、4月6日(金曜日)日没から過ぎ越しの祭り | 日本のお姉さん

、4月6日(金曜日)日没から過ぎ越しの祭り

イスラエルでは、4月6日(金曜日)日没から過ぎ越しの祭りが始まります。
イスラエルでは、日没から一日が始まります。


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過ぎ越しの祭り
イスラエルでは、過ぎ越しの祭りが4月11日の日没から始まります。(1998年の場合)
イスラエルの民が、奴隷となっていたエジプトから解放されたことを記念するこの祭りーペサハ(Pesach)と呼ばれるーは、イスラエルの宗教上の第1の月の14日から始まる1週間で、別名、種なしパンの祭りとも言われています。
イスラエルの聖なるお方である神が、イスラエルに与えた一連の祭り(主の例祭と呼ばれる)のトップを飾る、とても重要な祭りで、イエスキリストも、この祭りの最中に十字架にかけられ、墓のなかから復活したのでした。
このペサハの別名、種なしパンの祭りという名は、この週には、一切パン種の入ったパンを食べないことから来ています。種なしと言っても、ただイースト菌を入れなかったというだけではなく、発酵することのないよう、湿気から厳重に守られた特別な穀物によって作られた、マッツァというパンを食べます。
それで、ユダヤ人の家庭では、ペサハに先立って幾日もかけて、家からパン種や、発酵した穀物によってできた食品のすべてを一掃するために、大掃除をします。大掃除をして新年を迎える日本と似ているところです。
パン種は、どんどん膨らむ性質があることから、罪、特に高慢や偽善の象徴とされています。それで、この大掃除は、ただの掃除ではなく、内面の罪を取り除くためのものであることがわかります。
また、ペサハは、元来(神殿のあった時代には)、夕暮れに羊をほふってはじまりました。言うまでもなく、エジプト脱出に際して、ほふられたいけにえの血が鴨居に塗ってあったイスラエルの家は、神のさばきが「過ぎ越し」たことを記念するものです。
今日神殿がない状態では、いけにえが捧げられないので、この肉は食べませんが、肉を除いた過ぎ越しの食事は、伝統に従って今でもペサハのメインイベントとして守られています。
過ぎ越しの食事は、イエスキリストも、十字架に向かう前に、ぜひ、弟子たちと共にとりたかったと言われた重要な食事で、そこには、さまざまな真理が象徴的に隠されています。
この食事は、セデル(順序)といわれる式次第にそっておこなわれ、四杯の葡萄酒、いけにえの肉(神殿のない今日では、しばしば羊の焼いた骨だけ)、エジプトでつくらされていた煉瓦をあらわすハローセスという甘いまぜもの、苦難をあらわす苦菜(西洋わさびやロメインレタスなどが使われる)、和解のささげものを象徴するローストした玉子、新しいいのちをあらわすパセリなどの、象徴的な食べ物が、祈り、賛美、朗読や由来についての問答などとともに、順序良く食されていきます。
ここで、その詳細を述べることはできませんが、ひとつひとつの行為には深い霊的な意味があり、この食事を通して、ユダヤ人の家庭では、神のわざやイスラエルの歴史を子々孫々伝えてきているわけです。
イエスキリストは、いわゆる最後の晩餐と呼ばれている過ぎ越しの食事の時に、そこで飲まれる葡萄酒の深い意味を教えられました。すなわち、究極のいけにえであるイエスが十字架で流す血をあらわしていると。この血は、永遠の罪の赦しを与える契約の血であり、どんな罪人も、この血の契約にあずかるならば、罪がゆるされ、永遠の出エジプト(解放)を体験できるのです。
また、マッツァのなかの、特別に砕かれて食されるアフィコーメンというパンについては、御自身のからだを象徴しているとも言われました。このアフィコーメンも実に豊かな象徴を秘めていますが、イエスと出会うならば、このパンがいかに祝福に満ちたものであるかを知る事ができるのです。
このパンと葡萄酒については、今日では、ミサ、あるいは聖餐式という儀式の形で残っていますが、本来は過ぎ越しの祭りの晩餐であり、本当の食事でした。イエスは、この特別な食事の最も深い意味を解き明かされ、以後、イスラエルの出エジプトと共に、イエスの死をあらわすものとして食されるようになったのです。
ちなみに、初代教会のひとたちは、しばしば家々で集まってパンを裂いていたと記録されていますが、もちろんこれは、年中過ぎ越しの食事をしていたわけではありません。過ぎ越しは、パウロの時代でも、伝統通り、年1回行われていました。
元来、パンを裂くとは、食事を共にしながら深い交流をするという意味で、日本の「同じ釜の飯を食う」ということばに近いものです。ですから、これは過ぎ越しの食事ではないけれども、実際の食事であって、今のような儀式ではありませんでした。
ですから、パウロも、主の晩餐にあずかるのに、我さきとおしかけて、他人の分まで食べ、酔っ払ってしまうような不届き者に、きびしく警告をしています。
いずれにせよ、過ぎ越しの食事をモデルとした、イエスを中心とした深い交流の場、それが主の晩餐、(今日でいうところの聖餐)なのです。
どうか、この過ぎ越しの祭りの時期に、出エジプト、すなわち、罪の奴隷からの解放を体験できますように。
http://park14.wakwak.com/~sanbi/bible/pesach.htm

聖書の出エジプト記 12章に記述されている、古代エジプトでアビブ(ニサン)の月に起こったとされる出来事と、それに起源を持つとするユダヤ教の行事のことである。これは、ユダヤ人にとって、秋のティシュリーの月に行われる仮庵の祭
Sukkoth などと並ぶ祭。初日と末日の間の平日は仮庵の祭と同じくホール・ハン=モーエード Chol hamoed という。(ユダヤ教関連用語一覧#ホを参照)
イスラエル人は、エジプトに避難したヨセフの時代以降の長い期間の間に、奴隷として虐げられるようになっていた。神は、当時80歳になっていたモーセを民の指導者に任命して約束の地へと向かわせようとするが、ファラオがこれを妨害しようとする。そこで神は、エジプトに対して十の災いを臨ませる。その十番目の災いは、人間から家畜に至るまで、エジプトの「すべての初子を撃つ」というものであった。神は、戸口に印のない家にその災いを臨ませることをモーセに伝える。つまり、この名称は、戸口に印のあった家にはその災厄が臨まなかった(過ぎ越された)ことに由来する。
祭の概要 [編集]


キッパーを売る店(2004年6月、エルサレムにて)
エジプトに住したヘブライ人(ユダヤ人)たちが預言者モーセに率いられてエジプト新王国から逃亡(「出エジプト」)した日、神の約束通り、死を運ぶ天使がユダヤ人の家のみを過ぎ越してエジプトの民だけに訪れたという伝説に由来する祭である。3月末から4月はじめの1週間、ユダヤの人びとは「出エジプト」のときの多忙を忘れないよう、イースト菌入りの食品を食べない。パンもイーストなしである。また、「ハガダー」という「出エジプト」にまつわる書物を読む習わしがある。この祭のあいだ、男子の多くは敬虔の証として「キッパー」という縁なしの帽子をかぶる。
聖書における過越の準備 [編集]
現在では行われないものと受け継がれているものがある[1]。
アビブ(ニサン)10日
傷のない雄の子羊、または山羊を選び分ける(出エジプト記12章5節)。
アビブ(ニサン)14日
その羊(または山羊)を屠殺し、その血を家の2本の戸柱と戸口の上部に掛ける(出エジプト記12章6-7節)。
アビブ(ニサン)15日(日没で日付が変わる)
夜にその肉を焼き、酵母の入っていないパン(マッツァー)と苦菜を添えて食べる。生のまま、または煮て食べることは禁止されている(出エジプト記12章8-9節)。
現在もユダヤ教はもちろん、キリスト教の聖餐式でも酵母(パン種)の入っていないパンを食べる習慣が受け継がれている。ただし、正教会を始めとする東方教会では酵母入りの発酵パンを聖体礼儀で用いる。(最後の晩餐参照)
残った肉は火で焼き尽くす必要がある。朝まで残しておいてはいけない(出エジプト記12章10節)。
聖書における除酵祭の規定 [編集]
神への祭りとして代々祝わなければならない(12章14節)。
14日の夕方から21日の夕方までの七日間は酵母入りのパンを食べてはならない(15,
18節)。
1日目と7日目の聖会の日には仕事をしてはいけない(16節)[1]。
現代の過越祭(ペサハ) [編集]


15世紀


現代のセデル。ハガダー、キッパー、コーシェル・ワイン、セデル・プレートと料理、布巾、マッツァー

聖書の命令に従って、ユダヤ教では今日でも過越祭(除酵祭)を守り行っている。
このユダヤ暦のニサン15日から始まる一週間はペサハと呼ばれるユダヤ教の三大祭りのひとつであり、ほとんどのユダヤ教徒がこれを祝う。
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パスオーバー(過ぎ越しの祭り)


パスオーバー(過ぎ越しの祭り)は、ユダヤ暦のニッサンの月(西洋暦では3月から4月に相当)の15日から8日間にわたって祝われるユダヤ教の祭日です。ヘブライ語では「ペサハ」と呼ばれます。今年(2007年)は4月 2日の日没
から始まります。



これは、ユダヤ教の数ある祭日の中で最も人気のある祭日で、普段はどの教会にも属せずユダヤ教の習慣とはあまり関係なく過ごしている人でも「セーダ」〈ヘブライ語では「セデル」、日本語では順序といった意味です。〉と呼ばれる最初の夜の食事には大半が出席すると言われています。〈1990年に行われた全米ユダヤ人の調査ではアメリカのユダヤ人の80%以上が何らかの形でこの祭日を祝うとか。〉我が家は今年、子供たちも一緒に同じ教会のメンバーのお宅に呼ばれていますのでそこの家族の皆さんと一緒にお祝いをすることになっています。

パスオーバーは、エジプトで奴隷だったユダヤ人がモーゼに導かれてエジプトを脱出し、自由の民になったことを祝う祭りです。最初の夜と二日目の夜に行う「セーダ」の夕食は、「ハガダ」と言う本の順序にそって式が進められていきます。「ハガダ」はヘブライ語で「語る」と言う意味で、全部ヘブライ語で書かれたものもあればほとんどは英語というようにいろいろな種類があり、それぞれの家庭で違ったものを使っています。ハガダの部分〈出エジプト記〉の旧約聖書の物語は、ずっと以前「十戒」と言う映画になったことがありますので、〈チャールトン・ヘルトンがモーゼでユル・ブリンナーがエジプト王ラムシスでした。〉或いはリバイバルなどで覚えておいでになるかもしれません。

ユダヤの神と契約を結んだアブラハムとその妻サラの間にイサックが生まれ、イサックとその妻レベッカの間にヤコブとイサオ、ヤコブの二人の妻(ラヘルとレア)の間に12人の息子が生まれます。このうちの一人ヨセフをヤコブが溺愛したため兄弟の嫉妬を買ったヨセフは砂漠の隊商に売られ、のちにエジプトで王宮に召され政府の高官となります。後年、飢饉のため食物を求めてエジプトに行った兄弟たちはそこでヨセフと再会、彼の招きで一族がエジプトに移住します。

それから何百年かたち、ヨセフを知らない王の代になってユダヤ人はエジプトで奴隷として扱われるようになります。その上彼らの数が増えすぎるのを恐れたエジプト王はある時ユダヤ人から生まれた長子はすべてナイル川で溺死させるよう命じます。その頃モーゼを生んだ彼の母親は息子を殺させまいと小さな揺りかごに幼子を入れてナイル川に流します。やがて国王の娘に救われたモーゼはエジプトの王子として成長します。しかしある時ユダヤ人の迫害を目にし、エジプト人を殺害、そこで国王にそのことを知られることを恐れた彼はサイナイ半島に逃亡、そこで結婚し羊飼いとして暮らします。

ある日、ホレブ山に放牧に行ったモーゼは、木が燃えるのを目にします。そして、「エジプトで苦役に喘ぐユダヤの民を救いだす」ようにと命ずる神の声を聞きます。そこでエジプトに戻ったモーゼは兄のアロンとエジプト王(代が変わって新しい王になっています。)に会いユダヤの民を自由にするよう訴えます。しかし、王は彼らの訴えに全く耳を貸しません。ユダヤの神はそこでモーゼを通じてエジプト王が承諾するまで例えば疫病とか、イナゴの大群の襲来など十の災いを臨ませます。その十番目の災いが、戸口に印のないエジプトの家の全ての長子を殺すというもので、ユダヤの民は印をつけてその災厄を避けます。パスオーバー〈過ぎ越し〉という祭りの名前はここからきています。

エジプト王はついにユダヤ人がエジプトを出ることを許可します。しかし、彼らが出てしまったあと突然また気を変えた彼は大軍を率いてモーゼたちを追いかけます。紅海まで逃げてきたきた奴隷たちは、海を前に絶対絶命の危機に陥ってしまうのですが、突然その海が割れ眼前に道が広がります。そして彼らはその道を歩いて対岸に着きます。追っかけてきたエジプト軍がその道に入ると海はたちまちもとに戻り彼らは紅海の中で溺死してしまいます。こうして奴隷だったユダヤの人々は神の助けでエジプトを脱出し自由を手にするのです。

「セーダ」では、この物語を「ハガダ」を読みながら語り伝えていくわけです。食卓には、定められた通りの順序や方法で飲んだり食べたりするワインやマッツァ〈種なしパン〉などが用意され、「セーダ・プレート」と呼ばれる特別の盆には、奴隷としての苦い経験を思い出させる苦菜〈西洋わさび〉、煉瓦作りの毎日だった当時を偲ぶ「ハローセス」〈りんごを刻んで甘いぶどう酒やシナモン、ナッツなどと混ぜたもの〉,塩水に浸して苦しみの涙を象徴するパセリ、かって神殿で捧げられていたいけにえの肉を代償する羊のすねの骨、春の訪れを象徴する焼いた卵などがおかれます。食卓の様子は、ユダヤ人だったイエスキリストが弟子たちと一緒にパスオーバーの「セーダ」を行っているところを描いたものと言われているレオナルド・ダビンチの「最後の晩餐」の絵からある程度想像できるかもしれません。

「セーダ」の儀式は通常前述したようにパスオーバーの最初の夜と二日目の夜に行われます。〈最初の夜は父親の家族と、次の夜は母親の家族というふうに分けている人も多いようです。一晩だけしかしない人たちも少なくありません。〉ユダヤ教の祭日には他にも新年などのようの2番同じお祝いをすることがありますが、これはディアスポラとして離散したユダヤ人がどこにいても聖書に書かれた日とずれが生じないようにという確認の措置だった習慣が今も続いているからのようです。

式は先ず母親がローソクに灯を灯しお祈りを唱える所から始まります。〈我が家で「セーダ」を行う時はこれは私の仕事です。〉それから頭の上に「ヤマカ」と呼ばれる小さな帽子をかぶった父親が、式のはじめを告げ、そのリードに従って参加者全ての人がヘブライ語なり、アメリカの場合だと英語で「ハガダ」を読み、そこに書かれている、例えば一杯目のワインを口にする、などの指示に従っていきます。パスオーバーを祝う理由などについては、参加者の中の一番年少者〈通常一番若い子供〉が、ヘブライ語で朗誦しながら、「どうして今晩はいつものと違うの」に始まる4つの質問に父親が答えるという形で説明されていきます。そこでかって自分たちの祖先が奴隷として苦しんでいたこと、神の恵みによって自由の身になったこと、自由がどんなにすばらしいものであるかが子供たちに伝えていく訳です。椅子に横すわりして自由の喜びを満喫するための枕やクッションも用意します。

パスオーバーは別名「種なしパンの祭り」とも呼ばれます。この名前は祭りの一週間,イースト菌を使わないマッツァと呼ばれる種なしパンを食べるところからきています。このパンを食べるのは、ユダヤ人がエジプトを脱出した時、時間がなくて普通のパンを食べることが出来なかったことに由来しています。

ユダヤ人の家庭ではパスオーバーの期間中家にパン類を置いておくことは出来ないのでお祭りの前には誰かに差し上げるか寄付するかをして処分し、どこかに残っていないか確認のため家中を掃除します。これは新年を迎えるために日本で年末に行う大掃除と似た所があります。パン類はどんどん膨らむ性質を持っているところから高慢や偽善の象徴とされており、この大掃除はこうした内面の「悪」を掃除をする意味もあると言われています。

ユダヤ人の夫と結婚して以来パスオーバーの「セーダ」に呼ばれたり、我が家に人を呼んだり、祭りの間中種なしパンを食べたりする習慣に従うのは今年で34年目になりますが、3000年も前に起こったこと〈イエスキリストが生まれる1000年も前のことです〉を毎年絶やすことなく子供たちに伝えていくと言う伝統にいつも感動を覚えています。

また「セーダ」などで早くからみんなの前で読む機会を与えられるユダヤ人の子供たちのありようを見ていると、一般的にユダヤ人に文盲の人がいない理由がよく分かるような気もします。家族や友人が集まって家長を中心に(儀式を取り仕切る家長としての父親の役割はとても重要です)食事をするという機会だけではなく、自分たちの歴史を次の世代に語り次ぎ、虐げられたその苦しみを知ることで他者に対する感受性を養っていくなど様々な意味があり、とても興味深いものがあります。
http://www.scarsdalemura-kara.com/passover.htm