頂門の一針 DNA検査によるとソメイヨシノと王桜が全くの別種
韓国は「サムライ」も韓国が発祥地だったなどという変な国。
朝鮮は、チュウゴクの清に土下座して属国となっていた地域で
日本が戦争でチュウゴクの清に勝った後でも、なおも清の属国で
あり続けようとした情けない地域。サムライなんかいなかった。
贅沢な貴族と貧乏な奴隷だけいる地域だった。
一般市民は泥の家に住んでいて、町の通りは人の尿と大便の臭いで大変不潔だとアメリカ人女性の旅行者が書いている。
朝鮮はフランスから返せないほどの多額の借金していて返すことができず、
そのままでは、フランスの植民地になるしかなかった朝鮮が苦肉の策で日本に併合してもらってなんとか近代化をとげようと、自分たちが議会で決定したくせに
(フランスもそれがいいと言ったので日本も納得した。)朝廷も大乗り気で議会に日本に併合してもらうことを勧めたそうだ。
朝鮮は日本が戦争に負けたとたん、日本に植民地にされたということにして、
日本に対して高飛車に出てきているサイテイな国。
戦後、ロシアが肩入れいた朝鮮人にのっとられて国が2つに分かれた。
韓国はアメリカが救ったようなもの。アメリカがいなかったら朝鮮半島はすべてのっとられていたはず。
韓国は日本のおかげでインフラなどを整えてもらい、
日本企業のおかげで半導体の技術も覚えて金儲けができるようになったのに
感謝をするどころか、逆に日本軍が韓国軍の少女を
ひっぱりまわして売春婦にしたなどとウソの話を作りだして言いがかりをつけてくる国。
韓国人は自分のついたウソに騙されて逆上している。
桜も韓国が発祥地だと言いだしているらしいがDNAを調べたら片親ですらないことが判明したのに、それを認めない。
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染井吉野韓国伝来説の怪
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渡部 亮次郎
若い頃、記者をしていたNHKのアパートが東京・豊島区駒込の染井銀
座の真ん中にあって1年だけすんだ。
商店街の真ん中だから便利だったが、家主が風呂屋だから、内風呂のな
いのには閉口した。夜討ち、朝駆けのある政治記者。夜回りから帰宅し
ても、銭湯はもう閉まっているのだ。
こんなとこ、何が銀座だいと毒づいたら「この地が日本を代表する櫻
「ソメイヨシノ」の発祥地だと威張られたので、驚いた。
ところが1939年に、小泉源一が韓国の済州島に自生する王桜とソメイヨ
シノを比較し、同一種として済州島を発祥地とする説を唱えたが、米国
農務省の DNA検査によるとソメイヨシノと王桜が全くの別種で、王桜がソメイヨシノの片親といったDNA的相関もないと確認されている。このため、現在ではこの説は否定されている。
それでも、韓国では現在もこの2種を混同し、これら2種が完全に別種と
いう概念が存在しないため、以前の研究結果を元に「日本の桜の起源は韓国」といった主張を広報するのが春の風物詩となっており、National
Cherry Blossom Festival等と絡めて「ソメイヨシノの起源は韓国だと世
界に正しく知らせよう」との海外への対外広報の動きもある。
また王桜の自生地にソメイヨシノを植える活動が進められ、逆に王桜の絶滅が心配されているそうだ。こういうのを日本語では自縄自縛という。
江戸末期から明治初期に、江戸の染井村(現在の東京都豊島区駒込)に
集落を作っていた造園師や植木職人達によって育成され「吉野桜(ヤマ
ザクラの意)」として売り出していた。
名称は初めサクラの名所として古来名高く西行法師の和歌にもたびたび
詠まれた大和の吉野山(奈良県山岳部)にちなんで「吉野」「吉野桜」
とされたが、藤野寄命による上野公園のサクラの調査によってヤマザク
ラとは異なる種の桜であることが分かり(1900年)、この名称では吉野
山に多いヤマザクラと混同される恐れがあるため、「日本園芸雑誌」で
染井村の名を取り「染井吉野」と命名した。
樹高はおおよそ10-15m。若い木から花を咲かすために非常に良く植えら
れている。実は小さく、わずかに甘みもあるが、苦みと酸味が強いため
食用には向かない。
但しソメイヨシノは種子では増えない。各地にある樹はすべて人の手で
接木(つぎき)などで増やしたものである。
オオシマザクラとエドヒガンの自生地においては交配雑種としてのソメ
イヨシノの自生する可能性がわずかながらあるが、一般には自ら増える
ことのないソメイヨシノは接ぎ木など人間の手によって広まったもので
ある。
ソメイヨシノは、一般的に、他の台木に接木をしたものや、挿し木、植
え替えによって増える。このため、人間と切っても切れない関係にある。
すべてのソメイヨシノは元をたどればかなり限られた数の原木につなが
り、すべてのソメイヨシノがそれらのソメイヨシノのクローンともいえ
る。国立遺伝学研究所の研究によれば、全国のソメイヨシノはDNAが一致
することが確認されている。これはすべてのソメイヨシノが一斉に咲き
一斉に花を散らす理由になっている。特定の病気に掛かりやすく環境変
化に弱い理由ともなっている。
街路樹、河川敷、公園の植え込みなどに広く用いられている。また、全
国の学校の校門近くにも植えられていることが多い。ソメイヨシノは花
を咲かす時期や、散らすまでの時間が早いために、学校などでは本種と
本種より1週間程度花の咲いている期間の長いヤエザクラの両方を植えて、
入学式にいずれかの桜を咲かせることができるようにしていることが多
い。
広く用いられている種であることから、花見に一番利用される木となっ
ており、人気種である。葉より先に花が咲き開花が華やかであることや
若木から花を咲かす特性が好まれ、明治以来徐々に広まった。
さらに、敗戦後、若木から花を咲かせるソメイヨシノは荒廃した国土に
爆発的な勢いで植樹され、日本でもっとも一般的な桜となった。
ソメイヨシノは街中では他種より目にする機会が圧倒的に多いことから、
以前からその起源についてとともに、可否好悪についても愛桜家の間で
論争の絶えなかった品種である。
ソメイヨシノは多くの人に人気があり、多くの公園などで花見のための
木になっている一方で、ソメイヨシノ一種ばかりが植えられている現状
やソメイヨシノばかりが桜として取り上げられる状態を憂慮する声もあ
る。
欧米には1902年にカンザンと共にわたっている。欧州やアメリカに多く
のソメイヨシノが寄贈されており、春のワシントンのポトマック河畔の
ソメイヨシノが有名である。今年は開花がとても早く、3月末には散って
いたそうだ。
現在もほぼ日本全域に分布する最もポピュラーな桜であり、さらにすべ
ての個体が同一の特徴を持ち、その数が非常に多いため「さくらの開花
予想」(桜前線)も本種の開花状況を基準として決められている。
ソメイヨシノには大きな欠点がある。数百年の古木になることもあるヤ
マザクラやエドヒガンに比べて高齢の木が少ないことである。「60年寿
命説」なる俗説があるほどである。ただし正確な寿命に関しては統計数
値がないため不明であり、また、大径になる木は理論上は寿命がないと
考えられている。
老木の少なさの原因ははっきりしていないが、「ソメイヨシノは成長が
早いので、その分老化も早い」という説があるほか、街路のように排気
ガスなどで傷むこと、公園といった荒らされやすい場所に植樹されてい
るということも寿命を縮める原因となっているのではないかとの指摘も
ある。
接ぎ木によって増やされるため、接ぎ木の台木とされたヤマザク
ラが腐って心材腐朽を起こし、寿命を縮めているという説もある。
また、
すべてのソメイヨシノが同一の特性を持つために、すべてのソメイヨシ
ノが病気や環境の変化に弱く、それらに負け一斉に枯れるという点もあ
る。
排ガスなどの大気汚染ももちろん、近年の地球温暖化やヒートアイラン
ド現象でソメイヨシノが急激な環境の変化についていけていないことが
病気の遠因になっている説がある[4]。根の近くが舗装されることも樹勢
を削ぐ。
また、花見に一番使われる木であることも病気の遠因といえる。根に近
い土壌を過剰に踏みしめられることは木によいとはいえない。
花見客のマナーの悪さは木に悪影響を及ぼす。焼肉やバーベキューなど
は煙で木に悪影響を与える。ごみの放置は雑菌の繁殖をもたらす。
これらは桜を弱らせるに十分な行為である。あまつさえ、花見客が枝を
折ったり切り取ったりすることなどは問題外である。
枝を折られるとそこから腐りやすいため、知識もなく枝を折ることや切
ることは慎むべきである。
しかし、こうしたイメージの一方、ソメイヨシノの老木も存在している。
例えば東京都内の砧公園のソメイヨシノは1935年に植えられすでに70年
以上が経過しているし、神奈川県秦野市の小学校には1892年に植樹され
た樹齢110年を超える2本の老木が存在する。
また、青森県弘前市ではリンゴの剪定技術をソメイヨシノの剪定管理に
応用するなどして樹勢回復に取り組んだ結果、多くのソメイヨシノの樹
勢を回復することに成功している。
ただし、紅葉・落葉直後にすぐ剪定することでC/N比(炭素/窒素比)を
変えたり根回しや土壌交換による細根の発生をもたらすなど、管理に留
意を要する。
弘前城跡公園には樹齢120年を超えるソメイヨシノがあり、これは本
種の現存する最も古い株であろうといわれている。
引用:「ウィキペディア」2012・4・3