2012年の現在でもどろどろの「中国三国志」の世界 | 日本のお姉さん

2012年の現在でもどろどろの「中国三国志」の世界

「宮崎正弘の国際ニュース・早読み」 
      平成24(2012)年 2月7日(火曜日)
      通巻第3549号 
 
 権力中枢の不快感か、団派の巻き返しか?
   重慶公安局長で「打黒英雄」の王立軍を解職
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 「王立軍」はアニメの題名ではありません。実在の中国人、次のキーパーソンの一人。

 微妙な時期である。秋の十八回党大会を前に、誰が中枢入りするか。王洋か、王岐山か、或いは薄き来か。全員か。
 現時点での注目点は、李克強が次期首相、習近平が次期総書記になり、よほどのことでもない限り逆転はないとされる。
それでも李克強では頼りないため、経済危機が深化した場合は王岐山副首相がリリーフで暫定首相に就くという観測が消えた訳でもなく、王洋(広東省書記)がウーカン村の「民主選挙」騒動に妥協的収束で、北京中央からにらまれたわけでもない。

 温家宝首相は党内民主化、党改革を叫び続け国際的に人気が高いが、党内ではいまや鼻つまみ。欧州が危機に陥ったら中国経済も被害を受けるため救済に協力するべきだと温首相が叫べども、権力中枢はそっぽを向いたままである(ちなみにIMFは中国に警告を発し、「ユーロ救済に中国が協力しないとなると、貿易も激減するだろう」とした――2月6日)。

 この文脈からいえば「唱紅打黒」(毛沢東の原点に返り、腐敗を追放せよ)という重慶市書記の薄き来は、現在の胡錦涛執行部にとっては、不気味な存在。多くの共産党幹部からみれば、うとましき野心家ということになる。

 さて重慶におけるマフィア退治の影の主役、つまり重慶市公安局長として薄き来とともに重慶に落下傘降下してきた「打黒英雄」は王立軍という人物である。
つまり、この男がいなければ薄き来が、実際にマフィア退治など出来なかったのだ。

 2月2日、重慶市党委員会は「王立軍の党副書記兼公安局長の任を解き、重慶市副市長として教育方面の担当に専念する」と発表があった。たちまちにして、この人事は前中国の話題となった。

 第一は降格人事説。地元有力者の恨みを買い、中央の権力中枢に不快感を与えたからとするもの。
 第二は通常のルーティンによる交替説。
 第三は団派が巻き返し、終局的には「太子党」の象徴的存在でもある薄き来の基盤を脆弱化させる裏目的があるとする説。
 第四は嫉妬による太子党の内ゲバの擬制説。
等々。


 ▼王立軍とはいかなる人物か
 
にわかにスポットが当たった、この「中国の鬼平」と言われるほどの王立軍は、快刀乱麻の快男児なのか。

 王立軍は漢族ではなくモンゴル族。1959年生まれ。父親は鉄道の工員。母親は紡績工場で働いた。モンゴルの名前はウォンィパテール(太陽の英雄を意味する)。子供時代から学問好きで、武道好き、少林寺拳法をならう。まさに文武両道(中国語は「文武双全」という)。一方で絵画の趣味もあった。

 1977年に軍隊へ。除隊後は警官に志願して公安畑を歩んだ。
87年にはやくも派出所所長に抜擢され、赴任地で三年間に1600名の不良分子を逮捕した実績がある。

遼寧省鉄玲市の公安副局長、錦州市公安局長の間にも犯罪取り締まりに全力を尽くしてマフィア退治に成功し、不評だった警察の評価を高めた。なにしろ犯行現場にまっさきに駆けつけ、凶暴なマフィアとの乱闘、戦闘におじけづくことなく負傷20ヶ所、生死のあいだをさまよって十日間も意識不明だったという武勇伝もある。

 この王立軍に目をつけたのが当時、遼寧省省長をしていた薄き来だった。
 薄は重慶市書記として赴任するや、右腕として王立軍を呼び寄せ、いきなり重慶公安局長兼党委員会副書記とした。それに従った王立軍は、まさに薄の次の出世にかけた忠臣=関羽のごとし。

 重慶でのマフィアならびに腐敗幹部一斉粛正は逮捕したマフィア110名のうち、7名が死刑となり、押収したカネは200万元。ついでにマフィアに便宜をはかってきた市幹部19名も同時に一網打尽とした。
だから「中国版 鬼の平蔵」こと「打黒英雄」という称号がついた。 

 その王立軍の事実上の失脚は、次の政変の予兆だろうか?

「宮崎正弘の国際ニュース・早読み」 
      平成24(2012)年 2月9日(木曜日)貳
     通巻第3552号 
http://miyazaki.xii.jp/
宮?正弘のホームページ更新しました

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 やはり失脚だった王立軍(重慶市副市長)。当局は「長期休暇」と発表
  これは暗黒の権力闘争の一環、薄き来の政治生命に赤信号
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 ライジング・スターだった薄き来(重慶市書記)は、政治生命を絶たれる懼れがある。
 党大会を控えて中国は熱い政治の季節を迎えた。

 薄き来の主唱した「唱紅打黒」(毛沢東の原点に返り腐敗一斉)は共産党中央から疎まれたのだ。特権を長期に維持しようというのが共産党高官の合意だから、この秩序を党内から動揺させた薄き来は邪魔となったのだろう。

 薄が王立軍とともに、重慶にはびこったマフィア、腐敗幹部を一網打尽として、トップの7名を死刑にした功績は、庶民から喝采され、共産党幹部からは畏怖された。
 07年に薄き来が重慶市書記に赴任したとき、遼寧省で活躍した公安畑の王立軍をともなった。王は公安局長兼副市長として豪腕を振るった。薄はこれらの実績をバックに今週の第十八回党大会でトップ政治局常務委員会入りする野心に溢れていた。
 
 舞台は暗転する。
 その右腕の王立軍が同市公安局長のポストを解かれたのが2月2日、そして7日に「長期休暇」に入ったと重慶市スポークスマンがアナウンスし、理由を「長年の過労による極度の緊張で体調を崩したため治療に専念する」としたが、中国のネット世論は一斉に「失脚」と解析した。

 また「微博」サイトには王立軍の米国亡命失敗という噂が広まった。
 げんに7日の四川省成都、米国領事館付近は異様な緊張に包まれ、夥しいパトカーが領事館付近に配置され、ものものしい警官隊が領事館を囲んだため、王立軍は領事館で亡命を申請したが断られたのでは?とする噂となった。
 
 NYタイムズは北京発として、「王立軍は米国亡命を試みた」(9日付け電子版)と報じたが、同時に「誰も王立軍がどうなろうと興味は薄い、これで薄き来がどうなるか、という次の展開に多くが関心を持っている」と冷徹に解析したのだ。

 北京の米大使館はメディアの取材に沈黙。ただし「米国領事館が中国当局に警備の増強を要求したことはない」とした。

 博訊新聞網(8日)は、「王が米国領事館へ逃亡しようとしため黄奇帆(重慶)市長は、緊急に70台のパトカーを米国領事館周辺に派遣させた」と報じた。
 薄き来自身、この件でひとことのコメントも出していない。


 ▼権力中枢のどろどろした抗争はつねに藪の中だ

 多維新聞網(2月8日)は「おりからチベット僧侶の焼身自殺が連続して四川省は騒然としており、警戒を強めている一環だろう」と分析した。

 しかし同紙は「腐敗分子追放以後、敵のいなくなった重慶で、やりたい放題の汚職、腐敗をやったのは薄き来であり、海外への資産移動や放蕩息子のハーバード留学など、かずかずの汚点が指摘されている。その右腕だった王立軍自身も腐敗の共犯だった噂が絶えず、喬石ら元老は『その後、重慶の治安が悪化しており、王立軍の退陣を要求』していた」という報道もしている。

 新幹線を五年間で8300キロも作り上げた劉志軍(前鉄道部長)にしても、副官とともに二兆円もの賄賂、収賄の関与があって昨年二月に失脚したが、劉は江沢民派であり、団派の巻き返しと言われた。

であるとすれば、今回の薄き来を揺るがす大事件は、かれを政敵と位置づけた守旧派と太子党の多数派の共同作戦により、薄き来の次期政治局常務委員会入りを阻止する決定打となる。

 ▼習近平訪米直前のタイミングで仕組まれた

ウォールストリート・ジャーナルは「習近平の訪米直前に、政治スタイルのまったく異なる太子党の薄き来がポピュリズム重視の新しい政治スタイルで重慶市民の圧倒的支持をえていることに何らかの関係がある」と分析した(同紙、2月9日)。

 同じ日に明るみに出た報道は江沢民の父親の日本特務機関協力の過去をあばいた歴史学者の呂加平が、昨秋に「国家政権転覆扇動罪」で懲役十年の判決が秘密裁判で出され服役しているという事実だった。

 習近平が次期総書記兼国家主席に確実視されるのも江沢民派が推挙し、上海派と太子党が連合した人事抗争の結果である。
 そして習は訪米の最終準備にはいった。

 なお今回の中国の「ミニ政変」を欧米各紙は大きく伝えているが、日本の諸紙は黙殺か、ゴミ記事、例外は産経新聞だけのようである。


「宮崎正弘の国際ニュース・早読み」 
      平成24(2012)年 2月14日(火曜日)
     通巻第3556号 (2月13日発行)


 誰が王立軍(重慶市副市長)の米国領事館接触を北京に通報したか?
  薄き来は、常務委員会入りを諦めたのか? 王洋が巻き返したのか?
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 王立軍の失脚がおおきな政治問題入りしたことは先週までに伝えたが、政治的に追い詰められた王立軍が重慶からとなりの成都へ飛んで、米国領事館へこっそりとはいり、そこに長い時間、滞在したあげく周囲に説得され、自ら領事館のそとへでたことが、その後、明らかになった。

亡命を申請したが習近平訪米前のタイミングでもあり、米国が拒否したという報道もあるが、真偽のほどはだれも分からない。

 その後、王立軍は「長期休暇」にはいったが、これは異例の措置、そもそも権力闘争の舞台中枢にある人間が、ちょっと休みがとれるほど「中国三国志」の世界は現在でもヤワではない。
明らかに「失脚」と解釈出来る。

 さて問題は、誰が、王立軍が米国領事館へ「相談にいった」ことを北京中枢に通報したのかである。

 博聞新聞網(2月13日)は、米国大使館が北京の外交部へ連絡したのが最初で、これが外交部から権力中枢、常務委員会法紀委員会へとリレーで連絡され、ついで九人の常務委員秘書へそれぞれ通知されたという。
中央政治局の常務委員会政法関係の責任者は周永康(江沢民派)であり、周は江沢民にも伝えたという。

 さらに同紙は奇妙な薄き来の動きを伝える。
 薄は黄奇帆(重慶市長)に連絡を取って、成都の米国領事館へ警備を急派するよう要請し、自らも代理人を急遽、成都へおくりこんだ。彼らは領事館内で王と話し合ったそうな。
一部の報道にあったように、もし、これが本当であるとすれば、薄と右腕の王立軍とは、すでに対立関係に陥っていたことを示す。


▼「蒋介石と杜月笙」&「薄き来と王立軍」

一部のネットには「蒋介石と杜月笙のように、薄き来と王立軍の関係は似ている」と説く者が現れた。
杜月笙は蒋介石黄金時代、上海のマフィアの親玉にして、テロリストの黒幕、そして蒋介石の右腕だった。
杜月笙も乱暴に金を稼ぐうえ腐敗も激しく、蒋介石につぐほどの財宝を隠匿した。

いまも上海へいくと、杜の第二夫人、第三夫人の大妾宅が一等地にあって豪華ホテルにばけていたり、豪華レストランになっていて、壮大な庭園をみただけでも、どれほどの蓄財をなしたかが偲ばれる。杜に比べれば、王立軍がたとい不正蓄財をしていたにせよ可愛い程度のものだろう。

 さて最大のポイントは王立軍ではない。
次期政治局常務委員を狙っていた薄き来の政治生命が絶たれるかどうか、である。
古くは江沢民が政敵=陳希同を葬った折も、副官だった王実森北京副市長は「自殺」した。陳希同は北京市書記にして古参幹部、上海からいきなり二段階特進でやってきた江沢民をバカにして、ことごとく彼に嫌がらせをした。

江沢民の右腕だった曽慶紅はトウ小平とはかり、北京の銀座と呼ばれるワンフーチン(王府井)開発で香港財閥に便宜を図り賄賂を取ったとして逮捕し懲役十六年、陳は刑期の終わった今でも内蒙古省の監獄に閉じこめられたまま。江沢民がまだ生きているからである。

 これはプーチン最大の政敵だったホドロコフスキーをでっち上げの脱税容疑で逮捕し、刑務所にぶち込んで、この間に彼の経営した大手石油メジャー「ユコス」を横取りしたという権力闘争と酷似する。
 ユコスは解体され、KGB人脈(つまりクレムリン主流派)が急遽組織した新メジャー「ロフネフツ」傘下に吸収された。

胡錦涛の政敵だった陳良宇(上海市書記)失脚は、頭でっかちで政治力のない共青団が、当時の権力中枢を牛耳った上海派の鼻をあかせたが、同時にばらばらだった上海派の利権グループを再度、結束させてしまい、下馬評にもなかった太子党のダークホース習近平が浮かび上がって、いつしか胡錦涛の頼みの綱=李克強の上を歩み、いまや次期総書記は間違いないという座を得た。


▼二転三転、逆転逆逆転の権力闘争

つまり三国志演義にも類型のドラマが見られるように、いま勝利組が明日も勝利しつづけているドラマは中国では成立しにくく、往々にして逆転劇がおこる。しかけたほうが、ほくそ笑んだ直後に、仕掛けられた次の謀略が幕を開く。

陳失脚後、おとなしくなったと思いきや、江沢民は自派から次期後継を捜し出して党内合意を瞬く間に形成し、習近平をポストに就かせることで陳失脚劇を幕引きしたのだ。
その後、江沢民病死説が流れても、胡錦涛派が李克強の巻き返しに動かず、静観した。辛亥革命百周年の式典に江沢民が現れ、その院政の影響力を誇示して見せたが、共青団は騒がず、しかし広東省の王洋書記と組織を司る李源潮の次期執行部入りを黙々とオルグしていた。つまり彼らの力の限界をみせた。
この間にひとり気を吐いたのが「唱紅打黒」を唱えた重慶の暴れん坊、薄き来だった。

 このタイミングで太子党の合意は、たとえ太子堂のプリンスのひとりとはいえ、将来明らかに習近平の政敵になる薄き来は邪魔であり、胡錦涛らの共青団にしても、煙たい存在となる。

したがって上海派主導で薄き来の政治生命を絶つこと、これは太子党利権グループが共青団を巻き込んだ権力中枢の合意であろう。げんに王立軍の後釜は共青団人脈から選ばれ、上海派の差し金であるにも関わらず彼らは表面的な人事介入から無縁の立場を装うことが可能となっているように。

 秋の第十八回党大会を前にして、どっかりと政治的嵐の季節が始まった。
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「宮崎正弘の国際ニュース・早読み」 
      平成24(2012)年 2月14日(火曜日)弐
     通巻第3557号 

 習近平にまことに強い味方が人民解放軍のなかで浮上してきた
  軍をおさえるのは劉少奇の息子、劉源。習近平の幼なじみで太子党
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 現在、中国人民解放軍は胡錦涛が形式上のトップで軍事委員会主任だが、副主任は習近平。彼の妻である澎麗媛は軍の音楽隊を率いる歌姫、軍の位は少将。したがって軍内のおける習の人気は胡錦涛をしのぐ勢いがある。

 現在、軍を事実上おさえているのは国防部長の梁光烈と参謀総長の陳丙徳、くわえて政治部主任の李継耐である。いずれも位は大将(中国語は上将)、かなりの強硬派揃いとはいえ、イデオロギー的に反米でも反日でもなく、軍のテクノクラートと言って良い。
すでに軍の実力者だった王震も劉華清もなく、いや朝鮮戦争に従軍経験がある軍人もいなくなり、理論派の熊光偕らは現役から退いた。

 かつて海軍ナンバー2として威勢を振るった王守業の失脚(汚職摘発)以後、海軍で台頭してきた谷俊山(解放軍後勤部副部長)が2012年1月初旬、これまた汚職追及によって突如、失脚した(香港誌『開放』弐月号、2012年2月10日発売)。

 これにより人民解放軍内で「次のホープ」として俄に注目を集めるのが、劉少奇の息子、劉源である。

 劉源はもちろん親の七光りをうけた太子党だが、過激でもなく目立つ行動もなく、控えめでじっと軍のなかに耐えた。あまつさえ、劉源は太子党であるため同じ幼稚園、同じ学校に通い、まいにち遊んだ幼なじみのなかに習近平がいた。
 つまり次期総書記、軍主任に就任することが確実の習近平は軍を掌握するに格好の友を得たことになるのである。