日本が7世紀に大陸から撤退した後、朝鮮人は日本を何度も攻撃しています。
宮崎正夫氏のメルマガについていた読者の声。↓
読者の声1)貴誌前号の韓国留学生の日本人いじめですが、日本・朝鮮関係では、日本人は朝鮮人の被害者偽装の幻術に騙されていると思います。被害者は日本です。
歴史を見ると、日本が7世紀に大陸から撤退した後、朝鮮人は日本を何度も攻撃しています。
997年には朝鮮人の九州攻撃、1019年にも刀伊の九州攻撃が記録されています。刀伊は満洲人と言いますが満洲人は遊牧民なので実態は朝鮮人と思われます。
1274年の文永の役に続く1281年の弘安の役では朝鮮人4万、支那人10万の大軍が九州に来襲しました。
朝鮮軍は馬山浦から1千隻以上の船団で対馬、壱岐を襲い日本人を大虐殺しました。
指揮官クラスの元人は朝鮮に脱出し、生残りの数万人が鷹島に上陸しましたが、怒った日本軍に皆殺しにされました。
そして古来の戦争の慣習で捕虜の3人だけが助命され日本軍の恐ろしさを知らせるために朝鮮に送還されたといいます。
ただ戦闘の混乱の中で博多の婦女子多数が朝鮮人につかまり、奴隷として半島に連行されました。日本側の油断でした。
倭寇はそのお返しですが、日本人は2割位であとは支那、朝鮮の海賊だったようです。
秀吉の明国攻略では、李氏朝鮮は秀吉の案内の要求に対して、明の属国なので日本を敵視し攻撃しました。
そこで秀吉軍に厳しく反撃されたのです。
秀吉の明征服計画は途方もないと思いますが、同時期、満洲のヌルハチは明を攻撃し、清朝を建て孫の代には全支那を征服し250年間、外国民族王朝として支那民族を統治しました。
明治になっても、朝鮮は衰退した清の属国で、ロシアの南下に無抵抗だったので、日本は清朝から切り離すために日清戦争を戦いました。
しかし独立後も朝鮮はロシアの南下戦略に対して海軍基地(竜岩浦)を供与するなど、日本に敵対しました。
このため日本は日露戦争を戦い朝鮮を支配することになったのです。
朝鮮半島は欧米の歴史家から「大陸から日本に突き付けられた短刀」といわれた戦略的な要衝であり、対日攻撃に使われてきたので、その帰趨は日本の命運にかかわる重大な問題でした。
ソ連工作員ゾルゲは、1930年代の日本外交について、そのヒントの多くは古代の日本外交史にあると述べたと言いますが、朝鮮半島の死活的重要性は、古代も中世も戦前も変わらなかったと思います。
現代は、核兵器の発達で朝鮮半島の持つ軍事的な重要性は減りましたが、政治的な重要性は変わっていないように思われます。
海外の日本の子供が迫害されるのは問題です。
正しい史実を知らせることと、元寇の史実を知って勇気を持って反撃するように、元気づけなければなりません。
戦場売春婦問題は、朝鮮人による米国からの日本切り離し戦略の一つなので、はっきりその汚い宣伝工作の手口を日本の子供に知らせなければなりません。
被害者偽装工作は日本以外の民族ではよくつかわれる戦術です。騙されてはなりません。
これも戦後の日本政府の歴史教育が間違っているからです。
(東海子)