれはわたしがやったわ。あの部屋(ヘイウッドが殺されたホテルの一室)にわたしはいた」
毒薬が足りず、足して無理矢理ヘイウッドに飲ませた。
この情報はアメリカ政府高官からテレグラフ紙にもたらされ、王立軍が成都の領事館で30時間滞在したおりに、証拠品などと彼の説明によるものという。
テレグラフによれば、ヘイウッドは英国にカネを殆ど残しておらず、残された妻と子供の生活費も事欠く有様と報じている。
またサウスチャイナモーニングポスト(24日付け)は「王立軍は成都の米国領事館へ、まちがいなく亡命を求めて駆け込んだ」と複数の証言を得て補完報道をしている。
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樋泉克夫のコラム
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【知道中国 742回】
――どこまでもついて行きます下駄の雪・・・
『妖魔化中国的背後』(李希光・劉康他、中国社会科学出版社 1996年)
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この本は香港返還を1年後に控えた96年に出版されている。70年代末に始まった開放政策による経済成長路線が定着し、89年の天安門事件の後遺症も脱し、社会は日々に豊かさを実感しつつある。
1840年のアヘン戦争で奪われ、屈辱と汚辱に塗れた近代の象徴である香港を奪い返すまでに国力は回復した――こういった内外環境の変化が一部の知識人を刺激し、「世界史的にも現状からも、中国が本来的に占めるべき地位を占めてどこが悪い」といった高揚感を呼び起こし、『中国可以説「不」(「ノー」と言える中国』に代表される世界に向かっての自己主張モノの出版ブームが起こったように思える。
この本も、そんなブームに便乗して出版されたように思える。
表紙を開くと、「士可殺、不可辱 ――中国古訓」との大きな文字だ。「士は殺す可し、辱しむる可からず」とは穏やかではないが、並々ならぬ“決意”の表白だ。かくして巻頭の「中国人覚醒了」と題されたい総論は、烈火のアメリカ批判を展開する。
「中国人は覚醒した、ことに中国の青年知識層は覚醒したと私はいいたい。彼らは80年代初期のアメリカ崇拝の心情から日々に明らかに脱しつつあり、現在、彼らは敢えて自らアメリカを批判し、アメリカ入国ビザと(労働許可証である)グリーン・カードを取得できないことすらも恐れない。/中国人は覚醒したといっておく」
この本は8人の共同執筆だが、その多くは78年――まさに中国の“夜明け”の年に南京大学外文系英米文学専攻クラスに進学し、アメリカ漬けの大学生活を送ることになる。
「アメリカの伝統的文化価値と政治制度の創始者であるルソー、エマーソン、ジェファーソンなどの哲学と政治学の著作を朝から晩まで読み耽り、時に進んでアメリカにおける政治家の情況を学び、彼らの思想を同級生に熱く語って聞かせた」。文学を専攻した者は「一日一冊。まるで飢えた狼のようにアメリカ小説を読み、学期の終わりには百冊を読みあげた」。ある仲間は「毎晩、古ぼけたトランジスター・ラジオを抱えて屋外に立ち、VOA放送の英語ニュースに聴き入った。彼の記憶力は抜群で、聴き終わった後、15分間のニュースをほぼ間違いなく我らに伝えてくれた。4年間の大学での勉強の結果、知識に差はあるものの、思想感情の上からはアメリカに更にさらに近づいたものだ」
やがて彼らはアメリカへの留学を果たし、この本を執筆した当時はアメリカの大学で教壇に立ち、あるいは「ワシントン・ポスト」などの新聞社に勤め、あるいはアメリカで研究生活を続けている。
そんな彼らが口を揃えて、「歴史的にみて、アメリカは中国を直接侵略しなかったし、かつて日本が中国を侵略した際、アメリカは物心両面から援助してくれた。目下、在米の中国公費留学生は4.4万人であり、日本への留学生の倍に相当する」。にもかかわらずアメリカは、李登輝や天安門事件を引き起こした人物などに連なる「中国政府に対する呪詛の念を片時も忘れず、中国政府転覆を呼びかけ続ける」ような「知識界の反華反共分子」に「一定の市場を与えている」。このように「アメリカ人こそが我らのアメリカ批判の感情を徒に煽り立てているのだ。アメリカのメディアにおける中国妖魔化(demonizing China)の陰謀こそが、中国知識人の心を呼び覚ますのだ」と綴る。
アメリカにおける「妖魔化中国」の「背後」にあったアメリカに対する狂おしいばかりの憧れ。
「アメリカは中国を直接侵略しなかった」ということばは、アメリカ好きの別の表現なのだ。この本は中国人知識人のアメリカに対する切々たるラブレター集だった。
《QED》
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(読者の声1)貴誌3636号の速報の内容について一言申し上げます。
(記事引用)「また薄の前妻・李丹宇が動き出した。李の父親は李雷峰(北京市書記)で薄の父親の薄一波(副首相)とは戦友、長い付き合いがあり、その息子と娘が一緒になるのは自然の流れだった。北京書記と副首相では、北京市書記のほうが権力的にはやや上である」
(引用止め)
副首相はあくまで「国家領導人」ですが、首都の北京市であろうとも北京市書記は単なる地方の「領導人」に過ぎません。現在で言えば、筆頭副首相の李克強は常務委員ですが、北京市書記の劉淇は中央政治局委員に過ぎず、共産党の序列から考えても北京市長の方が副首相より上のはずがありません。失礼ながら「北京市書記のほうが権力的にはやや上である」は間違いだと思います。
ついでに申し上げると、李丹宇の父親の名前は「李雪峰」であって、「李雷峰」ではありません。
一方、「薄煕来と李丹宇との離婚調停が進まず、薄一波が介入して強引に離婚させた」というより、「離婚させることに成功した」のは、李雪峰が1971年に陳伯達反党集団の仲間と認定されて8年間隔離され、さらに1973年には林彪集団の大将として党から追放となったため(1982年に名誉回復)。
李丹宇は父親がそういう境遇にあったので、薄一波に対抗する手段がなかったのだと思います。友人の弱みにつけこんで強引に離婚させるなどは薄一波にとっては痛くも痒くもないことだったでしょう。
<薄一波とは1986年頃、ある会合の控室で数分間だけ隣に座ったことがありますが、人品卑しい感じの見るからに嫌な奴でした>
以上、ご参考まで。
(商社員)
(宮崎正弘のコメント)貴重な情報を有り難う御座います。或る中国人の説明を鵜呑みにした迂闊さがありましたね。それにしても薄煕来に関して言えば、夫人ともども「性格破綻者」のたぐいではないでしょうか?
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宮崎正弘のロングセラー
『国際金融危機 彼らは「次」をどう読んでいるか』(双葉社新書、840円)
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『2012年 中国の真実』(ワック、930円、新書版)
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『中国大暴走 高速鉄道に乗ってわかった衝撃の事実』(1365円、文藝社)
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『中国は日本人の財産を奪いつくす!』(徳間書店 1260円)
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『オレ様国家 中国の常識』(新潮社、1470円)
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<宮崎正弘の対談シリーズ>
『猛毒国家に囲まれた日本』(佐藤優氏との対談。海竜社、1575円)
『増長し無限に乱れる「欲望大国」中国のいま』(石平氏との対談。ワック、945円)
『絶望の大国 中国の真実』(石平氏との対談。ワック、933円)
『日米安保、五十年』(西部邁氏との対談。海竜社、1680円)
『世界が仰天する中国人の野蛮』(黄文雄氏との対談。徳間書店、1575円)
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