「ごん太」支援! 福島原発20キロ圏の楢葉町から
「ごん太」支援!
福島原発20キロ圏の楢葉町から血だらけで救出された「番犬、ごん太」。献身的な動物病院の手当で奇跡的な回復を遂げました。ごん太を預かる動物病院とともに原発周辺で置き去りにされた犬、猫の救出活動を応援しています。餌、医薬品、またその購入費用を支援してください。里親希望者も申し出てください!(工事中)
2012年4月7日土曜日
「ごん太」 Who?
「ごん太」近影
平成24年4月5日 柘植裕子(福島市動物病院)
〇スローライフの村は今・・
〇吹雪の中をラッセル
〇あぜ道を犬、猫が追ってくる
〇撫でられて身をよじる犬
ここ数か月、計画避難区域相双地区の飯館に通っています。
本当は、行きたくありません。阿武隈の山間にあるこれらの村は、かつては桃源郷のようなところでした。
しかし、人気の失せた村、荒れた田畑や主のいない広大な放牧地は、殺伐として寒々しい風景に変貌してしまいました。飯館は、氷点下20度を記録したこともあり、冬が長いのです。4月をとうにむかえた昨日も吹雪になりました。
飯館の山奥に実家がある当院の患者が、年老いた母親が飼っていた犬や猫の給餌に、週に一度、私の四輪駆動の車で行くことになったからです。
原発事故後に避難が決定され、その年老いた母親は、あっという間に認知症になってしまいました。施設に入ることになったために、飼っていた動物達、犬一匹、猫十匹は、山の中に放置されることになりました。
犬は、福島に住む次女(当院の患者)の大家さんのご厚意で、大家さんの犬とお庭で同居させてもらいましたが、猫は、ひっそりとした山奥で自由に駆けまわり簡単には捕まりません。
半年で、三匹の捕獲という散々な結果のために、毎週の山行きを余儀なくされています。元の主がいなくなった犬小屋には、昨年の暮れにつがいの犬が住み着いてしまい、三匹の子犬を生んでしまうと言うオマケつきで・・・つい最近捕獲に成功した猫は、六匹の猫を出産するところでした。それこそ臨月すれすれの避妊手術で胸をなでおろしたところです。
残りの七匹の猫の捕獲、給餌には、急勾配の坂道をクネクネと上っていかなければなりません。雪の季節は、1mもの積雪のため上り口の道路に車を放置し、餌や水、捕獲器は背負ってラッセルしながら登っていかなければなりません。60にもなって始終ぎっくり腰をおこす私が、こんなことをする羽目に・・・・東電を恨む!
片道1時間半の道程には、途中、車を見かけて遠くの田んぼの端っこからあぜ道を走ってくる犬や猫の姿が目に入ります。人が来たのを知って餌を貰うために走り寄ってくるのです。路肩に車をとめていつも積んでくる100円ショップの洗面器に缶詰やパウチを入れてやります。バターロールなどのパンは、犬が大好きですが、かれらは、餌が欲しいだけではないことが程なくしてわかりました。
人に会いたかったのだと。頭をなでてやると身をよじり甘えます。立ち去るときに、犬は追ってくることがあり胸が張り裂けそうになりますが、全部を連れてくることは叶わず、ジャーキーなどを山盛りに置いて、食べている隙に車を発車させてきます。どうしても病気や妊娠しているのが優先になるのです。
途中に犬や猫がいるところはだいたい把握しているために必ず給餌に寄ってくるのですが、時には死んでいたり姿が見えなくなっていたりと辛い道行になるために、最初に「行きたくありません」と書きました。本当に毎週行くのは辛いです。しかし、もし、飢えていたら、待っていたらと思うと出かけざるをえません。ここに時々書かせていただいたことから、小屋のない動物達に小屋の設置もだいぶできました。
飯館は、村に帰ることを目標にしていますが、本当に帰る事ができるのでしょうか?線量計は、5~10マイクロを指しているところに出向いています。たまに低い日もありますが、そう線量は下がっていません。原発事故が終息しているとは到底信じられませんが・・・こんなことをいつまで続ければいいのか?ひたすら、自分が病気にならないことを願う日々です。
飯舘の一部、帰還困難?国が提示
飯舘の早期の除染求める
平成24年1月26日
「支援を下さった皆さまへ」 柘植裕子
〇置き去りの犬のために犬小屋を買いました
〇車で新幹線で餌やりに駆けつけてもらっています
今晩も、氷点下です。地吹雪や凍てつく空を見ると胸が苦しくなります。
計画避難の飯館や山木屋地区には、多くの犬猫が置き去りになっています。
昨年の冬は、炬燵で丸くなっていた猫は、人気も火の気もない納屋で。
犬は、凍りついて形の変わってしまった鍋の氷で渇きを癒そうとしたようで、舐めて真ん中がへこんでいました。
給餌のボランティアが行くと「ここにいるぞー」とばかりに尾をふりながら吠え始めます。神奈川から来たNさん、「すっかり衰弱して顔も上げない犬がいるの・・年老いて病気のようだし・・餌は食べてくれたけど、この次行くまで生きていないかも」と肩を落とす。
どうして飼い主は連れていかないの?と疑問に思いますよね。もともとは、繁殖も自然に、生まれたらばあげたりもらったり。みんな、広い土地に3世代で暮らしたりで家も大きいのです。隣の家には車で行く、などという村に住んでいたのです。中型犬が一家で2~3匹、猫10匹なんていう家もおおいのです。2LDKの公務員宿舎や仮設では飼うことができません。毎日餌やりに来るには、避難先が遠く、ましてや冬ともなれば氷点下で道路も凍ります。
とても、毎日動物の世話にだけ来るのは大変なことでしょう。だからといって放置して良いわけはありません。しかし、じゃあどうすればいいの?運まかせ?天気予報で寒波が来ると言っていました。つながれたままで吹きっさらしの所にいる犬達は、少しでも寒さから身を守るために穴を掘っています。でも、いつもお腹がすいているうえに寒波となれば凍死してしまいます。現にどれだけ凍死体を見たか。ですから氷点下というと心まで凍りそうです。ここの山際さんからのご紹介でいただく寄付は、そんな犬達のために 犬小屋を買うのに使わせていただきました。いただいた毛布も犬猫のために小屋と一緒に使っております。今日も、7台小屋がとどきました。ありがとうございました。ここのブログから救援の輪が広がり、とうとう、スタッドレスタイヤを掃き、チェーンの着脱も覚え、ブランドの服をかなぐり捨てて、ユニクロの暖パンをはいて来たNさん、本当に心からありがとう。そのような方が5人いらっしゃいます。中には、飛行機で新幹線で・・、「そんなの自己満足」とおっしゃる向きも、しかし、少しでも飢えずに暖かいおもいをしてくれれば、忘れてないからね!君たちのこと!いつも、心配して心を痛めてくれる人達がいるから。
平成24年1月2日
「支援を下さった皆さまへ」 柘植裕子
支援を下さった皆様への御礼を・・
昨年は、福島県の動物達に暖かいご支援を本当にありがとうございました。まだ、シェルターの体制も整わず餌も不足していました。そのような折に山際様から「募集をしてみましょう」とおっしゃっていただき本当にありがたい思いでした。高価な処方食や暖かい敷物、お金、と申し訳なく思っておりました。
不景気な上に震災での経済の低迷と、皆様にとっても大変な年だったとお察しします
が、次々に届けられる物資は本当に役に立ち涙が出ました。ご自分たちも節約なさってのことだろうと思い、すべて大切につかわせていただきました。経済的な負担はもとより荷造りの手間は大変だったと思います。阪神地震の時の自分の無関心をあらためて恥ずかしくおもいます。皆様にいただいたご親切を忘れずに出来る限り支援をしていくつもりです。ありがとうございました
http://minamisanrikuniaiwo.blogspot.jp/